●昔、墓地だった実家で起きた怪。

 

 


まだ私が電話相談をしている時に来た案件です。

 

 

相談者の名前を仮に、伊藤さん(49歳)としておきます。

 

 

伊藤さんは、ご主人と結婚してからずっと神奈川県の賃貸マンションで暮していたといいます。

 

 

二人のお子さんは、家を出て勤めているそうです。

 

 

ただ、子供達が家を出てから、体がだるくなったり、

 

 

顔が熱くなったり、吐き気がする事が時々あり、

 

 

特に困ったのは、寝つきが悪くて、寝不足ぎみだったそうです。

 

 

そこで医者に行くと、更年期障害だという診断結果だったそうです。

 

 

更年期障害とは、閉経後の45歳以降の女性がかかりやすい病気だそうで、

 

 

医者からは、薬と一緒に、次のアドバイスを頂いたそうです。

 

 

■納豆や豆腐、豆乳などを積極的に取る事。

(ちなみに、男性の更年期障害には、牡蠣やしじみと取ると良いとされる)

 

■とにかく睡眠時間を取る様にする事。

 

■ウォーキングやストレッチをする様に心がける。

 

 

ただ、彼女の更年期障害は、薬を飲んでも一向に良くならなかったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

でも、ここまでの話であれば、よくある事で、

 

 

わざわざ私に相談が来る事も無かったでしょう。

 

 

 

 

 

 

そんな伊藤さんに異変が起きたのは、

 

 

今から1年前の事でした。

 

 

ご主人が、亀戸で暮す実家の母親と暮らす事になったのです。

 

 

7年前にお父さんが亡くなってから、母親は一人で暮らしていたそうですが、

 

 

1年前に料理中に火傷したのキッカケに、1人にしておけないと妹さんとも話し合う事に。

 

 

ただ、妹さんも結婚していて家庭があるので、

 

 

結局、ご主人が母親と暮らす事になったのでした。

 

 

当然、伊藤さんもご主人について行く事になり、

 

 

亀戸の実家で、ご主人のお義母さんと一緒に暮す事になったのです。

 

 

 


しかし、この実家というのが問題だったといいます。

 

 

と言うのは、実家が建っている場所は、

 

 

かつて墓地だった土地だというのです。

 

 

 


ただ、ご両親はもう50年間この土地に住んで居たそうですが、

 

 

特に幽霊を見たとか、悪い事があったという事は無かったそうです。

 

 

ご主人も25歳になる時まで、この実家に住んで居たのですが、

 

 

特に不思議な現象は起きなかったといいます。

 

 

 

 

 

ところが、そんな夫の実家に暮す様になって、2週間後の事です。

 

 

彼女がベッドで寝ていると、

 

 

何かが、足の上に乗ったそうです。

 

 

怖くて、目を開ける事は出来なかったそうですが、

 

 

その何かは、足の上に乗ると、少し動いたそうです。

 

 

伊藤さんは、怖くてじっとしていると、やがて居なくなったそうです。

 

 

5分位して、目を開けて部屋の電気をつけたのですが、そこには誰もいませんでした。

 

 

その間、部屋のドアが開いた様子はありませんから、1階に寝ているお義母さんではありませんし、

 

 

当時、出張中のご主人でもありません。

 

 

つまり、何か得体のしれない物が、寝ている彼女の足の上に乗っかったのです。

 

 

そんな事が、3回あったといいます。

 

 

だから、決して夢や気のせいでは無いと伊藤さんは言います。

 

 

それ以来、伊藤さんは余計寝不足になっているそうです。

 

 

 

 

 

その他にも、こんな事があったそうです。

 

 

彼女が夜中に起きて、トイレに行った時の事です。

 

 

廊下を歩いていると、ネグリジェを誰かが引っ張ったと言うのです。

 

 

振り向くと、誰もいません。

 

 

そんな事が2回あったそうです。

 

 

 


この家には、何かが居る!!

