会津まつりから見えてくる日本史

 


今日、9月22日は、会津まつりが始まる日です。(3日間)

 

 

このお祭りは、当初は皇族の成婚を祝って行われたのが最初でしたが、

 

 

1868年に起きた会津戦争(戊辰戦争)で亡くなった

 

 

会津藩士や戦争で亡くなった人々の霊を慰める意味があるといいます。

 

 

だから、会津まつりは先人への感謝祭ですが、

 

 

会津まつりの最大のイベントは総勢約500名にもなる「会津藩公行列」です。

 

会津まつり協会

 

人々は武者姿で練り歩くのですが、その中には、

 

 

会津戦争(戊辰戦争)で亡くなった、あの白虎隊や、女子だけの娘子隊

 

 

子供だけの幼少隊なども見られます。

 


白虎隊とは、16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊で、

 

 

中には白虎隊に入りたいが為に15歳なのに16歳だと言って参加した子供もいました。

 

 

特に飯盛山での戦いでは、町が焼けているのを見た白虎隊19名の少年達が、

 

 

城が落ちたと勘違いして、19名全員が腹を切る自刃した悲劇があった。

 

 

そして、少女や娘達だけで構成された娘子隊も戦闘に加わった。

 

 

政府軍の長州藩の軍勢は、当初戦闘に女子が混じって戦っているのを見て、

 

 

あざ笑って、生け捕りしてやろうとしたのだが、娘子隊の余りの勇敢さに驚く。

 

 

あわてて銃を持ち直し、彼女達に銃弾を浴びせたという。

 

 

銃に対して、女の子たちは薙刀(なぎなた)で対抗したので、結果は悲惨なものだった。

 

 

多くの少年少女達が、この戦いで散ったのである。

 

 

中には、絶世の美女と言われた中野竹子もいたが、額を銃を撃ち抜かれたという。

 

 

そして、明治元年9月22日、。孤立した会津藩はこの日、新政府軍に降伏した。

 

 

 


会津戦争じたいも悲惨だったが、

 

 

もっと悲惨だったのは、ここからだった。

 

 


明治政府(長州藩を中心とした)は、会津藩の戦死者は犯罪者であるという理由で、

 

 

墓に埋葬する事を禁じて、死体をいじってはならないとしたのである。

 

 

会津の為に戦った少年や少女達の遺体は、埋葬される事が許されず、

 

 

飯盛山で散った19名の白虎隊の少年や、娘子隊の少女達の遺体が、

 

 

亡くなったまま、そのまま放置され、野良犬やイタチや鳥などに食われたと言う。

 

 

当時、余りの死体から臭う死臭の為、会津は鼻をつまんでも臭って歩けなかったという。

 

 

 


その後、残された会津の志士が、何度も何度も明治政府と交渉して、

 

 

やっと埋葬出来る様になったのだが、

 

 

その頃には、誰がどの死体か判別出来ない程の遺体となっていたという。

 

 

 

 

 

では、どうして、この悲惨な会津戦争(戊辰戦争)が起きたのでしょうか?

 

 


実は、この会津戦争(戊辰戦争)の事を知ると、

 

 

日本の歴史が分かるのです。

 

 

それほど、この会津戦争(戊辰戦争)は日本の歴史を集約した様な戦争だったのです。

 

 


そもそも、会津藩(今の福島県)が、なぜ遠い国の長州藩(今の山口県)

 

 

と戦争になったのでしょうか?

 

 

 


それを知ると、今まで日本の歴史がよく分からなかった人にも、

 

 

日本の歴史が分かってしまう要点が含まれていたのです。

 

 

 

 

 

会津藩(今の福島県)と、長州藩(今の山口県)の確執は、

 

 

なんと、1600年に起きた関ヶ原の戦いにさかのぼるのです。

 

 

 


実は1600年に起きた関ヶ原の戦いの約2年前に

 

 

天下統一を果たした豊臣秀吉が亡くなっていました。

 

 

これによって、豊臣秀吉が行なった朝鮮出兵に不満を持つ派閥と、

 

 

石田三成を中心とする派閥の2つに、豊臣家は分裂していたのです。

 

 

そこで不満派をまとめた徳川家康を総大将とした東軍と、

 

 

石田三成を中心とした西軍とに別れて戦ったのが、関ヶ原の戦いだったのです。

 

 

この戦国時代最大の戦も、小早川秀秋の寝返りによって、

 

 

たった半日で勝敗を決するという結果になったのです。

 

 

後に、小早川秀秋は、日本の歴史史上最大の裏切り者と言われました。

 

 

こうして徳川家康が圧勝。江戸時代の始まりとなったのです。

 

 


この関ヶ原の戦いで、徳川家康の東軍に味方したのが、会津藩でした。

 

 

そして、石田三成の西軍に味方して負けたのが長州藩だったのです。

 

 

負けた長州藩には、厳しい罰が与えられたのです。

 

 

まず、山口県から岡山県・島根県にまで及んだ領地を、

 

 

ほぼ山口県だけに減らされてしまったのである。

 

 

つまりそれまであった所領の内、七ヶ国削られ、

 

 

石高は120万石から36万石へと大幅に減らされてしまったのでした。

 

 

 


徳川家康の長州藩いじめは、それだけに留まりませんでした。

 

 

