赤い馬―――戦争の歴史の始まり
「次に小羊が第二の封印を解く。このとき現われたのは、赤い馬とそれに乗っている者だ。彼は『人々が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、また、大きなつるぎを与えられた』のだという。
これが戦乱を暗示しているのは明らかである。よく「人類の歴史は戦争の歴史でもある」といわれるが、右の表現ではこのときからそれが始まろうというニュアンスが強い。
確かに、先に述べたローマ時代以前から、戦いは繰り返し行なわれてきた。しかし、戦乱の世というのはなかったのである。その後、ゲルマン系の諸部族が大移動を始め、ローマ帝国内に侵入してきたときでさえ、両者の間に平和的な土地分割が行なわれているのだ。まだまだ、ゆったりとしているような感じを受ける。
とかく世界の歴史というと、特に初期はヨーロッパに目が向きがちであるが、グローバルな視野を持って見ようではないか。早くも300年代以降、人間の持つ闘争本能やエゴが一気に表面化したような、戦乱の世に陥った大陸がある。中国大陸である。
『五胡十六国時代』と呼ばれた時代、中国大陸では十六もの国が異民族の武力を導入、利用するなどして、激しい興亡を繰り返した。名を挙げられている十六国以外にも、非常に短命だった国や他の諸国、国と言うには及ばない小政権までもが、中国を舞台に各地で戦争をしているというまさに殺し合いの時代だ。
この時代以降、私は世界各地で本格的な戦争の歴史が始まったと解釈している。その原因は、民族や国家の動きが活発化して世界が狭くなってきたことが挙げられよう。自分側の利益だけを考えての戦争である。それは現代にだってあるのだ。
また、付け加えるならば、この時代に中国では火薬が発明されている。大量殺人を可能とする火薬だ。馬の赤は戦乱だけでなく火薬の発明も暗示しているかもしれない。聖書の原典と同じヘブライ語の『ヨハネの黙示録』では、馬の色は”火のような色”とされている。」
「滅亡の日 「黙示録大預言」の秘密のベールを剥ぐ」麻原彰晃著より
感想
>聖書の原典と同じヘブライ語の『ヨハネの黙示録』では、馬の色は”火のような色”とされている。
新約聖書はギリシャ語で、旧約聖書はヘブライ語だが、新約聖書「ヨハネの黙示録」は使徒ヨハネが書いたのだからギリシャ語である。
一応、裏取りはこちら。
だから、「ヘブライ語の『ヨハネの黙示録』」は現代(または近代)のヘブライ語を使う人たち向けに書かれたものなので、あまり意味がない。
補足
「16:16汚れた霊どもは、ヘブライ語で「ハルマゲドン」と呼ばれる所に、王たちを集めた。」
「ヨハネの黙示録」第16章16節(新共同訳)
全文がヘブライ語で書かれていたら、こんな書き方はしないだろう。ただし、
「09:11いなごは、底なしの淵の使いを王としていただいている。その名は、ヘブライ語でアバドンといい、ギリシア語の名はアポリオンという。」
「ヨハネの黙示録」第9章11節(新共同訳)
ギリシャ語で書かれているのに、わざわざギリシャ語で「アポリオン」とも書いているが。まぁ、問題ない。
他に感想もないので、ノストラダムスの詩を挙げよう。
第1巻8番の詩
Combien de foys prinse cité solaire
Seras changeant les loys barbares et vaines:
Ton mal s'approche. Plus seras tributaire,
La grand Hadrie reovrira tes veines.
ああ 太陽の市よ おまえは何度囚われの身となるだろうか
空虚で野蛮な法を変えながら
ひどい時代がおまえに近づく もうおまえは奴隷になることはない
偉大なアンリが血管を蘇らせてくれよう
(山根和郎訳『ノストラダムス全予言』)
引用元:https://www.ne.jp/asahi/mm/asakura/nostra/proph_text/Centurie_01.htm
まず、「太陽」とは何か。
「42. というのは、火星がその周期を完成するからであり、その直近の区切りの最後に、火星が再び巡ってくるだろう。しかし、宝瓶宮に何年間もとどまる星々もあれば、巨蟹宮に一層長く継続的にとどまる星々もあるだろう。
43. そして現在、我々は永遠なる神の全き御力によって、月に支配されている。その全周期が完成する前に太陽が来るであろうし、その次には土星が来るであろう。
44. というのは、天の徴に従えば、土星の支配は戻り来るからだ。そして、あらゆる算定で、世界は(過去と)断絶する変革に近づいている。」
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/2649.html
「121.そしてそのような時代が長く続いた後に、(時代はそれまでとは)別のサトゥルヌスの治世である黄金時代へと、ほとんど一新されるのです。
122.造物主である神は、人々の苦しみを聞き届けて、サタンが深い穴の奥底の深淵に置かれ縛られているようにと、お命じになります。
123.それで神と人々の間に普遍的な平和(の時代)が始まります。(サタンは)およそ千年の間縛られたままで、(その間は)教会の権力がより大きな力になっていくでしょう。それから、(サタンは縛めを)解かれた状態に戻るのです。
124.これら全ての表徴は、聖書によって、目に見える天の事柄にまさしく適合させられているのです。問題になるのは土星、木星、火星によるもので、他の合もいくつかの矩(と組み合わせること)により、より明確に理解できるようになります。」
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/2650.html
下の文章の122節と123節が「ヨハネの黙示録」第20章の内容と一致する事が分かり、「サトゥルヌス」(土星)の治世が「イエスの再臨」である事が分かる。
よって、上の文章の「土星の支配」の前の「太陽」は「黙示録の獣」である事が分かる。因みに、「月」は「真理の御霊」(契約の使者)と考えている。
また、「cité」には「[宗教的に]理想の国」という意味もある。一応、裏取りはこちら。
第1巻8番の詩
Combien de foys prinse cité solaire
Seras changeant les loys barbares et vaines:
Ton mal s'approche. Plus seras tributaire,
La grand Hadrie reovrira tes veines.
