●癒しの予言(いやしのよげん)

 

 


こういう仕事をしていると、

 

 

よく不思議な話が、相談者の方から飛び込んできます。

 

 

 


普通、「予言」と言えば、著名な霊能者が行なうものと相場は決まっていますが、

 

 

そんな予言めいた事を、ごく一般の主婦がしたかもしれないというのです。

 

 

 


相談の電話を頂いたのは、矢野ケイコさん(仮名)という

 

 

2人のお子さんのいる主婦の方でした。

 

 

お二人とも小学生の育ち盛りという事で、余りお金の余裕は無いとの事。

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、日本は子育てにもお金がかかりますよね。(教育費

 

まず最初にお金がかかるのが、出産です。

 

●総合病院だと、約40万円
●私立病院だと、約50万円

 

だだし、貴方が健康保険に入っていれば、

 

健康保険から出産育児一時金が給付されます。

 

その額は、

 

●一児につき出産費用の42万円の金額が受け取れます。
●双子の場合は、その2倍。三つ子の場合はその3倍の126万円もらえるという事になります。
●ただし、22週に達していない出産や、利用する産院が産科医療補償制度に加入していない場合、
自宅など医療機関では無い所での出産の場合、一児につき出産費用の39万円の金額が受け取れます。

 

 

意外と知られていないのは、
●海外で出産した場合も、申告すれば、
一児につき出産費用の39万円の金額が受け取れる事です。

 

 

また、児童手当が、月15000円受け取れます。

 

 

 


次にかかってくるのは、保育園でしょうか。(0歳児~2歳位)

 

意外かもしれませんが、保育園の入園料は、貴方の家の収入によって違います。

 

平均で言うと、

●認可保育園の保育料は、月約3万円。
●無認可保育園の保育料は、月約5万円。

 

ただし、同じ世帯から2人以上の子どもが保育園を利用する場合、

 

貴方がお住まいの自治体によって、保育料負担軽減措置があり、

 

2人目が半額、3人目以降は無料となる事があるので問い合わせてみましょう。

 

 

また、児童手当が、月15000円受け取れます。

 

 

その次にかかってくるのが幼稚園でしょう。

 

●公立幼稚園なら、 年約23万円
●私立の幼稚園なら、年約52万円

 

 

ただし、児童手当が、月10000円受け取れる。(3子以降は15000円)

 

 

その次が、小学校です。

 

●公立の小学校で、年約31万円
●私立の小学校で、年約140万円

 

 

ただし、児童手当が、月10000円受け取れる。(3子以降は15000円)

 

 

その次が、中学校です。

 

●公立の中学校で、年約46万円。
●私立の中学校で、年約125万円。

 

 

ただし、児童手当が、月10000円受け取れる。

 

 

その次が、高校です。

 

●公立の高等学校で、年約52万円。
●私立の高等学校で、年約100万円。

 

 

ただし、年収約910万円以下の世帯なら、自治体に申し込めば、

高等学校等就学支援金が全日制の高等学校なら月9900円が支給される。

また、年収が約590万円未満の家庭なら、自治体によっては、申し込めば、

私立高等学校等生徒学費補助金が適用され、年額12万円が支給される。

 

 

 

そして、最後が大学です。


大学の場合、まず入学金を払う必要があります。

 

●国立大学の入学金は、          約28万円。
●公立大学(地元)の入学金は、     約23万円。
●公立大学(地元じゃない)の入学金は、約40万円。
●私立大学(文系)の入学金は、     約25万円。
●私立大学(理系)の入学金は、     約27万円。
●私立の短期大学の入学金は、     約25万円。
●私立の医学部の入学金は、     約104万円。

 

 

そして、大学の授業料は年額、

 

 

●国立大学は、          約54万円。
●公立大学(地元)は、      約54万円。
●公立大学(地元じゃない)は、約54万円。
●私立大学(文系)は、      約74万円。
●私立大学(理系)は、     約104万円。
●私立の短期大学は、     約70万円。
●私立の医学部は、      約280万円。

 

 

ただし、大学によって良い奨学金制度があり、無料になったり、一部免除されたり、

お金を借りられたりするので、下記で貴方が目指す大学にある奨学金制度を調べて見ましょう。

https://manabi.benesse.ne.jp/parent/okane/06/

 

 


トータルすると随分かかるものです。

 

ご両親に感謝ですよね。

 

 

 

 

さて、随分話が逸れてしまいましたので、元に戻しましょう。

 

 

 


相談の電話を頂いたのは、矢野ケイコさんという

 

 

2人の小学生のお子さんがいる主婦の方でした。

 

 

女性の場合、一旦嫁ぐとどうしても子育てもあり、

 

 