次から次にと、大規模な工事を言い渡し、長州藩はあっという間に財政難に陥ります。

 

 

徳川家康は、あわよくば長州藩のお取り潰しを狙っていたのです。

 

 

ここで長州藩は思い切った策に出ます。

 

 

それは、武士のリストラでした。

 

 

約3万人の武士を、1万人にまでに減らしたのです。

 

 

リストラされた武士達は、農民になりましたが、それは普通の農民ではありませんでした。

 

 

字の読み書きが出来たり、剣術の達者な農民だったので、それを職業として、

 

 

長州藩のあちこちに小さな学校である塾や寺子屋が出来たのです。

 

 

幕末には、なんと長州藩には寺子屋や私塾が合計1400以上もあったといいます。

 

 

つまり、徳川家康の長州藩いじめは、結果的に、

 

 

長州藩に多くの頭の良い人材を作らせる事になったのです。

 

 

長州藩に出来た私塾の中の1つが、吉田松陰が作った松下村塾でした。

 

 

後にこの塾で学んだ高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋などの人々が活躍するのです。

 

 

吉田松陰は、ある時、日本が唯一外国と貿易をしていた長崎に行きます。

 

 

そこで中国人から、いかにアヘン戦争(1840年)で苦戦したかを聞きます。

 

 

イギリスの軍艦は大砲を撃つと、100発中100的中なの対して、

 

 

の大砲は10発撃って1発しか当たらなかったと言うのです。

 

 

あの強かった中国の清国が、イギリスの軍隊に僅か2年で破れたのに驚き、

 

 

いかに今の日本の兵法が西洋に遅れをとっているのかを知ったのでした。

 

 

こうして、長州藩は藩全体で塩やロウソク、紙を生産し、財政を立て直し、

 

 

密貿易によって、新しい武器を買う政策を積極的に行ったのでした。

 

 

 

 

 

やがて、徳川幕府がある江戸に、大事件が起きます。

 

 

1853年9月3日に浦賀沖に、4隻の黒船が来航したのです。ペリー率いる艦隊でした。

 

 


この瞬間より、日本の歴史は、幕末と言われる様になります。

 

 

圧倒的な艦隊と大砲に驚いた幕府は、度重なる貿易の開港の要求に屈してしまいます。

 

 

その結果、徳川幕府は、アメリカと日米修好通商条約を交わします。

 

 

しかし、この条約は日本にとって、圧倒的に不利なものでした。

 

 

治外法権(領事裁判権)を認めて、外人が日本で罪を犯しても罰せられなかったり、

 

 

関税の自主権が無く、輸入品に日本が関税率を決める権利が無いというものだったのです。

 

 

そして、同じ様な条約をオランダ・ロシヤ・イギリス・フランスとも結んでしまったのです。

 

 

 

 

この幕府の弱腰に多くの藩が、失望しました。

 

 

そして、失望した一人が、当時の孝明天皇だったのです。

 

 

孝明天皇は、外国を嫌い攘夷を唱えます。

 

 

攘夷とは、外国との貿易を止めて、日本から外人を追い出す事です。

 

 

それと同じ意見だったのが、長州藩の吉田松陰でした。

 

 

吉田松陰は、日本の独立を守るためには、今の幕府に任せてはいけないと論じたのです。

 

 

長州藩は、孝明天皇の意志も幕府と正反対と知ると、公家達と相談して、

 

 

京都の孝明天皇の元にはせ参じます。

 

 

公家とは、天皇に仕える貴族・上級官人の事で、

 

 

当時の公家の一人が後に100円札の肖像になる岩倉具視でした。

 

 

 


徳川幕府も、この長州藩と孝明天皇との結びつきに危機感を抱きます。

 

 

そこで徳川幕府がとったのが、会津藩への京都守護職の命令です。

 

 

京都では、幕府に反対する攘夷派によるテロが横行していて治安が悪くなっていました。

 

 

その治安維持の為に、会津藩を京都に行かせたのでした。

 

 

しかし、会津藩にはもう1つ幕府から密命が与えられていました。

 

 

それは、孝明天皇の攘夷の考えを説得し、今の徳川幕府の子孫と結婚させて、

 

 

天皇家と幕府を婚姻関係にして天皇を幕府よりに取り込もうという策です。

 

 


こうして、会津藩は、長州藩と対じする事になったのです。

 

 

当初、孝明天皇は長州藩と攘夷の密約を交わしていました。

 

 

ところが、1863年5月、

 

 

長州藩は下関を通ったアメリカとフランスの船めがけて攻撃したのです。

 

 

なかなか判断しない幕府をしびれを切らし、単独で攘夷を決行したのでした。

 

 

この行動に驚いたのが、意外にも孝明天皇でした。

 

 

天皇は長州藩と攘夷の約束を交わしたのだが、余りの長州藩の過激な行動に脅え、

 

 

会津藩が幕府の代表として来ると、孝明天皇は会津藩に助けを求めたのです。

 

 

今までの事は、長州藩と公家達の考えで、そちは攘夷など考えていない。と言ったのです。

 

 

 

 


日本の歴史における戦争は、この様に、

 

 

天皇の気持ちが、行ったり来たりとフラフラしている事で起きている戦が多いのです。

 

 

 


こうして天皇の後ろ盾を得た会津藩は、長州藩を京都から追い出したのです。

 

 

長州藩は、会津藩を怨むと言って、京都から去って行きました。

 

 

 


山口に帰った長州藩士達は、納得がいきません。

 

 

一時は天皇の同意があって行動したのに、なんで会津藩に京都を追い出されるのか!

