「市場原理と地方自治体」(補注1)-「債券の利回り」について- |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

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徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。

(つたな)いながらも、
私なりに、前回の記事でつけた「※註」についての説明をさせていただきます。

不適当、不適切な説明でしたら、
まことに恐縮ですが、
御意見・御忠告をいただけましたら幸いです。

※1)”財政力の弱い自治体が地方債を出そうとすれば、利回りはとても高くなってしまう”について

「地方債」は、”債券”の一種です。

と言われても、”債券”という存在は、ふだんの私たちの生活では、なかなか身近なものではないはずです。

 そこで、「債券」について、すこし押さえておきたいと思います。

 たとえば自分が、何か事業をしたいけど、
おカネ(金策)に困っているとしましょう。

 そんなとき、銀行や信用金庫など金融機関から、おカネを借りる方法があります。

 でも、その他に、おカネを調達する方法の一つとして、
債券」を発行する、という方法もあります。

債券には、地方自治体が発行する「地方債」、国が発行する「国債」、会社が出す「社債」などがあります。

 いま大金を調達したいから、
「債券」を発行するとしましょう。

いま自分は、債券を発行するので、証券会社に行って、じぶんの債券を発行してもらいます。

そして、発行された自分の債券を、投資家に買い取ってもらう見返りに、その利息を、定期的に払っていきます。

5年後なり10年後なり決めたの返済期限(満期日)に、元本([債券と引き換えに]借りた金額分)の約束を示して、
その返済期限までは”定期的”に、最初に定めた利率で、利息を支払っていくことを示して、
「債券」を証券会社で発行してもらいます。

「債券」の利息についての話題で、本題から、ちょっと外れますが、
ちなみに、安く買い物やサービスを買うのに、
”クーポン券”というものを利用する事はありませんでしょうか?
スーパーのチラシなんかで、見かける例のものです。

割引になったりする”クーポン券”という存在は、もともとは、「債券」の利息の支払いの仕組みから、派生しているはずです。

 たとえば、あなたが、ある債券を購入して=引き受けて、
いまから10年後に、投資した元本のカネが返ってくるとして、
それまで定期的に、合計10回の利息支払いを受ける立場に立ったとしましょう。



「債券」(画像上部)クーポン券画像下部

元本の返済をしてもらうのにもっておく債券に付属した形で、下にクーポン券”が付いています(番号が振ってある)。

この債券の子分みたいなものが”クーポン券”で、定期的に利息を受けとる度に、クーポン券が、ひとひとつ無くなっていく訳で、
最後に債券が残って、債券と引き換えに、自分が引き取った(購入した)元本のおカネが、返済期限日に返ってくる、という仕組みなのでした。

チラシの”クーポン券”も、そのサービスを利用する度に、クーポン券を、切り取っていきますね。

債券の話に戻りますと、
債券を買い取ってくれた投資家相手に、(かつては”クーポン券”と引き換えに)
”定期的に利息を払って”いって、決めた返済期限日に、債券と引き換えに借りた元本を返す訳ですが、
 たとえば、あなたは今、おカネを、債券に投資して、利息を得ようとする投資家だとします。

一方、いま高樹は、証券会社にいって、
債券を発行したとします。
10年後に借りたカネを返させてもらいますが、
そのまでの間に年1回、債券を買ってもらった金額の2パーセントの利率で、お支払していきます、
と謳(うた)っていたとしましょう。

でもあなたは、
高樹という、どこの馬の骨か判からず、
潰れたりされたら、投資した元本すら返ってこないかも、
と怪しんでいます。

それは貴方さまだけじゃなくて、ほかの投資家の方々も、同じく怪しんでいて、
年2%の利率(利回り)の高樹の債券なんて、
誰も相手にしなかった、としましょう。

さて困るのは、資金を調達できずにいる高樹です。

高樹は、じぶんが発行した債券を、投資家に引き取ってもらう事で、おカネを調達するために
どのようにして、投資家を引き寄せようとするでしょうか?