ああ 太陽の市よ おまえは何度囚われの身となるだろうか
空虚で野蛮な法を変えながら
ひどい時代がおまえに近づく もうおまえは奴隷になることはない
偉大なアンリが血管を蘇らせてくれよう
(山根和郎訳『ノストラダムス全予言』)
シンクロニシティー的には、「オウム真理教」(アレフ)と考えている。因みに、「ひどい時代」とは「小惑星の衝突」以後の世界と解釈する。
「1 第五の御使が、ラッパを吹き鳴らした。するとわたしは、一つの星が天から地に落ちて来るのを見た。この星に、底知れぬ所の穴を開くかぎが与えられた。
2 そして、この底知れぬ所の穴が開かれた。すると、その穴から煙が大きな炉の煙のように立ちのぼり、その穴の煙で、太陽も空気も暗くなった。
3 その煙の中から、いなごが地上に出てきたが、地のさそりが持っているような力が、彼らに与えられた。
4 彼らは、地の草やすべての青草、またすべての木をそこなってはならないが、額に神の印がない人たちには害を加えてもよいと、言い渡された。
5 彼らは、人間を殺すことはしないで、五か月のあいだ苦しめることだけが許された。彼らの与える苦痛は、人がさそりにさされる時のような苦痛であった。
6 その時には、人々は死を求めても与えられず、死にたいと願っても、死は逃げて行くのである。
7 これらのいなごは、出陣の用意のととのえられた馬によく似ており、その頭には金の冠のようなものをつけ、その顔は人間の顔のようであり、
8 また、そのかみの毛は女のかみのようであり、その歯はししの歯のようであった。
9 また、鉄の胸当のような胸当をつけており、その羽の音は、馬に引かれて戦場に急ぐ多くの戦車の響きのようであった。
10 その上、さそりのような尾と針とを持っている。その尾には、五か月のあいだ人間をそこなう力がある。
11 彼らは、底知れぬ所の使を王にいただいており、その名をヘブル語でアバドンと言い、ギリシヤ語ではアポルオンと言う。」
「ヨハネの黙示録」第9章1節~11節(口語訳)
何のためかと言うと、二極分化のためである。二極分化しない事には「最期の審判」を行えないからである。
1巻48番の詩
月の君臨の20年が過ぎ去った
七千年、別の者がその王政を保つだろう
太陽がうんざりさせられる日々を受け入れる(理解する)だろう時
その時(彼は)私の予言を実現させ終わらせる。
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12781914265.html
因みに、1巻8番の山根訳については、
「山根訳について。
3行目 「ひどい時代がおまえに近づく もうおまえは奴隷になることはない」*2は後半がおかしい。これはエリカ・チータムの英訳をそのまま転訳したものである。確かに現代でも中期フランス語でも、plus は否定語を伴わずに否定的意味合いを持つことはある。しかし、この場合は、むしろ文脈にそぐわなくなるのではないだろうか。実際、ピエール・ブランダムールやリチャード・シーバースといった学識ある人物は、否定的意味には訳していない。
4行目 「偉大なアンリが血管を蘇らせてくれよう」 は、解釈をまじえすぎであろう。エリカ・チータムにしても、英訳の時点ではそのまま Great Hadrie とし、解釈でアンリ4世と結び付けているにすぎない。後半は依拠した原文の違い。異文欄にあるように、初期の版がいずれも reouvrira (再び開くだろう) となっていたものを、1568年版の一部の版が (おそらく単純に誤って) recouvrira (回復するだろう) としてしまい、それが後に引き継がれた。」
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/2000.html
とあるが、私の偽書でもシンクロニシティーを起こす可能性があるという理論では全く問題ない。因みに、アンリは「アンリ4世」ではなく、未来の救世主と考えている。
「アンリ二世への手紙」の冒頭部分
「最も無敵でとても力強くそしてとても寛容な新たなフランスのアンリ王へ、そのとても取るに足りないそしてとても従順な奉仕者で王国の臣民であるミシェル・ノストラダムス、勝利と至福を。」
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12783239953.html
「アンリ二世への手紙」の末尾部分
「おお、とても寛大な王よ、しかしただ一つだけ私はあなたに懇願します。あなたの特異で慎重な人間性(古典研究)によって、ある程度私の心からの願望を理解する事です。そして君主は、私があなたの高貴な威厳に従順であるという事、その後私の観察眼(見解)は、傷つかない私の労作の栄華が必要としないあなたの東からの風の栄光にとても近かった(似ていた)という事を研究します。サロンから1558年6月27日」
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12783428083.html
補足
「4 わが神、主はこう仰せられた、「ほふらるべき羊の群れの牧者となれ。
5 これを買う者は、これをほふっても罰せられない。これを売る者は言う、『主はほむべきかな、わたしは富んだ』と。そしてその牧者は、これをあわれまない。
6 わたしは、もはやこの地の住民をあわれまないと、主は言われる。見よ、わたしは人をおのおのその牧者の手に渡し、おのおのその王の手に渡す。彼らは地を荒す。わたしは彼らの手からこれを救い出さない」。
7 わたしは羊の商人のために、ほふらるべき羊の群れの牧者となった。わたしは二本のつえを取り、その一本を恵みと名づけ、一本を結びと名づけて、その羊を牧した。
8 わたしは一か月に牧者三人を滅ぼした。わたしは彼らに、がまんしきれなくなったが、彼らもまた、わたしを忌みきらった。
9 それでわたしは言った、「わたしはあなたがたの牧者とならない。死ぬ者は死に、滅びる者は滅び、残った者はたがいにその肉を食いあうがよい」。
10 わたしは恵みというつえを取って、これを折った。これはわたしがもろもろの民と結んだ契約を、廃するためであった。
11 そしてこれは、その日に廃された。そこで、わたしに目を注いでいた羊の商人らは、これが主の言葉であったことを知った。
(中略)
14 そしてわたしは結びという第二のつえを折った。これはユダとイスラエルの間の、兄弟関係を廃するためであった。
15 主はわたしに言われた、「おまえはまた愚かな牧者の器を取れ。
16 見よ、わたしは地にひとりの牧者を起す。彼は滅ぼされる者を顧みず、迷える者を尋ねず、傷ついた者をいやさず、健やかな者を養わず、肥えた者の肉を食らい、そのひずめをさえ裂く者である。
17 その羊の群れを捨てる愚かな牧者はわざわいだ。どうか、つるぎがその腕を撃ち、その右の目を撃つように。その腕は全く衰え、その右の目は全く見えなくなるように」。」
「ゼカリヤ書」第11章4節~11節,14節~17節(口語訳)
おまけ
白い馬―――キリスト教の発展
「最初は弓を手にした者が、白い馬に乗って出てくる。そして、冠を与えられて、勝利の上にも勝利を得ようと出かけて行ったというのである。
「これは、ローマ時代のキリスト教公認のことだ。」
考えたわけでもないのに、ふと口をついて出たのがこういう言葉だった。果たしてこの文に一致しているのかどうか、三人で世界史をひも解いてみる。
M大師、
「キリスト教は、313年のミラノ勅令で、コンスタンティヌス帝によって公認されています。」
「じゃあ、そのときのローマ情勢を調べてみようか。」
当時コンスタンティヌス帝は、帝国西半部で実権を握り、310年より自ら正帝を名乗っていたが、その帝位は正式には認められてはいなかった。
311年、帝国は内乱状態に陥り、翌年彼は対立していたマクセンティウスの全軍を全滅させるという大勝利を収める。この出来事が、戦いを表わす”弓”と”勝利”によって表現されている。
勝利を得た彼は、ローマに入城し、第一正帝位を宣した。ここに”冠を与えられ”たのだ。ちなみに、現在もローマにある有名な凱旋門は、この勝利を記念して建てられたというものである。
さて、コンスタンティヌス帝の野望はとどまることを知らず、西半分だけでなく、帝国全土の独裁者となることを彼は望んだ。
”勝利の上にも勝利を得る”ためにはどうしたらよいか? そこで彼が目をつけたのが、キリスト教を公認して、キリスト教徒を抱き込むことだったのである。
あの暴君と呼ばれたネロ帝以来、キリスト教徒は残酷な迫害を受け続けてきた。しかし、それにもかかわらず、ローマ帝国内(特に東半部)で増加の一途をたどっている。これを公認することで味方につけることができたら―――。コンスタンティヌス帝はキリスト教に改宗し、公認するに至った。馬の白は功徳の白だ。宗教とともに勝利を得ようとしている様子が明確に現われているではないか。
