〈【10-④】V・E・フランクル「態度」《監視社会=人工知能=プラットフォーム=メガFTA=資本》からの続き〉
〈近日イベントなどの告知〉
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
菅原文太氏のスペシャルゲストあいさつ
【大竹まこと×神戸金吏×はるな愛】 障害を持つ息子へ
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前ページの記事では、
ひとりひとりの人間が、死は避けられず、
唯一であり一回きりの人生であるが故に、
個々人各々なりの不完全性や死といった
有限的制約こそが、
そして又、その都度の人生からの問いこそが、
皮肉にも/逆説的にも、
一回きりの人生における自身の責任存在を基礎づけ、
そして、
その時々の人生からの問いへの応答=態度が、
その人間の生きるかたちを物語る「生きる意味」であることを見ました。
「かかる個人が置かれた、その状況での
その時のかかる個人なりの態度だけ」が
「いのちの形」として「問われる」のだとしたら、
「そこに貴賤はなく」、
「生産性の有無の問題でもなく」、
そして《非生産的》という理由で
《殺されてしまう謂れ》など「無い」こと、
しかも、
「個々人の置かれた状況での、
その時の態度という本人自身の問題」の他方で、
他者との関係での
「他者にとって愛される
唯一で掛け替えのない一回きりの存在」としても
《その生命を奪われる謂れ》も「無い」ことを
ヴィクトール・エミール・フランクル講演録である
『それでも人生にイエスと言う』を通して見ました。
ここでひとつ、
お断りしておきたいのですが、
個人的には、
「その都度の態度(価値)」が
生きる意味として問われるのだから、と言って、
‟どんな悲惨な状況や環境になっても構わない”
とは、個人的には思えません。
個人的には、
《戦争》も、《原発事故》も、
軍需産業のような〈戦争マフィア〉も
〈原子力マフィア〉も、
〈エコノミック・ヒットマン〉も、
〈御用政治家〉や〈御用知識人〉も、
‟憎たらしい”です
すくなくとも〈彼ら〉は
《機会を削ったり奪う存在》だからです。
〈彼ら〉の《遣っていること》も
「使命」で「態度(価値)」ならば、
〈ヨーゼフ・メンゲレ〉や
〈アドルフ・アイヒマン〉が
《忠実にこなした任務》も、
含まれてくるでしょう。
「それらビジネス」は
《凡庸な悪》の所業、
と言うべきでしょう。
そして
このフランクルの講演録の読了後では、
貧困も、飢餓も、抑圧も、差別も
教育機会の喪失も、そのほとんどが、
テクノロジーの不足の故、ではなく、
国内的および国際的な
社会的不公正なシステムや
権力的所業の連鎖の結果
というべき現状では、
そうした《構造的暴力》も、
また権力的ゲーム上、
他者をコントロールする為に仕掛ける
《構造的権力》も、
戦争/紛争や公害と同じく、
新自由主義政策などの《富の略奪》手段も
‟不当に
生命や人生の可能性や機会を奪い去る”ので、
個人的には、
〈態度(価値)〉の《反対側に位置するもの》
だと、僕は思っています。
この点に関して、ここに、
‟エコノミック・ヒットマン”であったが
改心し、告白本を書き、世に問う
ジョン・パーキンスを、
佳い事例として取り上げたいと思います。
エコノミック ヒットマン Democracy Now !
(13分~16分までの箇所)
パーキンス氏は、
職業がエコノミック・ヒットマンだった休暇中に、
バージン諸島でバカンスを愉しむつもりで、
事実、セント・ジョン島の山で
綺麗な風景を楽しんでいました。
しかし、
まるで啓示を受けたかのように、
綺麗な風景とは真逆の
その地での
《プランテーション経営のための残酷な歴史》
へのインスピレーションを得るのでした。
「義憤」と「悲しみ」とが
‟ふつふつとこみ上げてきて”、
「そのまなざし」で以って
〈自分自身〉も見つめると、
《自分も遣っていることは奴隷商人》だ、
と“気づく”のでした。
「もうこれっきりだ」と決意し、
《エコノミック・ヒットマン》を辞めるのです!
