●うどんを食べれて涙を流す人もいる

 

 


占いの仕事をしていると、

 

 

例え自分の領域では無くても、

 

 

自分の利益にならなくても、相談者の為になると思えば、他の手立てを考える時がある。

 

 

それは折角自分を頼って病院に来てくれたのに、自分の範疇を超えると感じて、

 

 

他の医者を紹介する医者と似ているのかもしれない。

 

 

 

 

 

医者と比べたら、奥がましいと言われるかもしれないが、

 

 

ある日、こんな相談者が居た。

 

 

他はいたって健康なのだが、利き手を怪我して箸が持てないという。

 

 

先生は普段、ご飯を箸で食べるのが普通でしょうが、

 

 

私はご飯をスプーンでしか食べれません。

 

 

なんと味気ない事か分かりますか。

 

 

それに昔は御蕎麦(そば)が大好きでしたが、今は食べれません。

 

 

すみません。こんな愚痴を言うつもりは無かったのですが・・・・・

 

 


私は彼女に、ある特別な箸を勧めた。

 

 

 

 

 


その箸は、手に障がいがあり、震えてしまう方にも、

 

 

親指と人差し指が使えなくても、

 

 

ちゃんと握れる様な作りになっていて、

 

 

安定感もあり、握りや軽さなども工夫がされている、箸なのである。

 

 

障害者だけでなく、お年寄りや、力の無い子供

 

 

そして、箸の文化の無い外国人まで使える箸なのである。

 

 

 

 

 

 


それは今から24年前の事である。

 

 

 

 


一人の男が、鋳物工場で毎日働いていた。

 

 

工場では、 気体中に浮遊する粉塵などを集めて取り除く装置として、

 

 

集塵機が設置されている。

 

 

ある時、彼(中川さん)は、その集塵機についているミキサーに、

 

 

右手を巻き込まれてしまったのです。

 

 

気絶しそうな痛みが彼を襲いました。

 

 

なんとか機械から右手を引き抜いてみると、

 

 

なんと右手の中指がありません。

 

 

 

直ぐに病院に駆け込み、先生のおかげで何とか中指はつながりました。

 

 

しかし、指は繋がったものの、まったく動きません。

 

 

彼の右手は、箸が持てない手となっていたのです。

 

 

その後、腱を移植も行ったのですが、動くのは僅かでした。

 

 

彼は慣れない左手で箸を使って食べれる様に訓練しました。

 

 

しかし、慣れない左手で食べると、徐々に左手が疲れてきて、

 

 

疲労感が、彼の食欲を奪うのでした。

 

 

その後も、何とかして右手が動くようにならないかと、

 

 

3度も手術をしましたが、指が動く様になる事は無かったのです。

 

 

 

 

 


そんな時、彼はふと、

 

 

指が動かないなら、箸に何か工夫が出来ないかと思いついたのです。

 

 

彼はリハビリをしながらも、自分専用の箸を作り始めたのでした。

 

 

市販の箸にグリップを付けて手の中で安定させるという箸を開発すると、

 

 

何とかこの箸で食事をする事が出来る様になったのです。

 

 

その時、中川さんは改めて食べる事の大切さを学んだといいます。

 

 

この事を病院の先生に話すと、

 

 

貴方と同じように右手に麻痺がある患者さんが居るので、

 

 

良かったら、彼にも使えるか試してみてはと提案されたという。

 

 

 


その患者さんは、数年前に脳溢血(のういっけつ)で、

 

 

右半身麻痺となり、少しは回復したものの、

 

 

また脳溢血になり、今度は左半身麻痺になられた方で、

 

 

麻痺の残る右手でスプーンを使って食事をしている方でした。

 

 

勿論、食べる時に箸を使って食べるなど、あきらめていた人でした。

 

 

そこで、病院の食事のメニューが「うどん」の日に合せて、

 

 

彼に開発した箸を使ってみてもらう事になりました。

 