324年、彼はとうとう帝国全土を手中に収めることに成功する。預言の言葉と一字一句違わないと言ってもいいだろう。
ところで、この預言は何が目的だったのか? 私はコンスタンティヌス帝よりも、むしろキリスト教の方に重点が置かれていたと考える。このキリスト教公認は、キリスト教が世界的な大宗教として発展していく第一歩を築いたものであったからだ。その後のキリスト教が、いかに世界の情勢や文化に関与してきたかを考えると、人類の歴史はキリスト教を抜きにしては語れない。そこにこの出来事が『ヨハネの黙示録』に載せられた理由があるのだろう。私はこの預言書の中にある預言は、一つの例外もなく人類に大きな影響を与える出来事についてのものであると確信している。」
「滅亡の日 「黙示録大預言」の秘密のベールを剥ぐ」麻原彰晃著より
感想
>ちなみに、現在もローマにある有名な凱旋門は、この勝利を記念して建てられたというものである。
揚げ足を取る訳ではないが、「有名な凱旋門」はパリのエトワール凱旋門である。まぁ、ローマのコンスタンティヌスの凱旋門も有名だろうが。30年以上前にローマに行った事があり、多分行ったと思うが記憶にないなぁ。(パリの凱旋門だったら覚えていただろう。)
>さて、コンスタンティヌス帝の野望はとどまることを知らず、西半分だけでなく、帝国全土の独裁者となることを彼は望んだ。
”勝利の上にも勝利を得る”ためにはどうしたらよいか? そこで彼が目をつけたのが、キリスト教を公認して、キリスト教徒を抱き込むことだったのである。
ウィキペディアには、
「宗教においては、ローマ帝国においてたびたび迫害されていたキリスト教を庇護し、コンスタンティヌス1世自身もキリスト教に改宗した。彼がキリスト教を受容したことは、未だ多数ある宗教の1つであったキリスト教がローマ帝国領内で圧倒的な存在となる契機となり、その後の地中海世界、ヨーロッパの歴史に重大な影響を与えた。統一以前にリキニウスと共に313年発布したいわゆる『ミラノ勅令』はしばしばローマ帝国においてキリスト教を公認したものとみなされる。コンスタンティヌス1世がキリスト教に好意的であった理由や、その改宗の動機ははっきりとはわかっていない。初のキリスト教徒ローマ皇帝であったコンスタンティヌス1世は、ドナトゥス派やアリウス派のようなキリスト教の分派の問題に直面した最初の為政者でもあり、教会の分裂の収拾に取り組んだ。またその過程で非正統宗派への弾圧にも初めて手を付けた。325年にキリスト教の歴史で最初の全教会規模の公会議(第1ニカイア公会議)を招集した。この会議とその後の経過によってニカイア派(アタナシウス派)が正統の地位を占めていく。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B91%E4%B8%96#%E6%A6%82%E8%A6%81
麻原彰晃とM大師とS君の推測だろう。
補足
「312年、コンスタンティヌス1世は何らかの形でキリスト教を受け入れた。この点に関しては衆目は一致しているが、しかしそれが単なる政治上の都合からきたものであったのか、宗教的信念によるものだったのか、単なる儀式的なものであったのか、またどの程度真剣なものであったのか、様々な点において議論が続いている。伝説的な説話ではミルウィウス橋の戦いで神の啓示を受けて勝利したことがその切っ掛けであるとされる。コンスタンティヌス1世の父コンスタンティウス・クロルスが治世中にキリスト教徒に対して寛大であったことから、既にコンスタンティウス・クロルスもキリスト教徒であったという説もある。しかし、それを証明する証拠は皆無であり、少なくともコンスタンティヌス1世が当初からキリスト教徒ではなかったことは、ローマ古来の神々に対して彼が捧げた奉献や、コンスタンティヌス1世を称える演説家たちが彼をユピテル(ゼウス)になぞらえて褒めることが問題になっていないことによって明らかである。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B91%E4%B8%96#%E6%94%B9%E5%AE%97
>私はこの預言書の中にある預言は、一つの例外もなく人類に大きな影響を与える出来事についてのものであると確信している。
ヨハネの妄想という点を除いても、旧約聖書との類似点が多いので、どう考えても「終わりの時」のための預言と分かるだろう。つまり、コンスタンティヌス帝についてなど書かれていないのである。
「1 小羊がその七つの封印の一つを解いた時、わたしが見ていると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「きたれ」と呼ぶのを聞いた。
2 そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。」
「ヨハネの黙示録」第6章1節~2節(口語訳)
ほふられた小羊が封印を解くと「終わりの時」が始まり、その第一段階という事である。
補足
「1 わたしはまた、御座にいますかたの右の手に、巻物があるのを見た。その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印で封じてあった。
2 また、ひとりの強い御使が、大声で、「その巻物を開き、封印をとくのにふさわしい者は、だれか」と呼ばわっているのを見た。
3 しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開いて、それを見ることのできる者は、ひとりもいなかった。
4 巻物を開いてそれを見るのにふさわしい者が見当らないので、わたしは激しく泣いていた。
5 すると、長老のひとりがわたしに言った、「泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」。
6 わたしはまた、御座と四つの生き物との間、長老たちの間に、ほふられたとみえる小羊が立っているのを見た。それに七つの角と七つの目とがあった。これらの目は、全世界につかわされた、神の七つの霊である。
7 小羊は進み出て、御座にいますかたの右の手から、巻物を受けとった。」
「ヨハネの黙示録」第5章1節~7節(口語訳)
まぁ、本当にそんな人物が現れればの話だけどね。因みに、麻原彰晃は自分がそうだと思っていた訳である。念のため、ヨハネの妄想でも2000年も生き残ったものはシンクロニシティーを起こす可能性があると考えている。
イスラーム
「イスラームでもユダヤ教、キリスト教からメシアの概念は継承されており、アラビア語で「マスィーフ」(مسيح masīḥ、油等を塗る意味の動詞の派生語)と呼ばれ、イエスのことを指す。イスラームにおいてはイエス自身は、預言者、かつ、預言者ムハンマドに先行する神(アッラーフ)の使徒、とされており、また神が派遣したメシアであることも認識されている。クルアーンの記述から「マスィーフ」(救済者、メシア)はダビデの子孫から出現するとされ、人々を苦難から救済しアッラーフ(神)の支配を確立する者としている。終末のときに神の代理人として出現し偽メシアを討伐するといい、これらもユダヤ教、キリスト教のメシア像から受継がれている。イスラームにおいて「マスィーフ」は人類の救世主であるのに対して、彼の前に人々の前へ現れるものを「マフディー」(「正しく導かれる者」の意味)と称する。彼はイエスとは異なりアブーハニーファーのことをさす。単に「アル=マスィーフ」(al-Masīḥ)、「マスィーフッラーフ」(مسيح اللّه Masīḥ Allāh;神のメシア)と呼ぶ場合、イエス自身を指す尊称である。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%82%A2#%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0
このマフディーが「ほふられた小羊」に当たるという訳である。因みに、メシアがダビデの子孫であるというのは誤解である。https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12960419756.html
>彼はイエスとは異なりアブーハニーファーのことをさす。
ここはちょっと良く分からない。
「アブー・ハニーファ(Abū Ḥanīfa、699年頃 - 767年頃)は、イスラーム・スンナ派の法学派のひとつ、ハナフィー派の学祖。イスラーム思想史上もっとも重要な人物のひとりであり、同時代の人々からその学問や人格、敬虔さが称賛されている一方で、非常に厳しい批難も受けている。振幅の激しい毀誉褒貶は現代にいたるまで継続している。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A1
これは過去に実在した人物の名前である。マフディーはこういう人物という事かな?
