ヒトデ大石のなんとなくレポート置場

ヒトデ大石のなんとなくレポート置場

2011年8月「ヒトデ大石のどんなブログにしようか検討中。」からタイトル変更。
ライブイベント、舞台観劇のレポートを中心に書いていこうというブログ。
以前はmixiが主戦場だったけど、今はこっちが主戦場(笑)

【レポート】燃えこれ学園定期公演「つうしんぼユニットSP(6月度)&山田みつき卒業公演」@初台DOORS
 
「卒業」
 
世間一般的には学校での課程を修了した事を指す。
そして「別れ」と新たなる「旅立ち」を連想させる言葉でもある。
 
きっと誰もが人生で数回は通った「卒業」という道。
昨今では広義において、何か事物から離れる事を「卒業」と表現する機会に多く立ち会う。
 
この「卒業」という言葉は、アイドルの世界でも頻繁に使われる。
 
特にグループアイドルにおけるメンバー脱退の表現の一つとして用いられる事が多い。
(少なくとも表向きは)所属していたグループ(あるいは事務所)を円満な形で脱退する際に使われる事が多く、最後に「卒業式」と称したイベントが行われる事例も多い。
 
アイドルの世界では耳にしたくない単語ではあるが、それでもきちんと見送れる機会があるだけ幸せなのかも知れない……。
 
 
学園系グループアイドル・燃えこれ学園での話。
 
元々「学校」をモチーフとした組織である。
メンバーの脱退の表現として「自主退学」、あるいは「卒業」という言葉を耳にする機会は多い。
 
昨今はほとんどの事例で「卒業」と表現されており、「卒業式」(あるいは「卒業公演」など)をもって送り出される事がほとんどだった。
 
また2025年度になって早々、長年1期生として燃えこれ学園を支えた佐々木千咲子が来年2026年5月での「卒業」を発表した。
多くの広報委員(燃えこれ学園ファン層の呼称。このレポートでは以後、このように表現する)がその事実を悲しみつつも時間をかけ、そしてじっくりと受け容れつつある状況だった……。
 
 
そんないつもより少し寂しい、燃えこれ学園12年目の夏。
 
その報せはまさに青天の霹靂だった。
 
山田みつき、卒業。
 
誰もが耳を疑った。
 
2020年のコロナ禍直前に候補生となり、同年11月に9期生として正式加入(入学)
もうすぐ生徒となり5年を迎える直前だった。
 
これから燃えこれ学園の屋台骨を支えるメンバーの一人と、誰もが思っていた。
 
卒業発表したのは8月中旬。そして卒業は9月……。
残りの活動期間は一ヶ月を切っていた。
 
あまりにも突然の「卒業」
 
だが「卒業」が目前に迫っても、山田みつきはいつものようにステージの上に立ち続けた。
ステージの上や特典会で接する彼女から、悲愴感の欠片は微塵も感じなかった。
 
いや……実際はそう見えただけかも知れないだけで、彼女自身、我々には見えないところで抱えているものはあったかも知れない。
しかし少なくとも彼女は、広報委員の前では弱味らしいものを見せる事も無く、いつものように飄々とした姿勢を貫いた。
 
「卒業」が信じられなかった。それくらい堂々としていた。少なくともそう見えた。
 
やがて一つ、また一つ、彼女の出演ライブが終わっていく。
「卒業」が発表されてからの時間は短かった。一方で非常に濃密な時間が、そこには流れていた。
 
そして……いよいよ彼女は最後のステージに向かう。
 


 
今回は2025年9月9日、初台DOORSにて行われた、燃えこれ学園定期公演「つうしんぼユニットSP(6月度)&山田みつき卒業公演」の様子をお送りします。
 
●開演前
 
開場よりも1時間ほど前、既に多くの広報委員の姿が会場前にあった。
 
この時期、発売される事の多い「月見バーガー」
それにかけて山田みつきとのチェキとセットで写真をX上にあげる事が多いのだが、それをするために集まった。
事前にポンコツの保護者(山田みつきのファン層の呼称)からの呼びかけで実現したのだが、10数人規模で集まった。
会場近くのマク〇ナルドに移動して、大量の月見バーガーと、山田みつきのチェキでその様子を撮影。
いかに山田みつきが多くの広報委員に愛されているか分かるものだった。
 
詳しくはX上にあがっている「#みんなでたべようみつきみバーガー」「#みつきとつきみ」などで検索してみて欲しい。
 
やがて開場時間が近づいたたため、退店し会場へ再び移動。

この日の開場時間はいつもより早い17:30。
平日である火曜日の夕方という事を考えると、かなり早い時間だった。
普通の社会人はまだ仕事をしていてもおかしくない。
 
……それにも関わらず、開場してから続々と多くの客が詰め掛けた。
前述の10数人のみならず、会社を早く切り上げたか休んだ者もいれば、遠方からの遠征勢も多く駆け付けた。

 

↑当日会場内で飾られたフラワースタンド。これも山田みつき卒業発表後に急いで注文、またボードのデザインしたものだ。
 
卒業の発表が8月中旬。
社会人だともうこの時期になると、人によっては休みを取るのも困難な方は多くない。
それにも関わらず……だ。
 
10周年記念衣装をまとったメンバーたちの前特典会が17:45に開始したが、山田みつきとの撮影を望む列は途切れる事なく……開演時間の10分前を切ったあたりでようやく山田みつきは前物販を終えた。
 
その頃には会場は既に多くの客でいっぱいだった。
そして広報委員たちの多くは、山田みつきの担当カラーである、エメラルドグリーンの推しTを着て開演に備えていた。
 
当方も普段は推しメンである蒼音舞の紫の推しTを着るところだが、この日だけは山田みつきのエメラルドグリーンの推しTを身にまとった。


↑当日まとった、山田みつき推しT。ビッシリとコメントが書かれているのが嬉しい。(苦言も呈されているけど・笑)


広報委員やファン層によって考えは様々だが……自分としては普段、蒼音舞の推しT以外は袖を通さない事にしている。
人によっては、そのメンバーの生誕祭など特別な時は、例え他に推しメンがいてもそのメンバーの推しTに袖を通す方もいる。
自分の場合は今年の一時期、蒼音舞の休養期間中に「レンタル大石」という企画で何名かのメンバーの推しTや、また蒼音舞が出演しない際に何度か他のメンバーの推しTを借りて着た時期もあったが、基本的に滅多にそういう事はしない。
自ら進んで蒼音舞以外のメンバーの推しTを着る時は……最後になる時だけだ。
 
背中に書かれた山田みつきからのメッセージに目を通し、そして……どこかこみあげてきそうな寂しさと共に、袖を通した。
 
慌ただしい雰囲気の中、舞台袖から聞こえる燃えこれ学園のステージ前の掛け声、そして始まるスクリーンに映る諸注意。
 
それを終えて鳴り響く、チャイムの鐘の音……。
 
山田みつき、アイドル人生最後のステージの幕が上がる!
 
●本編
 
○燃えこれ学園
 
10周年記念衣装に身を包んだ、燃えこれ学園のメンバー10人が登場。

 

↑当日、会場内に掲示されたメンバーのぼりより。まさにこの10周年衣装で登場した。なおこの並び順は9月度つうしんぼランキングの順位となっている。


1曲目はとても明るく楽しい雰囲気の「ココハピ」からスタート。
山田みつきの明るく朗らかな歌い出しから始まる同曲。
だが心なしかメンバーの中には声がうわずっているように感じたメンバー、序盤にも関わらず目が潤んでいるようなメンバーも見受けられたが……。
 
早速、それは起こった。
 
1番は無事に終え、2番のAメロに移る。
2番冒頭の成田、稲森によるパートを終え、次は熊野はるのパートなのだが……。
 
熊野はる、泣いて歌えず。
 
……早すぎ!(爆)
熊野はるにとって山田みつきは、非常にかわいがっていたメンバーの一人である事は、広報委員なら誰もが知っている。
それ故、感情が人一倍移入してしまうのも分かるし、彼女の性格上、どこかでこうなるとは思っていた部分もある……。
 
それにしても……早すぎ!(爆)
熊野はるのパートはメンバー、そして会場にいる広報委員たちの合唱でカバーする事で事なきは得たが、あまりにも早い熊野はるの涙に……感動よりもツッコミと驚きが勝った瞬間だった。
その後も若干声がうわずっているメンバーも見受けられたが、山田みつきの笑顔に引っ張られるようにして「ココハピ」は終わった。
 
続いて2曲目「トワイライトキャラメリゼ」に移る。
所謂、後輩'sと呼ばれる三浦、稲森、青山、そして山田みつきが中心となって構成される同曲。
当然の事ながら山田みつきがフィーチャーされる場面も多く、ここではいつもよりも大きな「みつき」コールが会場内で響いた。
途中、落ちサビを担当する稲森がいつもと違う振り付けで山田が驚いた表情が見せるというサプライズもあった。
そして楽曲の最後を山田のパートで締めて「トワイライトキャラメリゼ」も無事終了した。
 
冒頭2曲を終え、MCに入るが真っ先に熊野はるからの謝罪から始まった(笑)
なおこれまでの熊野はるの涙腺崩壊最短記録は、赤坂BLITZ公演での3曲目「恋の魔法」の途中との事で、最短記録を更新したとの申告があった(笑)
 
そしてメンバー全員の自己紹介を上手側から一人ずつ名乗っていく短縮バージョンで行う。
この日、誰よりも大きな声援を浴びたのは山田みつきだった。
 
メンバーが山田みつきに関わるエピソードを一通り披露したところで、ここで佐々木千咲子の推しメン投票8thSTAGEクリアの表彰が行われた。
 
※推しメン投票とは、燃えこれ学園の入学してから累積で溜まる投票ポイントで、STAGE達成ごとにメンバー個人に特典が与えられる。
 
8月度の急伸でメンバー最初の8thSTAGE達成となった佐々木千咲子。
来年5月に卒業が決まっている彼女にとっては、何よりも嬉しい贈り物となっただろう。
 
そしてここから定期公演という事でゲストが登場する。
急遽「山田みつき卒業公演」が重なる事になったが、当初の予定通り出演を快諾してくれた3組のゲストがステージを彩っていく……。
 