 

 

絶対何かいます。

 

 

 


昔、墓地になっていたこの家に来てから起きているので、

 

 

間違いなく、墓地がらみだと思います。と彼女は言った。

 

 

 

 

 

そんな電話相談だった。

 

 

後半は、明日のブログに続く。

 

●生きる希望

 

 

占いをする人は、基本的には前向きな人だと思います。

 

 

それでも、中には、死にたい。もうダメです。という方もいます。

 

 

ただ、どんなにどん底に居る人で、もうダメだという人でも、

 

 

占い師に電話してきたという事は、心の奥底に前向きな気持ちがあるのです。

 

 

別に私達占い師に相談しなくても、

 

 

貴方がどん底に居て、もうダメだ思った時、

 

 

誰かに相談しようかな。と、ふと思ったら、すぐにその誰かに相談しましょう。

 

 

別に相談して解決しなくてもいいのです。

 

 

誰かに相談する事自体が、一歩前進で、どん底から脱している事が多いのです。

 

 

そして、この「誰か・・・・」が、

 

もうダメから脱出するキーワードになるのです。

 

 

自分の事を見失っていて、自分に自信が無いという人には、

 

 

誰かの為に、生きてみませんか」とアドバイスする事があります。

 

 

その誰かは、「夫」でもいいし、「子供」でもいいし、「孫」でもいいし、

 

 

全くの他人にボランティアするのでもいいのです。

 

 

自分が自信を失っている時は、

 

 

自分以外の誰かの為に動く事が、自分を取り戻すキッカケとなるのです。

 

 

 

 

 

よく自分で始めた商売がうまくいかないと相談に来る人がいますが、

 

 

内容を聞くと、もう金儲けの事だけしか考えていない。

 

 

そんな時は、「もっとお客の為になる様にしてみては・・・」とか、

 

 

「もっとお客が喜ぶ事を考えてみては・・・」と言う事があります。

 

 

商売も「誰かの為に」が抜けていると、行き詰まっていくのです。

 

 

 

 

 


生きる希望」って言うと、自分で勝手に思い描くものだと思いがちですが、

 

 

生きる希望は、自分以外の誰かの為にとなった時、本物になります。

 

 

 

 

 

生きる希望が無いという人がいましたが、結婚して子供が出来たら、

 

 

初めて生きる希望が出来たという男性もいました。

 

 

 

 

 

また、稼ぎ頭だった長男を交通事故で亡くした母親が、

 

 

生きる希望を亡くして死にたいと言ってきた事があります。

 

 

確かに大切な人との死別は、悲しいものです。辛い事です。

 

 

でも、どんな別れも貴方にとって何かしら意味があるのです。

 

 

無駄な死別は無いからです。そこには必ず貴方の為になる学びがあるはずです。

 

 

人生には、ペットの死を含めて沢山の別れが訪れるでしょう。

 

 

でも、そんな別れから何かを学びながら、前進していかなかればなりません。

 

 

死別した人とは、いずれまた会えるのです。

 

 

聞くと彼女には、長女がいました。

 

 

どうか自殺するよりも、長女の為に生きて下さい。と言いました。

 

 

「生きる希望」を失ってしまった時は、次の生きている人の為に生きる事が、

 

 

その人の「生きる希望」を復活させるからです。

 

 

 

 

本物の「生きる希望」の後ろには、必ず「誰かの為に」という無償の愛があるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


最後に、こんな実話を紹介して終わりに致しましょう。

 

 

 

1968年10月。

 

 

福岡県福岡市西区今宿に、ひとりの男の子が生れる。

 

 

名前を「政夫」(まさお)と名付けた。

 

 

しかし、政夫が10歳の時、両親が別居(離婚)した。

 

 

政夫はお姉ちゃんと妹と共に、母の出身地である佐賀県唐津市に移り住んだ。

 

 

そんな3人の子供を、お母さんは朝早くから寒さに耐え、朝市で働き、

 

 

女手一つで、子供達を育てたのである。

 

 

お姉ちゃんは、早く母親を楽にしたいと美容師になって働き始めた。

 

 

政夫には夢があった、ぼくも出来れば野球で、早く働いて母さんを楽にしてやりたい。

 

 

しかし、高校2年生の時、佐賀県予選の決勝まで行ったのだが、

 

 

あと一歩というところで、甲子園に行く事が出来なかった。

 

 

結局彼は、プロに行かず、地元の日産自動車九州に就職した。

 

 