しかも、この人のスゴイところは、
「自分しかできない」として
リスクを承知の上で、
告発本を上梓してしまうこと、です
――リスクを覚悟の上で、
態度的な行動に出た点で、
詩織さん、前川さん、望月さんも、すごいですね。
SEALDs系統の若者たちに至っては、
畏ろしいですよね。
また、「態度」の点で、動画の19分頃~24分に、
エクアドルの(故)ロルドス大統領と
(故)トリホス将軍の話も、背筋が伸びます。
トリホス将軍は御家族に、
“自分は、
国民の為にパナマ運河を取り戻したのだから、
(暗殺されても)心残りは無い。
使命は果たした。いつ消えてもいい”
と使命を果たし、そう話した、という歴史的事実こそ、
記憶し、語り継ぐべきでしょう。
さて、アーレントによる
「すべての人々を
ひとしく無用視するシステム・・・・
・・・を操っている者たちは、
他の人々を無用だと思っているだけでなく、
自分自身も無用だと思っている。
全体主義における殺戮者たちが
それ以上に危険なのは、
かれらが自分の生死を意に介することなく、
自分は生まれても生まれなくても
どうでもよかった
と思っているからである。」
という指摘を踏まえて、
じつは本当は〈自分〉も、
〈ほかの人〉や〈犬〉や〈猫〉も〈鳥〉も〈亀〉も、
・・・・・‟みな同じくして”、
この地上に生まれ落ちた1回きりの人生の唯一の存在
‟であるにもかかわらず”、
〈他の人々〉ばかりでなく、
〈あらゆる生命〉も
そして同様に〈自分自身〉さえも
なぜ《無用だと思える》のか?
と考えたときに
現時点で自分なりに思いつくのは、
《自分など生まれても生まれなくても
どうでもよくて、
資源以上でも以下でもない》から、
と思っているからこそ、なのではないか?
とボクは思うのですが、
あなた様は、
どう思われますでしょうか?
―――・―――・―――・―――・――――
さて、本当は、
前回記事内に納めれれば好かったのですが、
文字制限の都合上、
納めることができなかった動画やコメントを
今回、付け加えさせて貰いました。
――付け加えなかったほうが、よかったのかも――
フランクルの講演録を引用していて、
様々なことを連想したのですが、
その中から、大江健三郎氏による
「核シェルターの障がい児」という論文だけ
取り上げたいと思います。
――今回記事も、
当初は全く予定していませでした――。
フランクルの講演録の読了後に、
「核シェルターの障がい児」を読み返すと、
〈演奏する養護学校の在学生たち〉は特に、
〈「態度(価値)」と「被愛(価値)」との結晶的存在〉
のように、見えてきます。
しかし、おそらく言わずもがな、
それは、障碍児に限ったことでは勿論ありません。
また、この論文には、
養護学校に通う児童だけでなく、
「被爆者援護法」制定を求めて運動する
〈原爆被災者〉の姿も、出てきます
2017年9月現在、
〈有志がた〉が
国連会議で「核兵器禁止条約」を
採択させてみせた今日では、
その文章の見え方が、
また変わって見えてきますが、
この論文が書かれた1981年当時、
原爆被災者がたが
「被爆者援護法」制定を求めて
運動をしてきた姿も、
「態度」としても見ること出来ます。
“**君よ、
この核シェルター推進運動への僕の今の疑いの声を、
さらに確実に、
自分らの悲惨な経験と
それに耐えて行きぬいてきた意志と知恵にたって、
より綜合的、実践的に発しつづけてきた人びととして、
広島、長崎の原爆被災者がある。
かれらの組織としての被団協は、
地道に根気づよく「被爆者援護法」の制定をもとめて運動してきた。
(中略)
この援護法は原爆被害者の、
いかにも特殊な激しさにおいて、
綜合的な破壊をこうむった実情について、
国家につつましい補償をもとめるものである。
もっともその国家補償をもとめるという問題のたて方自体に、
