港区にあるから、近くには東京タワーもある。
また高層ビルもある。
ここは京都の愛宕神社総本山とする神社で、1603年に徳川家康の命により創建された。
江戸城の無血開城前に、勝海舟と西郷隆盛が会談した場所としても有名である。
また、「桜田門外の変」の水戸浪士一行の集結の場でもあった。
▲愛宕神社の左側に東京タワーがある
▲入口付近
大鳥居をくぐるとすぐに「男坂」という急な階段が現れる。
これは「出世の石段」と言われている。
文字通り愛宕神社の御利益は、仕事運・出世運アップである。
他には、恋愛運アップもあるとの事。
時々テレビでも紹介される事がある。
1634(寛永11)年、現在の港区芝公園付近にある「増上寺」(将軍家の菩提寺)を参拝した帰り、三代将軍家光が立ち寄った時のこと。
家光は愛宕山に咲いている梅梅の枝を見て、「誰か、馬にてあの梅を取って参れ」と命じた。
急な石段を見て、どの家臣もそんなことはできないと尻込みする中、曲垣平九郎(まがきへいくろう)という者が、騎馬と共に86段の石段を駆け上がり、梅の枝を手にし、さらに駆け下り、将軍に梅を献上した。
平九郎は「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名を馳せることとなった。
ではどれだけ急な階段なのか?
上の写真のように、下段から上段を見上げただけでも急だとわかるが、上段から見下ろした写真の方が、さらにわかると思う。
↓↓
参拝前に私も一度降りたが、あまりに急なため、念のため手すりのそばをゆっくりと降りた。
足を踏み外すと、最悪下まで転げ落ちる可能性もある。
参拝に来ていたお子さんも怖がっていて、中央の鎖を使いながらゆっくりと降りていた。
▲境内のご案内
男坂を上がり「一の鳥居」をくぐる。
すぐ左に「手水舎(ちょうずや)」がある。
ここは竜の口から水が出てくる。
続いて「丹塗りの門」をくぐる。
正面の「社殿」で心を込めて参拝した。
社殿の手前には、撫でると福が身につくとされる「招き石」がある。
「招き石」の左側にある下の写真は「将軍梅」。
曲垣平九郎が徳川家光に献上したと言われる梅である。
次からの写真は末社である。
※末社とは?
神社本社とは別に、その神社の管理に属し、その境内または神社付近の境外にある小規模な神社の事。
▲弁財天社
▲太郎坊社
▲福寿稲荷社
▲大黒天社
「男坂」がなければ、こちらも急な階段にも思える。
仕事運・出世運アップの御利益もあるとされているので、弁護士や公認会計士の名前がたくさん彫られている。
私は日比谷線の神谷町駅で降りた。
神谷町駅からの場合、3番出口を出たら、右後ろ方向の歩道を進む。
途中で、愛宕トンネルが見えるので、そこをくぐって次の交差点を左側に進むと大鳥居の前に到達する。
尚、トンネル手前の「愛宕神社参道」から行く方法もあるが、ここを行くと、男坂の上に着いてしまう。
また、トンネルを超えると右側にエレベーターもある。
体力のない人や、足が不自由な人は、このエレベーターを使うと良い。
その他のアクセスは、公式ホームぺージから、最寄り駅の図を掲載しておく。
▲愛宕神社アクセス
話は脱線する。
この日、私は食アスリート協会のイベントが隣駅の六本木であった。
久々に六本木まで来たと言う事で、愛宕神社に立ち寄った次第である。
六本木交差点の「アマンド」
・・・は、まだ残っていたが、あの頃の大きな字で書かれた古臭い「ALMOND」はもうなかった((+_+))
それから、たくさんのディスコ店が入っていた「スクエアビル」・・・の跡地は、現在工事中であった((+_+))
調べてみたところ、1990年前半からディスコの多くは閉店し、その後2007年に取り壊されたようである。
また近くにあった「Area」「Cipango」ももちろん別の店になっていた。
話が脱線したが、愛宕神社は本来ならば房総半島も見渡すことができるらしい。
お近くにお越しの際は、ぜひ訪れてみてはいかがだろうか。