【12-①】《根源的独占》 ~人工知能=メガFTA=資本~ |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

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徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。


〈「【11】プラットフォームによる支配」からの続き〉

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
〈10月2日更新のツイッターの新しい規約のなかの一部〉


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※ちなみに、
ヘイトツイートは野放しであるのに対して、
先日、菅野完さんがTwitterアカウントを凍結されたり、
野間易通さんが、よく凍結されたりしていますが、
近藤 正晃は、
2010年には、
内閣官房国家戦略室長付内閣参事官、
内閣官房副長官秘書官、
官邸国際広報室国際広報戦略官を歴任。
2011年より2012年まで内閣府本府参与。
2014年よりTwitter社副社長兼Twitter Japan代表取締役会長。

そこで、
非営利系でドイツ市民のプログラマーが作った
モストドン〉というSNSがあります。
先日、モストドン拡散の御協力を仰ぎ、
そのツイートは削除していないのですが、
私のツイッターアカウントの
「@AntiBilderbergs、モストドン」で
キーワード検索したのですが、
まったくヒットしません。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

前回記事では、
Eコマースであるアマゾン
プラットフォーム戦略》により、
トイザらス〉が未来を奪われ破滅する、
という衝撃的(そして象徴的)な記事を
引用する形で御紹介しましたが、
内橋克人氏の著作などから学ばせてもらってきたように、
〈トイザらス〉といえば、
流通規制であった大店法」に
風穴を開けることに一役買い
新自由主義政策の一つとして有名な
大店法撤廃》につながる
アメリカからの黒船的象徴だった会社が、
今では、アマゾンに食われてしまう》のですから、状況や局面は、
これまでの《新自由主義グローバル化
交差する形で”
Eコマース&プラットフォーム戦略》の要素
重なってきている”ようです。

パーミンダ・ジェット・シン曰く、
どの経済分野でも、各企業分野で
デジタル・インテリジェンスを有する、
非常に限られた2、3の私設帝国企業が、
各経済分野の中心的存在に据わる格好に、
このままならば成りつつある傾向の現在
における、
‟私設帝国”企業の経営戦略には、
〈私たち顧客〉を
餌付けする強力な仕組み
を持つが、
その結果の現状では、いつの間にか
少数の巨大ネット企業による
世界的な情報流通の寡占化や選別・序列化》が
急激にもたらされつつあり、
我々の生活の相当な部分
こうした「非リアル」のプラットフォーム上で
営まれていて》、
そこでは国の法令の影響を受けつつも
その私設帝国企業独自のルール
ユーザーの行動規律されて》”いる状況にあります。
(福井健策弁護士)

こうした状態では、


”グーグルで検索結果で表示されたものを見、支払いが必要ならば行う。
条件が不満なら他に行くしかないが、
コンテンツ提供をひと握りの企業が寡占していると、
現実にはそこで買うしかない。だから与えられた条件を呑む
。”
(福井健策『誰が「知」を独占するのか』P.34)

しか、無くなってしまいます


この《快適で便利な効率的手段の享受》を通じて
いつしか立っている《不気味な不自由》状態に関して、
ジグムント・バウマン&ティム・メイ
『社会学の考え方』(第2版)

〈第9章「テクノロジーとライフスタイル」〉において
意識して書かれていますが、
前ページで、
福井健策弁護士『誰が「知」を支配するか』で
前ページで引用しきれなかった部分

以下に引用しつつ、
『社会学の考え方』(第2版)
第9章〈テクノロジーとライフスタイル〉のイチ箇所を
引きつつづ形で引用します。


“ そうした一企業が、
およそ膨大な資金力と情報収集力にものをいわせて
古今東西の書籍を、
更には音楽・映像・公文書・科学データなど、
あらゆる過去の文化資源をデジタル化し、提供する。
人々はこうした作品や情報を見たい場合、
(例えばEUの美術館のサイトではなく)
グーグルで検索結果で表示されたものを見、
支払いが必要ならば行う。
条件が不満なら他に行くしかないが、
コンテンツ提供をひと握りの企業が寡占していると、
現実にはそこで買うしかない。
だから与えられた条件を呑む。