○ろいやる♡どーる
 
ゲスト1組目として登場したのは、ろいやる♡どーる。
蒼井めるだ、ゆりざべすの二人によるユニット。
個々での活動も目覚ましい二人だが、今年3月にユニットを結成するに至り、今回、燃えこれ学園定期公演にゲストとして初出演となった。
二人とも長身で目を引くスタイルをしており、二人で並んで立つ姿は非常に見栄えがした。
 
まだオリジナル楽曲が一曲しかないため、カヴァー中心のステージとなる。
冒頭2曲を終え、MCに入る。
過去に何度か燃えこれ学園の定期公演などに客として来場している蒼井めるだとしては、念願叶っての出演となり、MCではその様子を楽しそうに語っていた。
ゆりざべすの威勢のいいMCと相まって、場の空気が温まっていく。
 
ステージも後半に突入し、ますますステージでのパフォーマンスも場慣れしていく。
また配信ライブである事をしっかりと把握して、ステージ下手側にあるカメラに向かってアピールするなども忘れなかった。
ラストは現状唯一のオリジナル「ROYAL DOLL」
力強いゆりざべすと、やわらかい蒼井めるだの両者の歌声、パフォーマンスが対照的だが融合する様が非常に印象的だった。
 
こうしてろいやる♡どーるにとって初の燃えこれ学園定期公演出演者終了。
これからの活躍が非常に楽しみなユニットだった。
 
○燃えこれ学園(6月度つうしんぼユニット~前半~)
 
ここで燃えこれ学園が再び登場。
本来の予定であった「6月度つうしんぼユニット」のコーナーが展開される。
このコーナーは2つに分かれており、その前半。
 
まずはトークポート選抜。
ここでは「風と君と虹と僕」を熱唱。
成田麻穂の歌い出しで始まる同曲だが、タオルを振り回す振り付けが特徴的である。
今回からそのタオルが現在行われている「はじけろ★パーティータイム!!Tour」タオルに変わっていた。
こうして明るく爽やかに「風と君と虹と僕」を歌い終えた。
 
次のフォトガチャ選抜だけは同率5位がいたため、6人でのステージ。
歌ったのは「ぱすてるサマータイム」
燃えこれ学園に何曲かある夏系の楽曲の一つ。
とても明るいけど、どこか切ないサビのメロディラインが非常に特徴的な一曲。
もうすぐ去り行く夏を彷彿とさせる一曲。
「君のまぶしいその笑顔 もっと見ていたいから」という歌詞の一節が、この日は特に胸に刺さった……。
 
課外授業ポイント選抜で歌ったのは「星の記憶が降る夜に。」
佐々木千咲子歌い出しから始まる同曲は、静かな前奏からの立ち上がりが印象的な一曲。
実は山田みつきのソロ曲「Vampire distress」のCDにおいてカップリングに収録されているのも同曲。
偶然ではあるが、ここでこの一曲が選曲された事が感慨深かった方も多かったはず。
各メンバーの歌声が会場内に響き渡り、静かな余韻を残しつつ、この一曲を終えた……。
 
なおそれぞれの選抜されたメンバーについては後述するセットリストを確認してもらいたいが、この日卒業を迎えた山田みつきは6月度つうしんぼユニットの全部門選出されている。
(他に全部門選出は成田麻穂、蒼音舞)
燃えこれ学園のつうしんぼランキング、特に部門別はメンバーによって強いジャンルと、その逆もあるので選出のしやすさ、しにくさが顕著に別れる事が多い。
そんな中で全部門に選出されていた山田みつきのある意味、バランスの良い人気を裏付ける結果だったとも言える。
今回(当初の予定だった)「6月度つうしんぼSP」と「山田みつき卒業公演」が重なった訳だが、結果的に彼女のステージを少しでも多く見れる機会に恵まれるという意味では御の字に働いたと言えるだろう。
 
……こうして6月度つうしんぼユニットの前半戦は終了。
山田みつきの元気な呼び出しと共に、ステージは2組目のゲストを迎え入れる事となる……。
 
○no concept
 
2組目のゲストとして登場したのはno concept。
現在は今田桜花、真仲美鳳の二人がメンバーとして活動しているユニットである。
何度かのメンバーの変遷を経て、先日、活動4周年を迎えたばかりである。
その際のプチワンマンライブにおいて、燃えこれ学園もゲストとして呼ばれていたので、記憶に新しい方も多かったに違いない。
 
全身黒に統一された衣装で登場したno conceptの二人。
ろいやる♡どーるもそうだったが、この二人も非常にスタイルの良さが目立つ。
 
前半2曲に「赤白のメイズ」「アイビー」と立て続けに歌う。
前述の通り、二人のスタイルと相まって振り付けの一つ、一つからして見栄えが非常に良かった。
 
MCを経て後半。
「掴命(カクメイ)」では手を挙げて、力強く会場全体を盛り上げる。
ラストはno conceptの代表曲「ゼロ距離」
作曲したHIDEKI(藤倉秀樹)サウンドの真骨頂とも言えるシンセサイザーの疾走感が何とも心地よい。
(余談だが、前述のろいやる♡どーるのオリジナル「ROYAL DOLL」も同氏作曲のものである)
サビの部分の特徴的な振り付けも非常に印象的であり、会場内のテンションも一気に上がった。
 
こうしてno conceptのステージは終了。
どこかスタイリッシュで、颯爽とした姿がとても印象的だった。
 
○燃えこれ学園(6月度つうしんぼユニット~後半~)
 
燃えこれ学園が三度登場。
ここからは「6月度つうしんぼユニット」コーナーの後半となる。
なお定期・主催ポイント選抜、つうしんぼ選抜(総合順位)となるが、偶然にも選抜された5人は一致している。
 
まず定期・主催ポイント選抜で選曲されたのは「Red Voice」
初めて聴いた広報委員、それに近い客層も多いと伝え聞いたが、この楽曲は元々熊野はるのソロ曲。
燃えこれ学園メンバーも時々歌う機会があるのだが、年に数回がいいところ。
かなりレアな選曲ではあるが、この楽曲、実は山田みつきにも縁が深い一曲で、ソロ曲が無い時代に2021年度(2022年1月開催)の生誕祭でこの楽曲を歌っている。
なお基本的に「つうしんぼユニット」の選曲は各部門の1位になったメンバーが選ぶのだが……偶然とは言え、蒼音舞の選曲が神がかっていたと言える。
激しいロック調の楽曲に、5人の力強いヴォーカルが響き渡り、会場を赤く、熱く燃え上げた。
 
続いて6月度つうしんぼランキングの総合順位上位5名(俗にいう「選抜入り」)メンバーによる、つうしんぼ選抜メンバーとして歌ったのは「Melodious Revolution」
現在は主に先輩'sと呼ばれる5人(熊野、佐々木、成田、蒼音、仲川)の楽曲として歌われる機会が多いが、そこに熊野、仲川の代わりに稲森、そして山田みつきが加わる編成となった。
実は山田みつきもこの楽曲に縁が深く、特に先輩'sメンバーのうち一人だけと入れ替わってライブに出演する機会があるたびに「代打」のポジションに立つ事が多かった。
一方で稲森のあは意外にもこの楽曲の歌唱パートは初参加だったとの事で、後のMCではその嬉しさを語っていた。
こうして「Melodious Revolution」もしっかり決めてみせた。 
 
その後、間を置かず……つうしんぼランキング1位にだけ許されるソロステージへ!
流れたのは6月度1位・蒼音舞のソロ曲……「RealCry」
この時だけはエメラルドグリーン中心だった会場内のキンブレなどの色が、彼女の担当カラー・紫一色に染まった。
燃えこれ学園が誇るパワーヴォーカリスト・蒼音舞。
その本領を発揮するかのように、力強い歌声で会場のボルテージを更に高いところまで燃え上がらせた。
もっとも前奏部分で煽りを終えたところで一旦、水を飲みにステージにはけたり、1番ラストで歌詞が噛んでしまうなど、本人にとっては反省点も多いステージとの事だった。
(特に水を飲みに、一旦ステージからはけた場面は笑い話としてメンバーに後ほど突っ込まれる)
だが6月下旬の手術からの活動休止期間を経て、戻ってきたパワーヴォーカリストの歌声は唯一無二の輝きを見せた。
そしてその輝きは同郷の後輩でもある、山田みつきにもきっと届いただろう……。

↑自分の推しメン・蒼音舞。つうしんぼユニットSP(6月度)の主役は間違いなく彼女だった。

こうして6月度つうしんぼユニットのコーナーは熱気に包まれた中で終了。
「RealCry」歌い終えた直後、若干ふらつくほどに力を出し切った蒼音舞だが、実はこの日が数か月ぶりのスタンディングでのパフォーマンスだった。
6月に先天性の病気の手術のために活動休止し、復帰した後も無理な動きが出来ないため、椅子に着席していた状況でのパフォーマンスを強いられていた。
この日も冒頭2曲までは椅子に着席していたが、この日のつうしんぼユニットコーナーから立ち上がってのステージに復帰していた。
MCではその事(及び「RealCry」中のパフォーマンス)についての言及があったが、この時だけは6月度つうしんぼランキングの頂点に立った、蒼音舞の時間だったと言えるだろう。
 
蒼音舞の充実した表情を見る限り彼女自身、嬉しかったと想像する。
またメンバーの中でも蒼音舞を推しと公言している山田みつきも万全のパフォーマンスの蒼音舞と共に立てた事が嬉しかったのではないか……そう信じてる。
 
この熱気の中、この日3組目のゲストがステージ上に現れる……。
 
〇明根凛
 
雷鳴轟くOPSEの中、山田みつきを意識したであろう、エメラルドグリーンの配色がほどこされた衣装を身にまとって登場したのは明根凛。

↑物販で撮らせていただいた明根凛の写真。当日もこの衣装でステージに立った。


またその手には彼女の代名詞とも言える、自身のイラスト、ロゴがほどこされた大きな旗を携えていた。
この日の旗はエメラルドグリーンの地に青い線が入る、まるで山田みつきのためにあるような配色となっていた。
 
