前回(地方交付税交付金などの削減がもたらした悲惨)は、
地方から中央におカネが流れたままで、
その都会に集まったおカネの運用益が、
中央から地方にカネが配られる「地方交付税・地方交付金の削減」など「緊縮財政」という形で、
しかし今度は、中央から地方に返されない・還元されない」ようになると、
どういうことが起こったか、について、
(Ans.⇒デフレ経済の深刻化、
ゼロ成長・マイナス経済成長、
地域銀行などの不良債権の増加、
地方経済の融解が起こった)
菊池英博『消費税は0%にできる』の引用をもって、
勉強しました。
今回は、”公共投資削減”で、
むしろ「税収が激減」してしまった事について、
相変わらず『消費税は0%にできる』から、
学んでいきたいと思います。
”日本の石油危機(一九七三年と一九七九年)後の安定成長時代に入ってから、
民間では使いきれない預貯金を
政府が公共投資として地方に仕向け、
地方経済を底上げすることで
民間投資を喚起し、
中央政府に集中したおカネを
地方に循環させることに成功した。
こうした政策が、
石油危機以降の安定成長時代に、
日本経済の発展を促進した主要因である。
ところが、二〇〇一年度から公共投資の削減によって、
二〇〇八年度までの八年間の累計で
公共投資は一三兆円削減された。
一方、この間、税収の減少額を累計すると、
三八兆円に達している。
財政危機を煽って公共投資を削減してみても、
不況を起こして、
[その起こした不況による]税収の激減額が
削除額の三倍の三八兆円にも達している。
不況のときに投資関連の財政支出削減をすれば、
景気が一段と悪くなり、
税収が激減する。
経済常識のイロハに反する政策をとってきたのが、
構造改革である。
国民は
「公共投資を削減すれば
政府債務が減る」
と騙されてきた。
これが間違いであったことが
証明されたのである。”
(《公共投資削減で税収が激減した》
『消費税は0%にできる』P.33-34より)
”国の緊縮財政(国の支出を倹約化する)、
地方交付税交付金と公共投資の削減で、
かなりの地域がマイナス成長に追い込まれており、
財政収支も慢性的な赤字基調に追い込まれている。”
(菊池英博『実感なき景気回復に潜む金融恐慌の罠』P.33)
「われに通貨発行権を与えよ、
されば、誰が法律をつくろうとも構わない」
というアムシェル・マイヤー・ロスチャイルドの言葉が、
前々回(「地方交付税交付金」について)、
前回(地方交付税交付金などの削減がもたらした悲惨)、
そして今回、の記事で、引用記述していると、
なぜか連想されます。
ロスチャイルドの言葉が語っているのは、
中央銀行による通貨発行の権限(通貨の流通量をコントロールできる権限)を手中にすれば、
政治、世の中の経済や社会を、
如何ようにも左右できる事についてでありますが、
ここ何回かの記事で見てきた「地方と中央との資金循環の停滞化や一方通行化」により、
という形で、”おカネの流れ”を変えるだけでも、
経済や社会が、これほどまでに激減してしまうものか、
という事を、すくなくとも個人的には、学ばされるからです。
私たちは、「構造改革」が始められてからの10年以上の間、
政府が統計で発表される「実質GDP成長率」という形や、
日経平均株価で示された”景気の回復ぶり"(2002年~2008年)にもかかわらず、
あいかわらず、薄氷を踏むような不安につつまれた私たち庶民の生活や雇用状況、
また経済的な理由からくる自殺、
経済的事情からくる家庭の崩壊や離婚、
殺伐とした職場で発生してしまうパワハラやセクハラなどのイジメ、
女性や子供や高齢者、そして動物たちへの虐待、
過労問題などに、苦しめられつづけています。
そんな状況下で、なんとか自分を奮い立たせて、
なんとか自分に活をいれるために言い聞かせる、現状についての「解釈」が、
「不景気だから仕方がない」
という、いち解釈ではないでしょうか?
しかし、この「不景気だから」とか
「グローバル化だから」
という解釈で、
とりあえず納得させるとなると、
「規制緩和」や「構造改革」の”功罪”を、
拾い上げるという事が、まず起こりません。
その解釈の仕方で、とりあえずは世界観が完結してしまっているからです。
「不景気だから」という解釈フィルターの肌理(きめ)の粗(あら)さでは、
こうした事実を知らされたり、発見しない限りは、誰であっても、
残念ながら、
「構造改革の功罪」の数々は、
自分に拾われずに、ザルのように、こぼれ落ちてしまいます。
「規制緩和」は、
「官僚・省庁のスキャンダル」・「官僚への反感・怨念(ルサンチマン)」からくる反動や、
「グローバル化からくる国際競争に取り残されることの脅威」を理由にして実現されたものなのですが、
しかし、皮肉なことに、国民の労働や経済は、むしろ、その「規制緩和」により、
もろに「グローバル化」の猛威に晒(さら)される事になりました。
「構造改革」による緊縮財政のせいで、
地方経済が崩壊し、税収が激減したのに、
そうした”政策”が原因で、つまり「失政」で起こった悲惨が、
「不景気だから」という(漠然とした)解釈の「ブラック・ボックス」で、国民や庶民が解釈して、各自が自身に言い聞かせてくれれば、
「構造改革」や「規制緩和」を実現してきた当事者たちにとっては、
これほど好都合で、ありがたいことは無いのではないでしょうか。
いや、より妥当な言い方をすれば、
自分たちの生活や現状が、厳しいのは、
「不景気だからだ」と解釈して、自身に言い聞かせてきたのに、
この苦しい状況をもたらしている根源の主な一つとして、じつは「規制緩和」や「構造改革」がある事を、新たに発見したり、知らされる事で、
はじめて、これまでの「不景気だから」という解釈の仕方が、じつは、
苦しい現状に対する、(肌理(きめ)の粗(あら)い)「ブラック・ボックス」的な解釈であったことに、気づかされるのですから――しかし、何についての物の見方にしても、肌理を細かくしてゆく作業に、終わりは無いでしょう。その証拠に、1年前、5年前、10年前の自分の世界観と、いま現在の自分の世界観とを比較してみれば、納得されるはずです。たしかに当時は当時なりに、自分がもっている世界観は、それなりに不自由なく、完結していました。がしかし、いま現在の自分の世界観からすると、世界を見るのに、そのキメは粗く、奥行きも乏しく、不十分なものであるはずです――。
さらにマスコミも、国民を騙し続けてくれるおかげで、
政界引退後も、小泉純一郎(元)首相は、
ブッシュJr.の東京ドームの始球式で、
観客席の観衆に向けて、”手を振ることができました”し、
また去年の横須賀での講演では、
”「脱原発」を主張して、人気を取って”います。
もし国民のほとんどが、
「構造改革」がもたらした数々をはじめ、
小泉政権がやってきた数々を知っていたら、
小泉(元)首相は、おもてに堂々と、
姿を現わす事など出来ないのではないか、
と私は思います。
次回は、
「緊縮財政(国の支出をしぼること)」の一環として、
地方交付税交付金・公共投資が削減された事により、
税収が激減したにもかかわらず、
”その地方への公共投資の削減で減少させてしまった税収の範囲内で、
財政支出のやりくりをする”という「悪循環」の指摘を、
あいかわらず『消費税は0%にできる』から、
学んでみたいと思います。
(参考記事)
「構造改革」の正体 (プロローグ・私物化・買収される政治~日本編~)
小泉政権が拡大させた「財政赤字」と「国債発行残高」!?
小泉政権時の「緊縮財政」も、アメリカが要求し、仕組んだものだった!?