 これは既にかなりの部分で現実化していることです。
広い意味ではプラットフォームといえる例に、
マイクロソフトなどが寡占するOSが挙がります。
何もウィンドウズや他のマイクロソフト社の製品に
100%満足な訳ではなくても
ここまで普及して自分も慣れていれば
簡単に他の基本ソフトに移行は出来ません
そして自分が求めた訳でも選んだ訳でもない
「バージョンアップ」を受け容れ、
数年ごとに操作法の変更に
四苦八苦することになります

ウィンドウズXPなど使い慣れたバージョンのまま使い続けようとしても
販売どころかサポートも早々に終了されて
「乗り換え」を余儀なくされる
のです。
(XPの場合、2014年4月には世界の26%以上のユーザー
まだ使っていたにもかかわらず全サポートを終了。)

 こうしたサービス撤退
ユーザーからすれば大いに不満でしょうが、
一方では、
無料サービスで慣れた頃に有料化
というケースも珍しくありません
2013年、
動画ネット中継サービスの世界最大手ユーストリームは、
それまで無料で提供していた
「過去の録画のネット提供」を
突如、米国向けでは有料化する
と発表しました。
とどまったユーザーもいたのでしょう。
とはいえ既にユーストリームのサービスに慣れ、
そこで一定の知名度を得た方は
容易に他のサービスに移行は出来ません

また、
ユーストリームほど普及・確立した同種サービスが
多い訳でもありません。
やむなくお金を払って使い続ける訳ですが、
更に断続的に高額化されて行ったらどうでしょう。
ツイッターは有料化の噂が絶えませんが、
最初から有料と言われたらまず使わなかった方も、
既に慣れて多くのフォロワーがいる状況では
「有料ならやめるよ」とは気安く言えません

例えばフォロワーが万単位でいる方なら、
「今度はフォロワーひとりにつき1円、
月に数万円課金する」
と言われても、
そこでやめて全フォロワーを失うよりは
お金を払うことを選択するかもしれませんね。

 これが、プラットフォーム寡占第一の問題です。”
(福井健策『誰が「知」を独占するのか』P.33-35)

つづいて
ジグムント・バウマン&ティム・メイ
『社会学の考え方』(第2版))
第9章〈テクノロジーとライフスタイル〉より。


“わたしたちは、各々、日常生活のなかで、自らの能力や個性を発揮する
食事をし、他者とコミュニケーションし、
移動し、楽しい時間も悲しい時間も
(あるいは、ストレスを感じる時間もリラックスする時間も)過ごし、
さまざまな技能を用いて仕事をし、最後に休息と睡眠をとる

その過程で、わたしたちは、自分の周囲の環境との関わり、
入手できる資源を利用して、日々の活動を行う

(中略)
結果がどうであろうと、
自らの行為について反省するとき、
自分のことは自分で決定できると思う
自分は、自律的な存在であって、
自らの目標に応じて行為できる能力や才能をもつ
と思う
このことは、
自分の環境を操作できることを前提としている
しかし、もし、環境のほうがわたしたちを操作するとすればどうか
あるいは、
わたしたち自分自身・他者・環境の間の相互作用の産物である
とすればどうか

 《テクノロジーと専門知識
       〈ハイテク機器〉
 これは、根本的に重要な問題である。
わたしたちが、
どのように自分の生活を組織うるか
を自分自身や他者に期待できるか
かかわる問題である。
今日、人々の生活取り巻く数々のハイテク機器を例にとろう。
それらは、あって当然のものと見なされている
わたしたちは、
それらの機器を、自分に都合よく利用したり操作したりしているであろうか
いや、それらは、テクノロジーへの依存度を高め
わたしたちの自律性損なう結果もたらしているのではないだろうか

ハイテク機器の設計・購入・維持管理について、
わたしたちは
販売店や発電所や電気事業者に、
さらには数々の専門家や設計者に

全面的に依存している
PCを購入してもすぐに旧式になる
CPU(中央生産処理装置)の計算速度や
(メモリーやハードディスクの)記憶容量について、
PC日進月歩の発展を遂げている
人々は、そのような変化受け入れることができるであろうか
いや、それ受け入れずに生きていくことができるであろうか

