参考資料715 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

“倍”の意味する期間
「予言者たちが“倍”と述べている時間単位がある。この“倍”がどれほどの期間を意味するのかを明らかにしよう。
 聖書のほとんど冒頭の部分に、イスラエル国家が神の教えにそむいた罰が“七倍”の期間つづくと述べられている。モーセがその霊感の源、彼が“主なる神”と呼んだ存在に代わってこう書いているのだ。

 それでもまだわたしの懲らしめが分からず、反抗するならば、わたしもまたお前たちに立ち向かい、お前たちの罪に七倍の災いをくだす。
レビ記 26章23,24節

 聖ヨハネの予言によってはじめて“倍”の長さが示されるまでに、その後千五百年以上かかったということは、全予言者がその霊感の源としたものが同じただひとつの“存在”だったことを暗示している。
 予言の中では一日が一年だったことを思い起こしてほしい!
 予言者ヨハネはパトモスと呼ばれる島にいたとき、幻を見て、現在『アポカリプス』あるいは『黙示録』と呼ばれている予言の書を記した。引用が長くなるが、それは“倍”という時間単位の長さをはっきり示すのに必要なためであり、“倍”の長さをはっきりさせることは、予言者たちの予言が現在の世界にまで及んでいることの理解に不可欠なためである。

 また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。女は身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのために叫んでいた。
 また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。
 女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、この女が千二百六十日の間養われるように、神の用意された場所があった。
ヨハネの黙示録 12章1~6節

 次の引用部分でもヨハネは、同じ女が同じ竜に襲われ、同じ荒れ野に逃げこむのを見ている。

 竜は、自分が地上に投げ落とされたと分かると、男の子を産んだ女の後を追った。しかし、女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒れ野にある自分の場所へ飛んで行くためである。女はここで、蛇から逃れて、一倍、その後倍年、またその後半倍の間、養われることになっていた。
ヨハネの黙示録 12章13,14節

 同じ女、同じ竜、同じ荒れ野のことが述べられている。したがって、女が荒れ野にいたのは同じ期間のはずである。
 まず、千二百六十日というのは千二百六十年のことだ。では「一倍、その後倍年〔二倍〕、またその後半倍」というのは?もちろん3.5倍だ。一倍プラス二倍プラス半倍は3.5倍である。つまり、千二百六十年イコール3.5倍となる。千二百六十を3.5で割れば一“倍”が何年かわかるというわけだ。千二百六十割る3.5は三百六十。古代のヘブライ年の日数にぴたりと符合する。“倍”は一年の日数年に等しい。一“倍”は三百六十年なのだ。したがって、イスラエルの背教の罪に対する罰がつづくのは七倍、すなわち二千五百二十年間ということになる。
 予言者ダニエルは、千二百六十年間つづいて1917年に終わる期間がはじまる年を明らかにした。
 ダニエルはまた、千二百九十年間つづいて1948年に終了する期間についても述べた―――この年に何があったのかは、のちほど紹介することにしよう。」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言(上)」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より

感想
前回の「時間の暗号」の「七倍罰の期間」の意味が分かった。
ただし、手元の聖書(口語訳)では「レビ記」の方は「七倍」で訳されていて同じだが、「ヨハネの黙示録」の方は「倍」ではなく「年」で訳されている。(結果的には同じ事になるが。)

>女はここで、蛇から逃れて、一倍、その後倍年、またその後半倍の間、養われることになっていた。

口語訳では、「そしてそこでへびからのがれて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた。」

>予言者ダニエルは、千二百六十年間つづいて1917年に終わる期間がはじまる年を明らかにした。
 ダニエルはまた、千二百九十年間つづいて1948年に終了する期間についても述べた―――この年に何があったのかは、のちほど紹介することにしよう。

後の章を読まないと何とも言えないが、こじつけ臭い。ダニエル書最終章に「常供の燔祭が取り除かれ、荒す憎むべきものが立てられる時から、千二百九十日が定められている。待っていて千三百三十五日に至る者はさいわいです。」
とあるが、これは「終わりの時」の話である。因みに、1948年といえば、イスラエル建国だろう。もしかしてこれに1335-1290=45日の45年を加えて1992,3年にするのか。(終わりの時が。)
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11964848646.html

そんな事より「ヨハネの黙示録 12章1~6節」の救世主の母親の方が興味深いね。終わりの時に生まれるのか比喩でその頃は既に20歳頃(成人)なのか。また、同12章17節に、
「龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。」

とあるので、聖母マリア的な存在で「女の残りの子」は比喩で選民という事だろう。

おまけ