 

 


翌年、長州藩は名誉回復の為に、再び京都に向います。

 

 

そしてとうとう長州藩と、会津藩は直接武力衝突になるのです。

 

 

禁門の変です。

 

 

この時に、幕府軍と一緒になり長州藩と戦ったのが、西郷隆盛の薩摩藩でした。

 

 

結果は、長州藩の惨敗。

 

 

長州藩の死者400名に対し幕府側の死者60名というものでした。

 

 

禁門の変後、長州藩は朝敵となったのです。

 

 

 


朝敵となれば、幕府がせいせい堂々と長州藩を潰す理由が出来たというもの。

 

 

徳川幕府は、全国の大名に命令し、長州藩を滅ぼす為に兵を出します。

 

 

これが世に言う、長州征討です

 

 

その兵数、15万人。

 

 

それに対して、長州藩はわずか3000人

 

 

闘えば、結果は明らかでした。

 

 

 


そこで長州藩がやったのが、あちこに散っていた農民になった武士達への

 

 

志願兵へのお願いでした。

 

 

各地にお願いのビラを36万部も配りました。

 

 

さらに、長州藩はこの時の為に、コツコツ貯めたお金で、

 

 

イギリスから最新の兵器を大量に買っていました。

 

 

すると、そんな長州藩の周到な準備が功を奏し、あちこちで幕府軍を破ったのです。

 

 

そして、わずか3000人の長州藩に志願兵が加わり、

 

 

なんと幕府軍15万人の大軍を破ったのです。

 

 

 

ちなみに、この時、坂本竜馬も戦艦に乗って幕府軍と戦い、

 

 

この時から長州藩の信用を得たのでした。

 

 

 


この戦いの敗戦によって、徳川幕府なんてした事無いんじゃないの思われる様になり、

 

 

幕府の権威は、あっという間に地に失墜したのです。

 

 

 


この期に、長州藩は幕府を倒そうとしますが、手負いの長州藩だけでは、

 

 

今の幕府を倒す事は出来ません。

 

 

そこで立ち上がったのが、坂本竜馬でした。

 

 

1866年1月、坂本龍馬の仲介で、

 

 

今まで仲が悪かった薩摩藩と長州藩が同盟を組んだのです。

 

 

 

これがいわゆる薩長同盟です。

 

 

 

薩摩藩が武器を提供し、それに対して長州藩が米を交換したのです。

 

 

そして、その輸送を担当したのが、坂本龍馬率いる海援隊でした。

 

 

 


当時最強の長州藩と薩摩藩が結びついたので、徳川幕府は恐怖を抱きます。

 

 

そこで徳川幕府がとった奇策が、1867年10月14日に起きた大政奉還でした。

 

 

政権を朝廷に帰してしまえば、徳川家はただの一大名に過ぎません。

 

 

つまり、薩長同盟が徳川家を攻撃する理由が無くなるのです。

 

 

この大政奉還という奇策の原案とされたのが、坂本龍馬が考えた船中八策でした。

 

 

坂本竜馬という男は、面白い人物ですね。敵味方両方に肩入れするというか、

 

 

一方では、新政府軍を強くし、一方では幕府側の生きる道を作っていたのです。

 

 

 

 


大政奉還されたものの、孝明天皇が急死していて、

 

 

まだたった10歳の明治天皇が即位したので、朝廷は公家の岩倉具視や、

 

 

過激的な三条実美の自由となっていたのです。(この時より日本は明治時代。)

 

 

 


長州藩にとっては、思わぬ形で幕府打倒が実現してしまいました。

 

 

あとは新政府をどうやって作るのかが問題となりました。

 

 

新しい政府は、合議制にして、全ての藩で新しい日本を作ろうとします。

 

 

そこで問題になったのが、新しい政府に徳川を入れるかどうかという事でした。

 

 

陰でここまで活躍していた坂本竜馬は、勝者も敗者もいない新体制という意見でした。

 

 

ところが1867年12月10日その坂本竜馬が京都の近江屋で暗殺されてしまいます。

 

 

大政奉還の2ヵ月後、大政奉還は、徳川家延命の策略だとして、

 

 

長州藩のリーダー木戸孝允は、徳川を排除する事を決めたのです。

 

 

なぜなら、徳川家は政権を手放したとはいえ、まだ全国に腐るほどの土地と権利

 

 

持っていたので、いつそれらを元手にまた息を吹き返すか分からないというのです。

 

 

よって、王政復古を実施すると言い。

 

 

徳川家の官位と領地の没収を宣言したのです。

 

 

当然、この長州藩の決断を聞いた徳川軍は激怒

 

 

政権を返上したのにもかかわらず、徳川家を潰そうとするとは何事ぞ!!