夫の実家には正月とかお盆とかに行きますが、

 

 

自分の実家は長男に任せっきりになっていて、ご無沙汰な方も多いかと思います。

 

 

彼女の場合も、都内に住んで居ると、夫の実家は近いので年2回は行くものの、

 

 

自分の実家がある静岡には、正月も電話での挨拶で済ませる事が多いといいます。

 

 

実家では、彼女の71歳になるお母さんが1人暮らししているそうです。

 

 

 

 

 


そんなある夏の日、

 

 

夫が1週間出張する事になり、それならばと、

 

 

夏休みを利用して、子供達とケイコさんの実家がある静岡に帰って、

 

 

お母さんを温泉にでも連れてってあげてはどうかと、夫が言ってくれたそうです。

 

 

子供達は大喜び。お母さんに電話すると、

 

 

「温泉なんていいのに。」と言いながらも喜んでいる様子。

 

 

話しはトントン拍子に進み、出発は2週間後で、

 

 

夫が出張に出た後、すぐに家を出る事になりました。

 

 

さっそく図書館に行って、静岡にある温泉の本を借りて来て、

 

 

子供達とどの温泉に行こうかという楽しい時間が始まったといいます。

 

 

やがて、候補を3つに絞り、その中で、お母さんに選んでもらいました。

 

 

ところが、温泉地も決まり、予約もし終わった翌日の事です。

 

 

私が台所で皿洗いをした後、2階で洗濯物を干していると、

 

 

 

 

 

どこからか、「温泉は中止。」という声が聞こえるのです。

 

 

始めは、偶然誰か近所の人が言った言葉を拾ったのかと思っていたのですが、

 

 

違いました。

 

 

 

翌日も、今度はリビングで食後テレビを見ていた時に、

 

 

「温泉は中止。」という声がまた聞こえたのです。

 

 

それは、まるで私の頭の中に誰かが直接声をかけているかの様でした。

 

 

既に温泉宿には予約を入れてあります。

 

 

そしてあと6日後には、実家に帰る予定なのに、

 

 

「温泉は中止。」とはどういう意味なのでしょうか。

 

 

私の空耳なのか、それとも私の勝手な空想が言葉になったのか。分かりませんでした。

 

 

もしかしたら、台風が来て中止になるのかしらとも思い、

 

 

天気予報を調べたのですが、台風が来る様子はありません。

 

 

しかし、それからも食事を作っている時も、掃除をしている時も、

 

 

あの「温泉は中止。」という言葉が頭をよぎり、何かソワソワしていました。

 

 

 

やがて、実家に帰る前日がやってきました。

 

 

子供の衣類など詰めて用意していた時です。

 

 

 

兄から電話が来たのです。

 

 

 

 

 

 

母さんが、「くも膜下出血で病院に運ばれた。」と。

 

 

助かりませんでした。

 

 

勿論、温泉は中止となったのです。

 

 

 


奇しくも彼女が1週間前に聞いたという「温泉は中止。」という予言は、

 

 

お母さんの死という形で、当たってしまったのである。

 

 

 


彼女は私に、

 

 

「私は、母の死を予言した事になるのでしょうか?」と尋ねて来た。

 

 

 

 

 

私はそれに答える前に、彼女にこんな事を質問した。

 

 

「今まで、そういう事や、何かを予言出来た事はありますか?」

 

 

彼女は無いと言う。

 

 

今までそんな経験は無く、初めてだったそうだ。

 

 

 

 


それを聞いた上で、私は答えた。

 

 

 

「私の経験上言わせてもらうと、

 

 貴方が聞いた声は、癒しの予言です。」

 

 


「多分、お母様の死は、もう決まっていた事なのでしょう。

 

 そもそも貴方が実家に帰ろうとした事も、偶然では無かったのです。」

 

 


 [貴方は「温泉は中止。」という声を聞いて、どう思いましたか?]

 

 


実は、彼女は「温泉は中止。」という声を聞いた時、

 

 

最初は台風が来て中止になるのかとも考えたが、

 

 

もしかしたら、母になにかあって中止になるではという不安も頭をよぎったという。

 

 

 

しかし、そんな不吉なと思い、すぐに忘れるよう打ち消したのだ。

 

 

だから、お兄さんから電話で、母が倒れた知らせを聞いた時、

 

 

「ああ、やっぱり。」と思ったそうだ。

 


逆の言い方をすれば、

 

 

もし「温泉は中止。」という声を聞いていなければ、

 

 

お兄さんから電話を貰った時、もっとショックを受けていたに違いない。

 

 

彼女は血圧が高めだという事なので、その面でも良く無かったかもしれない。

 

 

そう考えると、「温泉は中止。」という声は、

 