信頼度が無い分、高樹は、
債券の利率(利回り)を高くすることで
投資家の気を引こうとします

たとえば、3%に利回りを引き上げたとしましょう。
→どの投資家も相手にしない。

では4%に利回りを引き上げた
→それでも不十分。

ならば5%に引き上げる・・・・

つまり、債券と引き換えに、貸したおカネがちゃんと返ってくるかどうかその信頼度や安定性が不安定だったり暗ければ
それだけ投資家にとっては、
それに貸しても貸し倒れにならないかどうか
その投資リスクが高くなり躊躇(ちゅうちょ)するわけです。

そして、債券を発行する側と、その債券を引き取る投資家との間の、
需要と供給との関係ぶりが、
債券の利率/利回りに、表われてくるのでした。

つまり、貸し倒れリスクが少なく、安定していたり信頼度が高ければ
その利率が低くても、その債券に投資する投資家がいる、という事です。

ギリシャ国債という債券の利率が、グンと跳ね上がってきた理由は、
ギリシャの財政が、危機的状況にあるからで、
ギリシャ債券を購入して(引き受けて)も、
貸し倒れになる危険性(リスク)が、つきまとっていることを物語っています。

一方の日本国債は、財務省やマスコミが、
危機だ、と”煽っている割には、低い利率”です。

ただし、お断りしておきますと――あくまでも高樹の拙い見方での話ですが――、
低い利率で、
日本政府が、日本国債を、
”低い利率”で、アホみたいに、
じゃんじゃん発行することができる裏には、
ゆうちょ銀行・かんぽ(旧郵政公社)が
日本政府が、アホみたいに、じゃんじゃん発行する日本国債を、引き受けてくれるからでありました。

それもあって、日本政府は、安定した低い利率で、
ゆうちょ銀行・かんぽ(旧簡易保険)などに、日本国債を引き取ってもらうことで、
資金を調達することができたのでした

私はギャンブルにハマるのが恐くて、
ギャンブルに疎(うと)いのですが、
競馬などでも、”オッズ”というのが有りますね。

評判の高い競争馬で、
そのおウマさんの馬券(「ばけん」。「うまけん」にあらず)を購入する人数や、
その馬券購入者が賭けた金額の総額が、大きくなればなるほど、
オッズは低くなっていくはずです。
その”馬券のオッズ”と”債券の利率”は、
「投資リスク」という点で、置き換えると
すこしはイメージしやすくなるかも知れません。


ここで、ようやく註釈に入ります。

「その仕組みが
小泉内閣による郵政民営化によって、
これからなくなっていくわけです。
郵政民営化は実に深刻な問題を背景に抱えていて、
これまで地方債を引き受けてきた郵貯、簡保なくなると
その分は民間の債券市場から調達するということになります。
市場から調達すれば完全な市場メカニズムの中に
地方債も入っていくことになり
債券を購入する相手は
もちろん民間金融機関であり、
彼らは私的利益を追求するわけですから、
倒産リスクの高い自治体の債権ほど利子が高くなるわけです。」

「そうなると財政力の弱い
たとえば島根県の寒村だとか、
鹿児島県の沖の離島だとかの自治体が
地方債を出そうとすれば
利回りはとても高くなってしまう

これまでは、日本政府による日本国債も、日本の地方自治体による地方債も
そうした債券を発行しても、

何百兆円という資金規模をほこる「旧郵政公社」の預金と簡保資金とからなる運用資金が
そうした債券の引き受けのために、使われてきまし

それが郵政公社の「完全民営化」により、利率の低い日本国債なんかよりも、利率の高い海外に、
完全民営化以後のゆうちょ銀行の預貯金や、かんぽの保険資金が、流出することになる事で、
すくなくとも、地方自治体による地方債を引き受けてくれる財源を
失うことになります

経済力があり、また財政力がある地方自治体にとっては困らないのですが、
しかし他方、アメリカからの内需拡大の要請バブル経済の発生と崩壊
スイスのバーゼルにある国際決済銀行による「バーゼル規制(BIS:銀行の自己資本率維持を義務づけるもの)」、
小泉政権による「構造改革の徹底(とくに「地方交付税交付金の削減(=地方に支出するカネを削ること)」、
小泉政権による強硬的な不良債権処理」など、
とにかく、”その地方自治体の責任ではない外部からの影響”でもたらされた、地方の借金や地方経済の衰退により、
その財政力を期待できない地方自治体が
じぶんのところの地方債を
民間市場に出品して投資家に引き取ってもらおうにも
ギリシャ国債よろしく、
財政力が弱い地方自治体は