彼女の名物ともいえる、旗を振り回すパフォーマンスを交えながら「SIREN」を熱唱。
続いてマイクスタンドを用意して「Crossing」、更に「純情的にわか雨」と前半3曲を連続で歌いあげる。
彼女は熱のこもったステージが特徴的な歌い手である。
つうしんぼユニット、蒼音舞が作り上げた熱いステージの流れをそのまま引き継ぐようにして、歌いあげる様は絵になっていた。
 
MCではコロナ禍前にソロで「燃えこれ学園 定期公演」にゲストで呼ばれた時を回顧。
その時以来の定期公演ゲストとしての出演に非常に感慨深い様子を見せていた。
 
MCを挟んだ後の後半もその勢いは止まらない。
代表曲「Loser's laughter」では再び旗を手に大きく振り回すパフォーマンスで会場を沸かせる明根凛。
会場全体が肩を組んでヘッドバンキングをする名物パフォーマンスも発動し、会場の一体感がますます強まった。
ラストは「Bright Future」
タイトルの通り輝く未来を象徴するような明るい曲調が心を明るくする。
間奏の箇所で「みつきちゃんは今日で卒業ですが、いつでも『おかえり』と言えるように、皆さん頑張って長生きしましょう!」と高らかに叫んだ。
この彼女の一言は山田みつきへのリスペクトと共に、これから山田みつきが卒業した後も生きていけば……というメッセージが込められていたように思えた。
20分のステージに5曲を詰め込んだ、明根凛のステージは終了。
 
この後の燃えこれ学園に繋ぐ大仕事をやり遂げたその表情は、充実感に満ち溢れていた。
 
 
……こうして6月度つうしんぼユニットと、全てのゲストのステージを終えた。
 
この後、行われるのは「山田みつき卒業公演」
 
正真正銘、山田みつきにとってアイドル人生最後となるステージである……。
 
薄暗い会場の中、メンバーが立ち位置に立つ。
 
そして山田みつきの口から一言、タイトルコールがつぶやかれた……。
 
 
……で、スタートなら、どれだけ美しかっただろう(笑)
 
 
実は山田みつきが曲名を言った際、マイクは入っていなかった。
(配信で確認するとタイトルコールは拾っていなかったが、会場内ではしっかり聞こえていた)
だがこれは音響側のミスではなく、実は山田みつきのアドリブだった(笑)
 
前奏は流れたものの、想定外の演出だったために残りのメンバー全員動揺(笑)
前奏部分も途中でストップとなり仕切り直しに……まさかの卒業公演のスタートで、主役がツッコミを受けるというある意味で彼女らしいスタートとなった。
 
そして今度こそ……山田みつき、アイドル人生最後の時間が動き出す……。
 
○燃えこれ学園(山田みつき卒業公演)
 
卒業公演パートの1曲目は「Shiny Dream」からスタート。
山田みつきの歌い出しで始まる、明るい楽曲である。
なおAメロの歌い出しが山田みつきだが、この時の動揺か噴き出してしまっており、熊野からは「しっかりしなさい」とツッコミを受けている(笑)
ちょっと締まりのない始まりをした卒業公演パートだったが、これが良かったのか……メンバーたち、そしてエメラルドグリーンのドレスを身にまとった山田みつきは満面の笑顔を見せていた。
 
なおこのエメラルドグリーンのドレス、実は山田みつき初の2020年度生誕祭(2021年1月開催)で着用していたものである。
しかしこの時の生誕祭は、まだコロナ禍の影響で燃えこれ学園は無観客配信でのライブを敢行していた時期である。
このドレス姿の山田みつきを画面越し、もしくは特典のチェキ越しでしか拝める機会が無かったものである。
約4年半の月日を経て、このドレス姿で登場した事は、初期から山田みつきを知っている者にとっては感慨深いものだった。
 
1曲目「Shiny Dream」を歌い終えると、2曲目に選んだのは「Peeeace!!!」
燃えこれ学園としても歌うのはかなり久々な夏の楽曲!
この楽曲は山田みつきが在籍してから作られた楽曲の中では2曲目にあたり、また1番Aメロでメインパートを初めて任された一曲でもある。
なお楽曲発表時の1番Aメロを担当したのが、既に卒業した當銘菜々、高未悠加、そしてこの日卒業する山田みつきの三人……。
当時の當銘パートを稲森、高未パートを成田が担当する歌い出しとなった、この日の「Peeeace!!!」
山田が卒業する事で、1番Aメロを担当した3人が全員いなくなる事に、時の流れを感じずにはいられなかった。
(余談だが當銘菜々にとっては、在籍時最後のオリジナル楽曲でもある)
だが底抜けに明るい曲調を前に、メンバーたちは笑顔を崩さず久々となる「Peeeace!!!」を歌い切った。
 
3曲目は「sweet darlin」
この楽曲も元々は熊野はるソロ曲だったが、現在、後輩's(三浦、稲森、山田、青山)の楽曲としてサブスク配信された経緯がある。
なおこの楽曲は山田みつきが、燃えこれ学園入学後、初めてソロで歌った楽曲でもある。(2021年4月27日「2020年度つうしんぼランキングSP後編」にて披露)
この日の歌詞割りは普段と違い、1番をほぼほぼ山田みつきのソロで歌うと演出となった。
入学当初は歌唱力がお世辞にも高いとは言えなかった山田みつき……当時も意を決して歌った部分が見受けられた。
ただ燃えこれ学園での約5年半の月日は、ソロでも堂々と歌えるだけの自信と度胸を彼女に植え付けたのだろう。
どこか歌う事に抵抗を覚えていた頃から、成長した山田みつきの姿がそこにはあった。
なお面白かったのは2番前半の演出。
「あたしの視線の先 チョコパフェ発見」という歌詞でパートを担当した成田の指の先にいたのは……ケーキの着ぐるみに身を包んだ西崎琴音(笑)
この楽曲はまだ参加出来ない西崎だが、この後に控える三浦のパート「満面の笑顔で」の後に「太るよ」とワンフレーズだけ歌い、脇腹をつついて去っていった(笑)
この演出も山田みつきが考えたものと推測されるが、現状、出番の少ない後輩のために見せ場を用意する気遣いも見えるワンシーンだった。
なお余談ではあるが三浦千鶴はかつて山田みつき生誕祭で、実際にケーキをステージ上で食べるという演出をしており、この一連の演出は当時のオマージュと思われる。
きっと当時を知っている広報委員にとっては、最高に面白い展開だったに違いない。
こうして「sweet darlin」はかわいらしく、そして燃えこれ学園らしいバラエティー要素ふんだんに盛り込まれた。
楽曲ラストに山田みつきを中心に全メンバーが抱き着きにいく、いつもの振り付けなのだが、愛情に溢れたシーンも印象的だった。
(ケーキ姿の西崎もステージ上で手を挙げている姿も微笑ましい)
 
こうして楽しく明るい雰囲気の「sweet darlin」から一転、会場に流れる激しいロックサウンド。
山田みつき以外のメンバーが全員、ステージの上から掃けていく。
ここで山田みつきソロ曲「Vampire distress」となる。
これまでの3曲から一変して、ダークな世界観の山田みつきがあふれ出す。
先ほどまで愛らしい笑顔で歌っていた彼女とは同一人物とは思えないほどに、激しくかき乱すような感情がほとばしる。
エメラルドグリーンに染まった会場の中、叫びともいえる彼女の声が響き渡る。
そこにいるのは普段、愛嬌を込めて呼ばれている「ポンコツヒロイン」ではない、ダークヒロインとでも形容すべき山田みつきの姿だった。
だがこの普段見せない一面も彼女のもう一つの魅力なのだと、ステージの上から叫ぶ彼女を見て感じた。
 
自身ソロ曲のステージを終えて、山田みつき単独でのMCとなる。
そこには普段の明るい「ポンコツヒロイン」の姿があった。
冒頭のあいさつの後、自身の燃えこれ学園入学前の話から、新入生候補生になった頃を回顧する。
当時「少しでも多くのステージに立ちたい」という自身のワガママ(と彼女は表現)を叶えてくれた燃えこれ学園に感謝を述べる。
また歌が苦手だった事を振り返り、今だから言えるであろう苦悩を述べた。
だが応援してくれる広報委員の存在が力になったとここでも感謝を述べた。
 
彼女なりに一つ一つの言葉を丁寧に、そして慎重に紡いでいく。
やがてその言葉はメンバー一人、一人に対するメッセージに及ぶ。
一人、一人のメンバーに対して、彼女なりの愛情を込めて呼びかける。
(なお最後に運営である理事長に対して感謝しつつも、ちょっと釘を刺していた・笑)
 
彼女のまっすぐな想いはきっと、一人、一人のメンバーにもきっと届いた事だろう。
 
……恐らく当初の想定よりかなり時間がオーバーしていただろう。
最後は舞台袖から熊野はるが登場し、山田みつきの長いMCは終了となった。
(後日談で聞いたところによると、ここで2曲ほど削っているとの事)
 
本来なら余韻に浸りたいところだが、山田みつき自身「しゃべりすぎました」とコメントしている通り、そうも言っていられない状況となり、山田みつきの最後のステージはここからやや駆け足気味に過ぎて行く事となった。
 
そしてMC明けの楽曲は「この歌、歌いたいの?」と聞かれて、初めて自分から「歌いたい」と言った思い出の一曲……。
 
卒業公演パート5曲目「タイムレシーバー」
モールス信号から始まる前奏が印象的な同曲。
暗転しエメラルドグリーンの薄っすらとした光が灯る会場を、モールス信号の音だけが包み込む……。
その静寂を経て、明るくなった会場と共に鮮やかな音楽が流れ始める。
山田みつきの歌い出しから始まり、「届いて」というメンバーたちの願いにも似たフレーズが響き渡る。
ステージの上から会場中に……いや配信を通じても世界にも届けとばかりに願いを込めて歌われた。
きっとこの日の燃えこれ学園の込めた想いは、楽曲を通じて観ている者全ての胸に届いた……。
そう信じたい。
 