 ハイテク機器への依存度年々高まっている
ハイテク機器もしばしば故障するが、
修理を求めても最新型の購入を勧められるのが関の山である。
旧式の機器を修理するための部品は、もうない
旧式を修理するよりも新型を購入するほうが安くあがる
と言われることも多い

ここでは、新たな費用の概念が生まれつつある。
この計算では、
原料の調達や「ゴミ」の廃棄に関する環境への負荷
費用に含まれない
わたしたちは、各種の製品
自分の生活になくてはならないと思う限り
それらを周期的に購入するサイクル巻き込まれる
この選択は、巷間言われるように
本当にわたしたちの自由を高めること
意図しているのであろうか

それは、大量消費の誘惑や、
財やサーヴィスの市場取引をめぐって発展してきた巨大産業無縁ではない
(略)いまや、消費者を突き動かす欲望について、
成り行き任せにされているもの何一つない

 ハイテク製品を購入するたび
わたしたちは、新たな技能の習得を求められる
それによって、
わたしたちの全般的な能力は向上するかもしれない
にもかかわらず、
携帯電話に、それほど多くの機能が必要であろうか
たとえば、ゲーム機の機能が
ついている必要はあるのか
同様に、ソフトウェアが出るたびに
自分のPC上のソフトウェア更新しなければならない
新しいハイテク機器の操作法習得することは、
目的のための手段なのか
それとも、それ自体目的ではないのか
本書の著者二人は、PCで原稿を書いているが、
お互いに、異なるシステムを使っているので、
本書に執筆に際して
異なるシステム上の要求対処しなければならない
バウマンは、
文書作成用の旧式の機種を使っており
システムの変更望んでいない
システムを変更すると、
新しいソフトウェア・プログラム
習得しなければならないが、
そんなことに労力を費やすよりも、
さまざまな論題について
多くの作品を生み出すこと
に、
彼の関心はある
システムの変更によって
より重要な目的損なわれることを、かれは恐れている
他方、メイは、最近職場が変わり
新しい情報機器を操作すること要求され、期待されている

それゆえに、メイは、
バウマンと同一の責務を負いながら
二人の仕事機器の環境
ずいぶん異なったものになっている
このような仕事の条件
自由な選択の結果でもなければ》、
新しい情報機器こちらが一方的に選択しているの《でもない

言い換えれば、わたしたちの行為
情報機器や職場環境との関係によって
さまざまなかたちで制約を受け、変更を余儀なくされている

 システム環境の変化に応じて
私たちは、新しい技能習得しなければならない
それによって、わたしたちの生活どう変化するか
社会的な状況次第である

理解しておかなければならないのは
わたしたちが、段々とより複雑な機器を「欲するようになることである
それは、わたしたちに、より高度な技能を求める
それらの機器を使用するのは、
内部構造を知りたいためではないので、
それが、どう作動しているかも分からないし、
故障の場合も自分で修理できない
結果として、修理や維持管理には
より洗練された工具が必要になるため
わたしたちは、ますます他者に依存するようになる
わたしたちはまた、
それらの機器の操作法習得しなければならないため
古い技能たちまち時代遅れのものとなる
機器の発展送れないようにするため
ますます変化の要求振り回されることになる
新しい技能は、新しい機器の道具一部となるが、
それは、わたしたちの自律性の向上つながるのか
それとも、機器への依存性の増加につながるのか。
 ジグムント・バウマン+ティム・メイ/奥井智之(訳)
『社会学の考え方』第2版、P.325‐P.329)



「各種の製品が
自分の生活になくてはならないと思う限り
それらを周期的に購入するサイクルに
巻き込まれる。」
という記述がありましたが、
しかし、
この都市的な環境の中では、
私たちの行為が、
情報機器や職場環境との関係によって、
様々な形で制約を受け、
変更を余儀なくされている
》ので、
それが思い込みかどうか
という次元の問題とは言えないでしょう
――この点については次回記事で――。