核攻撃をおこなったアメリカと、
それにいたる戦争をひきおこした日本への、
両政府の責任を問う行為がかさなっているのでもある。
それは核攻撃への日本政府の責任を主張するということにも展開するものだ。
つまりは核シェルター・ヒステリアへの
非論理的、半想像力的な自己没入のかわりに、
より合理的で、未来への洞察に立った、
人類を救助するための努力として、
そのすくなくとも最初の石をつむための、
日本人独自になしうる行動として、
「被爆者支援法」を国家に要求する運動がかさねられてきたのだ。
しかし今年はじめになされた、
いわゆる学識経験者からなる原爆被害者対策基本問題懇談会の
厚生大臣への答申は、右に要約したような、
被爆者たちの要求にの根底にある思想を、
すべてはねつけるものだったのである。
それはいかにもさきに僕が書いた、
「福祉国家より軍事国家へ」のプログラムに見合う方向づけの、
答申であったとすらいえるだろう。
つまりは「被爆者援護法」より、核シェルター推進へ、
というあからさまな意図に立つものであった
というよりほかあるまい。
**君よ、
それは現実に被曝の悲惨のを経験して、
同じことを再び人類に繰りかえすまいと決意した運動より、
あえて明日の日本人の被曝を覚悟しても、
なおかつ核攻撃の脅迫競争の一陣営に参加しようという運動へ、
わが国とわが国びとを動かして行こうとする勢力が、
いまや政府に関わっては優勢であることを
示しているのではないであろうか?
すくなくとも事実として表面にあることとして、
政府与党の国会議員と、
厚生大臣の諮問機器案の学識経験者らが、
こぞってそちら側に立っているのである。
かれらを背後で支える者らを加え、
かれらが総ぐるみで憲法のつくりかえをもくろむ時、
その目標が憲法第九条の改廃を実際におこなうことであり、
つづいてすすむところが日本の核武装の道であることを、
誰が疑えようか?
**君よ、
核シェルター推進と
「被爆者援護法」運動の根本思想のあからさまな否定とをかさねて、
もしきみが右の結論にいたらぬとしたら、
僕はきみが想像力を持つ人間だとはいいえまいと思う。”
そして「核シェルターの障がい児」という論文には、
愛される存在(対象)として
掛け替えのない唯一の存在としての〈障碍児〉が、
《非生産的》として
《核シェルターを象徴とする箱舟から
締め出される存在》として指摘されるように
読むことができる文章があります。
“軍事国家の国民総動員の、怒涛のような足音が
すでに響いてくるようではないか、**君よ。”
右〔岸信介を会長する自主憲法期成議員同盟による要請書〕のような
声高で呼びかける国会議員たちが、
また核シェルター推進運動の担い手ともかさなるにちがいないことは、
あらためて名簿をつきあわせてみるまでもあるまい。
さきの星野論文は、
アメリカで論議された、
大学専用の核シェルターから隣人を排除するための機関銃配備や、
実際に売りに出された核シェルターの備品としての、
生きている間は寝袋に使えるビニール製棺桶など、
グロテスクな、しかし実際おこりうること、
おこっていることについてもつたえているが、
これらわが民族の新しい活力をかきたてようとする政治家の核シェルターに、
障害児らの居場所はありうるものだろうか?
おそらくかれらはその隅っこの、もっとも条件の悪いところに
居場所をあてられることもなかろう。
まっさきにかれらは、
核シェルターで保護される(すくなくともそのつもりで)成員たちから
除外されるだろう。
核シェルターに閉じこもってビニール製棺桶を寝袋として使いながら、
選ばれたる者たちは、核攻撃直前の戸外からの、
障害児らが演奏する、あの陽気で悲しく、励ますようであり、
なんとも懐かしい音楽を、かすかに耳にするだろうか?”