それでも会社では、エースとして活躍すると、九州代表に選ばれた。

 

 

その後、日本代表としてアジア大会に出場して金メダルを日本にもたらした。

 

 

そんな時だった、家族に悲劇が訪れる。

 

 

美容師だったお姉ちゃんが交通事故で亡くなったのだ。

 

 

そんな中、迎えた1994年のプロ野球ドラフト会議。

 

 

1位指名、2位指名、3位指名と進んだが、彼の名前を指名する球団は無かった。

 

 

もうダメかもしれないと思った時、

 

 

ダイエー(今の福岡ソフトバンクホークス)が最後の最後で政夫を指名したのだ。

 

 

4位指名だった。(ダイエーは5位指名はしていない。)

 

 

彼はダイエーの王監督に、拾ってもらったと思ったのかしれない。

 

 

彼は入団会見の時、抱負を聞かれると、

 

 

「王監督を胴上げしたい。」と語った。

 

 

政夫はプロになると共に、名前を改名し、「藤井将雄」とした。

 

 

当時、ダイエー(今の福岡ソフトバンクホークス)は弱小球団だった。

 

 

ここまで17年間万年Bクラスで、3位にもなった事が無い球団だったのである。

 

 

しかも、この年から世界の王が監督になるというので、選手達が委縮してしまい、

 

 

怪我人も続出。結局去年の4位から5位に落ちてシーズンを終える。

 

 

そして、翌年には、最下位の6位になってしまう。

 

 

ファンは、王監督に罵声を浴びせた。

 

 

球場にも王監督を非難するプラカードが掲げられ、

 

 

王監督めがけて生卵が投げつけれられるという生卵事件も発生する。

 

 

 

ところが、王監督就任5年目の1999年。

 

 

ダイエーは快進撃を始める。

 

 

南海時代の1973年以来、26年ぶり13度目のリーグ優勝に輝いたのである。

 

 

その原動力の1つになったのが、藤井将雄だった。

 

 

彼は最優秀中継ぎ投手となり、ダイエー優勝の一翼を担ったのである。

 

 

こうしてリーグ優勝を決めた1999年11月、日本シリーズ10日前の事だった。

 

 

藤井が、ハワイへの優勝旅行に向けて健康診断を行った時、

 

 

藤井選手のレントゲン検査で肺に影が映り、医者は彼にこう告げた。

 

 

すぐに入院の手続きをして、入院して下さい。」

 

 

しかし藤井は「来週から日本シリーズが始めるんです。チームに迷惑をかけられません。」

 


そう言って、入院を断り日本シリーズに参加したのだった。

 

 

そして第5戦、藤井(無失点)を含めた勝利の方程式で6-4で中日に勝利。

 

 

ダイエーは35年ぶりの日本一に輝いたのである。

 

 

ただ、もうその時、

 

 

藤井の体は病気に蝕まれていて、息苦しさを殺しながら投げていたのだった。

 

 

同僚には、「マウンドで胸がゼーゼーする」と漏らしていたという。

 

 

日本シリーズの優勝パレードに参加した後、すぐに入院し精密検査を行った。

 

 

 
精密検査の2日後の1999年11月10日。

 

 

母親が密かに病院に呼び出された。

 

 

本人に伝えずに、まずは家族が呼ばれたのである。

 

 

医師の話は残酷なものだった。

 

 

 

肺ガンです。

 

 ガン細胞は、肺のかなりの広い範囲に広がっていて、

 

 手術による切除は困難です。

 

 しかも、首のリンパ節にも転移しています。

 

 この種のガンは、抗がん剤に対して抵抗性があり、

 

 抗がん剤や放射線治療も、多分ほとんど効果は無いでしょう。」

 

 


助かる見込みは無い。と医者は語った。

 

 


つまり、末期の肺ガンが見つかったのだ。

 

 

余命・・3ヶ月です。」もって半年。

 

 

余りに突然の事だったので、それを聞いたお母さんと妹は医者に、

 

 

「少し考える時間を下さい。」と言って家に帰った。

 

 

 

 


息子に正直に、余命3ヶ月だと伝えるべきか。

 

 

それとも・・・・・・

 

 

 

 


お母さんは、悩んだあげく、後日お医者さんにお願いしに行った。

 