 

 


これによって、歴史は悲劇の会津戦争(戊辰戦争)へと突き進んでいくのです。

 

 

もし、坂本竜馬が生きていれば、

 

 

戊辰戦争や西南戦争は起きなかったのではないかとも言われています。

 

 

 


こうして薩長同盟を中心とした新政府軍と徳川家を中心とした旧幕府軍が睨み合う事に。

 

 

この時、旧幕府軍の総大将、勝海舟は薩長同盟との戦いを反対しました。

 

 

しかし、徳川慶喜は、勝海舟の忠告を聞かず鳥羽伏見にて兵を上げたのです。

 

 

1868年1月3日。これが鳥羽・伏見の戦いです。(戊辰戦争の始まり

 

 

兵力は薩長同盟が5000人に対して、徳川慶喜の軍は15000人と3倍だったので、

 

 

徳川慶喜には絶対の自信があった戦いでした。

 

 

当初は、一進一退で、どちらが優勢か分かりませんでした。

 

 

ところが、その時に岩倉具視が官軍の証である「錦の御旗」を制作して配ったのです。

 

 

実際は、天皇は幼く判断出来ないのに、岩倉具視が勝手に作ったのでした。

 

 

すると、天皇の「錦の御旗」を見た諸藩たちは段々と新政府軍に寝返る様になり、

 

 

徳川慶喜の軍は薩長同盟の前に大敗してしまったのである。

 

 


これに勢いを得て、西郷隆盛率いる薩摩軍が江戸城に迫った。

 

 

ここで江戸を戦火にしたくない勝海舟が、西郷隆盛と話し合い、

 

 

1868年4月11日。江戸城の無血開城が実現したのだった。

 

 

江戸城を戦う事無く手に入れた新政府軍であったが、

 

 

本来なら、そんな手柄をとった西郷隆盛を称える所だが、

 

 

京都の朝廷や公家達は不満を漏らした。

 

 

西郷ドンは、勝海舟に騙されている。西郷ドンのやり方は甘い!!と。

 

 

京都の朝廷や公家は、人情派の西郷隆盛ではダメだと引き揚げさせ、

 

 

代わりに長州藩を、残る勢力の東北の会津藩を討伐に向かわせたのだった。

 

 

こうして、長州藩と会津藩は、

 

 

最後の戦いである会津戦争(戊辰戦争)に突き進み、

 

 

多くの少年少女達が死んだ先の悲劇の戦いとなったのである。

 

 

 


会津の人々が、長く長州藩に対して良く思っていないのは、

 

 

会津戦争(戊辰戦争)で降伏した後の事が、余りにも残虐だった事である。

 

 

それは冒頭で挙げた、会津の為に戦った少年や少女達の遺体を、

 

 

埋葬される事が許されなかった事もそうですが、

 

 

戦いが終わった後も、長州藩は略奪の限りを尽くしたという。

 

 

 

江戸からは、多くの古物商が会津に乗り込んできて、

 

 

あらゆる価値がある物を、ここぞとばかりに盗んでいったという。

 

 

それは骨董品や刀剣に留まらず、女性も対象になったという。

 

 

 


それに対して、会津の人達は偉かった。

 

 

東明寺で、会津の犠牲者だけでは無く、長州藩の死者も分け隔てなく弔ったのである。

 

 

 


その後、正しい歴史を学ぶにつれ、

 

 

徐々に会津に申し訳ない事をしたと認識する長州の人が増えてきた。

 

 


2007年4月14日。当時総理在任中

 

 

山口県出身(長州藩)の安倍晋三が、会津若松市を訪れた時に、

 

 

会津戦争(戊辰戦争)では、

 

 

「長州の先輩が、会津の人々にご迷惑をかけた」と謝罪した。

 

 

しかし、その時は、会津の人達も正直複雑だったという。

 

 

会津戦争での戦死者が眠る飯盛山や天寧寺にお参りしてくれて、

 

 

焼香でもしてくれれば別だが、

 

 

遊説したついでに、付け足しで詫びたんでは、受け入れらないと言うのである。

 

 

 

 

 


そんななか、2011年3月11日。

 

 

東日本大震災が起きる。

 

 

 


その22日後だった。

 

 

 

会津若松市は2日。

 

 

山口県の萩市から、震災の義援金2200万円と、

 

 

ランドセルや保存食などを支援物資として受け取った事を発表した。

 

 

 

 

その後、山口県は、福島県の被災者10人を受け入れ、

 

 

多くの企業や市民が、

 

 

「東日本地震災害を救援する萩市の会」を結成して

 

 

今も会津を助けるべく募金活動などを続けている。


END

 

 

●怨みを超えるもの

 

 

 


このお話は、一昨日のブログ(●白い服を着た幽霊が出る豪邸)の続きです。

 

 

 

従って、一昨日のブログ(https://ameblo.jp/hirosu/entry-12311679593.html

 

 


を先にお読みください。


そしてから下をお読み下さい。
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[前回までのあらすじ]

 


ワシントン湖の湖畔にある1つの豪邸から、

 

白い服を着た幽霊が出るという相談が、霊能者の所に入った事がある。

 

ただ、霊能者の方からは「今回は少し危険かもしれないよ。」という事を言われた。

 

霊能者の方いわく、地縛霊が出るかもしれない、高い所や水辺は危険が伴うのだと言う。

 

依頼者の方いわく、今から5年前、家の敷地内で、女性が銃で殺されたのである。

 

そして、幽霊はその女性ではないかというのだ。

 

なぜなら、幽霊が出始めたのが、その女性が殺されてからである事。

 