非生産的として、からか、
《核シェルターから除外される》であろう
障碍児たちが「演奏する、
あの陽気で悲しく、
励ますようであり、
なんとも懐かしい音楽」
というのは、
“**君よ、僕は昨日、
息子が高校生として入る養護学校の入学式に出た。
在学生たちが、
中学と高校の新入生を待っている講堂に、
僕ら父母も先に入って開式を待つ。
若い先生が、
厚いゴム底の靴をはいて
下半身のバネがいかにもよくはずむ人なのだが、
痩せた上体をまっすぐ伸ばして指揮棒をふる。
(中略)
この先生の指揮にこたえてザイロフォンやアコーディオン、
それに各種の打楽器を、子供らが緊張して演奏する。
湧きおこる音楽は、陽気で悲しく、励ますようでもあり、
なんとも懐かしいものだった。
(中略)
この養護学校に学ぶ知恵遅れの生徒らの
(そしてそのほとんど誰もが、
かれに知恵遅れをもたらしたものによる二重、三重の障害を持っているのだ。
現に僕の息子は、癇癪を発してしまったから、
その抑制剤を服用していなければならぬ。
つまりはつねに茫然とした具合でいなければならぬ、
そのような子供らの)バンドの演奏の仕方自体に、
なによりもまず揺さぶりたててやまぬ力があったのだ。
陽気で悲しく、励ますようでもあり、なんとも懐かしい、
と僕は書いたが、
**君よ、これは障害児とともに生きている人間の大方が、
しばしばその子供の関わりで感じとる、
ほとんど生活の基本をなす感情のひとつではないだろうか。”
というものであるのですが、
ぼくは、
この養護学校への新入生を迎えるために
日々練習をし、
入学式の会場で、
緊張しながら演奏する在学生の姿に
〈その場に臨んで演奏するという「態度」的側面〉と
〈大江健三郎氏たち父母らが、
愛おしく懐かしく、その演奏を聴く、
という点での「愛される存在」としての側面〉と
〈その演奏が父母ら周りの存在を励ます、
という意味で、
他者との関係における「態度」的側面〉とが、
交差している結晶のようで、
或る「いのちのかたち」として
煌きを放っているのを
目撃している感覚に包まれます。
〈他者〉を態度的存在として捉えた場合、
老若男女、いのち問わず、
そこに差別が差しはさむ機会が生じず、
貴賤なく尊敬を以って
態度や行ないとして、
「或る唯一のいのちのかたち」
「ある唯一のいのちの物語」
「ある唯一の態度による連続した生の形」として
〈自他〉を捉えさせてくれる人の見方として、
フランクルの講義録に交差するかたちで
いまひとつ、
鈴木大拙が紹介した
「大慈大悲」観をもって、
今回記事を締めくくりたいと思います。
‟禅坊さんにこんな歌がある。
生きながら
死人となりて
なりはてて
思ふがままに
するわざ〔業〕ぞ よき
(すこし違ったかもしれぬが)、
こんな具合に人間は
どうしても一遍(いっぺん)死んで来ぬといけない。
[動物など]他の一切の存在には、うそがない。
それで死ぬ必要がないが、人間には虚偽がある。
この虚偽の出るもとを見つけて、
それを抑えておかぬといけない。
これを死という。
しかし このうそのできるのが、
人間の人間たるところで、
うそのいえぬ天人や木石や犬猫では、
人間としての価値はない。
「阿弥陀さまよ、どうぞ自分の煩悩を皆、とってくださるな、
これがないと、あなたのありがたさが、わかりませぬ」
と、真宗の妙好人(みょうこうにん)はいうのである。
煩悩即菩提(ぼんのう そく ぼだい)の片影を
ここに認めうるではないか。
人間としての自由は、木石などの自由と違う、
また極楽や天界の住民とも違う。
仏は涅槃に入るのをやめて、
菩薩のまま この娑婆界に生死するという。
涅槃に入ったり、天界に生まれたりしては、人間の自由はない。
人間は
煩悩に責められる娑婆にながらえて、
「不自由」のなかに、自立自由のはたらきをしたいのだ。
ここに人間の価値がある。
人間は
積極的肯定の上に卓(た)っている存在である。
人間には
自分の自由と不自由とを
自覚し分別し煩悩(はんのう)する自由がある。
これは他のいかなる存在にも見られぬところである。
その上、その分別性のゆえに、
他の自由を尊重し、他の不自由を共感する。
煩悩(はんのう)する(この場合ボンノウとよまぬことにする)。
つまり人間には、自分の外に出て
また自分を見ることができるはたらきがある。
