【12-②】効率化&コスト格差&市場淘汰による「根源的独占」~ビッグデ=AI=メガFTA=資本~ |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

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徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。

〈「【12-①】《根源的独占》 ~人工知能=メガFTA=資本~」からの続き〉

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
前ページから継続する形となりますが、
イヴァン・イリイチ『コンヴィヴィアリティの道具』の《根源的独占》の項目には、
つぎのような叙述が為されています。


“           〈根源的独占

 効率可能の道具が根源的独占をもたらすのは、
このふたつの次元においてである。

 根源的独占という言葉で私が表わしたいのは
独占という概念のふつう含意はるかにこえた
(いち)生産物による ある種の支配である。
独占という言葉が一般に意味するのは、
商品やサービスを生産(または販売)する手段に対する、
一企業による排他的支配
である。
コカ・コーラは、
現代的な手段で広告される清涼飲料水の唯一のメーカーであることによって、 ニカラグワの清涼飲料市場を独占することができる。
ネッスルは原料を支配することで、
自社のブランドのココアをおしつけることができるだろう・・・・。
(略)
この種の独占は、
消費者に対して開かれている選択の機会を制限するものである。
そういう独占
消費者に市場である製品を買うように強制するかもしれないが、
同時に他の領域で消費者の気ままな行為制限することめったにない
のどに渇いた人間が
冷たくてすっとするあまい飲みものがほしくなったとき、
ただひとつの銘柄しか選べないようになっていることに気づく、
ということはあるだろう。
それでも彼は渇き
ビールでいやそうと水でいやそうと自由
なのである。
彼の渇きコカコーラへの欲求置き換えられ
ほかに代るべき ちゃんとしたものがない
とすれば
そのときのみ独占根源的なものになるだろう。
根源的独占」という言葉で私が意味するものは、
ある銘柄が支配的になることではなく
あるタイプの製品支配的になること》である。
ひとつの産業の生産過程
さしせまった必要をみたす行為に対して

排他的な支配を及ぼし
産業的でない活動競争から締めだすとき
私はそれ根源的独占と呼ぶ

(略)
 自分の姿あわせて都市ををかたちづくることができる
――実際にロサンジェルスで徒歩や自動車での移動締めだしたように。
それはタイの河川交通お払い箱にすることができる
フォードよりシボレーに乗る人が多いということが
根源的独占なのではなくて
自動車による交通歩く人の権利削りとるということ
根源的独占なのである。
(略)
・・・うちたてた根源的独占は、独特なしかたで破壊的なのだ。
(略)
人間生来の能力大型の道具によって
排除されているところ
ではどこでも

根源的独占成り立つ
根源的独占消費強制
それによって個人の自律性制限する

その独占は、
巨大な制度だけ供給できる標準的な製品消費
強制することによっておしつけられているのだから

一種の特別な社会管理ということができる
(P.96-99)


この一連記事で見てきたように、
グーグルなどの私設帝国企業は、
顧客を餌付けする強力な仕組み
開発しつつ同時に
そのはかり知れない破壊力で、
既存のビジネスや業界壊し
業界の食物連鎖頂点に君臨し、
巨大な影響力をもつが、
或る分野の頂点に君臨するというよりも
グーグルアマゾンのように、
IT社会における流通を支配
ITインフラ的存在として君臨し、
社会や経済広い分野に息のかかる
巨大プラットフォーム企業》が持つ
社会への影響力」を、
競争社会の都合上
自分自身・他者・環境の間の
相互作用の産物
》であり、
自分の形振りが、
情報機器や職場環境との関係によって、
様々な形で制約を受け、
変更を余儀なくされている
私たちからすれば、
ここ》に
在り方の《根源的独占と言うべき状況がある、
とボクには映ります。”

イリイチは、
この《根源的独占》的な在り方対置する言葉として
コンヴィヴィアリティ自立共生」を置きます。


自立共生的な社会は、
他者から操作されること最も少ない道具によって、
すべての成員最大限に自立的な行動を許すように
構想されるべきだ。”
(同P.37)

“〔人口増大、汚染などの問題に対する技術主義的対応は、〕
科学技術の歴史的達成は、
諸価値を技術的な課題に変えること
つまり諸価値の物質化を可能ならしめた。(略)」
という仮定にもとづいている。

