第百三十九夜「My Favorite Things」 | 百夜百冊

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読んだ本についての。徒然。

My Favorite Things
John Coltran

それは、1940年代のこと。
彼は、天才だった。
ヤードバードというあだ名を、持っている。
ヤードバードの由来は諸説あり、本当のところは定かではない。
実際のところはさておいて、ヤードバードという言葉には囚人という意味がある。
グレン・グールドがあげる「わたしの好きなもの」のひとつに、囚人が含まれていた。
その意図は、不明である。
しかし多分、囚人は隔離された領域を持つ。
それはきっと、内なる王国でもある。
グールドの内なる王国には、音楽という名が与えられたのだろうけれど。
ヤードバード(囚人)と呼ばれたその天才が造り上げた内なる王国には、多分こんな名がつけられていただろう。
ビバップ、と。

それは、1980年代のこと。
その千年以上の歴史を持つ街を」、僕は幽霊のようにさ迷ってばかりだった。
その碁盤の目のように道を南北東西へと幾何学的に這わせた街にも、僕の居場所なんてなかったかもしれない。
でも、その街には、闇があった。
観光地らしく華やかな大通り、着飾り浮かれたひとたちが笑顔で行き交うその通りから少し中へと入り込むと、不思議と異世界がまだ残っていたような気がする。
ビロードのような闇が、廃墟のような雑居ビルの中を満たしていた。
スナックやクラブが朽ちかけた看板をさらしながら、迷路を闇の中に刻み混んでいる。
その迷路の奥に、そのジャズ喫茶はあった。
1990年代にはすっかり消え去ることになるが、80年代にはかろうじて街の暗闇に、そうした店は残されていたようだ。
その店の中は、大音量でフリージャズが流れていた。
壁には店の名の由来である、蝶たちの標本が飾られている。
その店は、音に満たされてはいたが、喧騒とは縁がなく不思議と静寂に満ちているような気がした。
だから。
僕は、誰憚ることなく、思う存分孤独に淫することができたのだ。

それは、19世紀の終わりごろ。
ノースカロライナ州は、アメリカ連合国へと加入した、最後から二番目の州であったと思う。
そこは、バイブルベルトの入り口であり、アフリカから連れてこられた奴隷たちの終着地であった。
そこは、奴隷の王国でもある。
その奴隷の王国は結局はこじ開けられ、資本主義というシステムへ多くの労働力を、供給することになる。
しかし、そのシステムは一旦破綻すだろう。
1920年代の終わりの、世界恐慌である。
1930年代は混乱の中に、沈む。
そして、ビバップが登場するのは、1940年代であった。
コルトレーンが登場するのはその少しあと、それより10年ほど後になろうか。
彼は、ノースカロライナ州の出身である。
USAは、おそらくいくつかの偉大なものを、産み出していると思う。
それらの内いくつかは、闇の中から産み出されたような気がするのだ。

ヤードバードの名ももった、チャーリー・パーカーがビバップを産み出した時には、マイルス・デイビスやセロニアス・モンクがいた。
コルトレーンが現れるのは、その少し後ということになり、彼はハードバップからフリージャズへの道をたどっていくことになる。
ビバップとはなんだろう。
僕には到底、理解できるものではないが。
それは、自由を目指したのではないかと思う。
それは、内なる王国へと向かう道を、求める試みであったのではないかと思う。

1980年代。
僕は、コルトレーンのソプラノサックスを、繰り返し繰り返し聞いていた。
孤独に、淫しながら。
彼の奏でる美しい音を、僕はこころの中へと垂らしていた。
果たしてそこには戦慄すべき怪物がいたのか、あるいは黄金に輝く王国が、宝石のように煌めく「わたしの好きなもの」たちがあったのかは。
残念ながら、今をもってしても判らない。

ただ、コルトレーンは、最後にこう語ったそうだ。
わたしは聖者になりたかったと。

In the Spirit of John Coltran/Sonny Fortune

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