「一方、サイババ自身は、キリストのこの言葉を知っていたのだろうか、それに対して次のように答えている。
「イエスの言ったことは、単純である。「わたしをあなた方に遣わされた方が、今度はお出でになる」と彼は言った。「(わたしを遣わされた方、降臨される方は)その名を真理という」サティアとは、真理を意味する。「彼は赤いローブを、血のように赤いローブをまとうだろう。彼は背が低く、王冠(のような髪)をしている」
イエスは、彼自身が再び来るとは言わなかった。彼は、「私を遣わした方が来られる」と言った。それが、わたしのことである。このババ、このサイ、背が低く、縮れた髪の王冠をし、赤いローブをまとったババが来たのだ。わたしは単にこの形をしたものではなく、あなた方一人ひとりの中にいる。あなた方のハートを占める、あなたがたのハートに脈打つ血の色をしたローブをまとって、あなた方のハートに、私は住んでいるのだ」
このサイババが、本当にキリストを遣わした方なのか、偽預言者なのか、それとも単なる普通の人間にすぎないのか、そんなことはにわかには分からない。それは結局、この人が実際に言うことと行うことを吟味するしかないだろう。」
「真実のサイババ」青山圭秀著より
因みに、イエスは自分も来ると述べている。
「7 しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。
8 それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。
9 罪についてと言ったのは、彼らがわたしを信じないからである。
10 義についてと言ったのは、わたしが父のみもとに行き、あなたがたは、もはやわたしを見なくなるからである。
11 さばきについてと言ったのは、この世の君がさばかれるからである。
12 わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。
13 けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。
14 御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。
15 父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。
16 しばらくすれば、あなたがたはもうわたしを見なくなる。しかし、またしばらくすれば、わたしに会えるであろう」。」
「ヨハネによる福音書」第16章7節~16節(口語訳)
ただし、サイババのようにイエスを否定したり自分が「真理の御霊」などと言わないだろう。因みに、自分は「赤いローブ」をまとっていると述べているが、メシアは「黄色いローブ」である。
「ムスリムは、イーサーがこの世の終わりに近い時期に再臨すると信じている。クルアーンの一節は、将来のイーサーの復活について、以下のようにうたっている。
"本当にかれ(イーサー)は,(審判の)時の印の一つである。だからその(時)に就いて疑ってはならない。そしてわれに従え。これこそ,正しい道である。"[Quran 43:61]
イスラームの伝承によれば、イーサーはマフディー(正義の導き)による戦の最中に降臨すると考えられている。マフディーとは、イスラームの終末論ではイスラームの救世主として知られており、反キリスト(al-Masīh ad-Dajjāl。偽メシア)とその支持者に対抗する者である。イーサーは、ダマスカスの白い拱廊に、黄色いローブをまとい頭に油を塗って降臨し、マフディーに加わって偽メシアと戦う。イーサーは、イスラームではムスリムであり、イスラームの教えを遵守する者と思われている。最終的にイーサーは偽メシアを圧倒し、すべての啓典の民(ahl al-kitāb、ユダヤ教徒とキリスト教徒をいう)が彼に従ってイスラームの教団ひとつにまとまるという。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC#%E5%86%8D%E8%87%A8
日蓮の予言
「第五の五百歳のとき、悪鬼の身に入れる大僧等、国中に充満せん。そのときに智人一人出現せん。かの悪鬼の入れる大僧等、ときの王・臣・万民等を語らいて、悪口罵詈、杖木瓦礫、梵帝・日月・四天等に申しくだされ、その時天変地妖盛んなるべし。
国主等、そのいさめを用いずば、鄰国に仰せつけて、彼々の国々の悪王・悪比丘等をせめらるるならば、前代未聞の大闘諍・一閻浮提に起るべし。
そのとき、日月所照の四天下の一切衆生、あるいは国を惜しみ、あるいは身を惜しむゆえに、一切の仏菩薩に祈りをかくとも験なくば、かの憎みつる一の小僧を信じて、無量の大僧等・八方の大王等・一切の万民、みな頭を地につけ、掌を合わせて一同に南無妙法蓮華経と唱うべし。例せば神力品の十神力のとき、十方世界の一切衆生、一人もなく娑婆世界に向って大音声を発ちて、南無釈迦牟尼仏・南無釈迦牟尼仏と一同に叫びしがごとし。」
「日蓮の予言」アポカリプス21研究会著より
まぁ、何を信じるかは自分次第だろう。
おまけ
「最初は弓を手にした者が、白い馬に乗って出てくる。そして、冠を与えられて、勝利の上にも勝利を得ようと出かけて行ったというのである。
「これは、ローマ時代のキリスト教公認のことだ。」
考えたわけでもないのに、ふと口をついて出たのがこういう言葉だった。果たしてこの文に一致しているのかどうか、三人で世界史をひも解いてみる。
M大師、
「キリスト教は、313年のミラノ勅令で、コンスタンティヌス帝によって公認されています。」
「じゃあ、そのときのローマ情勢を調べてみようか。」
当時コンスタンティヌス帝は、帝国西半部で実権を握り、310年より自ら正帝を名乗っていたが、その帝位は正式には認められてはいなかった。
311年、帝国は内乱状態に陥り、翌年彼は対立していたマクセンティウスの全軍を全滅させるという大勝利を収める。この出来事が、戦いを表わす”弓”と”勝利”によって表現されている。
勝利を得た彼は、ローマに入城し、第一正帝位を宣した。ここに”冠を与えられ”たのだ。ちなみに、現在もローマにある有名な凱旋門は、この勝利を記念して建てられたというものである。
さて、コンスタンティヌス帝の野望はとどまることを知らず、西半分だけでなく、帝国全土の独裁者となることを彼は望んだ。
”勝利の上にも勝利を得る”ためにはどうしたらよいか? そこで彼が目をつけたのが、キリスト教を公認して、キリスト教徒を抱き込むことだったのである。
あの暴君と呼ばれたネロ帝以来、キリスト教徒は残酷な迫害を受け続けてきた。しかし、それにもかかわらず、ローマ帝国内(特に東半部)で増加の一途をたどっている。これを公認することで味方につけることができたら―――。コンスタンティヌス帝はキリスト教に改宗し、公認するに至った。馬の白は功徳の白だ。宗教とともに勝利を得ようとしている様子が明確に現われているではないか。
324年、彼はとうとう帝国全土を手中に収めることに成功する。預言の言葉と一字一句違わないと言ってもいいだろう。
ところで、この預言は何が目的だったのか? 私はコンスタンティヌス帝よりも、むしろキリスト教の方に重点が置かれていたと考える。このキリスト教公認は、キリスト教が世界的な大宗教として発展していく第一歩を築いたものであったからだ。その後のキリスト教が、いかに世界の情勢や文化に関与してきたかを考えると、人類の歴史はキリスト教を抜きにしては語れない。そこにこの出来事が『ヨハネの黙示録』に載せられた理由があるのだろう。私はこの預言書の中にある預言は、一つの例外もなく人類に大きな影響を与える出来事についてのものであると確信している。」
「滅亡の日 「黙示録大預言」の秘密のベールを剥ぐ」麻原彰晃著より
感想
>ちなみに、現在もローマにある有名な凱旋門は、この勝利を記念して建てられたというものである。