そして、幽霊が出るのが、その女性が殺された付近である事。

 

霊能者の方も、現地へ行く前から、白い服を着て出る幽霊は、

 

その銃で殺された女性で多分間違い無いだとうという事だった。

 

つまり、殺された女性の霊が、地縛霊となっていて、

 

何らかの怨みがあって出て来ていると推測されるのである。

 

無残にも銃で殺されたという女性の幽霊が出る豪邸へと、私達は向かったのである。

 

私達が豪邸に着いたのは、10時半頃だった。かなり大きな2階建ての邸である。

 

ベルを鳴らすと、お手伝いさんらしき年配の女性が取り次いでくれた。

 

応接間の中から見える景色は最高で、窓一面にワシントン湖が見える。

 

屋敷の前には、綺麗な芝生が広がっていて、その先にワシントン湖があるのだが、

 

湖には、プラベートの船とデッキがある。桁違いの金持の家だ。

 

この大きな屋敷には、お手伝いさんが2人。それに夕食時に来るコックが1人。

 

昼間に来る庭師が1人いるというのだが、その内お手伝いさん2人と庭師と奥さんの4人、

 

あと、もう辞めてしまったというお手伝いさん4人の合計8人もの人が、

 

この屋敷内で、白い服を着て出る女性の幽霊を目撃しているという。

 

辞めた4人のお手伝いさんは、どうやら幽霊が怖くて辞めたという事だった。

 

そこで、まず依頼者の方が言う、今から5年前の出来事を聞かせてもらう事にした。

 

それはある夏の日だったという。日が暮れて、辺りが暗くなった頃だったという。

 

突然湖岸のデッキ付近から、銃声が鳴り響いたと言う。

 

あるウェイトレスの女性が、恋人に追いかけられて、なぜかこの屋敷の中に逃げ込んで、

 

湖岸にあるデッキの所で、その恋人の男に捕まって、銃で殺されたという。

 

そして、その時に2人の喧嘩を止めに入った、

 

この屋敷に住む大学生の長男ジョンにも男は発砲したという。

 

幸いジョンさんは、重傷を負ったものの命は助かったという事件だったという。

 

つまり、見ず知らずのウェイトレスが、屋敷に逃げ込んだ所を追いかけてきた恋人が、

 

湖岸のデッキで追いつき、そのウェイトレスを射殺したという。

 

その時に、巻き添えをくって止めに入った屋敷の御曹司であるジョンが重傷を負ったという。

 

それ以来この屋敷の敷地内のあちこちで白い服を着て出る女性の幽霊が目撃されるという。

 

幽霊の目撃情報は、圧倒的に家の外が多かった。これは一体何を意味するのか、

 

階段を登って2階の部屋に上がった。そこもかなり大きな部屋で、

 

お手伝いさんが昼間掃除していると窓際に白い服を着た女性が立っていたのだという。

 

霊能者の方が実際にその目撃された場所に立ってみたのだが特に霊の気配はしないそうだ

 

そこで私達は庭に出て、湖岸の方へ行って見る事にした。すると、庭に出た瞬間だった。

 

霊能者の方が「あっ、居るわ。」と言ったのである。湖畔にあるデッキの上に居るという。

 

「あそこ」と指を差してもらったのだが私も通訳の友人も見えない。

 

こっちをじっと見ていると言う。ゾクッとした。

 

私達が湖畔のデッキに到着した時、霊の姿は見られなくなったという。

 

銃で殺された白い服の女性の霊は、どんな怨みを抱いて現れるのだろうか。

 

なぜ今もこの豪邸に姿を現すのだろうか。どんな怨みを豪邸の人達に抱いてるのだろうか?

 

確かに、ここには白い服を着た女性の幽霊が居るという事が確認できた。

 

霊能者の方いわく昼間だと霊の力も弱く実際にその霊と会話するには、

 

夜中にならないと出来ないという。

 

私は夜中になるのを待って、どういう怨みがあって、この屋敷に現われるのか、

 

この屋敷にどういう怨みがあるのか、霊の直接聞いてみる事になった。

 

私達は一旦、豪邸内に戻り、奥さんにこれまでの事を説明し、

 

許しを得て、夜中になるまで待たせてもらう事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は当然、昼食や夕食はこの豪邸で頂けるものかと思っていたら、

 

 

奥さんが、

 

「それでは、皆さんは、夜中の十二時過ぎにこちらにお見えになるのですね?」

 

 

と言うので、私達が「はい。」と答えると、

 

 

「では家政婦に対応する様に伝えますので、ご自由に入って来てください。

 

 ところで皆さんは、お昼はどこで食事されるのですか?」と聞いて来た。

 

 


上手い聞き方だ。

 

 


そう聞かれちゃ、「はい。ここで食事にありつきます。」とは言えない。

 

 


霊能者の方が、奥さんに「この辺で食事出来る所はありますか?」と聞くと、

 

 

前の道を右にずっと行くと、美味しいレストランがあると教えてくれた。

 

 

 


アメリカのお金持は、意外とケチが人が多かったりする。

 

 

だからお金が貯まるとも言えるのだが・・・

 

 

 

 


私がその話題を車内で振ると、

 

 

霊能者の方が、

 

 