6曲目は「オルゴール」
時期的には若干早いクリスマスソングではあるが、季節問わず燃えこれ学園では歌われている印象がある。
非常にきれいなメロディーライン、ハモリが入った歌唱パートと見所は非常に多い一曲である。
この楽曲は山田みつきが新入生として正式加入した直後の2020年12月に初披露された一曲で、彼女にとっては加入後最初のオリジナル曲である。
前述のようにクリスマスソングとして作られている楽曲だが、当時、コロナ禍の情勢を反映したような、どこか切ない歌詞が印象的な一曲となっている。
今、思い返すと、この楽曲の歌詞の切なさが、どこかこの日卒業する山田みつきの事を思うと、心境が重なるような……。
いつもとは違う印象でこの楽曲を聴いた人も多かったのではないか……。
そう思いながらステージの上で躍動するメンバー、そして山田みつきの姿を目で追っていた……。
 
……そして山田みつきにとって、アイドル人生最後の時は刻一刻と近づいてきた。
 
「オルゴール」後のMC……
恐らく最後になるであろう、山田みつきのMCで出た一言目が……
 
「山田公演」
 
これにはメンバーも爆笑(笑)
会場内の広報委員や客層もつい笑いが起きる。
熊野はるの「締まらんなぁ」を始めとする、メンバーからのツッコミの数々を受ける。
 
……この様子を見ていたら、これが最後とはとてもじゃないけど思えなかった。
それくらい燃えこれ学園のメンバーたちは、最後まで朗らかに、そして和気藹々としていた。
 
……改めて山田みつきがマイクを手にする。
 
「山田みつき卒業公演、最後の曲です」
 
……即ちそれは山田みつきにとって、アイドル人生最後の一曲となる。
 
最後の一曲に歌ったのは……「Re-START」
 
山田みつきが新入生候補生と加入する直前にレコ発し、その後、コロナ禍における燃えこれ学園の活動を長く支え続ける事となった一曲。
 
昨今こそ歌われる機会は減ったものの、燃えこれ学園の代表曲の一曲と言って過言ではない。
 
歌い出しの稲森のあが自身のパートを歌い終えると同時に、山田みつきに寄り添うようにして彼女を前に立たせる。
続く山田みつきのパートだが、この日一番声が震えているような気がした。
 
声が震えているのは山田だけじゃなかった。
多くのメンバーが声を震わせ、今にもこみ上げてきそうな感情を抑えつけるように、だけど必死に歌っていたように思う。
声がかすれそうなメンバーがいたら、他のメンバーが歌唱のフォローに入り支える。
燃えこれ学園らしいチームワークで歌は滞りなく進んだ。
 
それを知ってか知らずか、会場からは広報委員を中心とした客層から、大きなコールが彼女たちのステージを後押ししていた。
そして何より山田みつき、最後のステージを応援するため……残された体力を振り絞るような大きな声援が会場に響いた。
 
楽曲も終盤にかかる間奏部分。
熊野はるの「声出して!」「もっと!」という掛け声は、何よりも心の底からの叫びだった。
それに呼応するかのように、大きな声を張り上げ、腕を振り上げる広報委員、客層たち。
ステージの中心で燃えこれ学園のメンバーが右手を伸ばして円陣を組むのと同時、ロビーの広報委員、客層たちもその右手を前に伸ばして心を一つにしていた。
 
間奏明けのメンバー全員の歌唱パート。
メンバー全員、今にもかすれそうな歌声だった。
だけど最後の歌唱パートを、堂々とそして山田みつきは笑顔を交えながら、最後まで歌いきった。
 
後奏で山田みつきへ向けた最後の口上が響き渡る。
その景色を驚きながらも、嬉しそうに見つめる山田みつきの姿がそこにあった。
 
こうして山田みつきのアイドル人生最後の一曲は無事、幕を閉じた。
 
 
「すいません、長かった」
 
最後の一曲を終えた山田みつきは、最初にそうつぶやいた。
その後の熊野はるとかわす会話は、ここ5年ほど見慣れたはずの燃えこれ学園の景色そのものだった。
 
ゲストの告知、記念撮影(この時は山田みつきの親族も最前列に来ていた)を経て、山田みつきへの卒業証書授与へと続く。
卒業証書授与後は広報委員を中心とした客層の寄せ書き、メンバーからの寄せ書き、そして花束が山田みつきへと手渡された。
 
山田みつきの感謝の一言の直後に、締めの「燃えこれ学園 校歌」が流れる。
なおこの時はポンコツの保護者が中心となり、広報委員からサプライズで「みつき卒業おめでとう!」と書かれたうちわを用意する演出を用意していたのだが……見事に文字の順番が逆になってしまった(笑)
最後の最後で広報委員側……ポンコツの保護者たちも「推しは推しに似る」というポンコツを見せてしまった(笑)
だが山田みつきはこのサプライズを心の底から喜んでた。
(なおうちわの順番はこの後急いで並び直している)
 
熊野はるの挨拶を経て、最後に山田みつきにコメントを求めた。

「皆さん本当に、ありがとうございました!」
 
山田みつきらしい飾らない一言で、燃えこれ学園定期公演「つうしんぼユニットSP(6月度)&山田みつき卒業公演」はその幕を下ろした。
 
 
 
【つうしんぼユニットSP(6月度)&山田みつき卒業式・セットリスト】
 
○燃えこれ学園
1.ココハピ
2.トワイライトキャラメリゼ
 
○ろいやる♡どーる
1.Strawberry Trapper(Guilty Kiss)※カバー
2.白い雪のプリンセスは(初音ミク/のぼる↑-Noboru-)※カバー
3.ずるいよMagnetic today(西木野真姫・矢澤にこ)※カバー
4.ROYAL DOLL
 
○燃えこれ学園(6月度つうしんぼユニット~前半~)
1.風と君と虹と僕(成田、仲川、蒼音、山田、佐々木/トークポート選抜)
2.ぱすてるサマータイム(成田、蒼音、三浦、山田、仲川、稲森/フォトガチャ選抜)
3.星の記憶が降る夜に。(佐々木、山田、成田、蒼音、稲森/課外授業ポイント選抜)
 
○no concept
1.赤白のメイズ
2.アイビー
3.掴命(カクメイ)
4.ゼロ距離
 
○燃えこれ学園(6月度つうしんぼユニット~後半~)
1.Red Voice(蒼音、稲森、佐々木、山田、成田/定期・主催ポイント選抜)
2.Melodious Revolution(蒼音、成田、佐々木、山田、稲森/つうしんぼ選抜)
3.RealCry(蒼音舞/6月度1位ソロ)
 
○明根凛
1.SIREN(short ver)
2.Crossing
3.純情的にわか雨
4.Loser's laughter
5.Bright Future(short ver)
 
○燃えこれ学園(山田みつき卒業公演)
1.Shiny Dream
2.Peeeace!!!
3.sweet darlin
4.Vampire distress(山田みつき)
5.タイムレシーバー
6.オルゴール
7.Re-START
 
ED.燃えこれ学園 校歌
 
 
○総括
 
最後のその瞬間まで、彼女らしい公演だった。
 
終わった直後の所感である。
 
今、これを書き上げているタイミング……三日経った(9月12日)後でもそう思うし、配信ライブを見返してもそう思う。
確かにメンバー個々にところどころ、こみ上げる感情が強く出ていたと思うし、山田みつきとの別れを惜しんでいる節も見受けられた。
 
しかし当の本人である山田みつきが、何よりも楽しそうにステージの上で歌い、踊るから……そのような悲しいという感情よりは、この日のライブも非常に楽しかった……そういう感想に落ち着く。
 
自分が広報委員になってから「卒業」を見送ったのは彼女で4人目になる。
奥原澄香、當銘菜々、高未悠加、そして山田みつき……。

その歴代の4人の中でどこか「卒業」が一番実感沸かなかったのは、彼女だと思う。
メンバーの声や表情、冒頭の熊野はるの涙腺崩壊を除けば、本当に山田みつき生誕祭で誤魔化せるんじゃないか……そう思えるくらいの内容だった。
今思うと、熊野はるが冒頭に涙腺崩壊したからこそ、その後却ってどこか切り替えて楽しめた部分はあるかも知れない。
 
山田みつきの「卒業」を感じるのはこれからだと思う。
 
常にステージの上で楽しそうに笑顔を浮かべている彼女の姿が、ステージをいくら見回しても見つからない。
きっとその時、初めて山田みつきの「卒業」を、心の底から実感すると思う。
 
それだけ山田みつきが燃えこれ学園で築いた存在感は大きいと思う。
 
コロナ禍で入学してきた影響も大きかったと思うけど、誰よりも多くの方にステージを見てもらう事に力を入れてきた山田みつき。
彼女のその気持ちはやがて、ポンコツの保護者と呼ばれる固定ファン層を中心に広がっていき、多くの客層のハートをつかんで離さなかったと思う。
 
コロナ禍明けで対バンに復帰し始めた頃こそ、既存メンバーと比べてその認知度の低さで苦戦したように見受けられたが、ここ一、二年は燃えこれ学園の中心メンバーとして欠かせない存在にきちんとなっていたと思う。
個人的な見解だが、特に當銘菜々が卒業した後から本格的に伸びたと思う。
それまで存在した絶対的センターが抜けた状況において、(燃えこれ学園内部的な話では)ClassWhite委員長に抜擢され、この時期に初めて後輩(青山明日香)が入学した事で、先輩としての、何より燃えこれ学園メンバーとしての自覚や責任感も本人なりに芽生えたように見受けられる。
 
他のメンバーやそのファン層には失礼に当たるかも知れないが……燃えこれ学園が誇るエース、或いはセンターに恐らくなれた。
いや……もうある意味ではエースになっていたと思う。
 
この日のステージを観て、改めてそう感じた。
 
だからこそ敢えて自分のワガママだけで言ってしまうのであれば、燃えこれ学園「卒業」があまりにも惜しい。
正直……残れる道は無かったのかな……と思う。
 
だってあんなに楽しそうにステージで笑って、楽しそうにこなす娘がアイドルである事を嫌いなはずは無いんだよ。
最後の最後までその場にいた客層を大いに笑わせて、楽しませてくれるアイドル、今まで見た事無かったよ。
 