揚げ足を取る訳ではないが、「有名な凱旋門」はパリのエトワール凱旋門である。まぁ、ローマのコンスタンティヌスの凱旋門も有名だろうが。30年以上前にローマに行った事があり、多分行ったと思うが記憶にないなぁ。(パリの凱旋門だったら覚えていただろう。)
>さて、コンスタンティヌス帝の野望はとどまることを知らず、西半分だけでなく、帝国全土の独裁者となることを彼は望んだ。
”勝利の上にも勝利を得る”ためにはどうしたらよいか? そこで彼が目をつけたのが、キリスト教を公認して、キリスト教徒を抱き込むことだったのである。
ウィキペディアには、
「宗教においては、ローマ帝国においてたびたび迫害されていたキリスト教を庇護し、コンスタンティヌス1世自身もキリスト教に改宗した。彼がキリスト教を受容したことは、未だ多数ある宗教の1つであったキリスト教がローマ帝国領内で圧倒的な存在となる契機となり、その後の地中海世界、ヨーロッパの歴史に重大な影響を与えた。統一以前にリキニウスと共に313年発布したいわゆる『ミラノ勅令』はしばしばローマ帝国においてキリスト教を公認したものとみなされる。コンスタンティヌス1世がキリスト教に好意的であった理由や、その改宗の動機ははっきりとはわかっていない。初のキリスト教徒ローマ皇帝であったコンスタンティヌス1世は、ドナトゥス派やアリウス派のようなキリスト教の分派の問題に直面した最初の為政者でもあり、教会の分裂の収拾に取り組んだ。またその過程で非正統宗派への弾圧にも初めて手を付けた。325年にキリスト教の歴史で最初の全教会規模の公会議(第1ニカイア公会議)を招集した。この会議とその後の経過によってニカイア派(アタナシウス派)が正統の地位を占めていく。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B91%E4%B8%96#%E6%A6%82%E8%A6%81
麻原彰晃とM大師とS君の推測だろう。
補足
「312年、コンスタンティヌス1世は何らかの形でキリスト教を受け入れた。この点に関しては衆目は一致しているが、しかしそれが単なる政治上の都合からきたものであったのか、宗教的信念によるものだったのか、単なる儀式的なものであったのか、またどの程度真剣なものであったのか、様々な点において議論が続いている。伝説的な説話ではミルウィウス橋の戦いで神の啓示を受けて勝利したことがその切っ掛けであるとされる。コンスタンティヌス1世の父コンスタンティウス・クロルスが治世中にキリスト教徒に対して寛大であったことから、既にコンスタンティウス・クロルスもキリスト教徒であったという説もある。しかし、それを証明する証拠は皆無であり、少なくともコンスタンティヌス1世が当初からキリスト教徒ではなかったことは、ローマ古来の神々に対して彼が捧げた奉献や、コンスタンティヌス1世を称える演説家たちが彼をユピテル(ゼウス)になぞらえて褒めることが問題になっていないことによって明らかである。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B91%E4%B8%96#%E6%94%B9%E5%AE%97
>私はこの預言書の中にある預言は、一つの例外もなく人類に大きな影響を与える出来事についてのものであると確信している。
ヨハネの妄想という点を除いても、旧約聖書との類似点が多いので、どう考えても「終わりの時」のための預言と分かるだろう。つまり、コンスタンティヌス帝についてなど書かれていないのである。
「1 小羊がその七つの封印の一つを解いた時、わたしが見ていると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「きたれ」と呼ぶのを聞いた。
2 そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。」
「ヨハネの黙示録」第6章1節~2節(口語訳)
ほふられた小羊が封印を解くと「終わりの時」が始まり、その第一段階という事である。
補足
「1 わたしはまた、御座にいますかたの右の手に、巻物があるのを見た。その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印で封じてあった。
2 また、ひとりの強い御使が、大声で、「その巻物を開き、封印をとくのにふさわしい者は、だれか」と呼ばわっているのを見た。
3 しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開いて、それを見ることのできる者は、ひとりもいなかった。
4 巻物を開いてそれを見るのにふさわしい者が見当らないので、わたしは激しく泣いていた。
5 すると、長老のひとりがわたしに言った、「泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」。
6 わたしはまた、御座と四つの生き物との間、長老たちの間に、ほふられたとみえる小羊が立っているのを見た。それに七つの角と七つの目とがあった。これらの目は、全世界につかわされた、神の七つの霊である。
7 小羊は進み出て、御座にいますかたの右の手から、巻物を受けとった。」
「ヨハネの黙示録」第5章1節~7節(口語訳)
まぁ、本当にそんな人物が現れればの話だけどね。因みに、麻原彰晃は自分がそうだと思っていた訳である。念のため、ヨハネの妄想でも2000年も生き残ったものはシンクロニシティーを起こす可能性があると考えている。
イスラーム
「イスラームでもユダヤ教、キリスト教からメシアの概念は継承されており、アラビア語で「マスィーフ」(مسيح masīḥ、油等を塗る意味の動詞の派生語)と呼ばれ、イエスのことを指す。イスラームにおいてはイエス自身は、預言者、かつ、預言者ムハンマドに先行する神(アッラーフ)の使徒、とされており、また神が派遣したメシアであることも認識されている。クルアーンの記述から「マスィーフ」(救済者、メシア)はダビデの子孫から出現するとされ、人々を苦難から救済しアッラーフ(神)の支配を確立する者としている。終末のときに神の代理人として出現し偽メシアを討伐するといい、これらもユダヤ教、キリスト教のメシア像から受継がれている。イスラームにおいて「マスィーフ」は人類の救世主であるのに対して、彼の前に人々の前へ現れるものを「マフディー」(「正しく導かれる者」の意味)と称する。彼はイエスとは異なりアブーハニーファーのことをさす。単に「アル=マスィーフ」(al-Masīḥ)、「マスィーフッラーフ」(مسيح اللّه Masīḥ Allāh;神のメシア)と呼ぶ場合、イエス自身を指す尊称である。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%82%A2#%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0
このマフディーが「ほふられた小羊」に当たるという訳である。因みに、メシアがダビデの子孫であるというのは誤解である。https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12960419756.html
>彼はイエスとは異なりアブーハニーファーのことをさす。
ここはちょっと良く分からない。
「アブー・ハニーファ(Abū Ḥanīfa、699年頃 - 767年頃)は、イスラーム・スンナ派の法学派のひとつ、ハナフィー派の学祖。イスラーム思想史上もっとも重要な人物のひとりであり、同時代の人々からその学問や人格、敬虔さが称賛されている一方で、非常に厳しい批難も受けている。振幅の激しい毀誉褒貶は現代にいたるまで継続している。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A1
これは過去に実在した人物の名前である。マフディーはこういう人物という事かな?
