参考資料942 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

“メシア再来の日”予言への警告
「イエスの弟子たちは、メシアが再来すれば、イスラエル王国が再建されると信じきっていた。メシアが再来するのは、それまで“ユダの家”と“イスラエルの家”に分かれていた民族がふたたび統一されるときだと考えていた。ひとりの王とひとつの王国の出現である。
 だからイエスの弟子たちは、『使徒言行録』1章6,7節にあるような《主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか》とたずね、イエスは《父がご自分の権威を持ってお定めになった時や時期はあなたがたの知るところではない》と答えたのである。

 はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない・・・・その日、その時は、だれも知らない。ただ、父だけがご存じである。
マタイによる福音書 24章34,36節

 ここではふたつのことが等しく強調されている。ひとつは、わたしたちはメシアが再来する“時代”を知ることはできるが、再来の年月や日時まで推測してはならないということ。
 もうひとつは、むやみに“再来の日を語る者”がメシア再来の教義の信用を落とし、また反対に古代の予言者が力説した教えを説くことを怠る者のせいでも信用が落ちる、ということである。」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言(下)」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より

感想
>イエスの弟子たちは、メシアが再来すれば、イスラエル王国が再建されると信じきっていた。メシアが再来するのは、それまで“ユダの家”と“イスラエルの家”に分かれていた民族がふたたび統一されるときだと考えていた。ひとりの王とひとつの王国の出現である。

これは、たまたま昨日の記事で取り上げたね。

「37:15 主の言葉がわたしに臨んだ。
37:16 「人の子よ、あなたは一本の木を取り、その上に『ユダおよびそれと結ばれたイスラエルの子らのために』と書き記しなさい。また、別の木をとり、その上には『エフライムの木であるヨセフおよびそれと結ばれたイスラエルの全家のために』と書き記しなさい。
37:17 それらを互いに近づけて一本の木としなさい。それらはあなたの手の中で一つとなる。
37:18 あなたの民の子らがあなたに向かって、『これらはあなたにとって何を意味するのか告げてくれないか』と言うとき、
37:19 彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。わたしはエフライムの手の中にあるヨセフの木、およびそれと結ばれたイスラエルの諸部族を取り、それをユダの木につないで一本の木とする。それらはわたしの手の中で一つとなる。
37:20 あなたがその上に書き記した木は、彼らの目の前であなたの手にある。
37:21 そこで、彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。わたしはイスラエルの子らを、彼らが行っていた国々の中から取り、周囲から集め、彼らの土地に連れて行く。
37:22 わたしはわたしの地、イスラエルの山々で彼らを一つの国とする。一人の王が彼らすべての王となる。彼らは二度と二つの国となることなく、二度と二つの王国に分かれることはない。」
「エゼキエル書」第37章15節~22節

>はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない・・・・その日、その時は、だれも知らない。ただ、父だけがご存じである。
マタイによる福音書 24章34,36節

因みに、イエスも知らないらしい。

「その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」(「マタイによる福音書」第24章36節)

「子」というのはイエス・キリストの事だろう。

ただし、「終わりの時」の人たちはアバウトには分かっているらしい。http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12094310632.html(感想の方。)
ただし、所詮弟子の言葉で自分達が「終わりの時」に生きていると思っているので、イエスの弟子はアバウトには分かっていると思って書いたのだろう。聖書が2000年の時を超えてシンクロニシティーを起こさないようでは何の意味もない言葉だが、私は「神の計画書」だと思っているのでシンクロニシティーとして「終わりの時」の選民へのメッセージだと思っている。

「44. イエスは大声で言われた、「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなく、わたしをつかわされたかたを信じるのであり、
45.また、わたしを見る者は、わたしをつかわされたかたを見るのである。
46.わたしは光としてこの世にきた。それは、わたしを信じる者が、やみのうちにとどまらないようになるためである。
47.たとい、わたしの言うことを聞いてそれを守らない人があっても、わたしはその人をさばかない。わたしがきたのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである。
48.わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう。
49.わたしは自分から語ったのではなく、わたしをつかわされた父ご自身が、わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったのである。
50.わたしは、この命令が永遠の命であることを知っている。それゆえに、わたしが語っていることは、わたしの父がわたしに仰せになったことを、そのまま語っているのである」。」
「ヨハネによる福音書」第12章44節~50節

おまけ