 

「息子には、告知しないで下さい。

 

 野球が出来なくなると分ったら、あの子は、

 

 生きる希望を失います。

 

 あの子にとって、野球は命なんです。」

 


こうして、医者は藤井には、肺がんの症状と似ている

 

 

間質性肺炎とウソの説明する事になった。

 

 

 


直後に息子の病室を訪ねた。

 

 

お母さんと妹は、お兄ちゃんの前では泣かないと決めた。

 

 

しかし、いざ余命3ヶ月の息子を前にすると、

 

 

母親泣きそうになり、病室をわずか5分で「家に用事がある。」と出たのだった。

 

 

 


息子にはウソを突き通す事にしたのよかったのだが、

 

 

家族には、1つ大きな問題があった。

 

 

 

当時、ダイエーは日本一を決めた時期だったので、

 

 

プロ野球界は、来年へ向けての契約時期に入ったのである。

 

 

病気の事を、球団に隠しておいてはいけない。

 

 

ただ、当然分かれば、来季の契約は無い。

 

 

それはいいのだが、そうなれば息子に分かってしまう。

 

 

 

そうなれば、息子はきっと、生きる希望を失ってしまうだろう。

 

 

母親はどうしたらいいのか分からなかった。

 

 

そこで後援会事務局長の北方伸一氏に相談すると、

 

 

藤井と最も仲が良かった大親友の同僚、若田部健一選手に電話したのだった。

 

 

「なんとか王監督に会って、事情を説明出来ないだろうか。」

 

 

こうして、若田部選手のはからいで、家族は王選手と直接会う段取りが組まれた。

 

 

母親は王監督に会うと、正直に何もかも話した。

 

 

「息子は、もって半年。

 

 来シーズンはもう無理です。

 

 だから、クビで構いません。」

 


ただ、お母さんは王監督に、1つだけお願いしたのだった。


「息子には、残りの人生、

 

 生きる希望を失ってほしくないんです。」

 

 


ウソでいいので、

 

 契約更改をして頂けないでしょうか?

 

 形だけでいいんです。 お願いします。」

 

 

 

 


その時、王監督は、こう即答したという。

 

 

 

 

 

「お母さん、何も心配しなくていいですよ。

 

 契約更改は、必ずします。

 


 ダイエーは、そんなケチな球団じゃないですから。」

 

 

 

その後、球団も、「喜んで契約しましょう。」と言ったという。

 

 

1999年12月4日。ダイエーは藤井と年俸倍額という条件で契約を更新したのだった。

 

 


当時、藤井の余命を知る者は、王監督と若田部選手、そして球団の上層部だけだった。

 

 

だから、当然、病人である藤井を倍額で契約更新したのを責める声もあった。

 

 

「なんで、あんな役にも立たない病人と契約更新したんだ。しかも倍額で!」

 

 

しかし、そんな声に王監督は、

 

 

「藤井は我がチームにとって、無くてはならない投手。」と一蹴したという。

 

 


契約更改後、もっても5月までは生きれないと言われてた入院中の藤井に、

 

 

王監督が電話した。

 

 

「ゆっくり、焦らず、治療して下さい。

 

 若手がバテ始める6月に照準を合わせて、戻ってきてくれればいいから。」

 


「わかりました。

 

 必ず、必ず6月には完全復活しますので!!」と藤井。

 

 


その後の藤井選手の気力はすごかったという。

 

 

入院しながら、トレーニングをして、

 

 

医師や妹が反対しても、病院の階段を10階まで上り下りして足腰を鍛えたのだった。

 

 

通常、指先で計る血中の酸素量は普通の人は95%である。

 

 

しかし、肺機能が低下した藤井の酸素量は80%を切っていたという。

 

 

かなり息苦しい状態で、普通の人ならトレーニングなど出来ない状態だという。

 

 

それでも藤井は、王監督を胴上げさせるんだ。という一心で、

 

 

人前では決して、苦しがる姿は見せなかったという。

 

 

そして、余命3ヶ月と言われていた1月がやってきた。

 

 

藤井は医者から自宅に戻ってもいいと言われた。

 

 

そんな藤井だったが、自宅に戻れた直後からランニングなど、

 

 

王監督と約束した6月に向けて自己練習を始めたのである。

 

 

その気迫は凄かったと言う。

 

 

 

 

そして、奇跡が起きる。

 

 

なんと3月、2軍キャンプに復帰したのである。

 

 

 

この時、藤井は日記にこう書いている。


2000年04月27日 木曜日

 

 こうなったら,前に進むしかない、とホームページを見ながら思いました。

 

 皆さんのメッセージ、、、とにかく前進あるのみ!