「まあ、私達は彼らの友人でも知人でも無いし、

 

 それに、こちらが1人ならまだしも、3人で行ったからね。

 

 それに、昼食と夕食の両方になってしまうしね。 これが普通じゃない。」と言う。

 

 


日本なら、家の問題を解決する為に霊能者が来たら、

 

 

なるべく最善を尽くしてもらいたいから、という気持ちもあって、

 

 

多分、お寿司をとったりして御もてなしする所だろうが、

 

 

さすがアメリカ。こんな所にもビジネスライクな一面を感じた瞬間でもあった。

 

 

 

 


私達は昼食と夕食をとりながら、時間を潰し、

 

 

夜中の12時半に、豪邸に戻った。

 

 

豪邸に戻ると、ベルは鳴らさず、お手伝いさんの部屋をノックして開けてもらった。

 

 

その様に指示されていたのだ。

 

 

 


私達はなるべく静かに階段を登り、家の中で唯一幽霊が目撃された

 

 

赤○がしてある部屋で、待機する事にした。

 

 

これは霊能者の方の提案で、ここから湖畔の方を見て待ちましょうという事だった。

 

 

多分であるが、この時点で霊能者の方は、何かを感じていたのではないだろうか。

 

 


霊能者の方が、静かにじっと湖畔の方を見ているので、

 

 

私も黙って、同じ様にじっと湖畔の方を見つめていた。

 

 

 


異様な時間帯である。

 

 

私達3人とお手伝いさんを含めた4人が、

 

 

明かりも点けずに、暗い部屋の中で、じっと湖畔の方を見ているのである。

 

 

 


どの位経っただろうか。30分は経ったいただろう。

 

 


話に寄れば、この部屋の窓際に白い服を着た女性の幽霊が出たという。

 

 

私はいつここに、幽霊がフッと現れるかと、ドキドキしていた。

 

 

 


その時だった。

 

 

 

 

この部屋と湖畔の間にある芝生の所が、一瞬光ったのである。

 

 

丁度上の写真の窓の延長上にある芝生の上の赤○の部分辺りだった。

 

 


その一瞬光ったのを見た霊能者が、

 

 

じゃあ、行きましょう。」と立ち上がったのである。

 

 


その光は、まるで、幽霊が現れましたよ。という合図の様に感じた。

 

 


私達は霊能者の後について、湖畔の方へと向かった。

 

 

 

 

 

霊能者の方は、どんどん足早に湖畔に向って歩いて行く。

 

 

私達は彼女に追いつくのがやっとだった。

 

 

 


霊能者は、湖畔にかかったデッキの前で止まった。

 

 

そして、デッキの上の辺りをじっと見つめたまま、動かなくなった。

 

 

どうやら霊と会話している様だった。

 

 

 


どの位そういう状態が続いただろうか。10分位だろうか。

 

 


急に霊能者の方が、私達にも分かる様に声を出して、

 

 

「光が見える?」と霊に話しかけた。

 

 

 


どうやら霊を天国に導いている様だった。

 

 

そして、霊能者の方が、こちらを向いて、

 

 

「行ってしまったわ。」と言った。

 

 

 


そこで通訳の人が、霊はなんて言ってましたか?と聞くと、

 

 

霊能者の方は、霊が話してくれたという内容を私達に話してくれた。

 

 

 

 

 

しかし、その内容は衝撃的なものだった。

 

 

 


まず、霊能者の方が、霊に「なんで、ここに毎回現れるの?」と聞くと、

 

 


白い服の霊は、愛するジョンとの思い出に会いに来てるの。と言ったという。

 

 

ジョンのご両親には反対されていたけど、ジョンは私を愛してくれたの。

 

 

私はここに来ると、いつも芝生の所から懐中電灯でジョンに合図したの。

 

 

そして二人はここにあったボートの中で、愛し合ったのよ

 

 

大学を卒業したら、結婚してくれるって。

 

 

それまでの私はウェイトレスをしていて、暴力的な恋人に支配されていて、

 

 

夢も希望も無かったの。

 

 

でも、そんな私の人生をジョンは救ってくれたの。

 

 

夢の様だったわ。

 

 

でも、何度も別れたいと言っても、恋人はどうしても別れてくれなくて、

 

 

ある日、私を付けてきたの。そして、銃で殺されてしまったの。

 

 

でも、このデッキに来ると、またあの時に帰った様な気持ちになるの。

 

 

ジョンとの夢の様な時間に戻れる様な気持ちになるの。

 

 

 

 


そう言ったというのだ。

 

 

 

 


なんと、

 

殺されたウェイトレスとこの豪邸の御曹司ジョンは、恋人同士だったのである。

 

 

昼間の奥さんの話では、ウェイトレスが恋人に殺されて、止めに入った息子さんのジョンが、

 

 

巻き添えを食って撃たれて重傷を負ったという事だったが、

 

 

実際は、ジョンとウェイトレスが一緒に居る所を、

 

 

ウェイトレスを付けて来た元恋人によって、二人とも銃で襲撃されてしまったのである。

 

 

まず通常は、霊は嘘をつかないという。から、それが事実だろう。

 

 

今から考えてみると、奥さんの説明にも不自然な所が多々あった。

 

 

大体、辺りが真っ暗になった湖畔で見ず知らずの人達が喧嘩していたとしても、

 