 

彼は恐る恐る中川さんが作った箸を手にとり、麻痺の残る手につけました。

 

 

 

するとどうでしょう。

 

 

今まで出来なかった箸で、うどんを食べ始めたのです。

 

 

そして、うどんを食べながら、突然泣き出したのでした。

 

 

「スプーンで食べるのが悔しくて情けなくて。

 

 

 それが何年かぶりに自分の手で箸で挟みながら食べられましたありがとう。」

 

 

中川さんは、患者さんからその言葉を聞くと、一緒に感動し、

 

 

改めて、箸にはすごいパワーがある事に気づかされたといいます。

 

 

そして、この感動を、多くの手が不自由な人に味わってもらいたいと思い、

 

 

それから仕事の合間に、養護学校や養護施設を回り、改良を続けたのです。

 

 

 


研究を開始してから2年たっていました。

 

 

 

彼は出来た箸を、多くの人に使ってもらおうと思い、

 

 

「作業療法士の全国大会」が東京の八王子であるのを知ると、

 

 

急いで新幹線に乗って、自分の開発した箸を出品したのでした。

 

 

すると、全国から来ていた先生方が、彼の箸を手にとってみて、

 

 

使ってもらうと、驚かれたり、感心されたりしてもらったといいます。

 

 

しかし、いざ販売するとなると、話は別でした。

 

 

そこにみえていた大手の会社のバイヤーの方は、一応は感心したものの、

 

 

「デザインが良くないね。」

 

 

「いかにも手作りで商品性が低い。」

 

 

「それに価格が高すぎるよ。」

 

 

「これじゃ、売り物にならない。

 

 いくら性能が良くてもウチでは扱わない」

 

 

との厳しい意見の数々だったのです。

 

 

 

 

 

また、箸を買う人の需要が無いという指摘もありました。

 

 

当時の福祉用品の業界、特に自助具の「箸」の市場は、

 

 

まったく無い言ってよく、

 

 

障害がある人は、箸など使わず、スプーンやフォークで食べればいいんだよ。」

 

 

という考えだったのです。

 

 

でも、想像してみて下さい。お刺身おソバ煮魚を、

 

 

スプーンで食べる味気なさ。  私がそう思った様に、

 

 

障害者の方だってきっと「お箸で食べたい!と思う人がいるはずです。

 

 

せめて、そんな小さな望みを、叶えさせてあげたかった。

 

 

 

 


しかし実際、彼が作った箸は、一膳一膳ずつ手作りだったので、

 

 

価格も5500円と高かったのです。

 

 

 

 

価格を安くするには、金型を作って大量生産するしかありませんでした。

 

 

しかし、彼にはそんなお金はありません。

 

 

彼は失意のまま、帰りの新幹線に乗り込みました

 

 

 

 


考えてみれば、障害者用の箸の需要が無いのに、

 

 

たった一人で、多くの人に喜んでもらおうとした自分が余りに無謀な事だったのです。

 

 

 


もうここが限界でした。

 

 

こうして、彼は障害者用の箸の普及を、断念したのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなある日、

 

 

あるボランティア団体の会合で、一人の女性と知り合います。

 

 

彼女は、彼が「障害者用の箸」を研究している事を知ると、

 

 

「是非、息子に会って欲しい。」という。

 

 

 

彼女の息子さんは、高校2年生の時に、交通事故に遭い、

 

 

頚椎損傷で指が動かなくなり、スプーンで食事をしていたのです。

 

 

息子さんに会ってみると、

 

 

彼の親指は両手とも動かせず、

 

 

スプーンを親指と人差し指の付け根に差し込んで持って食べていました。

 

 

手首を外に曲げる事が出来、それにつれてわずかに親指以外の指が、

 

 

手のひらの方向に閉じることがリハビリの訓練によって可能となっていました。

 

 

 

 


そんな息子さんを持つ母親は、

 

