参考資料945 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

1992年―――運命の年?
「《わたしもまた、人類は西暦2000年を越えてどこまで行けるかとあやぶむ科学者のひとりである》
ノーベル賞学者ジョージ・ウォルド博士

《そのことはいつ起こるのですか・・・・世の終わるときには、どんなしるしがあるのですか》
イエスが地上におられたときの弟子たちの問い

 いにしえの予言者たちが与えてくれた日付から見ると、全世界を揺るがす大事件が起こるのは、どうやら1992年という年らしい。いまわたしたちが生きている時代の重大さは、いまさらいうまでもあるまい。なにしろほんの二十年前(注:この本の原文が書かれたのは1984年)には、「この世の終わりは近い」などと書いたプラカードを持って通りを歩く人びとは、いい笑い者だったはずなのに、いまや科学界では、世界はいつ破滅してもおかしくない、という考え方が大勢を占めているのだから。
 こうした悲劇的な予想は、もはや世界の終末を訴えてまわる狂信的な変人たちの専売特許ではなくなり、たとえばジョージ・ウォルド博士のようなノーベル賞学者にとっても、現実的恐怖になっているのである。
 結局のところ、真実はいつでも真実なのではないだろうか。二千年ほど前、エルサレムを見下ろす山の上に座って、イエスの弟子たちは、現代科学が訴える危機や、現代の政治家が外交機関を通じて懸命に回避しようとしていることとまったく同じ―――この世の終わりの話をしていたのだから。
 予言者たちが残した予言をもとに、未来の事件の年代を特定することを、なかには頑固に拒否する人たちがいる。こうした連中の言い分にも、一分の理があることは認めなければならない。というのも、当てずっぽうな決め方で決められた年代が、結果として間違っていたというケースもちょくちょくあるからだ。特定された日付が何ごともなく過ぎ去ってしまうと、予言者もその解釈者も、そして予言そのものも、甚大な被害を受けることになる。
 とはいえ、わたしたちは過去の失敗にこだわるあまり、予言者たちの予言から未来の出来事の年代を正しく推理してみせた、多くの研究家たちの成功例にまで、目をつぶってはならない。これまでの章で何度か言及したグラタン・ギネス博士が、そのひとりである。未来の事件の年代を当てずっぽうに決めるのが間違いであるように、時代や期限を研究せよ、という予言者たちの執拗な勧告まで無視してしまうのは、とんでもない間違いなのだ。
 すでに見てきたように、『ダニエル書』には、年代を割り出すカギを教える予言がたくさんあるし、それは『黙示録』でも同様である。そうした年代決定のカギを教える際には、きまってその直前か直後に、意味を「悟れ」という注意が読者に出されている。
 したがってわたしたちが、予言の意味を永遠に曖昧なまま残しておいては、道理に反するではないか。ダニエルがせっかく教えてくれた年代割り出し法の意味を理解しなかったら、終わりの時に《さとき者は悟る》とした彼の言葉も、何を表すのかわからないことになる。
 ここで本書冒頭の仮説に戻ってみよう。“彼方の存在”が存在し、さまざまな方法を使って、霊的に同調できる者を通じて語ることで、人類とコンタクトするための長い年月をついやしてきたとする。そして、古代の予言者を通じて人類とコンタクトできたのなら、その歴史上で最も重大な危機について何も語らないはずがないではないか?
 わたしたちは危機の時代に生きている。それもイザヤ、エゼキエル、ダニエル、それにナザレのイエスといった人たちから少しずつ与えられた情報ではなく、マスコミでたえず報道されている、人類が知りうるあらゆる分野の科学が支える意見としての危機である。
 古代の予言の書、とくに『ダニエル書』から追っていくと、運命の年は1992年だという結論にいやおうなく到達する。いまからほぼ二千年前、ベツレヘムの羊飼いの野原で、天使がイエス・キリストの最初の降誕を祝った年以来、これほど重大な年がめぐってくることはない。」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言(下)」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より

感想
>1992年―――運命の年?

「主の日は盗人のように来る」(「ペテロの第二の手紙」第3章10節)所に意味があるので誰にも正確な日時は分からないのだろう。ただし、最近知った事だが、終わりの時の選民にはアバウトには分かっているらしい。

「兄弟たちよ、その時期と場合とについては、書きおくる必要はない。あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それからのがれることは決してできない。しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。」
「テサロニケ人への第一の手紙」第5章1節~4節

個人的には、1992年一杯でサラリーマンを辞め、翌年の初めから断食と数学に目覚めたので運命の年かもしれない。(笑)

>これまでの章で何度か言及したグラタン・ギネス博士が、そのひとりである。

こちら。http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12026851149.html

「グラタン・ギネス博士という学者が1887年、『最後の審判の真実』と題する本を著した。博士は、数千年も前に古代の予言者によって書かれた暗号年代に数学的分析をほどこした。予言者たちの日付のみにもとづいて、彼はエルサレムが1917年にトルコ人から解放されるだろうと予言した。この予言は、彼の時代より三千年も前の人びとの記述を分析することによって得られた、純粋に数学的な推理であった。」
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12014135753.html(この文章に対する感想は一番下。)

おまけ