 

彼女に知らない間に、ショックを和らげる覚悟をさせたのである。

 

 


私は思う。

 

温泉は中止。」という言葉は彼女自身が予言したのではなく、

 

誰か、彼女を愛する者が、

 

彼女がショックを受けない様にと癒しの予言」を与えたのだ。

 

 

「大好きなお母さんが、急に亡くなっても、強いショックを受けない様に。」と、

 

 

 

事前に知った癒しの予言が、

 

 

お母様が死んだ事によるケイコさんの悲しみを少なからずも癒していたのだ。

 

 

 

 


彼女は最後に、こう言った。

 

 

「せめて、お母さんを温泉に連れてってあげたかったのに・・・」

 

 

それが残念だと。

 

 

 

 

 


しかし、私は思う。

 

それもお母様の最後の愛情かもしれない。と。

 

 


「ありがとう。ケイコ。

 

 母さん、その気持ちだけで嬉しいの。

 

 大切なお金は、子供達に使いなさい。

 

 子供達と幸せになるのよ。」

 

 

END

 

 

●父のカフスボタン

 

 


霊能者とて、いつでも万能な力を発揮出来るとは限らない。

 

 

体の具合が悪い時や、病気の時は力が発揮出来ない時もある。

 

 

しかし、体の具合が良い時でも、力が発揮出来ない時があると言う。

 

 

 

 

 

それはどの様な時か?

 

 

そして、霊能者はそんな時、どうやってその場を乗り切るのか?

 

 


今日は、そんな話をしてみたいと思います。

 

 

 

 

 

 


私がアメリカに居た時の話です。

 

 

ある時、霊能者の所に一組のご夫婦が相談にみえました。

 

 

ご夫婦には娘さんがいたのだが、2年前に事故で亡くしていて、

 

 

いまだにお母さんは、悲しみが癒えないという。

 

 

 

 


さっそく霊視が始まりました。

 

 

 

 

しかし、3分経っても、5分経っても娘さんの霊は現れません。

 

 

と言うより、現れる雰囲気はあるのですが、

 

 

この部屋に入って来れない様な、微妙な空気感で、

 

 

それはまるでテレビをつけたのに、ザーザーと嵐の画面で見えないが、

 

 

時々場面が垣間見えるという状態に似ているという。

 

 


それでも10分間そんな感じて頑張って霊視をしてみたのだそうだが、

 

 

一向に改善される感じはしなかったという。

 

 

 


このままでは、何もご夫婦に伝えられないままセッションは終了となってしまう。

 

 

さすがの霊能者の方も、その時は困ったという。

 

 

 

 


結果から言うと、

 

 

その後なんとかして娘さんの声をお母さんに届ける事が出来、

 

 

お母さまは、霊能者に感謝して帰っていったという。

 

 

 

 

 


この話を、私の友人の通訳を介して聞いた時、

 

 

私の興味は、お母さんの話よりも、

 

 

霊能者の方が、どうやってその場を切り抜けたのかに興味が行った。

 

 

そこで通訳を通して、霊能者の方に、

 

 

出来れば、10分も何も出来なかったのに、

 

 

どうやって、その状況を切り抜けたのか教えてもらえないか聞いてみたのである。

 

 

 

 

 

すると、霊能者が教えてくれた話は、

 

 

私の予想を超えたものだったのです。

 

 

 

 

当時、霊能者がいくら頑張って霊視しようとしても、

 

 

現われる雰囲気はあるのに、この部屋に入って来れない空気感があったと言います。

 

 

その時、霊能者の方は、どうしていつもの様に力が発揮出来ないのか?と考えたそうです。

 

 

体調は悪く無いし・・・・

 

 

おかしい。

 

 

 

 


その時、ふと、

 

相談している小部屋の中の空気が悪い事に気がついたそうです。

 

 

そう考えると、なんとなく息苦しいし、

 

 

なんとなく嫌な気の波動が漂っている感じがしたといいます。

 

 

 


そしてよく見ると、

 

 

奥さんの隣に座っているご主人から出ている感じたしたといいます。

 

 

それはどうやらご主人の強いオーラから発していると感じたそうです。

 

 

 

 


後から分かった事ですが、

 

 

実は、ご主人は霊とか死後とかを、まったく信じない人で、

 

 

むしろ、そんな物は存在しないし、インチキに決まっていると思っている人でした。

 

 

そんな時に、奥さんがお金を払って霊能者に診てもらうと言い出したので、

 

 

オレがついて行って、ウソを暴いて、料金を返してもらってやると心に秘めて、

 

 

一緒に付き添って来たのでした。

 

 

 

 


霊能者いわく、

 

 

