第百四十夜「love fool」 | 百夜百冊

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読んだ本についての。徒然。

Lovefool(First Band on the Moon
The Cardigans


そのおとこは、ヴェローナ・ビーチのはずれに佇んでいた。
その向こうには、荒野が広がるばかりだ。
そして、東の空は金色の光が燻りつつある。
テンガロンハットを目深に被ったそのおとこは、砂漠の砂の色をしたポンチョを纏い、深紅のボディを持つ大きなバイクに跨がっていた。
腰に提げられたハンドガンは、ソード社製のリボルビングオートマティックであり、ツーハンデット・ソードのような大きさを持つ。
おとこは、甘い美貌に憂鬱げな笑みを浮かべ、誰にともなく呟いた。
「夜の蝋燭は、燃え尽きたようだ。歓喜にも似た金色の輝きが、荒野のむこうで踊りだしているのが見える。行って生を選ぶか、留まって死に身をゆだねるか。思案のしどころというわけだな」
おとこはその言葉とは裏腹に、こころは決まっているようだ。
昏い瞳は、荒野の果てを見定めている。
おとこのこころの中を去来していたのは、妻のことであった。
妻は、こう語った。
「わたしは馬鹿になるの。どんどん馬鹿になるのよ。愛がわたしを馬鹿にするの。わたしの中で、耐えがたいほど大きく狂おしく膨れ上がった愛が。わたしをとてつもない、愚か者にする」
夜の果てで。
熱を持った身体を、愛と共に交え。
そして彼の妻、ジュリエットは、こう言った。
「だからあなたはわたしを棄てて去るのよ。美しき暴君。愛に飢え凶暴化した子羊。あなた、ロミオ。わたしは愚かだから信じるの。あなたが生き延びて。わたしの前に再び立つ日のことを」
その時、巨大な車のエンジン音が、彼の追憶を破った。
それは巨人の棺桶のように、巨大なリムジンである。
そこからひとりのおとこが、降り立った。
大きな、おとこだ。
夜のように黒い長衣を、纏っている。
そのおとこは、エスカラス大公という名だ。
彼は、少し皮肉な笑みをエスカラス大公に投げ掛けた。
「おれの追放を、見届けにきたという訳か」
エスカラスは、辛辣な笑みを返す。
「追放だと? 本当にそう思うほどにおまえは愚かであったのか、ロミオ」
ロミオは、狼のように暗く笑ってみせる。
「キャピュレットほどには、愚かではないつもりだが」
「ほう」
エスカラスは、悪魔のように優しく微笑んだ。
「ティボルトは愚か者であったがゆえに、殺したとでもいうのか」
ロミオは、テンガロンハットの下から投げやりな眼差しを返す。
「あれはまあ、事故みたいなものだ」
ロミオは、再び記憶に沈む。
ほんの昨夜のことだというのに、とても遠い出来事だと思える。
それは真夜中を過ぎて、間もないころ。
彼の足元には、死体があった。
彼の親友である、マキューシオの死体である。

ティボルトは、呆然と友の死体を見つめるロミオを、サデスティックな笑みを浮かべながら見ていた。
洒落た夜会服を着こなし、おんなであれば間違いなく見蕩れるであろうその甘いマスクが苦悩で蒼ざめるのを見るのは、嗜虐の喜びがある。
ティボルトは、まだ銃を構えたままだ。
マキューシオを殺した銃弾を放ったデザートイーグルはまだ熱っを失っておらず、銃口からは陽炎が立ち上っている。
ロミオは腑抜けた体であるが、彼の腰にはソード社製のリボルビングオートマティックが提げられていた。
夜会服には似合わぬ、凶悪で強力な308ホーランドマグナム弾を放つ、危険なハンドガンである。
ティボルトの持つ50口径マグナムのデザートイーグルですら、玩具のように頼りなく感じさせた。
そんな凶悪な銃を使いこなせるおとこは、このヴェローナ・ビーチの街にはロミオしかいない。
彼はだからこそ、美しき暴君と呼ばれ恐れられる。
ソード社製の銃が抜かれたとき、ひとの死なくしてホルスターへ戻ることはないとも言われた。
ロミオは、愛に狂った死神である。
けれど今は、ただの腑抜けにしか見えない。
それにティボルトは、ジュリエットの兄である自分をロミオが殺すことはないとふんでいた。
グレゴリーが、マキューシオの死体へ唾を吐きかける。
その時、落雷のような銃声が轟いた。
グレゴリーが巨大な鉄槌で跳ね飛ばされたように、地面へところがる。
ロミオの手には、巨大なリボルビングオートマティックがあり、その銃口からは煙が立ち上っていた。
蒼ざめるのは、ティボルトの番であったがそれでも自分がまだ優位を保っていることを疑っていない。
「おい、ロミオ。ふざけるな、これは正式に承認された決闘の結果であって」
「心配するな、まだ災厄は始まったところだ。本当におぞましいことは、これからはじまる。それに」
ロミオはその甘い顔に似合わぬ、地の底から響くような声でかたる。
「そこの馬鹿は、死んじゃあいないぜ」
確かにグレゴリーは鼓膜が破けたらしく耳から血を流していたが、苦痛のうめきをあげている。
どうやら308ホーランドマグナムは、単に耳元を掠めただけのようだ。
しかし、それだけでも衝撃波がひとをなぎ倒すほどのパワーがある。
そんな銃弾を片手で放つロミオはとんでもない化け物ではあるが、所詮愛に縛られた奴隷にすぎない。
「ふん、芝居のような大袈裟な台詞はやめて、友の死体を家族の所へ運んではどうだい、なんなら手をかしてもいいぜ」
ロミオはそれには答えず、銃を構えたままポケットから煙草をだすと、片手で火を点ける。
焔が夜の闇の中で、ロミオの瞳を輝かす。
それは地獄の幽鬼が放つ、鬼火のようである。
ティボルトはぞっとして思わず目をそらすと、苛立たしげに叫んだ。
「おい、ロミオ。いい加減に銃を仕舞え」
「映画みたいに」
ロミオは、独り言のように言った。
「映画みたいに、三つ数えよう。それが合図だ」
ティボルトはデザートイーグルを、ロミオに向け叫ぶ。
「ふざけるな、おい」
ティボルトは、周囲からブーイングが起こるのを呆然として聞いた。
真夜中とはいえ、いつの間にかギャラリーに取り囲まれている。
ロミオは巨大な銃を軽々と振り回し、ストンとホルスターへ戻した。
少し眠たげにすら思える声で、語りかけてくる。
「おれとの決闘が怖ければ、逃げて帰ってもいいんだぜ」
ティボルトは、ようやく事態を飲み込み蒼ざめた顔で叫ぶ。
「ふざけるな、てめぇも殺してやるよ。モンタギューの腰抜け野郎が」
ギャラリーから、喝采があがった。
ティボルトはまるで夢の中にいるような、奇妙な高揚感を得る。
ロミオは満足げに頷くと、ティボルトへ背を向けた。
「十歩離れろ。足音が止まれば、三つ数える。」
ティボルトは頷き、デザートイーグルをホルスターに納め十歩離れた。
ロミオは、背を向けたまま数え始める。
「1、2、」
ティボルトはその時、デザートイーグルを抜いたが、構える前にリボルビングオートマティックの銃口が自分に向けられているのを見た。
「3」
ロミオは数え終わったが、撃たなかった。
銃口は、自分に向けられている。
デザートイーグルの銃口は、下を向いたままだった。
ティボルトは、ロミオの目を見る。
そこには、憐れむような色があった。
ティボルトの頭に、血が上る。
「ふざけんな!」
落雷のような銃声が、轟く。
ティボルトは、猛獣に飛びかかられたような衝撃を受け、身体が宙に浮くのを感じる。
自分の胸から、大輪の薔薇が咲くように血が飛び散るのを見た。
がくんと、身体が上を向き、夜空が見える。
宝石を散りばめたような、満天の星空であった。
空に向かって落ちていくようだと、ティボルトは思う。

