参考資料716 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

『黙示録』の解読
「ヨハネが『黙示録』を書いたのは西暦95年ごろである。
『黙示録』の意図は明示されている。過去を語り、現在を記録し、未来を予知することだ。ヨハネにとっての《現在》は、もちろん95年であり、《過去》はそれ以前に起こった出来事であり、《将来》というのはそれ以降の出来事である。ヨハネが聞いた“声”はこう告げている。

 さあ、見たことを、今後起ころうとしていることを書き留めよ。
ヨハネの黙示録 1章19節

『黙示録』を“くよくよ気にする”ことはない。『黙示録』は難しすぎる、とはよく言われることだ。まったく大した忠告である。“黙示”する、つまり暗黙のうちに神の意を示すための書だというのに、難しすぎて意味がわからないとは!もちろん、小説を読むようにすらすらとは読めないだろうし、たしかにざっと目を通しただけではわけがわからないだろう。速記は難しい。長いあいだ勉強しなければうまく読み書きできるようにはならない。それなら、なぜ『黙示録』のような書を理解するために努力しようという気にならないのだろう?暗号で書かれているということは、理解不可能を意味しているのではない。それどころか、非常に重大な情報が含まれているからこそ容易に読めないようになっているのだ。
『黙示録』の作者は、自分が書いたのは読まれ、理解されるべき書物だと明言している。『黙示録』の1章に《この予言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されていることを守る人たちは幸いである。時が迫っているからである》というくだりがある。理解できないものを読んで、どうして幸いと言える?どうすれば理解できない言葉を守れるというのだ?“アポカリプス”という言葉も“黙示”という言葉も、それまで隠されていた、あるいは知られていなかったことを明るみに出す、という意味なのだ。
 前にも言ったように、なぜ『黙示録』がちんぷんかんぷんなのか、なぜ予言者のうちの幾人か、たとえばダニエルやエゼキエルが書いたものを読むと頭が痛くなるのか、わたしにはよくわかっている。獣が海からあがり、蛙が竜の口から飛び出し、山が海に投げこまれ、月が血に変わる―――これらはみな、暗号の解読方法を知らなければ、たわ言としか思えないだろう。だが、ひとたび暗号が解読されれば、これらの予言は実り豊かな、発見の喜びを与えてくれるものとなる、というわたしの言葉をとりあえず信じてほしいのだ。」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言(上)」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より

感想
>『黙示録』の作者は、自分が書いたのは読まれ、理解されるべき書物だと明言している。『黙示録』の1章に《この予言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されていることを守る人たちは幸いである。時が迫っているからである》というくだりがある。理解できないものを読んで、どうして幸いと言える?どうすれば理解できない言葉を守れるというのだ?“アポカリプス”という言葉も“黙示”という言葉も、それまで隠されていた、あるいは知られていなかったことを明るみに出す、という意味なのだ。

因みに、第1章5節~6節に、
「また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力があるように、アァメン。」

とあるが、後半の「その血によってわたしたちを罪から解放し」という人物はイエス・キリストとは別人の「ほふられた小羊」なのではないだろうか。そもそも「ヨハネの黙示録」の中には「イエスのあかし」とか「イエスの証人」とかイエス・キリストを直接表す言葉が沢山出て来るのに何故「ほふられた小羊」などとイエス・キリストを暗喩にする必要があるのか。やはり、別人と考えるのが自然ではないだろうか。因みに、イエス・キリストは聖書の他の場所では「羊飼い」で例えられているのに「小羊」ではおかしいだろう。
https://kotobank.jp/word/%E5%96%84%E3%81%8D%E7%BE%8A%E9%A3%BC%E3%81%84-876134
ただし、「ヨハネによる福音書」第1章29節と36節にイエス・キリストの事を「神の小羊」と例える場所がある。

「長老たちのひとりが、わたしにむかって言った、「この白い衣を身にまとっている人々は、だれか。また、どこからきたのか」。わたしは彼に答えた、「わたしの主よ、それはあなたがご存知です」。すると、彼はわたしに言った、「彼らは大きな艱難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。」
「ヨハネの黙示録」第7章13節~14節

おまけ