でも……それでも「卒業」という決断を……山田みつきは断腸の想いで決断した……いやせざるを得なかったと思うと、つらい。
 
だけどみつきが望んでいたとすれば、ステージを楽しんでもらう事だったはず。
その考えに寄り添うのだとすれば、この日のステージの事も、そして山田みつきの事をいつか振り返った時に笑いながら思い出せる。
 
そのように覚えていてあげるのが、一番なのかな……と今は思う。
 
 
恐らく当面は山田みつきがいない、燃えこれ学園のステージに慣れなくて戸惑う事もあるだろう。
 
だけど山田みつきが愛して止まなかった、燃えこれ学園のステージをこれからも応援して見届けるのが、残された一広報委員として出来る事なのかな……と思う。
 
その前に彼女には、自分の推しメンである蒼音舞を「しっかり応援しなさい!」と言われそうなので(笑)そこんとこは出来るうちはしっかりやりたいと思う。
 
 
ここまで、この日のライブの総括というよりは山田みつきのこれまでを自分なりに振り返った総括になった……。
 
でも自分の推しメン・蒼音舞が完全復活への第一歩を踏み出せた事は本当に嬉しい日でもあった。
そして何より山田みつきの卒業公演に間に合った事が、お互いにとっても良き思い出として刻まれたと自分は信じたいと思う。
 
またゲスト出演してくれた3組にも心の底から感謝。
素晴らしいステージで山田みつきの卒業を彩ってくれた事、忘れません。
 
 
そして最後に山田みつきへ……
 
新入生候補生時代から数えて約5年半、楽しい思い出の数々をありがとう!
これからの人生も楽しんで、生きてくれー!
 
「またな!」
 


さよならなんて、言わないよ。
 
 
そんなところで、今回のレポートは〆。

・「椎名へきる」と青春の日々(「HEKIRU MAX!! 2025 椎名へきるの全てがここにある」を振り返りながら)
 
椎名へきる
 
アニメ、声優に詳しい方なら、一度くらいは耳にした事のある名前だろう。
 
それくらい説明不要な有名声優にして、歌手だと思っている。
 
自分はそんな彼女の大ファンだった。
 
 
今から30年前、それとなく聴き始めたラジオ番組。
特徴的な高音が気になる、ちょっと面白い娘……それが初めて椎名へきるに抱いた感想だった。
 
最初は気にしていなかったが、ラジオから流れる彼女の楽曲、本人のビジュアルを知り徐々に気になり始めた頃、「目を覚ませ、男なら」で、まさに椎名へきるのファンとして目覚めた。

そして高校3年、1996年夏……彼女のライブに初めて足を運ぶ事になる。
 
詳細は省くが、この時同行した当時の高校の同級生、文通相手らが中心となり、あれよあれよという間に所謂「親衛隊」のような、私設応援団体が組織として出来上がった。
 
椎名へきる私設応援会 紺碧ヒトデの会
 
当時、若干17歳の初心者ファンが情熱と勢いだけで立ち上げた会だった。
 
そんな会が29年の時を経て、日の目を浴びる事になろうとは……この時は想像できるはずもなかった。
 
 
話を現在に戻す。
 
2025年8月15~17日の三日間、池袋にて「HEKIRU MAX!! 2025 椎名へきるの全てがここにある」というイベントが開催された。

椎名へきるの歌手デビュー30周年を祝う一連のイベント企画……その締めくくりがこのイベントにあたる。
 
自分は(主に)二日目にあたる16日は丸一日、堪能させてもらいました。
 
まず堪能したのは、過去のライブ上映コーナー。
 
 
この日の1本目は1997年冬の日本武道館。
椎名へきるが初めて武道館に立った記念すべきライブ。
 
当時、大学受験に失敗し浪人が決まった直後にも関わらず、高校時代最後の思い出と称して向かった武道館。
 
「紺碧ヒトデの会」は、自前のハッピがまだ無い時代だった。
 
それでも当時、会の成長速度はすさまじく、この時で会員の数は累計100人を超えた。
その勢いのまま臨んだ、日本武道館2DAYS。
 
最高に楽しかったし、椎名へきるを応援している事が何よりも誇らしい瞬間だった。
 
 
そんな当時の思い出が脳裏に甦ってきた。
当時の勢いそのままにクラップもコールも、汗だくになりながらやってきた。
 
28年前の映像を前にしても「色褪せない瞬間」が、そこには凝縮されていた。
 
 
過去のライブ上映コーナー2本目までの間に、二つ目の目玉ともいえる展示コーナーを拝見した。
 
椎名へきるの過去のライブでの衣装や、ファンクラブの会報のバックナンバー、レアグッズの現物、そして映像での紹介……これだけでもファンにとっては嬉しいものだっただろう。
 
そんな展示コーナーの一角……そこを過去の私設応援団体の展示物が占めていた。

縁あって「紺碧ヒトデの会」そして我々と最も親しく先輩団体だった「関東碧流会」の品々が展示してもらいました。
ハッピや横断幕が並ぶ光景は、改めて見ると迫力があるものだった。
更に前日には、同じく我々と近しい関係だった「PHOENIX」の会員が現れ、ハッピを貸し出してくれたとの事。



同じ時代を共に駆け抜けた仲間たちのハッピが並んでいる光景は嬉しかった。
それと同時にここに展示物が並ぶ事が無かった多くの私設応援団体にも思いを馳せた。
 
 
……当時を振り返る。
 
「紺碧ヒトデの会」は結成時期からすると、私設応援団体の中でも比較的後発になる。
我々が結成されるより前に多くの私設応援団体が存在し、ハッピを着込んでライブ会場を盛り上げて闊歩していた。
そんな先輩団体の多くは、我々が自前のハッピを手にする1997年夏頃には解散していた。
 
先輩にあたる団体が解散していくのを目の当たりにして、我々は会を存続していく術を模索していった。
ライブツアーが無い時期でも、数ヶ月に一度、会員たちが顔を合わせる機会として会合を設けるようにした。
会合……と言っても堅苦しいものではなく、時期によって花見、BBQ、ボーリング大会などを開催した。
今みたいにSNSどころかインターネットの文化も根付く前で、携帯電話やPHSの普及が追い付いていない時代に、会報を郵送で送るという手段と、会員同士が直接交流する機会を持つことを中心に会としてのモチベーションを保ち続ける。
 
今よりも連絡を取るには、よっぽど不便な時代。
だけど情熱と工夫だけで、その不便さすら乗り越えるための努力をした。
展示された会報には、そんな当時の情熱と工夫、そして努力の一端がにじみ出ていた。
 
我々が情熱をたぎらせる一方で、98年以降になると私設応援団体の数は更に減った。
また当時は我々と親しくしてくれる方も多くいた一方で、私設応援団体という存在そのものが敬遠される事も多かったのを覚えている。
詳細は控えますが、当会の存続危機があったのもこの時期だったと記憶している。
 
だからこの頃は決して楽しい思い出だけで語れる時期でなかった。
 
それでも99年を経て2000年から2001年、世紀をまたぐカウントダウンライブを「関東碧流会」「PHOENIX」のメンバーらと共に喜んで迎える事が出来た。
この頃になると「紺碧ヒトデの会」だけではない、団体の垣根を超えた友情も育まれた時期でもあった。
 
しかし……時の流れというものは残酷で、当時学生が中心だった「紺碧ヒトデの会」は徐々に会場に顔を出す会員が減っていった。
元々98年夏頃から新たな仲間を迎える機会より、各々の事情で離れていく仲間を見送る事の方が増えていった。
実際、現在も付き合いのある会員の多くのほとんどはこの頃までに入会した者がほとんどであり、むしろそれまでが爆発的に増え過ぎていた部分がある。
 
離れていく仲間の事情は様々であり、残念ながらこの時期に椎名へきるのファンを離れた者もいれば、我々のやり方についていけなくなり離れた会員も存在した。
それと同じくらいに就職、進学などで人生において次のステージに進む者が多く現れた。
 
恐らく当会だけの問題では無かったと思うが、結成当初から会員の多くが学生中心、20歳前後の若年層の割合が多くを占めた当会はその傾向が顕著だった。
 
そして自分自身も他の趣味への傾倒と合わせて、就職活動中の2001年、就職した2002年と徐々に椎名へきるのライブに足を運ぶ回数が減った。
特に就職後は時間があった学生時代のように、南関東のライブ全て行く……というような事もなくなり、また椎名へきるに情熱を注げる余裕も当時の自分には残されていなかった。
 
記憶にある限り自分が最後にハッピを着てライブ会場に足を運んだのは、2003年元日。
この頃には椎名へきるの音源を買わなくなり、彼女の情報にも疎くなり始めていた。
(でもこの時期の楽曲だと「MOTTOスイーツ」だけは例外的に印象に残っている。リリースを知ったのも結構後なのに……)
またこの時は前年に夭折した親交のあったファンに対する哀悼の意を示すために集まった側面も強かったかも知れない。
 
この時も我々「紺碧ヒトデの会」や親交のあったファン層とも交流し、社会人となり久々の再会を楽しんだ事を薄っすら覚えている。
だけど我々を含めても、この頃に会場内でハッピを着込んで応援するスタイルを取っていたのは少数だったと記憶している。
 
多くの私設応援団体が過去のものになっていく。
そんな時期だったのかも知れない。
 
今、振り返るなら、この時に自分の椎名へきるファンとしてのキャリアは第一線という意味では終えたと言っていい。
 
 
……展示コーナーでの談笑を経て、ライブ上映コーナーの開演が近づいてきた。
 
過去のライブ上映コーナー、この日の2本目が2004年元日に行われた公演である。
椎名へきる自身にとっては10周年記念ツアーの「ベスト公演」でもあった。
 
椎名へきるファンの一線を退いてから一年後の映像である。
 
だからこの日のライブの様子は完全に初見だった。
 
1曲目に「せつない笑顔」が流れた瞬間、自分が満面の笑みになるのが分かった。
 
当時の映像の中でも、既に椎名へきる自身が「懐かしい」と言及するくらいに、彼女の初期の楽曲が続いたのである。
 
もし当時、自分がこの日の会場にいたら、同じような感想を持っただろうか。
そんな事を考えつつも、この映像より更に21年経った現在においてでも、心の底から楽しんでいる自分がそこにいた。
 