 

 打倒 肺炎 

 

 

それだけでは無い。5月には2軍の試合に登板したのだった。

 

 

この時、藤井が末期ガンで、すでに余命の日付を迎えていた事など、

 

 

周りの2軍監督や選手達は誰も知らなかった。

 

 

そんな2軍の試合での結果が多少良い時があった。

 

 

2軍監督はすぐに、王監督に連絡した。

 

 

実は王監督から、藤井が少しでも調子が良い時があったら連絡して欲しいと頼まれていたのだ。

 

 

王監督は藤井に電話した。

 

 

「今すぐ一軍に、上がって来い。」

 

 

王監督としては、すでに呼吸するのも苦しくなっていた藤井に、

 

 

最後の1軍のマウンドを経験させてやりたかったのである。

 

 

しかし、藤井は、

 

 

「いや、二軍で結果が出ていないのに一軍には上がれません。」と断ったという。

 

 

今の状態では、チームに迷惑をかけると思ったのだ。

 

 

 

 

この時期、藤井は日記にこう書いている。

 

2000年05月20日 土曜日

 

治療のためドームに…ドームに入るなり、ばったり監督と出会った。


「おめでとう」と監督の方から声をかけられた「あっ、ありがとうございます」


…それから先日のゲーム内容についての話を少々…


「本当によかったな」と自分の事のように喜んでくれる監督。


最後に「監督!誕生日おめでとうございます」と声をかけると「ありがとう」の一言。


監督の誕生日に「おめでとう」と監督に言われたのは俺だけかなーと思いながら


ドームを後に…監督今年も胴上げといきましょうか!! 

 

王監督60歳!今年も胴上げだ!!

 

 

 

 

 

 


藤井はその後も2軍の試合で調整を繰り返し、合計6試合に登板した。

 

 

でも、彼の体はもうとっくに野球など出来る状態では無かったのである。

 

 

2000年6月15日の6度目の登板直後だった。

 

 

彼は突然倒れたのだった。緊急入院。

 

 

藤井はこの時、肺に管を通し、心臓や肺には水が溜まった状態だったといい、

 

 

もう先は長くなかった。

 

 

藤井さんは入院中、毎日野球の夢をみていたという。

 

 

この時期、藤井は日記にこう書いている。

 

 

2000年07月16日 日曜日 

 

 入院中は、昼夜関係なく睡魔が襲ってくる


 そんな中で見た夢、やっぱり「野球」の夢なんです


 いくら走り回っても息切れ一つせず、マウンドまでダッシュで


 向かい、相手打線をいとも簡単に抑えて、ベンチに帰るときは


 ウォーレン状態!!(わかりますか!?)


 とにかく夢の中では、手がつけられないくらい元気なんです


 ハッと目が覚めるとナースコールが聞こえてたりして…


 夢と現実との違いにはトホホッて感じでした。

 

 

 

 


ダイエーにとって、去年の最優秀中継ぎ投手の藤井が抜けた穴は大きかった。

 

 

しかし、なぜか不思議とダイエーは強かった。   まるで誰かに守られている様に・・・

 

 

 

2000年9月には、首位争いをしていたのである。

 

 

そして、藤井も生きていた。余命宣告された日付を半年もオーバーしていた。

 

 

9月にはベッドから起き上がる事も出来なくなっていたが、

 

 

入院しながら、チームの仲間達を勇気づけるメールを送り続け、

 

 

出来る限りの応援をしていたのである。

 

 

 

しかし、ダイエーがマジックを「3」とした10月初旬。

 

 

もう藤井の体は限界だったのかもしれない。

 

 

藤井は自ら広報担当に電話して、初めて「皆に会いたい」と語った。

 

 

チームメイトら50人が、すぐにお見舞いに行ったという。

 