そういう場合、ご主人から疑いの強い攻撃的な気の波長が出て、

 

 

小さな部屋だと、そのマイナスの気の波長が部屋中に蔓延して、

 

 

霊が入ってこれ辛くなったり、霊能者が霊とコンタクトしずらくなるのだという。

 

 

 


これはご主人に限らない。

 

 

占いに一緒に来た友達や恋人が、そういう否定論者だと、

 

 

スピリチュアル系の占い(タロット・霊視など)の場合、うまく答えが導かれない時がある。

 

 

また統計系の占い(占星術や手相・風水)でも、やはりやりずらいという話を聞く。

 

 

 

 


さて、やりずらかった理由は分かりました。

 

 

では、霊能者はどうやって、この窮地を切り抜けたのだろうか?

 

 

 

 


一番簡単なのは、ご主人を外に出して、奥さんだけにする事だが、

 

 

インチキだと息巻いて乗り込んできたご主人に「外に出て下さい」と言ったら、

 

 

きっと「それ見た事か!」と金を返せと言い出したり、暴れ出したりするかもしれない。

 

 

 

 

 


その時、霊能者の方がとったのは、穏やかな方法だった。

 

 

 


まず、奥さんから娘さんの写真を借りると、

 

 

ご夫婦をそのまま部屋に残し、自分だけ一時部屋の外に出たのである。

 

 

部屋の外で娘さんの霊と交信し、娘さんからお父さんの事を聞き出すという行動に出た。

 

 


そして、しばらくして、ご夫婦が居る部屋に戻ると、

 

 

霊能者の方は、お母さんではなく、まずお父さんと話をし始めたと言う。

 

 

 

「ご主人、

 

 今、娘さんの霊がこの家に来ていて、

 

 ご主人に是非伝えたい事があると言っています。」

 

 


そう言うと、ご主人は「来た来た。」思って、

 

いつ反撃してやろうかと、身を乗り出した。

 

 


「私には、どういう意味か分からないのですが、

 

 貴方の娘さんが言うのです。

 

 お父さんに伝えて下さいって。

 

 カフスボタンをありがとう。って。」

 

 

 

すると、あれだけインチキを暴いてやろうと息巻いていたご主人が、

 

 

急に左手を口に当てると、涙を流し始めたのです。

 

 

 

その瞬間、部屋中の空気が一瞬にして変わったという。

 

 

 

 

 

実は、愛する娘が亡くなって、墓地に埋葬した時、

 

 

お父さんは、とっさに自分の左腕にあったカフスボタンを取って、

 

 

こっそり墓地の中に入れたのである。

 

 

それは妻も知らない事だった。

 

 

今まで大切に使っていたカフスボタンを、

 

 

愛する娘に片方持っていてもらいたかったのだという。

 

 

 

 


そんな、誰も知らないはずの事を、

 

 

娘が、   娘が知っていたのだ。

 

 

 


「父さんの大事なカフスボタンだったんだよね。

 

 ありがとね。

 

 愛してるよ。父さん。 」


END

 

 

 

 

●これは自分のお金じゃない

 

 


よくテレビなどで、こんな質問が聞かれる時がある。

 

 

「もし今、1億円が当たったら、どうする?」

 

 

貴方だったら、何と答えるだろう。

 

 


家や土地を買う?

 

車かバックを買う?

 

それとも貯金か、親に楽させてあげる?

 

 


1億円は大金です。

 

 

何に使うかを考えるだけでも、楽しい。

 

 


しかし、世の中には誰も予想しない様な事を、答える人がいる。

 

 

私が知っているある男は、

 

 

「もし今、1億円が当たったら、どうする?」

 

 

と聞かれたら、きっとこう答えるだろう。

 

 


「当たったお金は、私のお金じゃない。」、と。

 

 


そんな変人とも思える男は、

 

 

1948年、10月。石川県に産まれた。

 

 

普通、子供が生れると家族全員で喜ぶものだが、

 

 

彼の場合、誰も彼の誕生を喜ぶ者は居なかった。

 

 

 

なぜなら、

 

 

生れた時、すでに両親はいなかった。

 

 

自分は捨てられたのか、邪魔で預けられたのか? 