 

御曹司である息子さん一人で、その見ず知らずの人達の喧嘩の仲裁に入るはずがない。

 

 

警察を呼ぶなり、使用人に見に行かせるなりするだろう。

 

 

それに、見ず知らずのウェイトレスが、

 

 

この豪邸の私有地に勝手に入れているのも不自然だ。

 

 

ああ、なんでもっと早く気がつかなかったのだろう。

 

 

冷静に考えれば、ジョンとウェイトレスが恋仲だったと予想できたかもしれない。

 

 

 


霊能者の方いわく、

 

 

世間体からか、依頼者が事実を多少曲げて言う事はたまにある事だという。

 

 

 

 

 

私はこの事件を通して、1つ大きな事を学んだ。

 

 

それは、今まで私は、

 

 

殺された人が、幽霊になって出る時、

 

 

それは自分が殺された怨みや無念から、現れているのだという先入観があった。

 

 

 

しかし、霊によっては、

 

 

怨みや復讐の気持ちを、超えるものがあったのだ。

 

 

それは、愛や楽しい思い出なのである。

 

 


自分を殺した元恋人への怨みよりも、

 

 

自分を愛してくれた人に会いたいという気持ちが上回る事もあるのである。

 

 

 

 


その後、霊能者の説得で、

 

 

ウェイトレスの霊は、天国の光の中へと進んで行ったという。

 

 

 


「今度生まれ変わって来たら、

 

 ジョンの様な人と一緒になって、可愛い奥さんになるのよ。いいわね。」


END

●恋人に殺されたウェイトレス

 

 

 


このお話は、昨日のブログ(●白い服を着た幽霊が出る豪邸)の続きです。

 

 

 

従って、昨日のブログ(https://ameblo.jp/hirosu/entry-12311679593.html

 

 


を先にお読みください。


そしてから下をお読み下さい。
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[前回までのあらすじ]

 


ワシントン湖の湖畔にある1つの豪邸から、

 

白い服を着た幽霊が出るという相談が、霊能者の所に入った事がある。

 

ただ、霊能者の方からは「今回は少し危険かもしれないよ。」という事を言われた。

 

霊能者の方いわく、地縛霊が出るかもしれない、高い所や水辺は危険が伴うのだと言う。

 

依頼者の方いわく、今から5年前、家の敷地内で、女性が銃で殺されたのである。

 

そして、幽霊はその女性ではないかというのだ。

 

なぜなら、幽霊が出始めたのが、その女性が殺されてからである事。

 

そして、幽霊が出るのが、その女性が殺された付近である事。

 

霊能者の方も、現地へ行く前から、白い服を着て出る幽霊は、

 

その銃で殺された女性で多分間違い無いだとうという事だった。

 

つまり、殺された女性の霊が、地縛霊となっていて、

 

何らかの怨みがあって出て来ていると推測されるのである。

 

地縛霊の中でも、人に怨みを持っている場合、中には、

 

他の人も自分と同じ目に遭わせてやろうという地縛霊もいるので、

 

危険があるかもしれないと、霊能者の方は私に忠告してくれたのである。

 

しかも、女性が射殺された場所が、水辺だったのだ。

 

無残にも銃で殺されたという女性の幽霊が出る豪邸へと、私達は向かったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私達が豪邸に着いたのは、10時半頃だった。

 

 

かなり大きな2階建ての邸である。

 

 

ベルを鳴らすと、お手伝いさんらしき年配の女性が取り次いでくれた。

 

 

火曜日だったので、ご主人は既に会社に行っており、

 

 

応接間らしき大きな部屋に通された。

 

 

応接間の中から見える景色は最高で、窓一面にワシントン湖が見える。

 

 

屋敷の前には、綺麗な芝生が広がっていて、その先にワシントン湖があるのだが、

 

 

湖には、プラベートの船とデッキがある。

 

 

桁違いの金持の家だ!。

 

 

(こんなイメージですが、上の画像はこの記事と関係ありません)

 

 

しばらく待っていると、奥さんが現れて、

 

 

簡単な挨拶を交わすと、さっそく幽霊の話になった。

 

 

この大きな屋敷には、お手伝いさんが2人。

 

 

それに夕食時に来るコックが1人。昼間に来る庭師が1人いるというのだが、

 

 

その内、お手伝いさん2人と、庭師と奥さんの4人、

 

 

あと、もう辞めてしまったというお手伝いさん4人の合計8人もの人が、

 

 

この屋敷内で、白い服を着て出る女性の幽霊を目撃しているという。

 

 


辞めた4人のお手伝いさんは、どうやら幽霊が怖くて辞めたという事だった。

 

 


そこで、まず依頼者の方が言う、今から5年前の出来事を聞かせてもらう事にした。

 

 

それはある夏の日だったという。

 

 

日が暮れて、辺りが暗くなった頃だったという。

 

 

突然湖岸のデッキ付近から、銃声が鳴り響いたと言う。

 

 

あるウェイトレスの女性が、恋人に追いかけられて、なぜかこの屋敷の中に逃げ込んで、

 

 

湖岸にあるデッキの所で、その恋人の男に捕まって、銃で殺されたという。

 

 

そして、その時に2人の喧嘩を止めに入った、

 

 