「一方、サイババ自身は、キリストのこの言葉を知っていたのだろうか、それに対して次のように答えている。
「イエスの言ったことは、単純である。「わたしをあなた方に遣わされた方が、今度はお出でになる」と彼は言った。「(わたしを遣わされた方、降臨される方は)その名を真理という」サティアとは、真理を意味する。「彼は赤いローブを、血のように赤いローブをまとうだろう。彼は背が低く、王冠(のような髪)をしている」
イエスは、彼自身が再び来るとは言わなかった。彼は、「私を遣わした方が来られる」と言った。それが、わたしのことである。このババ、このサイ、背が低く、縮れた髪の王冠をし、赤いローブをまとったババが来たのだ。わたしは単にこの形をしたものではなく、あなた方一人ひとりの中にいる。あなた方のハートを占める、あなたがたのハートに脈打つ血の色をしたローブをまとって、あなた方のハートに、私は住んでいるのだ」
このサイババが、本当にキリストを遣わした方なのか、偽預言者なのか、それとも単なる普通の人間にすぎないのか、そんなことはにわかには分からない。それは結局、この人が実際に言うことと行うことを吟味するしかないだろう。」
「真実のサイババ」青山圭秀著より
因みに、イエスは自分も来ると述べている。
「7 しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。
8 それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。
9 罪についてと言ったのは、彼らがわたしを信じないからである。
10 義についてと言ったのは、わたしが父のみもとに行き、あなたがたは、もはやわたしを見なくなるからである。
11 さばきについてと言ったのは、この世の君がさばかれるからである。
12 わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。
13 けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。
14 御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。
15 父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。
16 しばらくすれば、あなたがたはもうわたしを見なくなる。しかし、またしばらくすれば、わたしに会えるであろう」。」
「ヨハネによる福音書」第16章7節~16節(口語訳)
ただし、サイババのようにイエスを否定したり自分が「真理の御霊」などと言わないだろう。因みに、自分は「赤いローブ」をまとっていると述べているが、メシアは「黄色いローブ」である。
「ムスリムは、イーサーがこの世の終わりに近い時期に再臨すると信じている。クルアーンの一節は、将来のイーサーの復活について、以下のようにうたっている。
"本当にかれ(イーサー)は,(審判の)時の印の一つである。だからその(時)に就いて疑ってはならない。そしてわれに従え。これこそ,正しい道である。"[Quran 43:61]
イスラームの伝承によれば、イーサーはマフディー(正義の導き)による戦の最中に降臨すると考えられている。マフディーとは、イスラームの終末論ではイスラームの救世主として知られており、反キリスト(al-Masīh ad-Dajjāl。偽メシア)とその支持者に対抗する者である。イーサーは、ダマスカスの白い拱廊に、黄色いローブをまとい頭に油を塗って降臨し、マフディーに加わって偽メシアと戦う。イーサーは、イスラームではムスリムであり、イスラームの教えを遵守する者と思われている。最終的にイーサーは偽メシアを圧倒し、すべての啓典の民(ahl al-kitāb、ユダヤ教徒とキリスト教徒をいう)が彼に従ってイスラームの教団ひとつにまとまるという。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC#%E5%86%8D%E8%87%A8
日蓮の予言
「第五の五百歳のとき、悪鬼の身に入れる大僧等、国中に充満せん。そのときに智人一人出現せん。かの悪鬼の入れる大僧等、ときの王・臣・万民等を語らいて、悪口罵詈、杖木瓦礫、梵帝・日月・四天等に申しくだされ、その時天変地妖盛んなるべし。
国主等、そのいさめを用いずば、鄰国に仰せつけて、彼々の国々の悪王・悪比丘等をせめらるるならば、前代未聞の大闘諍・一閻浮提に起るべし。
そのとき、日月所照の四天下の一切衆生、あるいは国を惜しみ、あるいは身を惜しむゆえに、一切の仏菩薩に祈りをかくとも験なくば、かの憎みつる一の小僧を信じて、無量の大僧等・八方の大王等・一切の万民、みな頭を地につけ、掌を合わせて一同に南無妙法蓮華経と唱うべし。例せば神力品の十神力のとき、十方世界の一切衆生、一人もなく娑婆世界に向って大音声を発ちて、南無釈迦牟尼仏・南無釈迦牟尼仏と一同に叫びしがごとし。」
「日蓮の予言」アポカリプス21研究会著より
まぁ、何を信じるかは自分次第だろう。
おまけ
解かれゆく封印―――明かされる真実
「小羊はその後、七つの封印を一つ一つ解いていく。その度にヨハネの眼前に未来ヴィジョンが現われ、そして過ぎていくのである。ヨハネはこう書いている。
小羊がその七つの封印の一つを解いた時、わたしが見ていると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「きたれ」と呼ぶのを聞いた。そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。
小羊が第二の封印を解いた時、第二の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。すると今度は、赤い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、人々が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、また、大きなつるぎを与えられた。
また、第三の封印を解いた時、第三の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。そこで見ていると、見よ、黒い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、はかりを手に持っていた。すると、わたしは四つの生き物の間から出て来ると思われる声が、こう言うのを聞いた、「小麦一ますは一デナリ。大麦三ますも一デナリ。オリブ油とぶどう酒とを、そこなうな」。
小羊が第四の封印を解いた時、第四の生き物が「きたれ」と言う声を、わたしは聞いた。そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた。(第六章一~八節)
ここでは一つの封印を解くごとに、それぞれ色の違う馬とそれに乗っている者とが預言として出てきている。そして、四つの封印までの四つの預言が書かれているので、最初から順を追って検討していってみよう。」
「滅亡の日 「黙示録大預言」の秘密のベールを剥ぐ」麻原彰晃著より
感想
>小羊はその後、七つの封印を一つ一つ解いていく。その度にヨハネの眼前に未来ヴィジョンが現われ、そして過ぎていくのである。
前の章に戻って考察してみよう。
「1 わたしはまた、御座にいますかたの右の手に、巻物があるのを見た。その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印で封じてあった。」
「ヨハネの黙示録」第5章1節(口語訳)
今回は、「右手」に注目してみよう。
「31 人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。
32 そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、
33 羊を右に、やぎを左におくであろう。
34 そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。
35 あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、
36 裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。
37 そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。
38 いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。
39 また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。
40 すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。
41 それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。
42 あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、かわいていたときに飲ませず、
43 旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである』。
44 そのとき、彼らもまた答えて言うであろう、『主よ、いつ、あなたが空腹であり、かわいておられ、旅人であり、裸であり、病気であり、獄におられたのを見て、わたしたちはお世話をしませんでしたか』。
45 そのとき、彼は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである』。
46 そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」。」
「マタイによる福音書」第25章31節~46節(口語訳)
右手にある事は大事なのである。また、ノストラダムスの詩を挙げよう。
1巻91番の詩
Les dieux feront aux humains apparence
Ce quils seront auteurs de grand conflit:
Avant ciel veu serain espée & lance,
Que vers main gauche sera plus grand affit.
