0439、現代人は「基準」がバグってる人がとっても多いというお話 | ひたすら楽して日本国民2

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いい世来いよと人の云う
お前のことが好きだった

たとえば(前置き)。

 

あらゆる「能力」を比較していくと個人差がデカいだけである一方で、

体力や生殖機能など、Y染色体の有無で決まる領域は性差が100%だ。

あるいは子供のほうが健康だし元気で、老人のほうが不健康だしくたびれている。

 

そういうものはクソ拭いた紙に満たないポリコレやフェミニズムを除けば、

まあ男のほうが強くて賢いし、若いほうが健康だし元気がいい。

そこが本来の基準であるはずなんだよな、「客観的事実」ないし「現実」。

 

で、そこにおかしな基準を持ち込むバカがいるわけだ。

 

女を性的な目で見て差別するなと。

 

「男から見れば」女は弱いんだから、明確に能力的に劣ってるんだぜ?

明確に劣っているであろう相手を対等に扱えってのは、

子供や老人を元気で若い男と同じ扱いしろってことか?

 

まあ、できるわけがない。

女である時点で絶対的に体力が足りない(30歳の女=60歳の男)んだから、

女を男と対等に扱っていいなら、全ての女は無能にも満たない

 

そうすると今度は産みの苦労がどうのこうのというが、

女が妊娠出産のために離職してる間に家庭や子供を支えられるのは男だけだぜ?

孕ませることができるのも男だけ。

 

それに妊娠出産が「苦労」相当だというならなおさら、

女は無理に働かないほうがいいに決まっている。

 

男が1馬力で働いて養い、女が「大変な」子育てや家事や介護に従事する。

そっちのほうが理想的なんだよ。

だから欧米だって金持ち夫婦は嫁が専業主婦やって子供の送り迎えと躾をやってる

 

なんでこの分担になるかって、男には妊娠ができないからな。

離職の必要が出るのは女なのだから、女が家に入ったほうがいい。

そもそも男に下着を洗濯されたくないと主張するのは女なんだから、そうするしかないだろ?

 

女こそが、自分の行先を「家にこもって仕事以外をやりたい」と言い張ってるのに、

そう扱われたらイヤだと怒鳴る。

挙句本当の意味で男と対等な仕事は絶対にやろうとしない。

 

ドカタもやらない、警備員の旗振りもやらない、3K労働は絶対にやらない。

女に接客業しかやらせないのではなく、

接客担当が男だとヤダと女が文句を言うから、現場に女を配置せざるを得ないだけ

 

汗かいて土埃にまみれて疲れ果てて、弁当と惣菜と酒でごまかして寝るだけ。

女はそんな生活に耐えたがらない。

男だってイヤだけど、女がそういう仕事に就かないことを、なぜか女は批判しない。

 

男は無職と報道するくせに女は家事手伝いと報道する。どっちも同じ無職だろうがと。

 

 

 

 

・・・・という具合に「男と女」を見ても、基準がバグりすぎてるんだよな。

 

ではなぜ基準がバグるのか?

 

 

 

 

ものすごい当たり前なことなんだけど、

他人を殺してはいけない理由ってないんだよな。

 

殺せば犯罪だぞっていうけど、

殺人罪というものがあるけど、

殺してはいけないという強制力そのものはどこにもない。

 

だから本質的に、任意の他人には、いつだって自分を殺す権利がある。

その権利自体を奪うことは誰にもできない

 

僕は子供や女に説教をするときよく言うのだが、

「110番を押しても、警察が来る前に暴力はお前を殺せる」

「剣で書き手ごとヘシ折ればいいのだから、ペンはいつだって剣より弱い」

 

これがリアルであり、ものの根源的な部分なんだよな。

 

感情的になるのも、暴力に訴えるのも、「よくない」のであって「ダメ」なのではない

 

誰にだって感情はあるし、それを殺しきると心身を病むだけだ。

 

自分や女・子供・弱者を守るためには暴力だって必要になるし、

たとえ自分が平和を望んでも、争いを望む他人の権利を奪うことは誰にもできない

 

だから暴力は必要だし、感情表現も必要だ。

 

なのに「暴力は絶対ダメなんだ」で止まってしまい、

なぜダメなのか、どのように使ってはいけないのかを教えないし考えない。

だから暴力によって担保されている根源的な安全や信頼の価値がわからない。

 

 

 

 

ヘイトスピーチ?

事実であっても名誉棄損?

 

朝鮮人や韓国人が日本人の弱者・子供・女性を狙って拉致や強姦や殺人に走ってたことは、

記録されていて被害者も実在する、ただの客観的事実だぞ?

 

お前の恋人や娘や孫が、拉致や強姦や殺人に遭ってもいいのか?

 

それこそ差別がダメだというなら、

犯罪の被害者は人権を侵害されて、差別された結果ではないのか?

 

 

 

 

 

不正を憎むべき理由、悪を悪だと糾弾すべき理由なんて、

人類史が何千年、何万年もかけて積み上げてきた、

 

「クソ野郎はどうしても発生するし、どんなことをしても矯正できない」

 

という経験的事実に基づいているだけだからな。

 

理由というより、

理不尽に傷つき死ぬのは嫌だと思う、

人間の生存本能、人権みたいなゴミと違って誰にでもある、命のように大事なものだ。

 

殴るのをやめてと言えばやめてくれるような奴は、最初っから殴ったりしないだろ?