 生態的均衡の再建は、
進展する価値の物質化無力化しうる社会の能力にかかっている。
その能力なければ
人間は自分がつくった人工世界の中出口なし
まったく閉じこめられてしまうだろう。
自分でつくった自然的・社会的・心理的環境封じ込められて人間は、
自分が数十万年かかって適応して来た昔の環境
二度と見いだすことできずに
科学技術がつくった人工殻囚人となりはてるだろう。”
(同P.95)

イリイチは、
この《根源的独占》に対する対抗策として
節度」、
また《現代テクノロジーの使用・利用》を
すこしでも控えること」の意味で、
プラグを抜く」という在り方を提示したのですが、
しかし、
この『コンヴィヴィアリティの道具』刊行から
40年以上を経た2017年現在では、
現在における根源的独占状況》から、
抜け出すためプラグを抜く」為には、
ライフライン食料の自給達成」と
ライフライン食料へのアクセス
不都合不如意ない」ということが
必要不可欠”だと思います。
さらに、私たち貨幣所得を糧にして
暮らす身ですから、
仕入れた資材に付加価値をつけて
モノを売るにしても、
サービスを売るにしても、
その商品を買ってもらって得た売上から
自分への賃金が出てくるにしても、
その経済活動には、
おカネのやり取りがあるだけでなく、
現代テクノロジーの利用》と、
電気や燃料などのエネルギーの消費》とを
職場で労働を行なうにしても、
ライバルとの市場競争を展開するにしても、
自分の好み価値観個人的態度で、
どうにか避けられるものではない”ので、
私たち〉が
自分自身・他者・環境の間の
相互作用の産物
》であり、
自分の形振りが、
情報機器や職場環境との関係によって、
様々な形で制約を受け、
変更を余儀なくされる存在
》である以上、
現在における根源的独占状況は、
節度」で避けられる程度の問題ではなく、
見えざる手一本一本抜くには
カネ掛からないシステムする必要がある
質的根源構造的な問題
」であると思います。

引用したイリイチの文章で、
「人間は、自分が数十万年かかって適応して来た昔の環境を、二度と見いだすことはできず科学技術がつくった人工殻囚人となりはてる

という箇所がありましたが、
その風土や地域で、
長い年月をかけて形成させてきた在り方」を
科学技術がつくった人工殻」に
置き換わり、駆逐された》のは、
引用したベンヤミンの言葉の言う《資本の論理》であり、
それ》は、
コスト・パフォーマンス」、
効率性」、
コスト格差」による
伝統的な手段や選択肢〉や〈既存産業〉の
市場社会からの淘汰排除》によって
現状のようになった、とボクは拝察します。

そして
その科学技術の人工の殻現代テクノロジー》も、
資本主義的要請》により、
経済成長」を伴う形で
絶えず刷新される”のですが、
ティム・メイが『社会学の考え方』で
その不安を書いたように、
気づけば、いつの間にか私たち〉は、
テクノロジーへの依存度高め
自分たちの自律性損なう
在り様にあり、
テクノロジー変更伴って
そのテクノロジー相関した
形振り方変更と習得とを
余儀なくされる
》のですが、
ジェリー・マンダーが言うように、
科学技術のおかげで
私たちの生活水準が上がり、
移動が速くなり、選択の幅が広がり、
余暇が増え、贅沢ができるようになった

科学技術を礼賛する人々は言うが、
しかし、それによって
人間の満足感幸福安全
あるいは生命力
向上したかどうかは《別問題》」であり、
それどころか、今や、
私設帝国企業の経営戦略》が示すように
テクノロジー》と《グローバル化》との‟駆使”により
雇用賃金所得〉からも
締め出されようとしている最中にあります。


なぜ‟こういうイヤな話”を進めるのか?

ボクは、あなた様=皆さまを
絶望に連れて行きたがっているから、ではありません。
暗く絶望させる内容ばかりですが、
この一連記事を書いている念頭に、
つねにある危機への意識が、
ふたつ有ります。

一つが、
この《テクノロジー根源的独占》のテーマです。
そして、
このテーマを以って描き出したい危機が、
スノーデン』に出てきた《電源喪失》に見られる現象です。


(1分29秒~1分31秒の箇所に、チラっと)☝


暗く絶望させる内容ばかりですが、
建設的な内容を主張するための下拵えとして、
以降でも、いま少しネガティブな話を続けます。
字数制限上、

次のページ【12-③】に続く