神々は人間達に対して外観(気配)を作るだろう
彼らが大きな衝突の張本人になるだろうということ
穏やかな千年王国(契約天国)の前に、剣と槍
なんと左手の方でより大きな悲嘆があるだろう
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12792249693.html
私は、「ファティマの奇跡」の予言だと考えている。
「1916年春頃、ファティマに住むルシア、フランシスコ、ジャシンタら3人の子供の前に平和の天使とする14-15歳位の若者が現れ、祈りの言葉と額が地につくように身をかがめる祈り方を教えた。その後も天使の訪問は続いた。1917年5月13日、ファティマの3人の子供たちの前に聖母マリアが現れて毎月13日に同じ場所へ会いに来るように言った。子供たちは様々な妨害に遭いながらも、聖母に会い続けて様々なメッセージを託された。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9E%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D#%E6%A6%82%E8%A6%81
ファティマの奇跡が起こったのは1916年~1917年で、詩のナンバーは1巻91番。また、神が姿を現すという状況と一致しているだろう。4行目の「左手」は「黙示録の獣」側の人達という意味だろう。
また、ノストラダムスの「アンリ二世への手紙」からも抜粋しよう。
「56.諸地方、諸都市、諸王国、諸州は自由になるための当初の方法を捨ててから、より深く囚われてしまい、彼らの自由と完全な宗教が失われたことに密かに立腹することでしょう。そして、(それらの地方や町は)右へと転じるために、左の部分において打ち始めるでしょう。
57.そして、永きにわたって朽ちていた聖なるものを、彼らの原初の書物とともに、再置するのです。」
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/2650.html
因みに、私の昔の訳では、
「(彼らは)右手の方へ向ける(変える)ために左翼の側の中で引きつけ始めるだろう。」
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11502808265.html
昔は、聖書の「左」の知識がなかったので、「gauche」を「左翼」で訳してしまったが、半グレのような悪と解釈した方が良いだろう。
「2 知者の心は彼を右に向けさせ、愚者の心は左に向けさせる。」
旧約聖書「コヘレトの言葉」第10章2節(口語訳)
「5 わたしは日の下に一つの悪のあるのを見た。それはつかさたる者から出るあやまちに似ている。
6 すなわち愚かなる者が高い地位に置かれ、富める者が卑しい所に座している。
7 わたしはしもべたる者が馬に乗り、君たる者が奴隷のように徒歩であるくのを見た。」
「コヘレトの言葉」第10章5節~7節(口語訳)
因みに、解釈は、
「これは旧約聖書の「伝道者の書(コヘレトの言葉)」第10章5節〜7節の一節ですね。
著者は、社会の「逆転現象」が生む不条理を指摘しています。
本来、知恵や徳があるべき指導者が間違いを犯し、適性のない者が高い地位につく一方で、実力のある者が冷遇されている。そんな「あるべき姿」から遠のいた世の中の混乱を、馬に乗るしもべと歩く君主という比喩で鋭く描写しています。」
引用元:AI
「終わりの時」の1つの「しるし」だろう。ただし、
「16:8 ところが主人は、この不正な家令の利口なやり方をほめた。この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である。
16:9 またあなたがたに言うが、不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう。」
「ルカによる福音書」第16章8節~9節(口語訳)
「マタイによる福音書」第25章31節~46節のような事を実践していれば、万が一小惑星が突っ込んで来て、価値観が一変した世界でも何とかして貰えるという予言である。(富がなくなった場合とは、富が意味をなさなくなる場合(戦争など)という意味だろう。)
「22 それは、聖書にしるされたすべての事が実現する刑罰の日であるからだ。
23 その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。地上には大きな苦難があり、この民にはみ怒りが臨み、
24 彼らはつるぎの刃に倒れ、また捕えられて諸国へ引きゆかれるであろう。そしてエルサレムは、異邦人の時期が満ちるまで、彼らに踏みにじられているであろう。
25 また日と月と星とに、しるしが現れるであろう。そして、地上では、諸国民が悩み、海と大波とのとどろきにおじ惑い、
26 人々は世界に起ろうとする事を思い、恐怖と不安で気絶するであろう。もろもろの天体が揺り動かされるからである。
27 そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。
28 これらの事が起りはじめたら、身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから」。」
「ルカによる福音書」第21章22節~28節(口語訳)
>「滅亡の日 「黙示録大預言」の秘密のベールを剥ぐ」麻原彰晃著
封印を解くという事は、1つ1つ地獄が近づいて来るという事である。麻原彰晃にとっては「刑罰の日」が死刑の日だったのだろう。
補足:2026/3/29 16:45
念のため、「地獄」は「艱難」という意味である。
「21 その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。
22 もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。」
「マタイによる福音書」第24章21節~22節(口語訳)
「地上の多くのものは破壊され、無数の人が滅びる。生き残った者は、死者をねたむほどの艱難に襲われる」
「ファティマ・第三の秘密」五島勉著より
「地獄」なんて方便である。地獄なんかあったら「艱難」とか意味ないだろう。(人によっては、生き地獄を味わった上に地獄に落ちるの?)
