love fool 01 | 百夜百冊

百夜百冊

読んだ本についての。徒然。

第一幕

其の一

ここは、真白な世界だ。
彼女は、そう思った。
彼女の名は、ジュリエットという。
ジュリエットは、乗っていた白いリムジンから降りると、一歩踏み出す。
彼女の踏み出した場所は、象牙のように真っ白な橋の上だ。
その、月の光で染め上げたような白い橋の上を、赤い絵の具を含ませた筆を走らせたかのように、深紅の筋が走っている。
彼女は、赤い小さな川が流れているようなその先を、見た。
ひとりのおとこが、倒れている。
多分、その赤は、おとこが流した血だ。
赤いものは、その血以外に、もうひとつある。
おとこの傍らに、深紅のバイクが倒れていた。
ジュリエットは、おとこに向かって歩き始める。
この世界には、白と赤以外の音がないばかりか。
音も、途絶えている。
しんとした、張りつめた空気が、あたりを支配していた。
彼女は、塩のように白い橋の上を歩いてゆき、おとこの傍らに立つ。
おとこは、白い服を身に付けている。
白いジャケットに、白いシャツ、白いトラウザース。
ただ、そのベルトのバックルだけに、赤い心臓と骸骨のエンブレムがつけられていた。
おとこは、仰向けに倒れている。
おそらく、背中に傷があるらしく、赤い血は背中から白い橋へと流されていた。
ジュリエットもまた、白いワンピースを身に付けている。
ただ、その胸元には、血の滴をたらしたようなルビーのネックレスがあった。
色のない、音のない世界で、ただ赤だけが存在を主張している。
ジュリエットは、おとこの側に膝をつく。
おとこは生きているらしく、その胸が静かに上下していた。
そしておとこの瞳は、真っ直ぐ空を見据えている。
彼女は、その視線を追うように、空を見上げた。
輝く空は、蒼いはずであったのに、見上げたその瞬間あまりの眩しさに全てが白く染まる。
その瞬間、音も色も完全に消えたその空間に、ジュリエットとおとこの二人きりになった。
彼女は、永遠にも似た時が過ぎ去ったような、気になる。
ジュリエットは、自分の中の勇気を振り絞り、おとこに声をかけることにした。
「あの」
すこし掠れた小さな声で、彼女は語りかける。
「あの、大丈夫ですか」
おとこは、夢見るように微笑んだ。
そのあまりの美しさに、ジュリエットのこころが震える。
「どうやらおれは、天国に来てしまったか?」
おとこはその瞳で、ジュリエットを見つめる。
彼女は、こころを剣で貫かれたような、気持ちになった。
「天使がおれを、覗き込んでるじゃないか」
ジュリエットの頬が、朝焼けの空のように、薔薇色に染まった。
突然、静寂が破られる。
バイクのエンジン音が、獣の咆哮がごとく轟いた。
黒いバイクに跨がったおとこが、叫ぶ。
「おい、おいロミオ! いつまで寝ている」
ロミオと呼ばれたおとこは、獲物をみつけた豹のような動作で跳ね起きる。
深紅のボディを持つバイクを起こすと、一挙動でエンジンをかけた。
赤いバイクは、待ち構えていたかのように、獣の唸りのようなエンジン音をあげる。
ロミオは、笑みをジュリエットに投げ掛けると、バイクで走り出す。
走りながら、ロミオは背中から大きな銃を抜く。
ツーハンデットソードのように、大きな銃を、橋の欄干にぶつかり止まっているセダンに向かって撃った。
ジュリエットは、雷が落ちてきたような爆音と衝撃で、骨まで揺さぶられる。
白いワンピースを着た身体が、一瞬宙に浮いたような気がした。
銃弾に貫かれたセダンは、地獄の業火がごとき焔に包まれている。
世界に、色と音が戻ってきた。
それは、塞き止められていたダムが開かれ、水が濁流となったような様である。
悲鳴があがり、怒号が飛び交う。
緊急車両のサイレンが、猟犬の吠え声のように響き渡る。
色彩と騒音が、洪水となってジュリエットの回りを、流れていた。
ジュリエットは、それでもこころの奥底に残った、しんとした場所で考える。
自分が出会ったのは何か、自分に起こったのはなにか。
彼女は、考えた。
そう、きっと、自分は奥深い秘密にされた場所から、ようやくのことで見いだされたのだ。
彼女は、そんなことを思うと。
ゆっくり踵を返し、リムジンに向かって歩いていった。