0458、【天才児と】よく聞かれること「あなたはどうやって賢くなったの?」【才能の話】 | ひたすら楽して日本国民2

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いい世来いよと人の云う
お前のことが好きだった

はじめに。

 

この文章はいわゆる「天才児」として生を受けた僕が、

育児や子育ての悩みに際して「賢い子」とはどこまで賢いのかを理解してもらうために、

無駄と承知であえて書く駄文である。

 

4歳当時の僕は、今の僕よりも賢かった。

信じてくれなくていいが、そういうものだと覚えておいてくれ

 

 

 

 

 

僕のブログをていねいに読んでくれてる人なんかいるわけないと思うけど、

僕はしつこいくらいに但し書きを重ねるクセがある。

 

これは東大卒だの医者だの早慶卒だのという、

いわゆる高学歴層にもみられる傾向なんだけど、

「正直に言うと自慢しているようにしか聞こえない側」に共通する生態だ。

 

東大卒の大半は自己紹介をするとき「一応」東大卒ですと言うはずだ。

なぜ誰もが「一応」をつけるようになるのか?

 

スポーツだったら記録として客観的に認定されるし、

筋肉なり技能なりという「バカでも目で見えて手で触れる形」で証明可能だけど、

学力や知力って目に見えないし手でも触れないからな。

 

そもそも東大卒つっても理論物理学者と国文学者では全く別の人間だし、

専門の話題をしたってお互いにド素人だろうよ。

これは同じ理系でも生物系と工業系で話が合わないのと同じ現象だといえる。

 

知性っつーものは一定の方向へ専門分化するほどに、

それが正しいものなのかを判別することがどんどん難しくなっていく。

だから専門化・細分化しすぎた先にいる人間ほど、自分の正しさをわかってもらえなくなる。

 

学者や専門家、ないし専攻した人間ならド常識レベルの話であっても、

世間様にとっては全く理解に苦しむトンチンカンな非常識であることなんて、

高卒にすぎない僕ですらワンサカ知っている。

 

かくして「僕ら」は・・・

 

誰でも知ってるであろう例として

コロナの話をするけれど。

 

 

 

 

コロナなんかマスクしたって防げないしワクチンは感染防止策じゃないから、

感染拡大が嫌なら自粛したうえでうがい手洗いを徹底しろ、とすぐに理解ができる。

酒も旅行もセックスもやっていいんだ、要するにバカ騒ぎさえしなければ。

 

僕の父親は免疫やワクチンの専門家(職業上はガンの医者)だから、

そんなことくらい我が家の連中はみんな把握できていた。

ちなみにそれもウソだ、親父より僕のほうがアタマいいからな。

 

でもそれが科学的に正しいことを証明可能であっても、

「僕ら」にしか理解ができない。

「お前ら(僕ら以外のこと)」には

何をどう伝えても理解ができない。

 

というよりも、

「バカ騒ぎをしなけりゃいい、程度の問題だ」ということが伝わったとしても、

「お前ら」には「程度の問題」を正しく処理する能力がない。

 

ベラベラ喋らないで静かに酒を飲め。

カラオケを歌ってもいいが熱唱や絶叫をするな。

不特定多数が触れるものに触れたらすぐ手を洗え、衣類も洗濯しろ。

 

しょせんコロナウイルスなんか水洗いで99.9%以上流れていく、

ごくごく微細な存在でしかないのだから、

軽くシャワーを浴びて手洗いうがいをするだけでも予防効果は十分だ。

 

あとはコロナを拾ってバラまくような底辺DQNと同じ場所に行かなければそれでいい。

酒や歌のようなコンテンツに触れるための盛り場は、

そういう自制心のないアホどもが集う場所だから、行くべきじゃない

 

・・・・・・だなんて、医者や政治家が堂々と喋れるわけないだろ?

たとえそれが最もわかりやすい表現であり、

科学的事実(品性が保たれていた満員電車でクラスターは不発)に即した発言であったとしても。

 

麻生太郎が2020年早々に「民度の問題だ」といっていたけど、

まさに民度の問題なんだよ、これ。

 

最初の頃は外国人と帰国者がコロナを広めていたことが統計調査で判明してたけど、

すぐに感染者の国籍を隠すようになったからな。

 

大半の日本人は海外旅行を嫌うorしないことで有名だが、

つまり旅行好き層は相対的に、衛生問題に対して無頓着な人が多い。

外国人は日本人よりも衛生意識が低いので有名だ(ゴミの分別すらできない)。

 

だから旅行がダメだという認識にされてしまったが、

能登半島地震での被害を受けた高級旅館の加賀屋を筆頭に、

高級宿泊施設でコロナクラスターが発生したという話は聞かない。

 