 

「これから先、独りで生きて行けるように、

 

 

 先ず食べる事、そして簡単な食事が作れる様にさせてあげたい」と言いました。

 

 

 

息子さんの先行きを案じる母親の愛を感じて、

 

 

中川さんは、再び「障害者用の箸」の開発を始めたのです。

 

 

 


こうして、試行錯誤の末、出来た箸を息子さんに使ってもらいました。

 

 

その日の晩御飯に「そうめん」を食べてもらう事にしました。

 

 

息子さんが中川が開発した箸を装着してもらい、「そうめん」を摘まもうとします。

 

 

すると、そうめんが摘まめるのです。

 

 

摘まんだままではなく、挟んだまま汁に漬け、口まで運びます。

 

 

その場にいたお母さんの歓声、そして息子さんも照れた様な笑い。

 

 

家族の喜ぶ顔が、その後の中川さんの背中を押したのでした。

 

 

 

 

 

今年の1月、彼の今までの功績が新聞でも取り上げられた。

 

 

それが下である。

 

 

現在、京都で細々と、障害者の希望と共に箸を広める活動を続けている。

http://www.hashizokun.com/product.html

 

 

 

 

 

 

 

彼は言います。

 

 

 

 


お箸で食べる事。

 

 

 あきらめなくてもいいんだよ。」と。

 

END

 

 

 

参考:有限会社 ウインドのホームページ

 

●タイタニックの孤児

 


今年の2月、タレントの松本伊代さんと早見優さんが、

 

 

JR山陰線の踏切から線路内に立ち入ったとして、

 

 

京都府警右京署は2人を書類送検したというニュースが世間を騒がせた。

 

この踏切は、普段から沢山の観光客が来て写真を撮る人気スポットで、

 

 

彼女ら以外にも沢山の観光客が線路内に入って写真を撮っている所だった。

 

 

写真を見る限り、電車も来ていないから安全だからいいだろう。と思えるが、

 

 

こういう事を許していると、中にはこう考える人が出て来る。

 

 

どうせ写すなら、電車が映っていた方が記念になるとか、面白いと。

 

 

寸前で逃げれば大丈夫だと思っていたら、つまづいて転んだとか、

 

 

その前に電車の方が急ブレーキを踏んだとか。思わぬ混乱が生じたりする。

 

 

だから、皆が知っている芸能人を罰する機会を待っていたと言ってもいいだろう。

 

 

 


線路内に入ると、捕まるという事を世間に知らせるのには絶好の機会だったと言える。

 

 

こういうのを、【一罰百戒】いちばつひゃっかい と言う。

 

 

意味は、

 

一つの罪や過失を厳しく処罰して、大勢の人々の見せしめにすることで、

 

他の人達が同じ罪が起こらないように知らしめる事である。

 

つまり、一人に罰を与える事が、百人に知らしめる効果がある。という戒めだ。

 

 

 

 

アメリカの法廷では、よくこういう一罰百戒の判決を良く見る。

 

 

1992年、ニューメキシコ州アルバカーキで、

 

 

79歳の御婆さんが、孫とマクドナルドでテイクアウトで食事をした。

 

 

御婆さんは、注文したコーヒーを足の両膝の間にはさみ、

 

 

ミルクと砂糖をコーヒーに入れる為に、フタを開けようとした。

 

 

ところが、その時に誤ってコップが膝から倒れて、コーヒーが全部膝の上にこぼれてしまい

 

 

直ぐに病院に行くと、第3度の火傷であると診察されたのである。

 

 

もちろん、これは御婆さんの完全なる不注意である。

 

 

日本なら、例え火傷したとしても、こぼした自分が悪いと思って泣き寝入りである

 

 

しかし、ここはアメリカ。

 

 

御婆さんは、マクドナルドを訴えたのである。

 

 

すると、裁判所はマクドナルドに当時のレートで日本円にすると3億円を、

 

 

御婆さんに支払えという判決を言い渡しのである。

 

 

コーヒーをこぼしただけで、3億円だ!! 