 

それとも死んだのか。それさえも分からなかった。

 

 

気がついた時には、孤児院に居た。

 

 

 

 

 

3歳になった時、養父母にもらわれていった。

 

 

しかし、養父はギャンブル好きで、毎日競輪・競馬三昧。

 

 

ギャンブル通いで働かない父と、パートで頑張って家計を支えていた母。

 

 

そんな中で、トクジは育った。

 

 

電気代も水道代も払えない貧乏家族だった。

 

 

やがて父は、払うべき家賃も母から取り上げてギャンブルにつぎ込んだ。

 

 

当然、そんな状況で勝つ訳も無く、

 

 

一家は全財産を失う。

 

 

払う家賃も無くなり、夜中に養父母とトクジの3人で夜逃げする。

 

 

逃げた先は岡山県の玉野市だった。

 

 

しかし、逃げた先でも父親のギャンブルは止まらなかった。

 

 

母は、そんな父に愛想を尽かし、父とボクを残して出て行った。

 

 

生活費の当てが無くなった父は、しょうがなく日雇いの仕事を始めました。

 

 

でも父は仕事から帰って来ると、よくボクに暴力を振るいました。

 

 

ちょっとでも機嫌が悪いと、ボクを叩きました。

 

 

それでも私には父だけしか居なかったから、

 

 

必死に父に気に入ってもらえる様に、「お父ちゃん、お父ちゃん」って、

 

 

見捨てられない様に、気に入って貰える様に、ボク、頑張ったよ。

 

 

電気代が払えなかったので、夜はロウソクの明かりで過ごしたよ。

 

 

貧乏のどん底に居たので、お米なんて滅多に食べられなかった。

 

 

いつもメリケン粉を水で溶いた物を食べていたんだ。

 

 

父ちゃんが家に帰って来ない日が続いた時は、お腹が空いて死にそうになり、

 

 

外に行って、雑草を食べて飢えをしのいだんだよ。

 

 

それでも父ちゃんは、家賃を滞納したんで、ボクたちはアパート転々とした。

 

 

そんなある日、ボクが8歳の時、

 

 

逃げて行った母が、名古屋で暮していると分かったんだ。

 

 

父とボクは、再び母の元に行き3人一緒に暮らし始めました。

 

 

でも、父ちゃんはまたギャンブルを始めたんだ。

 

 

結局1年も経たないで、再び離婚。

 

 

また父ちゃんとボクの生活が始まった。

 

 

家賃を滞納して追い出されるの繰り返し。

 

 

半年で家を転々とする生活で、ボクに友達が出来る事は無かった。

 

 

夕飯の為、近くの川に行ってメダカやフナを獲ってました。

 

 

父ちゃんはタバコが好きだったけど、買えなかったので、

 

 

よく父ちゃんとパチンコ屋に行ったんだ。

 

 

ボクの仕事は、パチンコ屋の床に落ちているタバコの吸い殻を拾い集めるんだ。

 

 

吸い殻をパイプに詰めると、タバコになったんで、父ちゃん喜んでよく吸っていたんだ。

 

 

そんな生活だったけど、ボクは自分が不幸だとは一度も思わなかった。

 

 

父ちゃんは一年に2回、ボクにリンゴを買ってきてくれたよ。

 

 

それがとっても、美味しくて、幸せだった。

 

 

 

 

ボクが15歳の時、そんな父ちゃんが死んだ。

 

 

ボクは再び母さんの所に行き、母さんとの6畳一間の暮らしが始まった。

 

 

それでも貧乏暮らしは変わらなかったので、

 

 

ボクは毎朝学校に行く前に、友達に頼み込んで、友達の家がやっている豆腐屋さんで、

 

 

アルバイトして学費と生活費を稼いだ。

 

 

この頃には、もう「何事も誰にも頼らずに、一人で生きていかなければ」と思っていました。

 

 

 

 

高校を卒業すると、

 

 

車に乗って回れる仕事がしたいと思い、新聞の求人広告を見ながら、

 

 

高卒でも良い所を探して面接に行くと、そこは不動産会社でした。

 

 

どんな仕事をするのかも分からず学生服で面接に行くと、なぜか即採用されて、

 

 

ああ、これで生活が出来ると安堵しました。

 

 

私は内向的で、営業トークなど出来るタイプでは無かったのですが、

 

 

トークが上手く出来ない分、心を込めて対応しました。

 

 

すると、当時は高度経済成長の真っただ中だったので、私でも何軒か契約が取れました。

 

 

ところが、入社して2年半が経った時でした。

 

 

突然本社がある神奈川県の川崎市に転勤になったのです。

 

 

そこで半年働いた時、こう思いました。

 

 

名古屋に帰りたい。」

 

 

母がいる地元名古屋で仕事を探そうと決意しました。

 

 

私は名古屋が大好きなんだなぁと、つくづく思いました。

 

 

さっそく名古屋に支社のある住宅建築会社に面接に行くと、内定をもらいました。

 

 

あとは名古屋に行ってその会社で働くだけでした。

 

 

 

 


しかし、ここで私の人生で最大の運命の分かれ道がやってきたのです。

 

 

 

あと2日で入社という時でした。

 

 

 

 