 

もう、限界だった藤井が胴上げの瞬間を見ることは、奇跡に近かった。

 

 

 

 

ところが、藤井をお見舞いに行った後の選手達は強かった。

 

 

チームが一丸となっていた。 

 

 

絶対、藤井に胴上げを見せさてやらなアカンばい。

 

 

それからわずか数日後の2000年10月7日。

 

 

ダイエーは見事、2連覇を果たしたのである。

 

 

藤井はその様子を、病室にあるテレビで見ていた。

 

 

王監督が何度も宙に浮く姿を、嬉しそうに・・・・それは嬉しそうに。

 

 

 

その時だった。

 

 

胴上げに参加出来ない自分を残念に思いながら見ていたのだが、

 

 

テレビの画面を見ていると、胴上げしている選手の中に、小さな人形が見える。

 

 

 

その人形をじっと見てみると、

 

 

なんと、その人形には自分の背番号15が付けてあり、

 

 

その上にFUJIIと書いてあるではない。

 


実は、親友の同僚、若田部選手が、きっとこの場に藤井もいたいだろうと、

 

 

藤井の人形を作って、胴上げに参加させていたのである。

 

 

それを見た藤井は、嬉しくて「ありがとう。ありがとう。」と涙を流したという。

 

 

藤井は、王監督の胴上げを目に焼き付けると、

 

 

6日後、天国に旅立っていった。享年31歳。

 

 

 


藤井投手は亡くなる直前、もう自分では文字も書けないぐらいに弱った体だったが、

 

 

口述で、「皆様へ」というメッセージを遺した。(下がその一部)

 


球団の方々、王監督、チームメートのみんな、

 

感謝の気持ちは忘れません。

 

そして、生きる希望を与えてくださったファンの皆様、

 

ありがとうございました。   

 

藤井将雄

 

 

 

 

END

 

 


参考:藤井日記http://www.fdh15.com/DIARY/index2.html
ザ!世界仰天ニュースhttps://www.youtube.com/watch?v=6NbyTfuQ70g
バースデイhttps://www.youtube.com/watch?v=qBU6_xuxU7Y

 

●なぜ、あんな良い子が死ななければならなかったんですか?

 

 


電話相談で、こんな事を聞かれた事がありました。

 

 

 

 

彼女の町で起こったそうですが、

 

 

2歳の女の子が父親によって虐待され、肝臓損傷で亡くなったそうです。

 

 

その後、肋骨が折れ、体には40ヵ所にものぼるアザがあったという。

 

 

父親は当然逮捕されたのですが、彼女はその子と声を交わした事もあり、

 

 

可哀想で、悲し過ぎてやりきれないと言う。

 

 

彼女は何の為に、どうして生れて来たのでしょうか?

 

 

こんな結果になったのは、前世の業でしょうか?

 

 

他にも、イジメで亡くなった子や、若くして殺された人の遺族の方から、

 

 

似た様な質問をされる事があります。

 

 


「なぜ、あんな良い子が死ななければならなかったんですか?」

 

 

 

 

そんな、我が子や大切な人を失った家族に対して、

 

 

一介の占い師でしかない私が、何を言ってあげたらいいのでしょうか。

 

 

これから良い運勢になると言った所で、何になるというのでしょうか。

 

 

 

 

 

大切な人を亡くした遺族の方の鑑定は、

 

 

そういう遺族感情も考慮しないといけないので、とても難しく大変です。

 

 

 

 

 

 

 


ただ、ケースにもよりますが、

 

 

そんな相談者の方に、昔、霊能者から聞いた話をする事があります。

 

 

 


その話は、私が今まで信じていた事が、一瞬でくつがえるものでした。

 

 

当時、霊能者の方も大切な子供を亡くされた遺族の相談にのっていた時でした。

 

 

霊能者の方は、遺族にこんな事を言ったのです。

 

 

「貴方の息子さんは、普通の人とは違う人生を歩んできた人です。」と言うのです。

 

 

「普通の人とは違う人生?」

 

 


「普通、人は、何かを学ぶ為、魂が成長する勉強の場として、

 

 この世に生まれてきます。

 

 しかし、貴方の息子さんは、この町を良くする為にあえて犠牲になった所があります。」

 

 

 


つまり、霊能者いわく、

 

 

普通は、人間がこの世に生まれて来るのは、何かを学ぶ為にやってくるというのです。

 

 


私も、今までそう信じて来ました。

 

 

私達は、魂を成長させる為に、この世に学びに来ている。と。

 

 

 


しかし、

 

 

霊能者は、そうでは無い人が居る。と言うのです。

 

 

 

 


これは意外でした。

 

 

この世に学びに来ていない人が居ると言うのです。

 

 


では、そういう人は、

 

 

何をしにこの世に来たのでしょうか?