 

 

これは驚きの判決として、瞬時にアメリカ中はおろか、世界中のニュースとなった。

 

 

コーヒーをこぼした位大した事では無いと思っていたマクドナルドは、大慌て

 

 

また他のハンバーグ店や、コーヒーを出している店も、大変だとこの判決を注視した。

 

 

実は、マクドナルド側にも多少の過失があったと裁判所は指摘していた。

 

 

というのは、過去10年間に700件の苦情があったのに、

 

 

何も対策を打たずにほっといたのを指摘されたのだ。

 

 

当時家庭でのコーヒーの温度は平均72度だったのだが、

 

 

マクドナルドで出されいたコーヒーの温度は平均85度だったのだ。

 

 

それと、御婆さんにコーヒーを渡す時に、「熱いですよ。」とも言ってなく、

 

 

またコーヒーのカップにも、「熱いので注意してお飲み下さい。」

 

 

という注意書き無かったと指摘されてしまったのである。

 

 

また、最初の裁判では、たかがコーヒーこぼした位でと、

 

 

たかをくくって裁判に臨んでいたマクドナルド側は、

 

 

過去10年間に700件の苦情なんて、0件に等しい割合の苦情だと主張したのだが、

 

 

これが陪審員たちの怒りを買ってしまった。

 

 

そこで出た判決が、御婆さん(Stella Liebeck)に3億円払えというものだったのだ。

 

 


ちなみにその後、マクドナルドは大慌てで有能な弁護士をかき集めて、最終的に、

 

 

なんとか6300万円での和解という所までもっていたのである。

 

 

 


勿論、その後ほぼ全ての店で、コーヒーの温度を家庭と同じ位の72度以下にするとか

 

 

コーヒーを渡す時には、「熱いですよ。」と一声かけたり、

 

 

コップに「熱いので注意してお飲み下さい。」と記入する様になったのである。

 

 

これぞアメリカ式、一罰百戒の判決と言えるのだ。

 

 

 


ただ、上の松本伊代さんと早見優さんの踏切事件は、

 

 

彼女達には、災難だったかもしれないが、

 

 

一罰百戒によって、違反する人が少なくなり事故が減ったなら、

 

 

自分の行ないが、多くの人の役に立ったとして、気を落とさないで欲しい。

 

 

こういう自分の災難が、多くの人の助けになるというケースは、

 

 

神様から任された仕事である事もあるからである。

 

 

 


一罰百戒という事では、みなが知っているタイタニック号の沈没事故もそれに当たる。

 

 

タイタニック号遭難事件は、犠牲者数は1,513人にも達し、

 

 

当時世界最悪の海難事故といわれ世界中を震撼させたものだった。

 

 

この事故をきっかけに船舶・航海の安全性について、

 

 

国際的に取り決めようという動きが起こり、特にアメリカでは、

 

 

船舶への無線装置配備の義務付けが強化され、

 

 

無線通信が世界中に普及するきっかけになったのである。

 

 

 

 

 

最後に、

 

 

この悲劇的なタイタニック号の事故の裏で

 

 

1つの事件が起きていたのを皆さんはご存じだろうか。

 

 

 

 

 

1912年4月10日、タイタニックはイギリスのサウサンプトン港から、

 

 

ニューヨークへと処女航海に出航した。

 

 

ちなみに、当時タイタニック号への乗船を直前になって、

 

 

急きょキャンセルして乗らなかった人が、なんと50人いたという。

 

 

そして、4月14日23時40分、北大西洋のニューファンドランド沖に達した時、

 

 

見張りが巨大な氷山を目視で発見して、すぐに一等航海士に報告した。

 

 

しかし、氷山まで僅か450mで、舵を切り、22.5ノットの船を停止させるまでに、

 

 