カラオケボックスやホストクラブやキャバクラ、あるいはライブハウスなど、

底辺やパヨクが集まる場所では真っ先にコロナクラスターが発生したけど、

つまりはそういうことなんだよな。

 

「程度の問題」というのは、バカ騒ぎしない、酒に飲まれない、

その程度の品性や節度を保てるかどうかって話でしかない。

だから国会議員で最初にコロナを拾って死んだバカは立憲民主党のパヨクだった。

 

「僕ら」は「程度の問題」を適切に処理できる。

「お前ら」は「程度の問題」を適切に処理できない。

 

だから僕は基礎疾患(ストレス性の糖尿病)を持っているし、

まさにコロナ初期の2020年春に昏倒寸前の血糖値で入院したくらいだけど、

ノーマスクノーワクチンのまま、ノーコロナでピンピンしている

 

バカが行く場所に行かない、人込み自体を避ける、

うがい手洗いをする、不要不急の外出を自粛する、

これさえ徹底していれば、原理上コロナなんか拾わない。

 

人が多い場所に行かなきゃいけない、長時間いなきゃいけない、

そういう人がコロナを拾うのは運ゲーだから仕方ないけど、

それを避けられた人はもっと大勢いたはずなんだよ。

 

しかも日本人の99%以上がマスクをしていたはずなのに、1億2000万人の日本人に対してコロナが累計で3300万人以上もいる。「マスクじゃコロナは防げない」っていう最大の証拠がそこにある

 

 

 

 

・・・と、少なくとも僕は2020年の頃からずっと主張してきたんだけどな?

 

「僕ら」側のヤツには2020年夏の頃に全国行脚してあれこれ教えてきたから、

「僕ら」側で人混みに出る仕事をやってる奴以外は誰もコロナを拾わなかった。

 

日本全国みんながマスクキチガイになってる中、

「先生」「恩師」と呼ばれる側だった僕がノーマスクでやってきて、

まあみんなすげーツラしてたよw

 

逆に糖尿病で倒れたばかりの僕がノーマスクで出歩いて無事だという事実以上に、

客観的な証拠はないわけだからね。

そこまで感染力と殺傷力が高かったら最初に死ぬのは医者に決まってんだろと。

 

 

 

 

 

とまあ前置きで原稿用紙6枚ぶんくらい使ったけど、

大事なことだから確認しておくのさ。

 

僕はなんか間違ったこと言ったかね?

 

こんなもん科学どころか論理の問題でしかないし、

既にマスクもワクチンも飽きた今の「お前ら」なら冷静に理解できるだろうけど。

 

「お前ら」が集団パニックを起こしている中でも、

「僕ら」は社会的責任を強いられない身内にだけは、

マスクもワクチンも要らんと教えてきたよ。

 

「僕ら」の

目に見えず手で触れない知性

信じてくれる相手には、

真実と事実を伝えてきたつもりだよ。

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・この時点でお察しいただきたいし、

こんな前置きを書く前にわかってほしいことだから、

無駄と承知であえて文章にするんだけどさ。

 

 

 

 

 

 

 

賢明なる読者諸君には今更なことだろうが・・・

 

「僕ら」、

受験社会の最上位を才能だけで駆け抜けるような人種にとって、

賢さとは外に求めるもんじゃないからな。

 

他人から学ぶ時点で非効率的だ。

もっと正直に言うなら、

自分より無学な相手(おや)から

何かを学ぶべき道理がどこにある?

 

 

 

 

 

そんなにコロナの感染力が高いなら最初に医者と看護師が全滅するはずだし、

満員電車クラスターで全員やられてるはずでしょ?

 

つまり感染者がどれだけ多かろうと、

感染力自体はショボいし、並みの努力をすれば十分防げる。

だから日本人の8割くらいはコロナにかかっていない。

 

こんなもんブログ記事数行ぶんの理屈で理解できるのだから、

想像力さえあれば学力すら必要がない話だ。

 

そして「僕ら」の知性に共通する技能として、

想像力に優れるタイプの人が多い、ってことだな。

 

 

 

 

満員電車クラスターって言われたら、

脳が無意識に満員電車を想像し、乗車率200%な錦糸町両国間、

ないしそれに類する満員電車の映像を想像するわけだ。

 

まあ錦糸町両国間の乗車率が日本全国でワーストの混雑ぶりだと、

それを知っている必要は全くないのだけれど。

 

あれだけ密集していて咳払いをする人もある程度いるだろう空間で、

しかしコロナクラスターが起きないということは、

バカ騒ぎせず体調管理をすれば済むのだろうと、そこまで勝手に想像ができる。

 