 

 

 


霊能者いわく、何かを学ぶとは、真逆の事、

 

 

つまり、

 

 

何かを教えに来ている人達が居るというのです。

 

 

 


例えば、自分の命を犠牲にしてでも、正しい事を訴えたり、

 

 

自分の幸せよりも、国が良くなる道を一進に突き進んだあげく不遇の死を遂げたり、

 

 

最後は悲惨な死だったが、その死のお蔭で、その後多くの人が助かったりする。

 

 


そんな世の中を良い方向に行かせる為の道を、

 

 

教える為に生れてくる魂があると言うのです。

 

 

 

ただし、そういう仕事を神様から託されている魂は、

 

 

既に多くの経験をこの世でした上で、高級な魂になりつつあるもので、

 

 

学ぶ側とは逆の教える側の経験を積んでいる段階なのだという。

 

 


その上で、霊能者はこんな例を挙げた。

 

 

 

1996年1月。 アメリカのテキサス州で、

 

 

9歳の女の子が誘拐されました。

 

 

当時、彼女は自宅付近で自転車の乗っていた所を、男が強引に誘拐したのでした。

 

 

この様子を偶然隣の住民が目撃していたので、すぐ警察に通報しました。

 

 

だから、警察は男の特徴や車の種類、

 

 

誘拐された時の女の子の服装などの詳しい情報を持っていたのです。

 

 

しかし、警察は何も出来ずに、4日後、

 

 

アンバー・ハガーマンちゃん9歳は、強姦されたうえに、

 

 

排水溝に捨てられているのが発見されたのである。

 

 

 

犯人は、現在に至ってもまだ見つかっていない。

 

 

 

 

 

 

この事件以降、住民から残念がる声が多数あがった。

 

 

アメリカでは、誘拐されると75%が、最初の3時間以内に殺されるという。

 

 

だから、一刻も無駄に出来ないのである。

 

 

犯人の人相や車、誘拐された子供の顔や服装まで分かっていたのに、

 

 

なぜ、捕まらなかったのか。もっと早く多くに人に知らせるべきだったのでは・・・

 

 

こういった声を元に、児童が誘拐された時や、行方不明になった時、

 

 

すぐにテレビやラジオなどのメディアを通じて、緊急事態宣言の警報を

 

 

速やかに地域住民に知らせるシステムが確立しのである。

 

 

その警報システムを、最初に誘拐され殺されてしまったアンバーちゃんの名前をとって、

 

 

アンバー警報と名付けたのである。

 

 

2015年 イリノイ州で13歳の少女レベッカ・ノイさんが男に拉致された。

 

レベッカ

 

すぐにアンバー警報をシカゴ地域などに発令。

 

 

すると、車でレベッカさんを連れ去っていた男を発見。

 

 

スティーブン・ラーソン60歳を逮捕した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


こうして、アンバー警報によって、

 

 

2018年3月までに、924人の子供達が救われている。

 

 

 

アンバーちゃん9歳

 

 

 

 

 


最後に、霊能者がこう言った。

 

 

 

こういう学ぶ側ではなく、

 

 

教える為・世の中を良くする為に生れて来た勇気ある魂を、

 

 

外見から見ぬく事は難しいです。

 

 

 

ただ、1つだけ言える事があります。

 

 

それは、

 

 

そういう人が、亡くなった時、

 

 

周りの人達は、決まって、こう言うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「なぜ、あんな良い人が・・・・・」


END

 

 

 

 


参考:WAND17MEDIAhttp://www.wandtv.com/story/27995307/missing-child-found-amber-alert-canceled
AMBER Alert;Wikipedia,