たまたま新聞の求人欄をみていると、

 

「大和ハウス工業」の求人広告が目に留まったのです。

 

 

当時、私は会社に入社するにあたり自分の戸籍謄本を見る機会があり、

 

 

その時初めて、自分の本当の親だと思っていた母ちゃんが違うという事に気がつき、

 

 

少し複雑な気持ちの中にいたからなのかもしれませんが、

 

 

本来なら、仕事はもう決まっているのに、なぜか気になってしまうのです。

 

 

 

 

ちょっと話を聞くだけならいいかと、電話してみました。

 

 

すると電話に出た人が高卒の私に対して、やたら熱心に勧めてくるのです。

 

 

絶対うちの会社に来た方がいいよ! 面接に来なさい!」

 

 

結局私は入社が決まっていた会社を入社前日に丁重にお断りし、

 

 

「大和ハウス工業」に無事採用されたのでした。

 

 

入社すると、そこは男性ばかりの職場でしたが、

 

 

たった一人だけ20歳位の女子社員(直美さん)が働いていました。

 

 

朝からお酒やタバコの匂いが漂う男の職場で、彼女はいつも笑顔を絶やさず、

 

 

男性社員達の「お茶をくれ!」「タバコを買って来てくれ!」という要望に、

 

 

快く対応し、決して嫌な顔ひとつせずに笑顔で働いているのです。

 

 

 

私はそんな彼女にいつしか心を奪われてしまいました。

 

 

入社2ヵ月が過ぎた時、彼女の誕生日だと分かったので、

 

 

私が好きなクラシックのレコードをプレゼントしました。

 

 

私の中では、もう彼女と結婚したいと決めていました。

 

 

しかし、彼女の反応はイマイチ。どうやら当時彼女の同僚には、

 

 

「クラシックが好きな男性なんてねぇ。

 

 しかも髪型は七三で、ズボンの丈も短いし……好きじゃ無いタイプ!」

 

 

と言っていた様です。

 

 

それでも彼女へのアタックは止まりませんでした。

 

 

毎日、仕事が終わると彼女を家まで送り届け、休日は朝早くから彼女の家に行き、

 

 

猛アタックを続けました。

 

 

 

 

 

当時の彼女(直美さん)の気持ちが後に語られています。

 

 

私がまだ18歳の時に初めてトクジさんと出会ったのですが、

 

 

パッと見る限りでは、生真面目そうで、いい所のお坊ちゃんという感じでした。

 

 

実際は貧乏出だったので違いましたけど、その時は好青年に見えたんです。

 

 

ただ、私は自分をぐいぐい引っ張ってくれる人が望みだったので、

 

 

彼はまったく逆のタイプだったんです。

 

 

だから、毎日家に送ってくれるのも、最初はアッシー君みたいで便利だと思っていました。

 

 

ただ毎日家に送ってくれても、私だってまだ18歳でしたから、

 

 

仕事が終わったらまっすぐ家に帰るのではなく、先輩や同僚と食事とかしたいんです。

 

 

それなのに、彼は毎日私を家に送るだけでなく、

 

 

休日も来るし、電話も2・3時間おきにしてくるんです。

 

 

その事で大喧嘩した事もありました。

 

 

今だったら、完全にストーカーですよね。

 

 


私は縛られるのが嫌いなので、やがてもう限界。「ふざけるな」と思いました。

 

 

そしてある日、もう別れようと思い、一緒に車に乗っている時に、

 

 

今日でお付き合いを止めたい!」と彼に言ったんです。

 

 


そうしたら、彼が泣いたんです。

 

 

ボロボロと涙を流して、私の袖を握って離してくれないんです。

 

 

「ちょっと困ったな」と思いました。

 

 

それからも彼の猛アタックは続き、彼女は根負けして、

 

 

「100万円貯めたら結婚してもいいよ」と言ってしまったのでした。

 

 

実は、直美さんも10歳の時に、目の前で父親が吐血して亡くなっていました。

 

 

それ以来、親戚の家に預けられて育ったのでした。

 

 

そんな二人が、どこかでお互いの気持ちが引き合ったのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

こうして彼女が23歳の時に結婚したのでした。

 

 


彼にとって、彼女は幸運の女神だったと思います。

 

 

彼女と結婚した事で、私の運が少しづつ上昇していったのです。

 

 


一年後には、自宅を建てて、その一室を事務所にして二人で不動産仲介業を始めました。

 

 

経営は順調でしたが、不動産業は安定した職業ではありませんでした。

 

 

契約が取れなければ収入はゼロです。

 

 

今は順調でしたが、何か心の奥で物足りなさを感じていました。

 

 

そんな時、行動的な妻が喫茶店をやってみたいと言ってくれたのです。

 

