参考資料520 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

墓暴きはどこまで予言されていたのか?
伝説
 彼の遺体は遺言に従ってサロン=フランソワ教会の壁に埋葬された。フランス革命の最中、マルセイユ連盟兵の一部がそこを暴くと、彼の首にはその年の書かれたメダルが掛かっており、兵たちは恐怖で逃げ去ったという。また、ノストラダムスの頭蓋骨を盃代わりにして酒を飲んだ兵士がいたものの、ほどなくして別の都市の暴動に巻き込まれ、不幸な死を遂げたといわれている。
 なお、彼の遺体は今も立ったままの姿勢で眠っている。死してもなお、予言者として人類の行く末を見守り続けているのである。

真相
 1793年頃に墓暴きがあったこと自体は確かなようである。主犯格がそれから間もなく不幸な死に方をしたという伝説は、遅くとも1814年にはいわれるようになっており、事実かどうかはともかく、かなり早い段階で知られていたらしい。
 ただし、その当初の伝説には頭蓋骨で酒を飲んだとか、メダルが見つかったという話はない。また、メダルについては「1700」と書かれていたという伝説もあるが、その年に墓が暴かれたという記録はないので、論外である。
 そうした伝説の最も早い部類に属する記録は、おそらく英国の官僚ピープスの日記であろう。その1667年2月3日の項では、知人との食事の席でノストラダムスについていろいろ話したとあり、こんな話を聞いたと記録している。

 彼は死に際し、町の人びとに、けっして彼が葬られたあと、遺骸を掘り出したり、墓を開いたりしないと誓わせた。しかし60年後にそれをやったところ、彼の胸の上には銅板があって、それには、この町の人びとはなんと邪悪な、信用ならぬ人たちであることか、あれほどたくさんの誓いを立てたあげくに、かくかくの年、かくかくの時間に、彼の眠りを乱して、墓を開くとは、と書いてあったというのだ。これは、もしほんとうだとすれば、たいそうふしぎである。(「彼」はノストラダムス。訳は国文社版による)
 
 内容の類似性は明らかであろう。ピープスが積極的に創作したわけではないにせよ、ノストラダムスの死後60年目(1626年)に墓が暴かれたという記録はないのだから、話自体は間違いなく創作である。17世紀から18世紀は、「彼の墓からこんな新発見予言が出てきた」という触れ込みで、ニセ予言を載せた小冊子が多く出回った時期でもあった。
 さて、散逸したノストラダムスの遺骨は市長が主導する形で再び集められたらしいが、当時の記録には「かろうじて」(à peine)と書かれている。フランス語でのà peineは程度がゼロに近いときに使われるので、骨がどの程度集まったのかはわからない。
 現在も立ったまま葬られていると言う者はいるが、それは難しいと思われる。また、1940年に地元の博物館関係者は、遺骨が壁の中の骨つぼに納められていると述べていた。真偽は不明だが、「立ったまま」がさらに疑わしく思えるのは事実だろう。
 さらに、遺骨が再結集された状況がまったくわからないので、どういう根拠で彼の骨と鑑定されたのかも定かではない。現在では、安置されている遺骨の正当性を疑問視する見解すら提示されている。
 なお、かつて日本のテレビ番組で南仏アジャンの文芸科学アカデミーが保管しているノストラダムスの上腕骨が紹介され、「霊能者」宜保愛子の霊視で本物と鑑定されたこともあった。しかし、サロンでノストラダムスの私設博物館を運営していたシェイネ氏は「間違いなく偽物」と述べていたとのことで、こちらの骨も評価が固まっているとはいえないようだ。」
「検証 予言はどこまで当たるのか」ASIOS・菊池聡・山津寿丸著より

感想
>また、メダルについては「1700」と書かれていたという伝説もあるが、その年に墓が暴かれたという記録はないので、論外である。

MMR2巻」に、
「彼は生前、周りの人間にけっして自分の遺骸を動かさないように強く希望し、そしてある者に密かに一枚の金属板を遺骸と一緒に入れるよう頼んでおいたそうです。そして1700年―――遺骸を新しい墓に移すため棺を開けると、そこに一枚の金属板が遺骸の上に発見され、それには“1700年”と刻まれていたそうです」
とあるが、ピープスの日記の話と混ぜて創作されたものだったんだね。MMRのタナカさんが読んでいる本の題名が知りたいね。
メダルについては前回も少し触れたが、今回は私の見解を少し述べてみよう。
ノストラダムスは「予言集」を1555年5月に出版し1999年の詩も書いていてそれが有名だったので、これを完全な作り話と断定するには1666年とか1777年の方が説得力がある。そこで本当に1700年(1792年)と書かれたメダルと一緒に埋葬されていたとするなら、それはカバラの聖数17に100年を掛けてキリスト教徒にとっての最大の関心事千年王国の完成の意味を暗示したのではないだろうか。(念のため、1700年に墓が暴かれたなんて思っていない。また、7000年にしなかったのは3792年までの予言と序文に書いてあるので自明だから。言葉遊びと同じような精神ではないだろうか。)
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11742822598.html
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-10640752425.html
何にしてもシンクロニシティーレベルだろう。(「別のもの」もね。)

>「霊能者」宜保愛子の霊視で本物と鑑定されたこともあった。

以前にテレビで宜保愛子さんがノストラダムスの墓でノストラダムスの霊と対話のような事をやっているのを見た事があるが、恐怖の大魔王とか言っていたので自分の記憶の中の話だろう。因みに、恐怖の大王と訳されている所は厳密には恐怖に似た字の「~な偉大な王」というのが原文。個人的にはキリストの再臨だと解釈しているが。(「King of kings」はキリストの例え。)

おまけ