エスカラスは自分を無視したかのように、追憶にふけるロミオを苦々しく見つめる。
テンガロンハットの下の顔は、おんなであれば誰でも身とこころを蕩かされるであろう美貌であった。
しかし、その腰には巨大な銃が、吊るされている。
ポンチョの隙間から、象牙で作られた純白の銃把が覗いていた。
アラバスタのように汚れなく美しい白に、骸骨と深紅の心臓の紋章が刻まれている。
一度抜き放たれれば、死を見なければ収まることの無い恐ろしい銃だ。
リムジンから三丁のサブマシンガンで守られているはずのエスカラスですら、丸裸でいるような無防備の気分にさせられる。
そして、ロミオは巨大で獰猛な獣のようなバイクに、跨がっていた。
MVアグスタ・ブルターレ・セリエオーロ。
深紅のボディに黄金のホイールを持つ、美しいバイクである。
そのバイクに股がったロミオは、精悍で高貴な獣のように見えた。
その昏いひとみには、大公であるエスカラスすらゾッとさせるような、輝きがある。
けれど、今のロミオは愚か者にすぎない。
愛が野獣を、ただの愚か者へ変えたのだ。
「それでおまえは」
エスカラスは遠いところでこころをさ迷わすロミオを、呼び戻すように語りかける。
「キャピュレットをなぜ、馬鹿だという」
ロミオは、冷笑を浮かべた。
「アウトローカンパニーの走狗になるなど、馬鹿にしかできぬ技だろう」
エスカラスは、冷徹な眼差しで若者の冷笑に答える。
「ステーツの連中と、ことを構えるのは危険だ。南米はやつらの裏庭みたいなものだ。そこは常に安定している必要がある」
「だから反体制革命勢力を売り飛ばして、協力するのか? 馬鹿らしい。気がつけばおれたちはみんな、奴隷になってるぜ」
「だから」
エスカラスは、優しげともとれる笑みをロミオへ、投げ掛けた。
「おまえたちモンタギューが、必要なのだ。用はバランスだよ。左手で握手する時にも、右手はナイフを握っておく必要がある」
ロミオの瞳が、昏くつりあがった。
「おれらは、お前の駒じゃねえ。能書きはもう沢山だ」
ロミオは、再び投げやりな調子に戻る。
「で、おれに何をさせたい」
「お前の言うところのアウトローカンパニーは、この荒野の向こうにある村で、反体制ゲリラを支援している」
ロミオの眉が、片方だけ吊り上がった。
「その反体制ゲリラに虐殺行為をさせようとしている。ステーツが人道的支援の名目で国連軍を派遣できるようにな。だから」
「そいつらを、ぶっ殺せってか?」
エスカラスが頷くと同時に、落雷のような銃声が轟いた。
エスカラスの頭を掠め、銃弾は朝焼けの空へ向かって飛んで行く。
エスカラスは、膝が震えるのを辛うじておさえこんだ。
自分の声が震えないのを祈りつつ、ロミオに語りかける。
「何を撃った?」
ロミオは、夢見るような調子で答える。
「明けの明星だよ。永遠に」
バイクが獣の唸り声のような、エンジン音を響かせた。
「夜が続くように。星を落とせるような気がしたんだよ」
バイクは、走り去った。
エスカラスは、ため息ををついた。
本当に。
本当に、愛こそひとを愚かにするものだ。
そう、こころの中で呟いた。

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