1200mが必要だったので、船首を避けるのが精いっぱいで、

 

 

氷山は右舷をかすめ、タイタニック号は停止したという。

 

 

ちなみに、後の詳しい検証で、もしタイタニックが減速させていなければ、

 

 

氷山に衝突する事はなかったと専門家はいう。

 

 

速力を落とした為に、効きのよくない舵が余計に効力を発揮しなくなったというのだ。

 

 

 

こうして、氷山に当った右舷から浸水が始まった。

 

 

実は、このタイタニック号には、1人だけ日本人が乗船していたのである。

 

 

それはあの有名なYMOのメンバ-で、音楽家の細野晴臣さんの祖父だった。

 

 

細野正文さんである。奇跡的にあの事故で生き残った正文さんであったが、

 

 

その後、苦難の人生を送る事になる。

 

 

実は、あのタイタニックの事故で生き残った男性の大人はとても少なかったのだ。

 

 

だから、海外でも生還後、自国に帰国した後でみんなに卑怯者と罵られていたのだ。

 

 

それは日本でも同じだった。

 

 

細野正文は、女・子供を押しのけてボートに乗り込んだ卑怯者。

 

 

日本人の恥さらしだと、彼が死ぬまで周りに言われ続けたのだった。

 

 

それらの暴言に対して、細野正文は一言も言い訳しなかったという。

 

 

多くの人が亡くなったのに、自分だけ生き残ったのは事実だったからだ。

 

 

 

 

しかし、彼が亡くなってから、外国人の手記や他の人からの証言から、

 

 

細野正文さんは、全てのボートを甲板の上で見送った後、沈んで行くタイタニックの上で、

 

 

「このボートにはあと2人だけ空きがあるぞ。」という声を聞いて、

 

 

必死にそのボートに飛び移って、助かっていた事が証明されたのである。

 

 

細野正文さんが亡くなってから85年後の名誉回復だった。

 

 

彼は「恥ずべき日本人」では無かったのである。

 

 

 

 

 

人々は救命ボートに乗り移ってもまだ助かった訳では無かった。

 

 

北極海の冷たい海の上で、食べ物も水も無く、寒い夜中である。

 

 

この窮地に最初にこの現場に到着して人々を助けたのが、カルパチア号だった。

 

 

ニューヨークから出航したばかりだったが、すぐに針路を変更して全速力で救助に向かった。

 

 

夜中でしかも危険な氷山海域を抜けて遭難地点に到着し、706名を救助したのだった。

 

 

ただ、現場から58マイル(93キロ)も離れていたので、到着するまでに、

 

 

多くの男性が海で凍死して助ける事が出来なかった。

 

 

実は、その後の調査で、

 

 

このカルパチア号よりも近くにいた船が2隻いたことが分かっている。

 

 

「カリフォルニアン号」と「マウント・テンプル号」だと言われている。

 

 

もし、この最も近かった2隻がすぐに駆けつけていれば、多くの男性達も助かったのではと、

 

 

救助できるにも関わらず何もしなったと非難を浴びた。

 

 

 

 

やがて奇跡的に助かった生存者を、家族や親せきが迎えに来た。

 

 


ところが、いつまで経っても、2人の子供だけお迎えが来ないのだ

 

 

当時、タイタニックの孤児として、ニュースになった。

 

 

下が新聞に載った当時の子供の写真である。


ルイ(Louis)とロラ(Lola)と搭乗名簿の名前を新聞に出しても、

 

 

誰も自分の親族だと名乗る人は出なかったのである。

 

 

二人は兄弟の様で、上のお兄ちゃんは3歳だった。

 

 

もう孤児院にでも預けるしか無いだろうと思われていた、その時だった。

 

 

 

 


イギリスで新聞の写真を見たお母さんが、名乗り出たのである。

 

 

名乗りでたのは、20歳のマルセル(Marcelle Caretto)だった。

 

 

 


