参考資料943 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

“メシア再来”は信じられるか?
「信じるということは、美しさと似ていて、個人の主観に左右される。わたしはこの章の初めで、メシアの“再来”は知的に考えるかぎり受け入れられない、とあっさりと認めた。そんな発想は、SFに属するたぐいのものだと思う。“再来したイエス”を気どる連中も、彼らの予言も、メシアの“再来”の可能性は保証してくれなかったし、その見こみすら保証してくれなかったのだ。
 だがそれでも、一度も誤ることのなかった古代の予言者たちの、膨大な証言の集積を考えると、最後に残る最大の予言だけ間違っているはずがあるだろうか、と思わずにいられない。予言者たちの語った、“メシア再来”の前兆となる状況はすでにととのっている―――最後のひとつだけ間違っているというのでは、納得できない。
 無神論者は当然、メシアの“再来”などありえないと、断固として否定するだろう。しかし、彼ら以外でそんなことを断定する人は、多少なりとも理性に対して正直ではないのだ。“宇宙精神”とか“彼方の存在”と呼ぶべきものを受け入れる覚悟があるのなら、“宇宙精神”がある日、地球を訪れようと決心する可能性も認める覚悟でいなければならないはずだ。
 メシアの“再来”という問題に関しては異常なまでの不信感があって、つい数週間前にある一流銀行の頭取と話す機会があったが、彼はいつか“異星人”が地球に降り立つ可能性は受け入れられるが、メシア再来の可能性はとうてい信じがたいと告白したものだ。
 ここでいにしえの予言者が語った“メシア再来”に先立つ出来事をまとめてみよう。

★ エルサレムは異邦人の手からとり戻される―――これは地球の歴史の終末到来を告げるものである。この予言は1917年に成就した。
★ 専門家の予測をくつがえして、世界では暴力が幅をきかせるようになる―――事実そうなっている。
★ 飢饉、疫病、地震により多数の人命、財産が奪われる―――そのとおりになった。
★ “メシア再来”の直前には知識がいちじるしく向上する―――これも的中している。
★ 旅行者数の大幅な増加―――旅行はスピードも旅行者数も爆発的に増加している。
★ ユダヤ人がパレスチナに戻り、パレスチナはふたたび豊かな土地になる―――すでに実現した。
★ 労働者の組織化が終末の前ぶれとなる―――世界の自由国家なら、どこでも見られるものである。
★ 王国は消え去り、王たちはその地位を追われ、当然のものとして受け入れられてきた政体は乱れる―――すべて起きている。
★ キリスト教の信仰から脱落する者が出る―――事実である。
★ “悪魔崇拝”が盛んになり、それにともなう習慣も見られるようになる―――実際に起こっている。
★ メシアの“再来”の可能性はどこでも冷たくあしらわれる―――そのとおりである。

 いにしえの予言者たちは、メシアが地上に現れて、地上のさまざまな問題の解決をはかると予告した。“再来”する理由のひとつは、人類を完全な滅亡から救うことである。」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言(下)」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より

感想
「イエスの再臨」はUFOに乗っているような存在によるタイムワープと考えているので、信じる信じないはUFOを信じる信じないに帰着させても良いだろう。(勿論、これは私の仮説なのでキリスト教徒には受け入れられないだろうが。)
 
ところで、最近、イスラム教のコーランにはイエス・キリストの前に現れる救世主マフディーという人物がいる事を知ったので、新約聖書に載っていないかどうか検討する。(旧約聖書については、それらしき人物がいてもイエスの事だと解釈してしまうので判明しないと思う。二人同時に描写されていれば別だが。そんな噂も聞いた事がないし。)

「イスラームの伝承によれば、イーサーはマフディー(正義の導き)による戦の最中に降臨すると考えられている。 マフディーとは、イスラームの終末論ではイスラームの救世主として知られており、反キリスト( al-Masīh ad-Dajjāl 。偽メシア)とその支持者に対抗する者である。 イーサーは、ダマスカスの白い拱廊に、黄色いローブをまとい頭に油を塗って降臨し、マフディーに加わって偽メシアと戦う。 イーサーは、イスラームではムスリムであり、イスラームの教えを遵守する者と思われている。 最終的にイーサーは偽メシアを圧倒し、すべての啓典の民( ahl al-kitāb 、ユダヤ教徒とキリスト教徒をいう)が彼に従ってイスラームの教団ひとつにまとまるという。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC#.E5.86.8D.E8.87.A8
(念のため、イーサーとはイエス・キリストの事。)

「ヨハネによる福音書」第8章50節に「わたしは自分の栄光を求めてはいない。それを求めるかたが別にある。そのかたは、またさばくかたである。」とあるが、この人物がそうだろうか。
因みに、「ヨハネの黙示録」第19章11節~16節に、

「11.またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。
12.その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。
13.彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言(ことば)」と呼ばれた。
14.そして、天の軍勢が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、白い馬に乗り、彼に従った。
15.その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。
16.その着物にも、そのももにも、「王の王、主の主」という名がしるされていた。」

とあるが、イエスは裁かない人である。「あなたがたは肉によってさばくが、わたしはだれもさばかない。しかし、もしわたしがさばくとすれば、わたしのさばきは正しい。」(「ヨハネのよる福音書」第8章15節,16節)とあるが、「しかし、わたしをつかわされたかたは真実なかたである。わたしは、そのかたから聞いたままを世にむかって語るのである」(「ヨハネによる福音書」第8章26節)とあり、裁くとしたらその裁きは天の父の言葉でらしい。(前後を自分で読んでみて下さい。)

ただし、この人物かもしれない。

「1.また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。
2.この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。
3.また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍(りゅう)がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。
4.その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落した。龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生れたなら、その子を食い尽そうとかまえていた。
5.女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座(みざ)のところに、引き上げられた。」
「ヨハネの黙示録」第12章1節~5節

因みに、「ヨハネによる福音書」第8章を読めば分かるように、イエスは自分は「神の子」のような事を何度も言っているので、再臨する者を「人の子」と表現しているのは自分とこの人物とのダブルミーニングのつもりで述べているのかもしれない。

おまけ