参考資料777 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

救世主の再来と世界の終末を示すしるし
「オリーブ山上で弟子たちが、ナザレのイエスに尋ねた問いを、ここで思い出してほしい。前に解説したように、イエスの答えのふたつの核心部分は、予言どおりの期日に実現した。神殿の破壊と、異邦人の時代の終わりがそれである。
 これまで見てきたとおり、1917年に文明と全人類は、予言時計上の“最終段階”とも呼ぶべき時代に突入した。
 弟子たちがナザレのイエスに投げかけた質問は、以下の三つである。
★こうしたことが起こるのは、いつか。
★イエスが再来するしるしは、何か。
★世界の終わりを示すしるしは、何か。
 イエスは答えて、五十年前の予言に弟子たちの注意をうながした。それは紀元前543年ごろ、予言者ダニエルが語った予言だった。したがって、イエスの言葉の真意を理解するには、われわれ自身がダニエルの言ったことを正確に把握する必要がある。問題の言葉は、ダニエルの長い予言の終わりの部分に書いてある。事実、文書ではあと9節を残すのみだ。ダニエルは予言書の筆をおくよう命じられる。

「おお、ダニエルよ、終わりの時が来るまで、お前はこれらのことを秘め、この書を封じておきなさい。多くの者が動揺するであろう。そして、知識は増す」
 わたしダニエルは、なお眺めつづけていると、見よ、さらに二人の人が、川のあちらとこちらの両側に一人ずつ立っているのが見えた。その一人が、川の流れの上に立つ、あの麻の衣をきた人に向かって、「これらの驚くべきことはいつまで続くのでしょうか」と尋ねた。すると、川の流れの上に立つ、あの麻の衣を着た人が、左右の手を天に差し伸べ、永遠に生きるお方の名にこう誓うのが聞こえた。「一倍、二倍、そして半倍たって、聖なる民の力が打ち砕かれると、これらのことはすべて成就する」
 こう聞いてもわたしには理解できなかったので、尋ねた。「主よ、これらのことの終わりはどうなるのでしょうか」彼は答えた。「ダニエルよ、もう行きなさい。終わりの時までこれらのことは秘められ、封じられている。多くの者は清められ、白くされ、練られる。悪しき者はなお非道を行う。悪しき者はだれも悟らないが、さとき者は悟る。
 日ごとの供え物が廃止され、憎むべき荒廃をもたらすものが立てられてから、千二百九十日が定められている。待ち望んで千三百三十五日に至る者は、まことに幸いである。
ダニエル書 12章4~12節

 これこそ、五百年後にイエスが注意をうながした予言である。彼は言う。

 そして御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりがくる。
 予言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら―――読む者は悟れ―――・・・・
マタイによる福音書 24章14~15節

 イエスは、弟子たちの質問に答えてほのめかした日付をダニエルが教えているという。イエスは、《読む者は悟れ》と言って、予言の問題にかかわりあうなという連中にさからう指示をだした。
 先ほど引用した、イエスがふれたダニエルの予言には、三つの“年数期限”が示されている。この三つの年数期限の最初のものは、《一倍二倍そして半倍》である。
《倍》をヘブライ年一年の日数と同じだけの年数と、定義したことは覚えていることと思う。予言者の一年は三百六十日だ。したがって、《一倍》は三百六十年となる。だから、3.5《倍》は、三百六十年の3.5倍、つまり千二百六十年である。
 ダニエルのいう第二の年数期限は、千二百九十《日》ならぬ千二百九十年だ。
 彼はまた第三の年数期限にもふれている。《待ち望んで千三百三十五日に至る者は、まことに幸いである》つまり千三百三十五《日》ならぬ千三百三十五年ということになる。
 この三つの年数期限は、ダニエルとイエスが《憎むべき荒廃をもたらすもの》《破壊者》と表現した出来事が起きた時点から、はじまることになっていた。
 ここで注意しなければならないのは、この予言の対象が“イスラエルの家”ではなく、もっぱらユダヤ人とパレスチナだということだ。ほかの国々にかかわる状況をこの予言が予告するのは、それがユダヤ民族とパレスチナに影響を与える場合だけである。
 ダニエルとイエスのふたりによれば、《聖なる場所》に《憎むべき荒廃をもたらすもの》と描写される何かが起こるという。日ごとの供え物が廃止されるだろう。その時から、次の三つの期間が始まる。いずれも、“この世の終わり”つまり“神の摂理”のしるしとなる出来事とともに終わることになっている。
① 千二百六十年の期間
② 千二百九十年の期間
③ 千三百三十五年の期間
 予言時計上のこうした指針によって時を知るためには、いくつかの疑問に対する答えを知る必要がある。
a.《聖なる場所》とは何か、そしてどこにあるのか。
b.《憎むべき荒廃をもたらすもの》とは、どういう意味か。
c. この三期間の開始年代は、それぞれいつか。
 唯一確実なのは、《憎むべき荒廃をもたらすもの》と表現されたこの人物もしくは現象を、キリストの時代以前にもとめる必要はないということだ。なぜならイエスは、この出来事を未来のものとして語ったからである。とにかく、イエスが生きていた時代には、《日ごとの供え物》はそこここで行われていたのだ。したがって、キリストの時代以前の事件が、その予言の実現であるはずがない。」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言(上)」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より

感想
>オリーブ山上で弟子たちが、ナザレのイエスに尋ねた問いを、ここで思い出してほしい。前に解説したように、イエスの答えのふたつの核心部分は、予言どおりの期日に実現した。神殿の破壊と、異邦人の時代の終わりがそれである。

何度も同じ事を書くが、シンクロニシティーとしては見事だが、イエスはまだ来ていない「終わりの時」についてしか預言していないだろう。
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12047196809.html
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12047986944.html 

>イエスは答えて、五十年前の予言に弟子たちの注意をうながした。それは紀元前543年ごろ、予言者ダニエルが語った予言だった。

この「五十年前」は「五百年前」の誤植だね。「紀元前543年ごろ」とあるし、その後に「これこそ、五百年後にイエスが注意をうながした予言である」とあるからね。

>おお、ダニエルよ、終わりの時が来るまで、お前はこれらのことを秘め、この書を封じておきなさい。

そもそも「封じておけ」と言うぐらいなんだか暗喩で「終わりの時」を示しているとは思えない。因みに、「ペテロの第二の手紙」には「主の日は盗人のように襲ってくる」とあり、結果から考えて誰にも分からないのだろう。私は「盗人のように来る」所に意味があると考えている。

>あの麻の衣を着た人が、

「麻布の衣」は「ヨハネの黙示録」にも出て来るので「未来人」か。
「そして、天の軍勢が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、白い馬に乗り、彼に従った。」(第19章14節)
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12037584257.html
「小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである。」(第19章7,8節)

>日ごとの供え物が廃止され、憎むべき荒廃をもたらすものが立てられてから、千二百九十日が定められている。待ち望んで千三百三十五日に至る者は、まことに幸いである。

因みに、「ヨハネの黙示録」には千二百六十日という期間もあるね。
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11960447673.html

おまけ