では、なぜ彼女は3週間近くも名乗り出なかったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

実は、2人の幼い兄弟の名前は、偽名だった。

 

 

なんと二人は誘拐されていのだ。

 

 

 

 

 

 

母親のマルセルは、15歳の時に、27歳のミシェルと結婚した。

 

 

ところが、二人の結婚生活は上手くいかず、5年後に別居。

 

 

裁判所は二人の息子の親権は、母親マルセルに権利を認めた。

 

 

しかし、父親はせめてイースターぐらいは息子達と一緒に居たいと主張し、

 

 

母親のマルセルは週末だけという約束で、息子達を父親に預けたのだ。

 

 

 

ところが、父親のミシェルは息子達をそのままタイタニックに乗せて、

 

 

アメリカに逃げてしまったのである。

 

 

 

 

子供達が手配されていると思い、乗船する時に偽名を名乗り、

 

 

3人で二等船室に乗船したのだった。

 

 

 

 

父親のミシェルは、必死の思い出二人を救命ボートに乗せると、力尽きたという。

 

 

子供達はタイタニックが沈没してから1ヵ月と1日ぶりに、

 

 

アメリカに迎えに来た母親マルセルと再会して抱き合った。

 

その時に母親にこう言ったという。

 

「ぼく、怖くなかったよ。

 

 ボートも楽しかったよ。」

 

 

 

ちなみに、兄のナヴラティルは大学の先生となり、2001年1月30日に92歳の生涯を終えた。

 

 

タイタニック号の最後の男性生存者であった。

 

 

 

 

 


そして、兄のナヴラティルは、当時まだ3歳だったのに、

 

 

父が遺した最後の言葉を覚えていて、母親にこう言ったという。

 


「パパがね、ママは必ず迎えに来るからね。って。

 

 そしたら、愛してる、今でも・・って伝えてって。

 

 いつか4人でアメリカで幸せに暮らしたかったんだって。」
 

END

 

 

 

 

 


PS.

参考:http://www.dailymail.co.uk/news/article-2120129/The-Titanic-Orphans-Brothers-Michel-Edmond-Navratil-escaped-sinking-vessels-lifeboat.html

参考:wikipedia

 

 

 

●最後の指切りげんまん

 

 

 


さて、ニュースを見てみると、

 

 

藤井4段が26連勝だという。何が凄いって、まだ14歳の中学生なのだ。

 

 

私も将棋をしていたので、分かるが10時間も正座して考えるのはとても辛い。

 

 

彼の強さの秘密は、小さい時から詰将棋に力を入れて勉強した事だと言える。

 

 

だから、将棋に強くなりたいと思うなら、詰将棋を猛勉強する事。

 

 

囲碁に強くなりたいと思ったら、詰め碁に強くなる事である。

 

 

 


それとは別に、野際陽子さんが肺腺ガンで亡くなったというニュースも流れてきた。

 

 

もう随分昔から活躍されていたので、当然なのだが、81歳と聞いて、2度びっくり。

 

 

テレビを拝見していても、60歳代かと思う程お母さん役がはまり役だった。

 

 

私は一時期、どのドラマの大切なお母さん役は大抵、野際陽子さんが出ていたので、

 

 

他のお母さん役をしたい人材が育たないんじゃないかな。と心配した程である。

 

 

 

 

このまったく違う分野の2人の有名人のニュースを聞いて、

 

 

私は、ある壮大な人生のメカニズムを思い出しました。

 

 


みなさんは、こんな疑問を持った事はないでしょうか?

 

 

「人は、なぜ、年をとるのだろうか?」

 

 

 

 

 

実は、私がアメリカに居る時知り合った霊能者の方が、

 

 

自分の守護霊に「人は、なぜ、年をとるの?」と聞いた事があったといいます。

 

 

 


これちょっと興味ありませんか?

 

 


守護霊は何と答えたと思いますか?