 

善は急げで、さっそく信用金庫から500万円を借りて、喫茶店「バッカス」をオープンさせました。

 

 

オープン初日、私は軽い気持ちで妻の手伝いに行きました。

 

 

すると開店の物珍しさもあったでしょうが、大勢のお客様が来店してくれたのです。

 

 

それが心の底から嬉しくて、妻と二人で拍手するほどでした。

 

 

私の中から、不動産業では味わった事が無かった熱いものがふつふつと込み上げてきたのです。

 

 

「これからは夫婦で喫茶店をやっていこう!」

 

 

不動産業は廃業にしました。

 

 

妻がいなければ、飲食業をやる事は絶対になかったです。

 

 

しかし、喫茶店の経営は順調ではありませんでした。

 

 

現在もそうですが、名古屋の喫茶店と言えば、「モーニング」です。

 

 

モーニング」とはドリンク代だけで、

 

野菜ソムリエ ぱるとよさんブログより

 

あとのトーストや卵、サラダは無料で付いてくるというお得なセットです。

 

 

どこの喫茶店でも「モーニング」で客寄せをしていたのですが、

 

 

うちでは一切やりませんでした。

 

 

だから、当初は来てくれたお客様もガッカリされた方も多かったでしょう。

 

 

喫茶業の先輩方からは、それでやっていけるのか?と心配されましたが、

 

 

私達は「安さで人を呼ぶよりも、真心のサービスをしよう」と接客に力を入れました。

 

 

例えば、サンドイッチなら、その都度お客様にマスタードの量を聞き、

 

 

サンドイッチの具は最後の一口までキッチリ残る様に丁寧に作りました。

 

 

ウインナコーヒーなら砂糖の量もお客様に直接伺って作りました。

 

 

常に店を掃除して綺麗にし、毎回お客様が来店したら、

 

 

手を止めて「いらっしゃいませ!」

 

 

お帰りになる時は、「ありがとうございました!」と元気よく挨拶しました。

 

 


すると、じわじわと客足が伸びてきて、やがて繁盛店になったのです。

 

 

開店10ヶ月後には、調子に乗って2号店を出す事にしました。

 

 

 

しかし、これが思わぬ苦労を招いてしまいました。

 

 

この2号店が、全くお客様が入らないのです。

 

 

経済的にも苦しくなり、最初の半年間は、二人でパンの耳を食べる毎日でした。

 

 

しかし、一品一品真心を込めて出し、一生懸命接客しました。

 

 

やがて「名古屋で一番のウインナー珈琲」と売りにすると、それを目当てに遠くから

 

 

来てくれる御客様が増え、段々と1号店、2号店ともに地域で一番の繁盛店になったのです。

 

 

ただ、店は小さくて15席しかありませんでしたから、これ以上の成長は望めませんでした。

 

 

そこで、出前も始める事にしたのです。

 

 

その為には食事メニューを増やす必要がありました。

 

 

ピラフにしようか、カレーライスにしようか、牛丼にしようか。と悩みました。

 

 

 


当時名古屋には牛丼の専門店が無かったので、牛丼はいけるかもしれないと思い、

 

 

東京の牛丼繁盛店に視察に行く事にしました。

 

 

しかし行って見ると、東京の牛丼屋はおじさんばかりで、女性の姿がありません。

 

 

昼食になると、オジサン達が一心不乱に牛丼を食べている姿を見て、

 

 

女性が入れない雰囲気が、何か違うなと思いました。

 

 

妻が家で作るカレーは、とても美味しかったので、これは皆にも食べてもらいたいと、

 

 

カレーライスを出す事は決めていました。後は味をどうするかでした。

 

 

そこで妻と相談し、カレーライスを出す事にして、

 

 

東京で有名なカレーのお店を10軒位食べ歩きました。

 

 

しかし、その時改めて感じたのです。

 

 

妻が作るカレーが一番や!」

 

 

帰りの新幹線の中で、「カレーなら、ココが一番や!」という思いから、

 

 

3店目の店名を「カレーハウスCoCo壱番屋」にしました。

 

 


こうして私が29歳の時に「カレーハウスCoCo壱番屋」一号店をオープンしたのです。

 

 

アンケートはがきを導入し、お客様の声はクレームであっても、ファンレターだと思って、

 

 

どんなお客様の声も無視せず、なるべく改良する様にしました。

 

 

ただ、最初から順調だった訳ではありませんでした。

 

 

「CoCo壱番屋」4店目を出した時、二つの喫茶店を処分しても、

 

 

給料を含めた70万円が不足して払えない状況でした。

 

 

そこで尾西信用金庫さんへ行って、無理を承知でお金を貸して下さいとお願いしに行ったのです。

 