このはたらきの故に、人間は、
自分らの社会的集団だけでなく、
自分以外の他の生物でも無機物にでも
何でも一つにした絶大の社会集団を認める事ができる。
これを仏の煩悩という。
大慈大悲ともいう。
弥陀の本願の出処はここにある。
このゆえに、人間を
他の生物に比べて見てばかりいられなくなる。
弱肉強食とか適者生存とか優勝劣敗などという
生物界の現象を見て、人間も生物だから、 それでもよいのだなどという人がある。
地獄は このような人々のために用意せられてあるのだ。
生物界の進化論は、人間界に、
その部分を応用するわけにゆかぬ。
(中略)
「空」がわかるということは、このただいま[只今]がわかるという意味である。
ただいま[只今]を手に入れなくてはならぬ。
このただいまを 無限そのものだと悟るとき、
零(ぜろ)すなわち無限(インフィニティ)の式が成立する。・・・・”
(鈴木大拙「自由・空・只今」、『東洋の見方』P.64-73)
人生、お疲れ様です。
〈つぎのページ【11】へ続く〉
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
【追記】
そんな私たち一人ひとりが生きている
「現在の世界」というのは
つぎのように出来ているように思っています。
‟戦争という膨大な事件は、
その巨大なまでに空しい必然性のなかに、
無限の偶然性を内包しており、
人々がぶつかるその一つ一つの偶然性の総体が、
その人、一人一人の場から見ての戦争そのものであった
と言えるようなものなのであったかもしれない。
そうして、その一つ一つの偶然性は、
その人一人一人の生と死にかかわった。
私個人の場合、一度召集をされて
内置での訓練期間中に病気になり、
三ヶ月後の陸軍病院生活の後に召集を解除され、
田舎で療養をし、その前半の半ば頃に
ふたたび上京をして来ているものであった。
私のいた部隊は、米軍の攻撃直前に、
サイパン島補強のために送られ、
到着直前に輸送船の大半を沈められて
全滅をしてしまった”
(堀田善衞『方丈記私記』(ちくま文庫 P.10)
――――――――――――――
カタルーニアのコスタ・ブラバ海岸ちかくの田舎に住んでいたとき、
たまたま対岸のモロッコと通じている。
海底ケーブルの切り口を見せてもらったことがあった。
太い、土管ほどもあるケーブルのなかに、
数として何十とも何百とも私などには数え切れない、大小の
――といってもそれほどに大と小との区別はなかったが――
電線とがぎっしり詰め込まれていた。
私はその太い、土管用のケーブルの切り口、断面を、
実に感動を以て眺めていた、と言ったとしたら、
笑い出す向きもあるであろうか。
私が感動をしたのは、その切り口、断面なるものが、
時間の次元においては、
現在を、現在のみを示していて、
未来も過去も一切かかわりなしに、
ひたすらに現在だけを示すものである、
と私は視えたからであった。
人間にかかわりのあるもので、
ひたすらに現在だけをしているものというのは、
そうそう数多くあるものではあるまい、
という前提がおそらく私の、この奇天烈な感動に、
付随をしていたものであったであろう。
その切り口、断面に、
何十か何百の金属品の輝光を放っているものが、
ひしめきあっていて、これが用を為すのは、
ひたすらに現在の次元においてである。
現在というものは、なるほど、こんな形をしているものであったか、
と私は感動をしたのであった。
(堀田善衛『時空の隅っこ』ちくま文庫 P.26-27)
――――――――――――――
‟現に存在するもの、何かしらの仕方で発生したものは、
それよりも優勢な力によって幾たびとなく新しい目的を与えられ、
新しい場所を指定され、新しい功用へ作り変えられ、向け変えられる。”
(フリードリッヒ・ニーチェ/木場深定(訳) 『道徳の系譜』 岩波文庫、P.89)
――――――――――――――
‟人間は自分たち自身の歴史をつくるのであるが、
しかし、それは、
自分で好き好んで選んだ状況の下で、ではない、
それは、
当面にある、過去から持ち越されてきた環境のもとで、
自分たちの歴史を創る、のである”
(カール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』)