 

 

 

 


下の答えを見る前に、ちょっとだけ考えてみて下さい。

 

 

守護霊は、「人は、なぜ、年をとるの?」という

 

霊能者の質問に対して、何と答えたでしょうか?

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

答えを言う前に、1つだけ定義しておきたいと思います。

 

 

それは、今、私達が生きている世界を、「現世」として、

 

 

死んだら、「霊界」に行くとしましょう。

 

 

 

そして、守護霊に言わせると、

 

 

私達は本来霊界の住人であり、一時的に人生という旅に出かけているというのです。

 

 

つまり、私達は今、肉体という車に乗って、現世を旅しているというのです

 

 

そして、いつか旅は終わり、霊界に戻って来る。と。

 

 

 

 

 

 

その事を踏まえて、

 

 

霊能者の方が、自分の守護霊に、「人は、なぜ、年をとるの?」と聞くと、

 

 

 

 


守護霊は、

 

 

「もし、人が年をとらなかったら、どうかしら、

 

 女優で成功した人は、ずっとそのまま現世で留まっていたいと思うでしょ。

 

 好きな人と暮らしていたら、ずっとこのまま現世で暮らし続けたいと思うでしょ。

 

 だから、年をとったり、病気をしたりして、

 

 もうそろそろ、霊界に戻ってもいい、

 

 もう旅を終わらせる時が来たと、魂に気づかせる必要があるのよ。」

 

 

 


そう教えてくれたそうです。

 

 

 

 


だから、もし藤井四段が、年をとらずに、ずっとこのまま活躍していたら、

 

 

きっと、霊界などには絶対戻りたくないと思うでしょうね。

 

 

でも、そんな時、段々と年をとったり、病気をしたりして、

 

 

もう旅を終わらせてもいいのでは、

 

 

そろそろ霊界に戻ってもいいのではと、魂に気づかせてくれるというのです

 

 

 

 

そんな知らせの方法には、色々な形があるといいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


最後に、

 

 

こんな別れの形もあるという例をあげて今日は終わりに致しましょう。

 

 

 

 

これは私が半年程入院している時に、看護婦さんから聞いた話ですが、

 

 


ある主婦の方が、ガンの末期で入院されていたそうです。

 

 

彼女には、まだ幼い子供が二人居て、上が6歳の長男、下が1歳の長女でした。

 

 

 


ある日、お祖母ちゃんと長男の優くんが、病室にお見舞いにきていて、

 

 

優くんが、お母さんと二人きりになった時があったそうです。

 

 

 

 


もうその時、最後が近かった事もあり、すでに子供には言い聞かせてあったのでしょう。

 

 

 

優くんが、お母さんに、

 

 

「ママ、死んじゃうの?

 

 死なないで。」って言ったそうです。

 

 

 


すると、お母さんが、長男を抱き寄せて、

 

 

「優は、もう立派お兄ちゃんでしょ

 

 これから言う事を、よく聞いてね。

 

 ママはね。死ぬんじゃないのよ。

 

 
 優は、これからずっと先、結婚して、子供が生れて幸せに暮らしているの

 

 

 でもね。その時に困った事が起きて、誰かの助けが必要となるの。

 

 

 でも心配ないのよ。

 

 

 ママが生まれ変わって、優を助けに行くから。」

 

 


「ママが助けに来てくれるの?」

 

 


「そうよぉ。 ママが優くんを助けに行くの。

 

 

 だから、今逝かないと間に合わないの

 

 

 優くん、もうお兄ちゃんだから、それまで頑張れるわね。」

 

 

 


「うん。」

 

 

 

「いい子ね。優は。


 ママの子供に産まれて来てくれて、ありがとね。

 

 

 妹を可愛がってあげてね。

 

 母さん、優の事、大好きだよ。」

 

 


「ママぁ~」

 

 

 

 
二人は何度も、何度も、指切りげんまんしていたといいます

 

END