ではなぜ想像できたのかというと、

「病原菌やウイルスが感染する」という物理的現象を、

病原菌やウイルスという物体を具体的に把握したうえで想像できるから。

 

「僕ら」は表面張力なり毛細管現象なりと呼ばれる、

「ミクロの世界特有の面白現象」を知っているから、

ごく小さなモノの世界では日常レベルでの常識が通じないことを知っている。

 

手を洗っても泥汚れは落ちないように見えるけど、

目に見えないほど小さなモノは、

水分子のもつ引っ張る力各種(!)で普通に流されてしまう。

 

だから最低限度水で手洗いするだけでも十分違う。

 

「僕ら」ではなく僕個人の場合はガキのうちに、

短時間シャワー、長時間シャワー、短時間入浴、長時間入浴、

水洗い、せっけん洗い、アルコール清拭などであれこれ比較実験済だけれども。

 

 

 

 

Q:そもそも幼稚園児が極性溶媒と無極性溶媒の区別がついてる時点でおかしくね?

 

A:水洗いで落ちる汚れとせっけん洗いじゃないと落ちない汚れの差を疑問に思えばよくね?

 

 

 

 

・・・・・・これ、純度100%の本心だからな。

 

「僕ら」ってのは生まれつきそういう人種なんだ。

 

極性溶媒(水)と無極性溶媒(油)の違いを科学的に理解できていなくとも、

一定の洗い方をしないと落ちない汚れがあるなら、

片方ないし両方試せばいいのではないかと「自然に理解する」。

 

それ以外の洗浄方法が日常レベルで普及していないなら、

その2つでだいたいなんとかなる、ってことだろ?

 

水洗いと、せっけん洗い。

 

少なくとも僕はこの2つの違いは、

先に感覚的に把握ができていたから、

なぜ石鹸を使うべきなのかって部分がすんなり理解ができた。

 

先に現実として把握できているから、

目に見えない化学現象を想像するコストが大幅に下がる。

 

図鑑を読むための識字だって勝手にやるし、

図鑑や資料集に書いてあることくらいなら勝手に覚えるし、

身近な現象に対する疑問点から逆算して勝手に納得ができた。

 

 

 

何度でも繰り返すが「僕ら」は

他人から教わったことなんか

殆どない。

 

教えてくれと

願ったこともなければ、

教えてほしいと

望んだこともない。

 

知りたいと思ってすらいない

気づけば勝手に納得していたし、

どこでそれを学んだのかなんて

いちいち覚えてすらいない

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・って正直に言っても、まあ理解してくれないんだろうよ。

 

今まで誰からも信じてもらえなかったからね。

自分を産んだ母親でさえ信じてくれなかったし理解もできなかった。

 

自分よりモノを知らない他人から学ぼうとするほどバカではないし、

自分の直感に従ったほうが正解率が高いのだから、

何よりもまず自分をアテにする。

 

つまり他人に依存しない。

 

これはカッコいいことでもなければ思い上がりでもない。

 

自分より打率の高いものがあればそれを信じたいけど、

今まで生きてきて、そんなものが一つもなかっただけのこと。

 

 

 

 

何度だっていうけど、

「僕ら」ほど必死に、

「自分より賢いもの」を求めている人種はおらんのだよ。

 

自分より打率が高いものをアテにしてることにすれば、

井の中の蛙だの傲慢だの世間知らずだのと、

知性に対する度し難い侮辱や誹謗中傷を受けずに済むから。

 

 

 

 

そんなに「僕ら」に向かって

この知性を侮辱したいなら、

「僕ら」が黙っていても

付き従うだけの

知性と器量を示してみせろよ。

 

 

 

 

 

 

そして何よりも誤解されやすいことだが、

「僕ら」は知識的な正誤や論理的な真偽のことに関しては、

容赦なくバカに向かってバカとは言う。

 

だが人格的な問題や精神的な成熟度、

困難や面倒に対処するための人生経験という側面に対して、

年長者や経験者を侮辱したことはただの一度もない。

 

上記の文章でも、

「知らない・わからない・間違えている」に対しては容赦なく評価したが、

人格や器量に対して無能だと言ってはいない。

 

少なくとも「僕ら」には、そんなくだらないことで悩む必要がない。

 

だがそれを悩んでいる「お前ら」には、そこで悩む必要がある。

 

だからそもそも悩めないから対処法を得られない「僕ら」にとって、

そこで悩めて対処法を編み出せるぶんだけ、

「お前ら」のほうが明確に優れている

 

 

 

 

 