 

すると、70万不足の所、100万円を貸してくれのです。

 

 

良かった。10万円もあれば私達夫婦も新年を迎える事が出来る。そう思いました。

 

 

会社に帰るとさっそく給料袋に70万円を詰め、従業員に渡しました。

 

 

すると20万円が残りました。

 

 

その20万円を見て、夫婦はこう感じた。

 

 


「ああ、残りのお金。これは自分たちのお金じゃない。」

 

 

 


すると、せっかく頭を下げて借りたお金を、

 

 

10万円を、尾西市の社会福祉協議会さんに寄付。

 

 

もう10万円を、一号店のある所の社会福祉協議会さんに寄付しました。

 

 

 

 

 

すると、不思議な事が・・・

 

 

 


4店舗でアップアップだったのに、

 

 

それからというもの、次々とやる事が当たり、

 

 

あっという間に、50店舗、100店舗と増えて行ったのです。

 

 

「CoCo壱番屋」がこれほど多くの店舗に増えたのには理由もあった。

 

 

それは、宗次德二氏が美味しいカレーを多くの人に食べてもらいたいと、

 

 

ルウは提供するが、ロイヤリティは取らないのである。

 

 

また、いい加減なカレーを出さない為に、各店舗のオーナーさんは、

 

 

一般募集ではなく、まずは社員になってもらいよく知ってもらってから

 

 

暖簾分けという制度をとっているからだ。

 

 

 

 

 

その後、「CoCo壱番屋」は2000年に株式を公開。

 

 

宗次德二氏は、株式をハウス食品に譲渡する形で引退した。

 

 

その時の夫婦の株式の譲渡額は、220億円だったという。

 

 

その時、すごい金額が振り込まれていて、その通帳を見ながらこう思ったという。

 

 


「これは自分たちのお金じゃないぞ

 


「これは社会から一時的に預かったものだから

 

 

 社会にお返ししないといけないね。」と、夫婦で話したんです。

 

 


その時にこう思ったのだそうです。

 

 

私が貧乏で苦しかった時、テレビから流れて来たクラシック音楽が、

 

 

どんなにか私の心を癒してくれたか。と。

 

 

名古屋に恩返しする意味でも、栄駅にクラシック様の音楽ホール「宗次ホール」

 

を建て、そこ通じて数々の運動を行なっている。

 

東北被災地に音楽を贈る運動。


青少年に楽器を贈る運動。

 

また、若手演奏家の支援の為、

 

例えば、約2億円するストラディバリウスなどバイオリンの名器を、有望な演奏家に無償貸与している。

 

宮本笑里さんや三浦文彰さん葉加瀬太郎さんら著名なバイオリニストに加え、

 

宮本笑里さん

三浦文彰さん

葉加瀬太郎さん

 

 

25歳以下の若手を対象に2年に1度開く「宗次エンジェルヴァイオリンコンクール」の

 

上位入賞者にも、2年間の期限付きで名器が貸与されている。

 

 

 

他にも、一人でも多くの演奏家に世界で活躍して欲しい為の奨学金制度


楽器が不足し購入が困難な小・中・高校のブラスバンド・オーケストラ部への楽器の贈呈


社会福祉施設や団体あるいは個人に向けての楽器の贈呈

 

 

 

また、NPO法人イエロー・エンジェルを立ち上げ、

 

児童養護施設への寄付。

 

授産施設への給食サービス。

 

被災地などへの移動販売車でのカレー提供。

 

フードバンクへの食材提供などを行なっている。

 

 


夫婦が共に健康で商売できた「感謝」の気持ちとして。

 

東京カレンダーより

 

END

 

 

 

 

参考:東京カレンダーhttps://tokyo-calendar.jp/article/9380?
「おしえて!アミタさん」http://www.amita-oshiete.jp/column/entry/014532.php
WORKPORThttps://www.workport.co.jp/column/2017/01/25/05%e5%ae%97%e6%ac%a1%e5%be%b3%e4%ba%8c%e3%80%80%e8%aa%b0%e3%82%82%e3%81%8c%e6%9c%80%e5%88%9d%e3%81%af%e6%96%b0%e4%ba%ba%e3%81%a0%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%80%82%e3%81%82%e3%81%ae%e4%ba%ba%e3%81%ae/
企業家倶楽部http://kigyoka.com/news/magazine/magazine_20150213_5.html
B-BOYが発信する生活ニュースhttp://b-boynositennews.blog.so-net.ne.jp/2016-03-14

野菜ソムリエ ぱるとよ https://internal-reform.com/2017/11/11/food-769/

三浦文彰さんの画像:出典spice.eplus.jp