この屋敷に住む大学生の長男(ジョン=仮名)にも男は発砲したという。

 

 

幸いジョンさんは、重傷を負ったものの命は助かったという事件だったという

 

 

 

つまり、見ず知らずのウェイトレスが、屋敷に逃げ込んだ所を追いかけてきた恋人が、

 

 

湖岸のデッキで追いつき、その女子学生を射殺したという。

 

 

その時に、巻き添えをくって止めに入った屋敷の御曹司であるジョンが重傷を負ったという。

 

 

 

 

その事件以来、この屋敷の敷地内のあちこちで、

 

 

白い服を着て出る女性の幽霊が目撃されるという。

 

 


そこで、幽霊が目撃された、屋敷内のあちこちという場所を教えてもらった。

 

 

すると、下の写真の赤い○で囲んである場所で幽霊が目撃されたという。

 

 

大きく分けると、家の中では1ヵ所庭では2ヵ所。湖岸のデッキでは3ヵ所だという。

 

 

 

見てお分かりの様に、幽霊の目撃情報は、圧倒的に家の外が多かった。

 

 

これは一体何を意味するのか、この時はまだ私は想像もつかなかった。

 

 

 

私達3人は、さっそく霊が目撃されたという場所を診てまわる事にした。

 

 

まず、家に中に居たので、階段を登って2階の部屋に上がった。

 

 

そこもかなり大きな部屋で、お手伝いさんの一人が昼間掃除していると、

 

 

窓際に白い服を着た女性が立っていたのだという。

 

 

霊能者の方が、実際にその目撃された場所に立ってみたのだが、

 

 

特に霊の気配はしないそうだ。

 

 

そこで私達は庭に出て、湖岸の方へ行って見る事にした。

 

 

すると、庭に出た瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

霊能者の方が、「あっ、居るわ。」と言ったのである。

 

 

 


湖畔にあるデッキの上に居るという。

 

 

「あそこ」と指を差してもらったのだが、私も通訳の友人も見えない。

 

 

こっちをじっと見ていると言う。

 

 

ゾクッとした。

 

 


霊能者の方は、どんどん湖畔の方に歩いて行くので、

 

 

つられて私達も付いていくのだが、

 

 

霊もこちらに向かって近づいて来ると言う。

 

 


再びゾクッとした。

 

 

霊能者の方が一緒に居なければ、逃げ出す所だ。

 

 

 

 


その時、霊は消えてしまったという。

 

 

私達が湖畔のデッキに到着した時、霊の姿は見られなくなったという。

 

 

しかし、私はデッキの上で心配でならなかった。

 

 

いつ霊が現れて、湖の中から私の足を引っ張って、

 

 

私を湖の中に引きづりこんでしまうのはないかと想像してしまったからだ。

 

 

この怖さは文章では伝わりにくい。

 

 

実際に現場に居ると、すぐ下が冷たい水というのはとても怖い。

 

 

霊能者が言った地縛霊が水辺に居る場合は危険という意味が分かった様な気がした。

 

 

何しろ水の中に引きこまれたら、どうしようも無いのだ。

 

 

 

それにしても、

 

 

銃で殺された白い服の女性の霊は、どんな怨みを抱いて現れるのだろうか。

 

 

なぜ、今もこの豪邸に姿を現すのだろうか。

 

 

どんな怨みを、この豪邸の人達に抱いているのだろうか?

 

 

 


この時、私が想像したのは、

 

 

ここの御曹司ジョンは助けに入ったが、実際は助けられなかったのを、

 

 

怨みに思って出て来ているのか、

 

 

もしくは、御曹司ジョンが、彼女の死にも関係していたのか。

 

 

いずれにしろ、まだ将来がある若い女性が突然殺されたのだ。

 

 

さぞかし無念だったに違いない。

 

 

 

 

霊は消えてしまったが、

 

 

確かに、ここには白い服を着た女性の幽霊が居るという事が確認できた。

 

 

 


霊能者の方いわく、

 

 

昼間だと霊の力も弱く、

 

 

こちらも霊が居るという存在は確認出来るが、

 

 

実際にその霊と会話するには、夜中にならないと出来ないという。

 

 

 

 

 

私は夜中になるのを待って、

 

 

どういう怨みがあって、この屋敷に現われるのか、

 

 

この屋敷にどういう怨みがあるのか、霊の直接聞いてみる事になった。

 

 

 

 


霊能者いわく、

 

 

昼間霊を目撃した時に、「一応、種はまいたから・・」という。

 

 

種をまいた?」とはどういう事ですか?と聞くと、

 

 

 


霊というのは、この世に現われるというのは、

 

 

必ず、何かを訴えたい事などがあるという。

 

 

そして、霊の言う事が分かるという人が現れると、

 

 

この機会に、その人に聞いて欲しいと思い、現れやすくなるというのだ。

 

 

だから昼間、霊と遭遇した時に、

 

 

霊能者の方は、「貴方の言いたい事を聞くから、夜中にもう一度来てね。」

 

 

と霊に念を送ったというのだ。

 

 

 

 

 

私達は一旦、豪邸内に戻り、奥さんにこれまでの事を説明し、

 

 

許しを得て、夜中になるまで待たせてもらう事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


やがて、霊能者が白い服の幽霊と話す事に・・・・・


最終話は、明日のブログに続く。