参考資料519 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

伝説
 さらに1988年に『1566年向けの暦』が復刻されると、驚くべきことが明らかになった。暦書のカレンダーには1日ごとに簡潔な予言が添えられているのだが、その7月1日の項目には「不思議な転生」(Estrange transmigration)と書かれていたのである。これは自分の死期を予見していた証拠ではなかろうか。
 彼の遺体は遺言に従ってサロンのサン=フランソワ教会の壁に埋葬された。
 なお、彼の遺体は今も立ったままの姿勢で眠っている。死してもなお、予言者として人類の行く末を見守り続けているのである。

真相
 では暦書に記された「不思議な転生」はどうか。確かに該当する項目にはEstrange transmigrationとあるが、当時のフランス語では「外国人の転居」というしょうもない意味にも訳せる。文脈を持たないたった2語から、ノストラダムスがどういう意図で書いたのかを断言するのは困難だろう。
 また、この程度の曖昧さなら、他の日でも似たような結びつけは可能である(たとえば、7月21日の「病状が悪化する」と23日の「長い病気の後の死」は、もし21日に倒れて23日に死んでいたなら的中例とされたであろう)。
 サロンのサン=フランソワ教会(とよくいわれるが、実証的な伝記でこの表記は見られない。フランシスコ会修道院付属聖堂とでも呼ぶのが無難)に葬られたことは事実である。後述するようにノストラダムスはその壁に埋葬するように遺言していたが、姿勢については何も語っていない。
 後に「壁の向こうでノストラダムスが詩を書き続けている」という伝説が生まれたが、もちろん事実ではなく、葬られた姿勢が立ったままかどうかは史料から裏付けることはできない。
「検証 予言はどこまで当たるのか」ASIOS・菊池聡・山津寿丸著より

感想
>「不思議な転生」(Estrange transmigration)

前回は軽く流してしまったが、今回はもうちょっと詳しく調べてみよう。
前回は「現代語では「Étrange transmigration」。「étrange」(奇妙な,変な,風変わりな、(古語では)激しい,恐ろしい)「transmigration」(転生,輪廻,移住)」としたが、現代語の辞書にも「étrange」には(古語で)「外国の」とあった。

一応古語辞典でも調べると(estrangeを)、「hors du commun」(非凡な,なみなみならぬ),「extraordinaire」(並外れた,途方もない,稀に見る,奇妙な,風変わりな,異常な,特別の,臨時の,すばらしい,見事な),「bizarre」(変な,おかしな,奇妙な,風変わりな),「Qu'on ne peut reconnaître.」(人が識別(認知)できない~),「étranger」(外国の,他国の,異国の,外交に関する,外部の,よそ者の,未知の,なじみのない,無縁の,関係のない,通じていない,不案内の,異質の)(名詞では「外国人,外人,よそ者,部外者,外国」),「exotique」(外国産の,外国の,エキゾチックな,異国風の)

現代語の辞書にある「(古)激しい,恐ろしい」に合うのがないのは謎だが、辞書から漏れたりしたのだろう。または間違って混入?
他にも「faire l'estrange」は「faire des difficulté」(難色を示す),「faire le difficile」(気難しくする)などもあるが。

また、(「estrange」に)「En dehors de(en parlant de la religion)」(~の外に(宗教について話す時に))の意味もあるが、「外国の」のように「宗教から外に」の意味もあったのだろう(と推測する)。

因みに、「transmigration」の方は手持ちの古語辞典に載っていないので調べようがないが、現代語の辞書には「(宗)転生,輪廻,(稀)移住」とある。

まぁ、普通に訳せば「奇妙な転生」だろうね。

>また、この程度の曖昧さなら、他の日でも似たような結びつけは可能である(たとえば、7月21日の「病状が悪化する」と23日の「長い病気の後の死」は、もし21日に倒れて23日に死んでいたなら的中例とされたであろう)。

因みに、確率1/180 プラス シンクロニシティーで日蓮の生まれ変わりと考えている人もいるがそれは願望だろう。http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-10696778488.html
そんな事言ったら、ノストラダムスが死んだのが1566年7月2日で私が生まれたのが1966年2月17日だから丁度400年後の2と7のアナグラムで2月17日は旧約聖書にあるノアの大洪水の始まった日だからノストラダムスの生まれ変わり、つまりセザールへの手紙の宛て先は私だなんていう事になってしまう。
私には願望がないので完全否定だが、そもそも努力の否定につながるだろう。私は誰にも教わらずにライプニッツの公式を作ったりニュートンの公式(πの)にそっくりなものを作ったりしたが一度も生まれ変わりだなんて思った事がない。(ニュートンは子供の頃はバカだったらしいので多少の共感はあるが。また女よりオカルト研究なんかは似てるかもしれないけどね。決して、私は怪しくない。)
生まれ変わりなんて言われたら迷惑な話である。死ぬほどの努力も生まれ変わりだからね、なんて事になったらバカげているしバカバカしい。

おまけ