「僕ら」は確かに、0か1かを選ぶ領域では優秀かもしれない。

 

だがその事実は「決してバカにはなれない無能」ということでもある。

 

この世の大半は「お前ら」が構成しているのだから、

「バカとして対処し改善する能力」のほうが必要とされている。

 

つまり「僕ら」は無価値だ。

いかに客観的ないし絶対的に優れていて、

人類が目指すべき理想により近い存在であったとしても。

 

だから知識と論理の領域においては正しさ以外価値を持たないと断言しても、

人格や価値観という領域において「お前ら」を侮辱することはない。

 

その程度のことだって知識や論理として、教わらなくても理解ができる。

だから「僕ら」の大半は、子供の頃から礼儀正しい子だと評価されて育つ。

 

礼儀正しくすべきだと思ってそれをやってるんじゃない。

礼儀の必要性や無価値さを理解したうえで、

それが無駄で面倒だと思っても、あえて抱えることに価値を見出せたから。

 

0か1かで判定できない領域においては、

0か1かの判定能力に優れていること自体の価値は小さくなるのだから、

自分の価値は嫌でも矮小化される。

 

なら礼節と呼ばれる防壁でもって、

神ならぬ、そして矮小なるこの身の価値を思い知るまで、

ていねいに自分を保護するほうがいい。

 

 

 

 

 

自分が正誤や真偽の領域において限りなく完璧に近かろうと、

是非や好悪の領域において正しいとは限らない。

 

それくらいのことは、考えれば理解できるし、少し想像すればわかることだ。

 

周囲にいる同世代の子供たちとその保護者たちを見ていれば、

プライドに従順すぎるあまりケンカするのは、

子供、馬鹿、男女の三択だと勝手に察しがつこうもの。

 

自分は馬鹿ではないし子供にも相当しないが、

社会的な分類は子供でしかない。

しかしその知性を適切に評価された場合、決して子供扱いはしてもらえない

 

そうやって実際に、子供扱いしてもらえないまま育ってきたのが「僕ら」だ。

 

・・・無論、「僕ら」に対して大人や親が何を期待しているのかもわかる。

 

それが無茶な要求であるから不快だとも思うが、

その期待や要求が誰のための幸せなのかを思えば、

自分が率先して担うべきだということだって理解ができる。

 

わざわざ親や大人なんかに学ぶ必要はない。

 

賢い子、「僕ら」にはそれができるから、期待をされるのだ。

 

・・・・・・・・・・普通の親は「僕ら」に対して最大限の賛辞を送る。

我が子が「僕ら」側であったのなら最大限その未来のために尽くそうとする。

 

まあ僕は最高に不幸だったから、

実の母親に才能を嫉妬されて凄絶な虐待を食らって、

このとおり人生が台無しになったわけだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上記の文章をすげー簡単に言うとな?

 

親が心配してそうなことって、だいたい勝手に把握してるんだよ、「僕ら」は。

 

でも純粋に生きた時間の総量は子供相応のものでしかないから、

「僕ら」が必要としているようには見えなくても、

子供として子供らしく愛される経験と時間が一番大事なんだよ。

 

 

もしあなたが天才児と相まみえることがあって、

どう接していいかわからないなら、

僕を呼べ。

 

いかに賢くて優秀で礼儀正しい子供であっても、

その子に必要なことは、

子供として無条件に愛される経験なんだよ。

 

それとは別に、知性に見合った客観的評価なんだよ。

 

その匙加減がたぶん「お前ら」にはわからない。

欲してやまなかった「僕ら」なら、少しはマシな匙加減がわかるかもしれない。

 

 

 

僕が(旧mixiから移住した)ブログから引きこもってTwitterにいる理由は、

アメブロの2万文字制限では足りなさすぎて、

じゃあいっそ140字で喋る努力をしてみようと思ったから。

 

このブログが原則的に三行ごとに一行あけてあるのも、

Twitterで140字制限する努力を続けてきた成果だといえるが・・・

 

まあ、ここまで原稿用紙17枚ぶんくらいか?

 

この程度の文字数だと足りなくてストレスを感じるのが「僕ら」だ。

脳ではこの100倍以上考えてるよ。実際に試したことがある。

 

 

 

できることなら、「僕ら」に「お前ら」を理解させようとしないでほしいんだ。

 

「僕ら」はいずれ嫌でも「お前ら」を理解させられるからね。

 

「お前ら(親)」のほうが

努力をして

「僕ら(子)」を

理解しにきてほしい

 

 

 

子供の頃にそう正直に喋ったら、まあブン殴られたよ。

何も間違ったこと言ってねーはずなんだけどな。