著者の一人のティム・メイが
‟携帯電話に、
それほど多くの機能が必要であろうか。
たとえば、ゲーム機の機能が
ついている必要はあるのか。”
と書いていますが、
このテキストが書かれて以降、
アップル社やグーグル、フェイスブックが
成功してみせた経営戦略である
プラット・フォーム戦略》の性格や性質を
突きつけられている2017年の今日
では、
〈携帯電話に付属する、
電話という本来の機能
はるかに超えて
幾つも付属する多くの機能
〉こそ
は、
3】や【11】で目にしたように、
《〈多くの人びと〉を
プラットフォーム呼び込むべく機能する
魅力的なコンテンツ
》という
プラット・フォーム構成要素》と
言えるのではないでしょうか。
――批判的な穿った捉え方をすれば、
〈そうした魅力的なコンテンツ〉は、
勝者総取り支配を勝ち取る》べく、
各社必死になって用意し構築する
プラットフォーム》に ‟惹きつけ呼びこむ”ための
誘惑の装置(北山晴一氏)》、
毒舌的に言えば
スマホ中毒者や依存者をつくるドラッグ
とさえ言えるでしょう

もうそれなしには生きられない(スマホ)


さてここで、
以上に描いてきた、
世間を嘲(あざ)笑うかのような、
意地悪で天の邪鬼で
根暗でウンザリさせ(てい)る
かもしれない以上の内容は、
イヴァン・イリイチ
『コンヴィヴィアリティのための道具』
という著述のなかで提示した
根源的独占」を、
意識して叙述展開してきました。


独占》や《選択肢の排除》に関して
伊藤光晴『ガルブレイス』には、
1900年前後にアメリカで形成された
四大シガレット会社〉による
《タバコ・トラスト》形成過程に見られた策動が紹介されています。


そこでは、トラストは、
トラストに加盟していない州で、
税金分だけの値段でタバコを売ることで
競争相手を倒産させて、

ライバルの倒産後に価格を上げて、
過去の赤字分の損失を取り戻した

(P.26)と言います。

タバコ〉は
生存に直結するもの」〈ではありません〉が、
」や「雇用」や「生活環境」は、
〈タバコ〉のようには「行きません」。


今から約200年まえに
アダム・スミスや
スミスを踏まえる
デーヴィッド・リカードは、
彼らが生きていた当時の社会を観察して、
当時のモノを、
使用価値のあるモノ〉と
交換価値のあるモノ〉として
整理していました。

たとえばリカードは、
使用価値の格好の例として
水や空気を取り上げて、
交換価値(の側面が強いモノ)との対比を
際立たせています。

〈使用価値のあるモノ〉として、
水や空気を挙げることが出来る。
水や空気は、
私たちの生存に不可欠
で、
それは大いに有用であるが、
しかし、交換価値は持たない、と。

また他方、〈交換価値のあるモノ〉として
ゴールドを挙げることができる。
ゴールドは、水や空気に比べれば、
ほとんど有用性をもたないにもかかわらず、
最大の交換価値を持つ
、と。

しかし今日では、
ブルー・ゴールド”と言われ、
そしてスーザン・ジョージが
最高の資本主義商品
あるいは
資本主義にとって理想的な商品
と言った〈〉が
「水の民営化」の旗の下に、
日本では《民営化》されるなど、
――欧州では《民営化》された後に
再「公共化」されました――
商品化》されて来ています。
〉は
生存に不可欠なもの」であるが故に
権利」であり、
「民主的コントロール下に置くべき」

という指摘もありますが、
水にアクセスする手段」が
市場化されてしまう》状況というのは、
市場主義手段分配権力》に
〉が《握られる》ことを意味します。

水が公共サービスである現時点ですら、
公共料金を支払わなければ、
水道利用を停められてしまう
訳ですが、
水へのアクセス手段
市場原理絡みになってしまうこと》は
或る種の支配》と言えるでしょう。

『フロウ~水が大企業に独占される!~ 』予告編


※中途半端ながらも、
字数制限の都合上、
次のページ【12-②】につづく