1本目の97年武道館と見比べても同じ楽曲でもアレンジの違いや、また椎名へきる自身の楽曲に臨むスタンスの違いが映像を通じてでも伝わってきた。

こうして見比べてみて初めて認識する違いであるが、そのどちらも受け容れる事が出来た自分がそこにはいた。
 
そう……そこには自分が好きで仕方なかった椎名へきるの姿が、間違い無くそこにはあった。

 

当時、情熱を注げなかったとは言え、椎名へきるは何一つ変わっていない事を、20数年の時を経て初めて認識した瞬間だった。
 
この時、昔を思い出して開演前の前口上及び「古のコール」をしたり、最後は三本締めをしたけど、きっとあの時、そこには10代後半の椎名へきるが青春の中心だった頃の自分がそこに立っていた。
 
そう思う。
 
 
もっともこの時の前口上や「古のコール」が、自分史上、最大の大役につながるとはこの時想像しなかった訳で。
 
 
この後は夜から始まる、トークショー&アコースティックライブを残すのみだった。
この日のトークショーのゲストは木根尚登という事で、実はTM NETWORKも好きな自分としては、それだけで楽しみだった。
 
すると……知人を介して話が舞い込んできた。
 
事の詳細は省きますが、トークショー前に前口上と「古のコール」をやって欲しいというお話に。
どうやらライブ上映会でやった前口上及び「古のコール」が関係者の目に留まった模様。
 
前日に「関東碧流会」の総長が同じようなお願いをされて、前口上は実施したと聞いていましたが……。
 
話がきた時は驚きつつも、断る理由は無かったので、ありがたく引き受けさせて頂きました。
 
 
……という事で、トークショー&アコースティックライブの前、影ナレの紹介を経て「古のコール」をさせていただいた次第です。
 
 
本当にありがたい話でした。
 
 
前述の通り29年前……「椎名へきる」が好きという若者たちが中心になって結成された「紺碧ヒトデの会」
ただ……臆測も入る部分あるけど、当時の運営には我々のような「親衛隊」の流れを汲むような私設応援団体が決して好意的な目で見られていた自信は正直ない。
 
もっとも今なら当時の運営サイドの気持ちも分からないでもない。
当時の椎名へきるを取り巻く環境からすると、妥当な判断だったと思う次第です。
 
デビュー直後こそ「アイドル声優」としての側面が強かった彼女が「紺碧ヒトデの会」が結成された頃には、その路線から脱却しようとするところが節々に垣間見えた。
前述の先輩にあたる私設応援団体の解散の遠因もこの路線変更を受け容れられなかった……と、それとなく聞いた事もある。(実際は分かりませんが)
 
また椎名へきる自身も「アーティスト宣言」をした事で一部のアニメ、声優ファンからバッシングを受けた時期でもある。
 
この発言が彼女自身の意思だったのか、運営の方針だったのか分かりません。
ただ当時の椎名へきるが進もうとしていた方向性は、これまでに一般的に浸透していた「アイドル声優」のような位置づけではなかった事も、年2回のライブツアーの存在を通じてひしひしと伝わってきた。

実際、本職のアイドルにとっても「冬の時代」と言われていたような時代。

「アイドル」という肩書きに囚われたくなかった気持ちも、また「声優」という範疇にも収まりたくなかったという……当時の椎名へきるを取り巻く環境は物語っていた。そう思う。

 

※【8/20追記】他のファンの方から指摘を受けましたが「アーティスト宣言」については、椎名へきる自身、後年、雑誌のインタビューの中で発言していないと言及。「メディアへの肩書としてレコード会社がアーティストと表記したが、それが原因の一つじゃないだろうか」と語っているとの事です。

当時の彼女を取り巻く環境を現す表現として本文には残しますが、椎名へきる自身は発言していない点については追記させていただきます。

 

それを踏まえると、当時の運営サイドが求めたファン層に、我々私設応援団体の存在は合致しなかったのではないかと思う。
 
そのような状況の中、前口上の文化も「古のコール」もやがて廃れた。
少なくとも97年……もっとも遅い時期で98年頃までは実施していたが、これも当時の私設応援団体同士の申し合わせでしなくなったと記憶している。
ただこれについても当時は残念という感情よりは、当時の私設応援団体に置かれた状況からすると、悪い意味で目立つのを躊躇われた時期であり仕方ないという感情の方が強かったように思います。
 
 
……時を経て。
 
あの場でさせてもらった「古のコール」
ライブの前に士気を上げるなら、これしかないというコールでした。
 
当会が結成されてから間もない頃、当時は入場前の会場でどこかしこでこのコールを連発していた。
その際、当時の先輩の団体からは乱発せず、ここぞという時に使って欲しいとたしなめられたのをそれとなく覚えている。
 
……このコールこそ、自分たちより前に結成された先輩の私設応援団体から受け継いだレガシーの一つだった。
 
それを今、長い時を経て……解き放つ事となりました。
 
あの時、自分が20数年ぶりに発した「古のコール」は、僭越ながら椎名へきるを支えた全ての私設応援団体の想いを一身に背負って発したつもりです。
 
 
……幸いにも、この「古のコール」については、このブログを掲載した今日まで、好意的な声を多くいただいております。
ただ中にはかつての我々の存在を含めて、評価できない方もいたかも知れません。
もしそのような方がいたとしたら、今回の件、ご容赦いただきたい。
 
ただ……それでもあの場でこのような機会をいただいた事は感謝に耐えません。
 
 
今回、展示を含め、現在の運営サイドの関係者の皆様には好意的に接していただいた事、そしてこのような機会を与えてくれた事に感謝しかありません。

 
でもこのような機会に長い年月を経て我々が立ち会えたのは、自分が一線を離れた後も椎名へきるを支えた多くのファンの存在と、そしてそれに支えられて活動を今日まで続けてきた椎名へきるの存在があったからだと思います。
 
 
自分が椎名へきるのファンを第一線で活躍していた時期より、もうそうでない時期の方がかなり長くなりました。
 
前述の記憶通りなら2003年以降はライブには一度も足を運んでおりません。
昨年発売された「HARMONY STAR」で実に20数年ぶりに、椎名へきるのCDを購入したレベルです。
 
それでもレーベル移籍の報せや、舞台出演、アニメ出演の話も耳にするたび「椎名へきるは。今でも頑張っている」と思う事がたびたびありました。
 
でもその「今でも頑張っている」を、遠くに離れたかつてのファンたちにも届くくらいに長い間続けてくれたからこそ、我々もこの日を迎えられたと思っています。
 
 
いつか忘れましたが、椎名へきるがラジオ、もしくは雑誌のインタビュー上で「私は今、応援してくれているファンたちの青春の真っただ中にいる。そのためにも活動を頑張らないといけない」という趣旨の発言をしていたのを記憶しています。
 
その発言を彼女は今でもしっかり守っていると思います。
 
それが本当に嬉しかったです。
 
 
20数年ぶりに直に拝見する椎名へきるは、歳を経てもきれいなままでした。
 
木根尚登とのトークコーナーも、またその後のアコースティックライブも楽しみました。
過去のライブ上映とは違い、過去の思い出に頼らずとも、今の自分が目の前にいる椎名へきるを心の底から堪能していました。
 
20数年の時を超え、新たな椎名へきるの思い出を刻む事が出来ました。
 
 
もっともその翌日(最終日)も大役再び……になるとは思いませんでしたが。
 
出勤前につきトークコーナーだけ拝見しましたが、ゲストの富永みーなに名指しで御礼言われたのは、恐らく一生モノの自慢になりそうです。
そして自分が椎名へきるにハマるキッカケになったラジオ番組……「SOMETHING DREAMS マルチメディアカウントダウン」の限定復活は本当に素敵な企画でした。
 
 
思った以上に長々と語りました。

そして会を結成した当時からすると想像できない事ばかり、この二日間、自分の身に降りかかりました。
 
ただこうして自分が椎名へきるのファンの第一線を退いてから、ここまでしっかり当時の自分を交えながら振り返る機会もここまでありませんでした。
 
でも恐らくここを逃すと、もうきちんと当時の自分を、そして「紺碧ヒトデの会」そのものを振り返る機会がないと思ったのも確かです。
 
 
「紺碧ヒトデの会」は来年で結成30周年を迎えます。
 
そして現在も年に数回、会員たちが会っています。
しかし全盛期は100人を超える会員がいたものの、今でも連絡が取れるのは10数名。
 
結成当時と比べて格段に連絡手段は発達したのに、かつての仲間たちの多くの音信が分からなくなりました。
 
だけど今回の「HEKIRU MAX!! 2025」を通じて久々の再会もありました。
来年までに一人でも多くのかつての仲間と再び会える事を願っています。
 
 
最後になりますが……
 
かつて我々と共に同じ時間を駆け抜けた仲間たち
 
色々あったけど、椎名へきるを共に応援した私設応援団体の同志たち
 
そして椎名へきる及び関係者各位
 
関わった全ての皆様に感謝してこの長文を締めたいと思います。
 
 
あの日の自分と出会ってくれて、本当にありがとうございました。
 

 

「Want you!」

 

※追伸。

自分の中でもかなり昔の出来事を振り返っているので、誤ったり、抜けている記憶や記述も多々ある可能性もあります。

その点を踏まえて、本文を読んでいただけたなら幸いです。

 

※更に追伸。

「紺碧ヒトデの会」に在籍した事のある皆様、もしくは近親者や友人の方、また在籍はしていないけど我々と親しかった方の連絡をお待ちしています。

【レポート】鈴音ひとみBirthdayワンマンライブ2025 ~Without the sky~@渋谷音楽堂
 
誕生日。
それは一年に一度訪れる、自分が生まれた記念日。
 
恐らく大多数の方にとっては、そのような認識で間違いないだろう。
そして関係する人にとっては、その人が生まれた事を祝う一日であるだろう。
 
自分自身、そして周囲の人も幸せになるためにある。それが誕生日というものだと認識している。
(例外はあるだろうけど、本筋とは関係ないので割愛)
 