おまけ
「小羊はその後、七つの封印を一つ一つ解いていく。その度にヨハネの眼前に未来ヴィジョンが現われ、そして過ぎていくのである。ヨハネはこう書いている。
小羊がその七つの封印の一つを解いた時、わたしが見ていると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「きたれ」と呼ぶのを聞いた。そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。
小羊が第二の封印を解いた時、第二の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。すると今度は、赤い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、人々が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、また、大きなつるぎを与えられた。
また、第三の封印を解いた時、第三の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。そこで見ていると、見よ、黒い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、はかりを手に持っていた。すると、わたしは四つの生き物の間から出て来ると思われる声が、こう言うのを聞いた、「小麦一ますは一デナリ。大麦三ますも一デナリ。オリブ油とぶどう酒とを、そこなうな」。
小羊が第四の封印を解いた時、第四の生き物が「きたれ」と言う声を、わたしは聞いた。そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた。(第六章一~八節)
ここでは一つの封印を解くごとに、それぞれ色の違う馬とそれに乗っている者とが預言として出てきている。そして、四つの封印までの四つの預言が書かれているので、最初から順を追って検討していってみよう。」
「滅亡の日 「黙示録大預言」の秘密のベールを剥ぐ」麻原彰晃著より
感想
>小羊はその後、七つの封印を一つ一つ解いていく。その度にヨハネの眼前に未来ヴィジョンが現われ、そして過ぎていくのである。
前の章に戻って考察してみよう。
「1 わたしはまた、御座にいますかたの右の手に、巻物があるのを見た。その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印で封じてあった。」
「ヨハネの黙示録」第5章1節(口語訳)
今回は、「右手」に注目してみよう。
「31 人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。
32 そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、
33 羊を右に、やぎを左におくであろう。
34 そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。
35 あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、
36 裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。
37 そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。
38 いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。
39 また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。
40 すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。
41 それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。
42 あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、かわいていたときに飲ませず、
43 旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである』。
44 そのとき、彼らもまた答えて言うであろう、『主よ、いつ、あなたが空腹であり、かわいておられ、旅人であり、裸であり、病気であり、獄におられたのを見て、わたしたちはお世話をしませんでしたか』。
45 そのとき、彼は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである』。
46 そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」。」
「マタイによる福音書」第25章31節~46節(口語訳)
右手にある事は大事なのである。また、ノストラダムスの詩を挙げよう。
1巻91番の詩
Les dieux feront aux humains apparence
Ce quils seront auteurs de grand conflit:
Avant ciel veu serain espée & lance,
Que vers main gauche sera plus grand affit.
神々は人間達に対して外観(気配)を作るだろう
彼らが大きな衝突の張本人になるだろうということ
穏やかな千年王国(契約天国)の前に、剣と槍
なんと左手の方でより大きな悲嘆があるだろう
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12792249693.html
私は、「ファティマの奇跡」の予言だと考えている。
「1916年春頃、ファティマに住むルシア、フランシスコ、ジャシンタら3人の子供の前に平和の天使とする14-15歳位の若者が現れ、祈りの言葉と額が地につくように身をかがめる祈り方を教えた。その後も天使の訪問は続いた。1917年5月13日、ファティマの3人の子供たちの前に聖母マリアが現れて毎月13日に同じ場所へ会いに来るように言った。子供たちは様々な妨害に遭いながらも、聖母に会い続けて様々なメッセージを託された。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9E%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D#%E6%A6%82%E8%A6%81
ファティマの奇跡が起こったのは1916年~1917年で、詩のナンバーは1巻91番。また、神が姿を現すという状況と一致しているだろう。4行目の「左手」は「黙示録の獣」側の人達という意味だろう。
また、ノストラダムスの「アンリ二世への手紙」からも抜粋しよう。
「56.諸地方、諸都市、諸王国、諸州は自由になるための当初の方法を捨ててから、より深く囚われてしまい、彼らの自由と完全な宗教が失われたことに密かに立腹することでしょう。そして、(それらの地方や町は)右へと転じるために、左の部分において打ち始めるでしょう。
57.そして、永きにわたって朽ちていた聖なるものを、彼らの原初の書物とともに、再置するのです。」
引用元:https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/2650.html
因みに、私の昔の訳では、
「(彼らは)右手の方へ向ける(変える)ために左翼の側の中で引きつけ始めるだろう。」
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11502808265.html
昔は、聖書の「左」の知識がなかったので、「gauche」を「左翼」で訳してしまったが、半グレのような悪と解釈した方が良いだろう。
「2 知者の心は彼を右に向けさせ、愚者の心は左に向けさせる。」
旧約聖書「コヘレトの言葉」第10章2節(口語訳)
「5 わたしは日の下に一つの悪のあるのを見た。それはつかさたる者から出るあやまちに似ている。
6 すなわち愚かなる者が高い地位に置かれ、富める者が卑しい所に座している。
7 わたしはしもべたる者が馬に乗り、君たる者が奴隷のように徒歩であるくのを見た。」
「コヘレトの言葉」第10章5節~7節(口語訳)
因みに、解釈は、
「これは旧約聖書の「伝道者の書(コヘレトの言葉)」第10章5節〜7節の一節ですね。
著者は、社会の「逆転現象」が生む不条理を指摘しています。
本来、知恵や徳があるべき指導者が間違いを犯し、適性のない者が高い地位につく一方で、実力のある者が冷遇されている。そんな「あるべき姿」から遠のいた世の中の混乱を、馬に乗るしもべと歩く君主という比喩で鋭く描写しています。」
引用元:AI
「終わりの時」の1つの「しるし」だろう。ただし、
「16:8 ところが主人は、この不正な家令の利口なやり方をほめた。この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である。
16:9 またあなたがたに言うが、不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう。」
「ルカによる福音書」第16章8節~9節(口語訳)
「マタイによる福音書」第25章31節~46節のような事を実践していれば、万が一小惑星が突っ込んで来て、価値観が一変した世界でも何とかして貰えるという予言である。(富がなくなった場合とは、富が意味をなさなくなる場合(戦争など)という意味だろう。)
「22 それは、聖書にしるされたすべての事が実現する刑罰の日であるからだ。
23 その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。地上には大きな苦難があり、この民にはみ怒りが臨み、
24 彼らはつるぎの刃に倒れ、また捕えられて諸国へ引きゆかれるであろう。そしてエルサレムは、異邦人の時期が満ちるまで、彼らに踏みにじられているであろう。
25 また日と月と星とに、しるしが現れるであろう。そして、地上では、諸国民が悩み、海と大波とのとどろきにおじ惑い、
26 人々は世界に起ろうとする事を思い、恐怖と不安で気絶するであろう。もろもろの天体が揺り動かされるからである。
27 そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。
28 これらの事が起りはじめたら、身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから」。」
「ルカによる福音書」第21章22節~28節(口語訳)
>「滅亡の日 「黙示録大預言」の秘密のベールを剥ぐ」麻原彰晃著
封印を解くという事は、1つ1つ地獄が近づいて来るという事である。麻原彰晃にとっては「刑罰の日」が死刑の日だったのだろう。
補足:2026/3/29 16:45
念のため、「地獄」は「艱難」という意味である。
「21 その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。
22 もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。」
「マタイによる福音書」第24章21節~22節(口語訳)
「地上の多くのものは破壊され、無数の人が滅びる。生き残った者は、死者をねたむほどの艱難に襲われる」
「ファティマ・第三の秘密」五島勉著より
「地獄」なんて方便である。地獄なんかあったら「艱難」とか意味ないだろう。(人によっては、生き地獄を味わった上に地獄に落ちるの?)
おまけ