予想よりは寒くなかった盛岡、休み中、3つのパワースポットに行ってきました。
尚、私が調べた内容には諸説があります。
それは違う!と思う事もあると思いますが、ご了承ください。
▲盛岡八幡宮本殿前にて
『盛岡八幡宮』
http://morioka8man.jp/db10/
1680年、第29代南部重信公により現在の地に建立されました(創建は1062年)。
農業、工業、商業、学問、衣食住など人間生活の根源の神として、多大なる崇敬を集めております。
初詣の参拝客は約20万人、これは岩手県では一番多い客数です。
▲盛岡八幡宮(Google Earthより編集)
学生時代の通学路は、細かく分けると4つありましたが、盛岡八幡宮の中を通るのも、その中の1つです。
当時はもちろん、真剣に参拝をした事などありませんでしたが、もしかしたら、私は八幡宮の神様に見守られていたかもしれません(^◇^)
▲盛岡八幡宮正面鳥居
盛岡八幡宮では生まれて初めて真剣に(!?)一礼をして、左側から境内に入場。
▲「盛岡鎮守」の碑
鳥居の左手前にある社号標「盛岡鎮守」の碑は、皇太子妃雅子さまの曾祖父にあたる海軍大将の山屋他人が書いたものです。
この日は12/31でしたが、既に出店の準備などが始まっていて、全てを見る事はできませんでした。
▲手水舎
社殿に向かって参道を進むと、左側に手水舎(ちょうずや)があります。
変わった形をしている大石があります。
これは岩手県内の滝つぼにあった「水堀石」と言って、文字通り流水によって自然にくぼみが形作られました。
明治天皇が東北御巡幸の際、これに似た石に水をため鱒を放していたところ、それを天皇が御足を止めて御覧遊された事から、八幡町の人々が水堀石を神社に奉献しました。
▲盛岡八幡宮拝殿
社殿は1884年の盛岡大火などの災害や永年の風雪被害を受けて、再建がくり返されています。
現在の社殿は1997年12月に新八幡宮として建て直されました。
拝殿で心を込めて参拝しました。
ちなみに拝殿の後ろの方に本殿があります。
▲左側が「吽形」、右側が「阿形」
拝殿内部の写真はありませんが、狛犬(神に仕える動物)ではなく鳩の木造があるようです。
上の写真は、ホームページからですが、右側には口を「あ」と開けた「阿形(あぎょう)」、左側には「うん」と口を閉じた「吽形(うんぎょう)が」います。
▲左側に「恵毘寿さん」、右側に「大国さん」
社殿の左側に向かうと、そこには向かって左側に「恵比須さん」、右側に「大国(だいこく)さん」がいらっしゃいました。
ご覧のように古い建築物です。
ちなみに「七福神」の中で、純粋に日本の神様なのは恵毘寿さまだけです。
▲十二支神社
この左側には、十二支神社(生れ年守護の社)があります。
子年生まれは出雲神社、寅年生まれは八坂神社、亥年生まれは鳩森八幡神社と、十二支の動物が仕える神を祭る神社が、12社並んでいます。
1年に1回、自分の生まれ年の神を拝むとよい御加護があると言われています。
▲平和の塔
▲岩手護国神社社殿
▲向かって左側に岩手護国神社
戦争で亡くなられた岩手県に関係する人々の魂をお祀りしている神社です。
もちろん、こちらの方でも心を込めて参拝してきました。
▲明治天皇御聖像・御聖跡碑
盛岡八幡宮の鳥居を入って左側には、「明治天皇御聖像・御聖跡碑」があります。
どちらも明治天皇御巡幸を記念して建立されました。
その目の前は、現在は駐車場になっていますが、私が小学生の頃、ここで野球をしたものだなあと懐かしく思いました。
他にも紹介したい建造物がいくつもあるのですが、他に2つの神社を紹介するためここまでとします。
盛岡八幡宮アクセスマップ
『三ツ石神社』
http://guide.travel.co.jp/article/8696/
ここは盛岡でも、いくつものお寺が並んでいる通りの裏側にあります。
写真のように殺風景で、敷地面積も狭く、大した神社ではなさそうに思えます。
▲三ツ石神社
実はこの神社こそ、「岩手」県名発祥の神社なのです。
▲正面から見た三ツ石
▲裏側から見た三ツ石(光の影で4つに見えます)
里人が三ツ石様に「どうか鬼をこらしめてください」とお願いしたところ、たちまち三ツ石様が羅刹を大石に縛りつけてしまいました。
羅刹は「もう二度と悪さはしません。二度とこの里にも姿を見せません」と誓ったので、約束の印として、三ツ石に手形を押させて逃がしてやりました。
岩に手形がある事から「岩手」と呼ぶようになりました。
▲三ツ石神社社殿
鬼の退散を喜んだ人々は神様に感謝し、お礼に集い、笹で作った笠をかぶり、三ツ石のまわりを『さんささんさ』と踊り回ったとされているのです。
それが現在の「盛岡さんさ踊り」の始まりだと言われています。
▲盛岡さんさ踊りの模様(ネットより拝借)
⇊そして鬼の手形とされているのがこちらです。
⇊何と手形の部分には、苔が生えていません!!
▲鬼の手形
ここでもう1つエピソードをご紹介します。
今回は行くことが出来ませんでしたが、盛岡市内には「盛岡」市名由来の『桜山神社』という所があります。
鬼の伝説の頃、当時盛岡は「不来方(こずかた)」と呼ばれていました。
これは、鬼が「二度と来ない方向」という意味で使われていたようです。
ですがその後、南部藩主がこの名を「心悪しき文字」と忌み嫌いました。
そのためこの地域の裏山の名前をとって、「不来方」から「森ヶ岡」に改められました。
これが後に、「盛岡」へと名前が変わったのです。
『志和古稲荷神社』
http://www.sukima.com/16_hanamaki01_02/03furu.html
さて最後はこちらの神社をご紹介します。
パワースポットと言われる神社の中には、実は神様がいない神社もあるそうです。
志和古稲荷神社は町立ですが、すぐ近くにある志和稲荷神社は国立の神社です。
名前が有名なのは志和稲荷神社の方で、敷地面積も広いです。
▲志和古稲荷神社鳥居
ですが、妹の情報によると、神様が見える人がいるらしく、神様がいるのは志和古稲荷神社の方らしいです。
実際、車の渋滞は志和古稲荷神社の方が、私が帰る頃も続いていました。
こちらも三ツ石神社同様、敷地面積はとても狭いです。
ですが写真のように、参拝客がたくさん並んでいました。
▲手水舎
境内に入ると、拝殿の前の中央に小祠があり、ここには狐のミイラが納められているようです(写真ではわかりにくいかもしれません)。
1954年のアイオン台風で神木が倒れ、そのウロの中から発見されたそうです。
▲志和古稲荷神社小祠
▲中には狐のミイラ(骨)がある
▲志和古稲荷神社拝殿
ちなみに弟の3人の姪っ子の三女にもお年玉をあげてきました(^◇^)
▲おじいちゃんの表情にはなっていないと思う(#^.^#)
というわけで、年末年始の里帰りの模様をお伝えしました。
個人的には盛岡八幡宮以上に、三ツ石神社と志和古稲荷神社に行けたことの方が嬉しかったです。
最後までお読みいただきありがとうございます。