2025年6月6日
 
この日も一人のアイドル……いや「シンガーソングライターアイドル」がその記念すべき特別な日を迎えた。
 
彼女の名前は鈴音ひとみ。
当方のレポートを頻繁に読んでいる方からするとお馴染みの存在かも知れないが、自身で楽曲作成を行いながら活動している千葉……いや南関東を代表するアイドルと言って過言ではない。
 
そんな彼女のバースデーライブだが(少なくとも自分が参加し始めた2017年以降は)毎年会場も違えば(例外は2018年、2019年の渋谷WOMBくらい)コンセプトは毎回のように違う。
ただ基本的には昼夜開催時は昼主催、夜ワンマンが基本で、昼、もしくは夜のみの場合はワンマンライブを敢行する事が多い。
 
本年は2023年以来のバンドワンマン一本に絞っての開催、そして2022年以来の誕生日当日開催となった。
 
会場は初となる渋谷音楽堂。
本年に出来たばかりの新しいライブハウスで、鈴音ひとみの新たな歴史が刻まれようとしていた……。
 
……という事で、今回は鈴音ひとみご本人直々の宿題(笑)「鈴音ひとみBirthdayワンマンライブ2025 ~Without the sky~」の様子をレポートいたします。
 
●開演前
 
個人的に渋谷音楽堂に訪れるのは3回目である。
前2回については(別レポートやXのツイートでお馴染み)燃えこれ学園の関係であるが、その2回でこの会場の特徴みたいなのは個人的につかんでいたつもりである。
 
そんな事を思い出しながら、会場に到着したのは18時少し過ぎた時間。


開場が17:45なので入場列がはけていないのでは……と思っていたが会場前はすっきりしており、入口に備付られたフラワースタンドも誰に気遣うでもなく撮影できた。



 

平日夕方だし、まだ人が集まっていないのかな……そんな事思い、階段を下り受付の前まで来た。

 

おや?
会場から何か列が伸びているぞ?
もしや……と思い会場の中を覗いた。
 
そこには……既に物販に並ぶ長い列が出来ていた。
 
前言撤回。
会場の中は既に多くの人で賑わっていた。
さながら会場を見渡すと、いつも鈴音ひとみの会場で見かける皆さん(いわゆるUHHDと言われる固定ファン)や、その他のアイドルの推しだがよく会場で見かける方(あと当方ならば同じ主現場の広報委員なども含む)、中には結構お久しぶりな方もいた。
そして現役のアイドルなり、共演者も見かけたのだが……具体的な名前を挙げるのはここでは避けよう。
 
この光景を一言でまとめると、鈴音ひとみに関わった方の大同窓会だろうか。
もちろんこれは常日頃見られる光景ではなく、一年に一度の鈴音ひとみの誕生日で尚且つ彼女が長く活動を続けたからこそ見れる景色だと感じた。
 
そんな光景の中、物販の列に並んでいるのだがこれが思ったよりも長く……。

チェキ券購入後、本人と撮影もサインはライブ後の特典会という対応になった。
自分がチェキ撮影した時間で18:45頃。開演15分前である事を考えると致し方ないのだが、それだけ多くの方が列を形成していた証でもあった。

※公演前特典会で撮影したチェキ。サインは終演後特典会で書いてもらった。


チェキを撮り終えて会場をふと見渡すと、既に人で会場が溢れかえっていた。
多少、後方に余裕はあったかも知れないが、平日19時前と考えれば大入りも大入りで、恐らくこの後、時間が経てば遅れてきた方も現れ会場が満員になる事は容易に想像できた。

 

※開演前おおよそ10分くらい前。結構後から撮ったのだが、結構な人数であると分かる。
 
こうして徐々に上がる会場の人口密度、熱気……そして開演時刻を迎え……。
 
耳なじみのある鈴音ひとみのOPSEが会場に響く。
昨年と同じメンバーが勢ぞろいしたバンドメンバーが先に登場し、チェキの撮影時と同様、グレイを基調とした衣装に身を包んだ鈴音ひとみが大歓声の中、登場……2025年度のバースデーライブの幕が上がった!
 
●本編
 
ステージに現れた鈴音ひとみ。
彼女のイメージカラーであるミントグリーンをあしらったエレキギターを手にして、アカペラで歌い始めたのは……「マイ☆ヒーロー」
静かに、しかし一つ一つの言葉を丁寧に歌い始める鈴音ひとみ。
そして1フレーズをアカペラで歌い上げたところでバンドメンバーの演奏が加わり、一気にステージの上、そして会場の中を彩っていく。
 
何かが一気に弾けるような。
例えるなら風船とか、爆弾とかが爆発する……そんな感覚。
 
初っ端の「マイ☆ヒーロー」で大いに盛り上がったところで「DAY×DAY」、そして「世界イチHAPPY BIRTHDAY!!」と続いていく。
明るくも楽しそうな鈴音ひとみの姿がとても印象的である。
特に3曲目「世界イチHAPPY BIRTHDAY!!」は、この日の主役はまさに自分!と言わんばかりの表情が印象的だった。
そう思った矢先、4曲目「≒Answer」で一気にロック調が強い楽曲に転換する。
この矢継ぎ早とも言える表情の変化も鈴音ひとみならではの特徴と言ったところか。
 
こうして冒頭4曲を終えたタイミングで、ようやくMC。
ここでの客層とのやり取りでは、普段のライブでも垣間見せるような鈴音ひとみの親しみやすい表情が見て取れる。
 
しかしバースデーライブはまだ序盤。
昨年のバースデーライブで初披露、ここ一年で鈴音ひとみを代表する一曲となった5曲目「シューティングスター」から再び怒涛のライブが展開される。
そして勢いそのままに、これまた鈴音ひとみの中でも一、二を争う人気曲6曲目「Sinfonia」と続く。
普段の対バンならトリでもおかしくないのだが、そんな事お構いなしに人気曲を出し惜しみなく鈴音ひとみは歌い続ける。
 
7曲目「光ある場所」までアップテンポの楽曲が続いたと思ったら、8曲目「アメ×コイ。」で雰囲気がガラリと変わる。
それまで盛り上がっていた会場内の客層も腰を下ろす。
ステージの中央、まるで雨が降っている中にたたずむように傘をさしながら歌う、鈴音ひとみの姿に会場中の視線が集中する。
 
セットリストの緩急のつけ方も彼女ならではである。
裏を返せば、それだけ多くの種類の楽曲を揃え、それを歌いこなせる技量があるからこそできる芸当である。
楽曲の最後でもうずくまる演技をしたのだが、こういう表現力も近年舞台に出演する事によって向上した演技力の賜物かも知れない……。
 
「アメ×コイ。」の流れから、9曲目「大丈夫。」へと続く。
記憶が確かならここはギターを弾きながら歌っていたと記憶している。
冒頭でも少し触れたが、この日ステージの上にあったのは、ミントグリーンのエレキギター。
コロナ禍を前後して彼女がギターを弾き始めるようになったが、これまではアコースティックギターだったのだが……。
一般的にアコースティックギターの方が難しいとは言われるが……それでもエレキギターも弾けるようになっているところに、歌い手としての成長、向上心を感じた。
聴かせる楽曲が続いた後、10曲目「キミの太陽になりたい」になると、再び会場はオールスタンディングに近い状況となり、熱を取り戻すように活気づくのだった。
 
「キミの太陽になりたい」を歌い終えるタイミングで、鈴音ひとみが一度、ステージの袖にはける。
ステージの上には残されたバンドメンバー。
そしてバンドメンバーの口から、信じられない言葉が発せられた。
 
「ここは皆さんが歌ってください」
 
え!?
 
戸惑いを隠せない会場のフロアをよそに、ステージの上のバンドメンバーは「風のシンフォニー」の演奏を開始。
歌ってくださいと言われても……意外とヲタあるあるで、一曲一曲の歌詞って実はそんなに出てこないもので、サビ以外は歌詞が怪しかった(笑)
それでもUHHD(鈴音ひとみファン)の皆様はきちんとサビのところの振り付けを完璧にこなしたりしていたおかげで、まぁ歌って欲しいという鈴音ひとみの狙いは外れた(?)にしても……間はもたせられたかと(笑)
それに歌えなかったとしても、バンドマンが演奏するBGMと思えばそれはそれで良かったと思う次第。
こうして一部客層の困惑をよそに(笑)「風のシンフォニー」演奏タイムは終了した。
 
ここでお色直しを終えた鈴音ひとみがステージに戻ってくる。
バンドメンバーの紹介を経て、ここで新曲発表となる!
前もって音源をX上などで紹介していた「SUKIDA!!」をステージ上で初披露……となるのだが、なんとMV撮影も兼ねるとの事!
初披露でMV撮影とは……斬新なアイディアだが、この斬新さこそが鈴音ひとみが長年続けていけている秘訣でもあるのかと内心思った。
この際、前もって入場時に配布されていたサイリウムやうちわを利用する事で会場を、彼女のイメージカラー、ミントグリーンに染め上げる事が出来た。
こうしてミントグリーンの海を背景に「SUKIDA!!」はMV撮影と共にその初めての披露を終えた。
 
続いて歌ったのは、鈴音ひとみ夏の定番曲「スキスキ♡SUMMER!!」
夏が大好きすぎる彼女が作った一曲であり、この楽曲を聴くといよいよ夏の訪れも近い……と感じる(かもしれない)
いつも熱く、明るく盛り上がる同曲だが……ほぼ歌い終えたタイミングで、フロア後方から突如、客層の頭上を……ゴムボートが突き進んでいた!
当初、何のことか分からない客層だったが、鈴音ひとみがやりたい事として……
 
ミントグリーンの海をボートで渡る!
 