 

僕の実母がそういう人間だったからな。

仮にも自分のハラから出てきた長男が全国1位の学生になったというのに、

なぜ殴る蹴るの暴行に出たのかなんて、僕が一番知りたいよ。

 

そういう悪党、殺す以外に処置がないクズは実在する。

だから暴力は絶対になくすことができないし、

最悪殺せるだけの力がないと、暴力が止まることはない。

 

かつて僕が、100kg以上ある家具すら支えられる床板を拳でブチ抜き、

直後に利き手ではない左の拳で、おもいっきり手加減して、肋骨骨折の一撃をくれてやった。

そしたら母親の暴力は止まった。

 

・・・そうするまで母親は暴力をやめなかった

 

 

 

 

 

 

基準がバグる理由は簡単なんだよ。

 

本当なら殴られて理解すべき「絶対的な理不尽」としての暴力が、

金銭に対する信頼だの国境線だの治安維持だのという、

社会活動の根底を支えるものを証明しているにすぎない。

 

若い美女が裸で歩いているのに誰も手を出さないなんてことが、

現実的に起こるわけがない。

 

価値があるなら、全力で守らなきゃいけない。

 

だからあなたは部屋にカギをかけるし、財布をそこらに置きっぱなしにしないだろ?

 

全ての根底には「誰だって任意の他人を殺すことができる」という、

ごく当たり前な弱肉強食の原理があって、

かつ現代社会には正しくない用途で人を殺すのに適した文明の利器がたくさんある

 

だから他人に不快感を与えると最悪殺されるぞと、

他人がどんなことで不快感を得るのかなんて誰にもわからないぞと、

そういう理由でもって、アレコレ考え始めたほうがいいんだ。

 

本当は、な。

 

でもそれは性悪説に基づく考えであり、いきすぎれば疑心暗鬼を招くだけだ。

特に子供にそんなものを教えたら被害妄想にとりつかれて、

一生マトモに生きていけなくなってしまう。

 

それ以上に、そんな面倒なことをいちいちやってらんない人のほうが圧倒的に多いから、

アタマのいい人たちが必死こいて考えまくって、

散々議論しまくって、その結論として、簡潔に要約するのさ。

 

「法律を守りましょう」

 

でもその結論を聞いただけではなぜ守るべきなのかがわからないし、

なぜ基準や定義や前提条件をお互いに共有するべきなのかなんて誰も教えてくれない。

 

簡単にしないと聞かないくせに、簡単にすると想像しきれずにわからない。

 

 

 

 

 

 

少なくとも僕からは絶対に殴られないネット越しの対話なら、

落ち着いて想像できるんじゃないか?

 

なぜ紙切れをお金として交換してるのか?

相手も同じ価値があるという価値観を共有してるから。

でもあんな紙切れそのものに10000円の価値はない。

 

お互いに10000円札を見たら10000円だと考えて行動するためには、

お互いにそういう価値観や法律に従う必要がある。

 

相手が従ってくれるのが当たり前・・・では、ないよな。

 

オレオレ詐欺、振り込め詐欺、特殊詐欺、まあなんだっていいけど。

10000円の価値を持つ相手を尊重しない悪党は大勢いる。

まあ特殊詐欺の主犯って在日韓国人・在日朝鮮人系ヤクザだらけなんだが。

 

 

 

 

相手が自分と同程度の何かに従ってくれているはずだという感覚は、

あなたがバカな側だから、他人に期待できるんだぜ?

 

だってあなたは、こんな理屈を考えたこともなければ喋れも書けもしないだろ?

 

他人が自分のバカさに配慮してくれるはずだと、

他人に甘えきっているから、

俺の私の感覚にあなたも共感して、俺の私の言うことに賛同してくれるはずだと思える。

 

赤ちゃんがママのおっぱいを、泣けばくれるものだと思ってるのと大差ない。

 

 

 

 

 

現代人の基準がバグる理由は、

自分が何らかのパワーバランスにおける下位側であると、

認めて受け入れて謙虚になろうとできないアホが、ネットのせいで半端な発言力を得たから。

 

テレビや新聞の向こうにいる連中も傲慢で愚劣な無能と悪党ばかりなんだが、

なまじ誰でもお手軽に発信できるようになると、

善良な話題よりも醜悪な話題のほうが目に入りやすくなる。

 

全ての根底には暴力=死の可能性があるからな。

自分を害する可能性が大きいものほど気になる。

 

だから世間が悪党だらけに思えてしまう。

性悪説的に考えるほうが「公的責任を背負う人間としては」正しいせいで、

私人としてさえ性悪説的に、他人を疑うようになってしまう。

 

 

 

 

 

「悪いニュースばかり見ていると気が滅入る」

 

実に簡単なんだよな。

不安感の根底にあるものは暴力による死のリスクであり、自分の命だ。

 

確かに、災害や事故への備えは、死に直結するぶんだけ基準にせざるを得ない。

でも常時そういったものが起きているわけじゃない。

だから本当はもっと油断したっていい。

 

でももし油断してもいいと公言してる奴がいたら、

事故が起きたときの責任問題にされてしまう。

油断をしたのは油断した本人・個人・当事者だけのはずなんだけど。

 

 

 

 

他人(じぶんをころしうるそんざい)と関わる限り、基準は絶対にバグるのさ。