利率を引き上げる事で

投資家(民間の金融機関)に、
何とかして地方債を引き取ってもらおうとします。

かりに、高い利率で地方債を発行することで、
何とか債券を引き取ってもらった、としましょう。

すると今度は同時に、
その自治体は、高い利子を、
返しつづけ無ければならなります

どうやって自治体は
利子を払うための財源を捻出(ねんしゅつ)し、
借りたおカネ(元本)も返すのでしょうか?

債券の<利子の支払い>と<元本返済>とに対する支払のために、
公務サービスの予算がどんどん削られていくにつれて、
公務サービスの非正規労働者使用避けることができなくなったり
サービスの質が劣化していくのではないでしょうか?
(関連記事)http://ameblo.jp/hirumemuti/entry-11184289020.html

さらに、利払いや返済などのための自治体予算の削減で、
公共サービスが民営化されていく事で、
何もかもが、「大事かどうか」や「重要かどうか」という尺度ではなく、
市場の原理」に、左右されつくされてしまうのでは・・・・ないでしょうか。


「マッチ擦(す)
つかのま海に霧(きり)ふかし
身捨つるほどの祖国はありや」

とは、
(故)寺山修司という方(かた)による短歌。

その解釈をしている一つで、
「橋の下の蜘蛛  ―短歌の鑑賞、歌集評、書評など―」というWebページに出会いました。
http://d.hatena.ne.jp/kenshiro55/20110502/1304273896

その一部を引用させてもらうと、

”寺山のこの歌は、1957年1月に出版された作品集『われに五月を』の「祖国喪失」と題された一連に収録され、さらに翌年出版された歌集『空には本』にも収録された。
歌人が「身捨つるほどの祖国」と詠う背景には、太平洋戦争において、大日本帝国のため、天皇のためと信じて、戦い死んでいった上の世代の姿がある。
寺山の父は、太平洋戦争の末期にインドネシアのセレベス島で死んだ。
 この作品が発表された当時の日本は敗戦から立ち直り、復興に向けて走りはじめていた。そうした戦後の復興の中にあって、人々は国家の軛から解放されて自由を謳歌しているはずだった。
 一方で、高度経済成長期に突入した明るさのなかで、信じるべき理念を失った不安や虚しさが、人々の内側からじわじわと精神を蝕みはじめていた。
一部の敏感な精神の持ち主は、多くの人が希望に満ちた未来像を語るのを横目で見ながら、足元から忍び寄る虚無の影を確かに見ていたに違いない。
  霧に閉ざされた海のイメージは、当時の社会に広がり始めた不安や虚しさを象徴している。また、「身捨つるほどの祖国はありや」という切迫した問いかけに、 国家ばかりか、命をかけて信じるほどのものは、自分には何も無い、という宙吊り状態の不安定な気分を聞き取ることができる。”

ーとあります。

今度は、高度経済成長で形成された経済すらも剥(は)ぎ取られて、
売国政治家とハゲタカ外資や多国籍企業とによる悪業三昧(あくぎょうざんまい)により、
ほんとうに物質的にも、祖国を喪(うし)ってしまう事になりかねないのではないか、
と皮肉る高樹でありました。


今回は最後に、「いい知らせ」と「悪い知らせ」とお知らせして、
残っている註釈の説明を、次回に持ち越したいと思います。

まず「悪い知らせ」から。

「悪い知らせ」と言いますのは、
”貧困大国アメリカ”あるいは”超格差大国アメリカ”の現状を知らされる限りにおいては、
内橋克人『悪夢のサイクル』の指摘が、信憑性を持っていること。

そして「いい知らせ」というのは、
それを、今ならば”くい止め”、”挽回することができる”状態にあるはず、ということ。


※補注の2、3は、次回に回したいと思います。



(つづく)
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高樹辰昌