……あぁ某有名仮面なアイドルさんとかで聞いた事ある演出(笑)
ステージ上手側に待機したゴムボートに鈴音ひとみが乗る。
そして鈴音ひとみを乗せたゴムボートは客層とミントグリーンのサイリウムで光る「海」の間を縫うように進む。
フロアの客層の頭上を、ゴムボートにしっかり掴まりながらも、その光景を見て手を振る鈴音ひとみの姿はこの日一番の笑みをたたえていた。

 

※なおこの「スキスキ♡SUMMER!!」のみ、全ての客層撮影可なので何枚か撮影。写真が下手で申し訳ないが鈴音ひとみはこんな感じでフロアを「航海」したのである。


そして満足そうにステージに戻った鈴音ひとみ、最後は……バズーカ砲型のクラッカーを発射して終えるという、まさに誕生日ならではのワガママを思う存分にやっていた(笑)
 
こうして自身がやりたかった演出をやりきった鈴音ひとみだったが、このタイミングで残り2曲と宣言!
 
実はもう終盤も終盤だった。
そのラスト2曲の先に歌ったのは「絆」
長年、鈴音ひとみによって大切に歌い続けてきた一曲。
前述のようにこの日は多くの客層が来ていたが、それぞれの客層が、これまでの鈴音ひとみとの「絆」を紡いでここに集まった事を考えると、非常に感慨深い一曲であった。
そしてラストに歌ったのは「OVER THE RAINBOW」
そう言えば、先ほどのゴムボートにも「虹」がデザインされていたな……と思い出したのは余談。
この楽曲も「絆」同様、長い間、鈴音ひとみに歌い継がれた一曲。
ミントグリーン以外にも、様々な色のサイリウムが光り、今度は会場を虹色に染め上げた。
 
感動的な光景が広がったフロアの中、鈴音ひとみは挨拶を終え、バンドメンバーと共にステージの袖にはけていった……。
 
こうして鈴音ひとみのバースデーライブは終わる……はずがなかった(笑)
 
最前列を陣取るファンの掛け声の後、会場中に響き渡る「アンコール」の掛け声!
瞬く間に会場中に広がり「アンコール」の大合唱となった。
途中「ひとにゃん」コールや「ひとみ」コールに変わったり……。
結構、長時間コールしていたような気がする(笑)
 
ちょっとそろそろコール疲れてきた……いや確実に疲れたよな!?ってタイミングで、今度は白を基調とした衣装に着替えた鈴音ひとみが登場。
バンドメンバーたちもそれぞれTシャツに衣替えしている。
アンコールでの「ひとみ」コールにツッコみを入れつつも嬉しそうにアンコールに感謝を述べる、鈴音ひとみ。
 
そんな彼女がアンコールでまず歌ったのは……。
 
●アンコール
 
「夢の続き」
 
この楽曲が出来た背景は今でも彼女自身が語っているので覚えている。
あの前向きな鈴音ひとみでさえ、歩みを止めかけたコロナ禍の日々……。
それさえも乗り越えて出来たのが同曲だが、それからもう4年近い月日が経った事を思うと、今、こうして当たり前のように彼女の事を目の前でお祝い出来る日がある事を心から感謝したいと思う。
 
続いて歌ったのは「Brand new DAY」
現在、放送中の自身のラジオ冠番組「鈴音ひとみの にゃんとも!いい日だっ!」の主題歌でもある同曲。
この楽曲はファンからいただいたある言葉から着想を得て出来た一曲であり、昨年のバースデーライブでお披露目された。
鈴音ひとみ自身の持つ内に秘めた輝きが、力強い歌詞と軽快かつ疾走感のあるロック調の楽曲と合わさって会場内を駆け抜けた。
恐らくここ一年で鈴音ひとみのファンになった人は、この楽曲が好きという方も多いのではないかと思う。
(なおこの日は「ライブハウスデビュー割」というチケットもあり、実際多くの方がこのチケットで駆け付けていた。まだまだファンの広がりが見込めそうなところに凄さを感じる)
 
そしてアンコールの最後の最後に歌ったのは「各駅停車」
鈴音ひとみの地元・千葉を通る総武線を自身になぞらえて作った一曲(なおこの楽曲とは別に「総武線」という楽曲があるが、それとは別物)
まさに鈴音ひとみの原点、根幹をなすと言っていいほど大切な楽曲。
個人的に自分も千葉県出身者というのもあるけど、この楽曲に対する思い入れは強い方で、この楽曲がラストに来てくれて嬉しかった。
彼女の歩みそのもののようで、だけどこれからも少しずつだけど、まだまだ先に進みたいという彼女の想いが込められているようで……。
 
最後は言葉にならなかった。
(レポートでこの類の言葉はいけないんだけど)
 
全ての楽曲を歌い終え、そして挨拶を終え、バンドメンバーが先にはける中、最後までステージの上からフロアに向かって手を振り続けた鈴音ひとみ。
最後は客層からの「ひっとにゃ~ん!」の大きなコールを受けて、ステージの上を名残惜しそうに去っていった。
 
こうして2025年度の鈴音ひとみのバースデーライブは、無事に幕を閉じた。
 
 
【セットリスト】
1.マイ☆ヒーロー
2.DAY×DAY
3.世界イチHAPPY BIRTHDAY!!
4.≠Answer
5.シューティングスター
6.Sinfonia 
7.光ある場所
8.アメ×コイ。
9.大丈夫。
10.キミの太陽になりたい
 
(お色直し:風のシンフォニー)
 
11.SUKIDA!!
12.スキスキ♡SUMMER!!
13.絆
14.OVER THE RAINBOW
 
~アンコール~
 
15.夢の続き
16.Brand new DAY
17.各駅停車
 
 
●総括
 
これが2025年度版、鈴音ひとみの完成形だ!
 
……と言ったら大げさかも知れませんが(笑)
冒頭でも言っているように鈴音ひとみのバースデーライブは毎年コンセプトだったり、見せ方だったり変えてくるので、これと言った定型が無いと思っている。
 
ここ数年こそバンドスタイルの方向性に目覚めつつあるも、その魅せ方は年々変化、進化を見せている。
純粋なバンドスタイルでの質という点にこだわるのであれば、本年度の方が着実に進化はしていると思う。
 
しかし昨年は日曜日の夕方からたっぷり時間を取っていたのに対し、今年は誕生日当日とは言え平日19時から。
どうしても楽曲の数がここ数年と比べても少なくなってしまうという、時間的な制約はあった点は否めない。
現に昨年はアンコール含め20曲に対し、今年は17曲と減少している。
恐らく鈴音ひとみ自身も泣く泣くセットリストから外した楽曲も何曲かあったに違いない。
(個人的には「Peach」「恋のにゃんばとる☆」あたりがセトリ外だったのは、やや残念)
 
それ故に本年は「質」そのものに焦点を当てて魅せてきたという印象はあったし、実際、鈴音ひとみ自身の進化も見て取れる内容だった。
特に分かりやすかったのはエレキギターを途中演奏している点であり、彼女自身、新たな事に挑戦する姿勢もよくわかる内容だった。
前述した「ライブハウスデビュー割」の客層にアピールする意味でも、また既存の客層なり、久々に見てくれた方にも満足いただけるように努力したという跡は誰もが見てわかる内容だった。
 
ここから先は個人的な感想も若干混じるが……。
2017年度以来、彼女のバースデーライブを拝見するのは(コロナ禍で配信になった2020年度含め)これで9回目だが、どれ一つとっても同じものだった印象は無い。
2018年度、2019年度の二年間だけが会場も同じで昼主催、夕方ワンマンの体系だったので、強いて「似ている」バースデーライブがあったとすればこの二年くらいだろうか。
恐らくここでバースデーライブの「型」を作って当てはめて、完成形に持っていく事も出来ただろう。
だが結果的にそこに当てはまらず、毎年、多少なりともスタイルを変えて、新たな試みや挑戦を続けている事も彼女のすごいところだと言える。
 
ひとえにこれは鈴音ひとみが現在、外部の干渉を受けづらいフリーランス故に出来る事でもあるのだが……。
彼女ほどのキャリアも、そして実績も有り、ファンの数もいるアイドル、アーティストが常に試行錯誤を繰り返し歩みを止めない姿は、一種驚異的な事でもある。
長年応援していても一切飽きる事なく純粋に応援を続けられるし、また新たなファン層の獲得にも余念がない。
 
常に何かをアップデートし続ける。当たり前のようだが、当たり前でない。
それが出来ているから鈴音ひとみは長年歌い手として生き残っているし、そしてこれからも本人が望むなら活動を続けられるだろうと確信に似たものさえ感じる事が出来る。
 
そんな彼女を長年見てきたからこそ……今年も特典会で、バースデーライブのレポートを書く事を「宿題」として課されたのだが(汗)
しかし学生時代のそれと違って、このような「宿題」を課される事自体嬉しくもあり、名誉である。
 
裏を返せば彼女がそれだけ長年付き合いのあった客層を大切にして、そしてその意見を拾い上げている事の証でもある。
そして自分自身、こうしてセットリストを眺めながら、記憶を手繰り寄せ思い出して文章にする事で当日の熱気、興奮、そして楽しさが思い出せるので、実は有難い部分はあるのかも知れない。
(まぁ文章を書く苦労はあるけれど)
 
個人的にライブレポートをこのように長文で書く機会は、以前と比べて減っている(Xでの連投が中心になっている)が、今後も無理のない範囲で続けたいし、鈴音ひとみ(及びUHHDの皆様)には求められる限り続けられればと思う。
 
総括後半は私事が中心になってしまったが、これだけ長いレポートを書けるくらいには、当日受けた情熱というのが沸々と残っていたのは確かだろう。
そしてまた来年以降も、このようなちょっと長いレポートを書けるくらい、鈴音ひとみの活躍を楽しみにしたいと思う。
 
最後に鈴音ひとみ……いや、ひとにゃん……
 
お誕生日おめでとう!……ございました(汗)
 
以上「鈴音ひとみBirthdayワンマンライブ2025 ~Without the sky~」のレポートを〆させていただきます!

 

※終演後特典会での一枚。この日の思い出と共に……。

 

追伸。
それでもところどころ記憶が怪しいところはあったりするので、レポート採点は多少甘いと嬉しいです(汗)