自由と誠実に生き、知で人の未来をクリエイトする【人文知教育家 中村博】 -7ページ目

自由と誠実に生き、知で人の未来をクリエイトする【人文知教育家 中村博】

■人文知教育家/ライフコーチ/心理カウンセラー
■自由と誠実に生き、知で人の未来をクリエイトする
■人文知とは、人はどのように生きるべきかを、人・心・言葉に向き合うことで、再構築し、新たに生み出していく知

人の人文知を高める活動をしてまいります。

どうも、中村博です。

 

8年前の記事です。

 

ここまでに結構色々書いていますが、

お伝えしたいことは、やはりあまり変わりませんね。

 

今の言葉で補足してみたいと思います。

 

 

今の時間を大事に使うことは、

誰にとっても必要なこと。

 

そういった意味では、

いま、この瞬間は、一つに拘って

集中をして、物事に取り組んだ方が

わたしはよいと考えています。

 

例えば、

 

学習

仕事

考え事

コンテンツ作り

読書

 

それも、

極力細分化をして捉えた上で、

その細分化したものを、

一つずつ積み上げて

集中して完了させていくこと

 

 

これをしないと、

一つ一つのパフォーマンスが悪くなり、

時間ばかりがかかり、

結局コスパが悪くなるだろうなと。

 

 

で、今度は、

コスパばかりを追い求めると、

また、だんだんと息苦しくなる

なんて感じてしまう場合は、

 

 

例えば、散歩をするとか、

身体を動かすとか、

なにか自分にとっての

気分転換になることをすることを通じて、

自分を緩める時間を上手に設けるとか

 

こういう取り組みも大事だろうと

思います。

 

 

で、その上で

一つに偏る(かたよる)なというのは、

 

 

自分のいま、既に持っている

 

常識

ルール

規範

アイデア

見えている世界

 

は、

ここまでに学習で得てきた知識や

経験を通じて得てきた能力なので、

 

いままで持っているものに

固執して、

一つに偏った考え方を持つことで、

 

 

・観ている世界の狭い、

・狭量な

・常識にとらわれた、

 

捉え方で、

世界を切り取ることになり、

 

それは、

新しい可能性を自ら潰すことに

なってしまうだろうと

思うんです。

 

 

例えば、

今までの健康の常識

今までの人間というものに対する常識

今までの世界に対する常識

 

 

そんなものは、

新しい考え方が生まれてくれば、

すぐにアップデートされてしまいます。

 

 

2023年で言えば、

たった1年で

AIを使ったクリエイティブが

世界の常識になってしまった現実があって。

 

 

つまり、ひとつに偏ることのリスクを

知っておくこと。

 

 

ということで、

 

今日のお伝えしたいことは、

 

日々、一つ一つの作業については、

なるべく細分化して、

一つ一つを集中して取り組みつつ、

 

これはコスパを上げる、

言い方を変えれば、

自分の時間を大切に扱うってことね。

 

 

それと合わせて、

自分の外側にある世界には

貪欲にアンテナを張って、

どんどん取り入れていく姿勢。

 

 

こういうことが大事なんじゃないかな。

 

 

 

ここにも、

結局、

 

インプット

アウトプット

フィードバック

 

のサイクルの話しが

 

ついて回ります。

 

 

さて、私たちは、

死ぬまでの時間で

どんな生き方をしていきましょうかね。

 

 

こういうことを日々考えております。

 

 

 

どうも、中村博です。

 

7年前のブログです。

 

 

今ならどう書くかな?

 

見えている世界そのものが

違っているので、

同じようには書けないなと

思っています。

 

 

そもそもで言ったら、

 

何のためにそれをするのか?

 

目的をしっかり定める方が大事だろうと

言うのが今のわたしの立場です。

 

 

もし、

大きくイメージをするのであれば、

目的について、

大きく考えてみる方が

良いだろうと。

 

 

それは、あなたは、

何のために生きるのか?

何のために仕事をするのか?

何のためにお金を得るのか?

 

 

難しくて、答えなんかすぐには出なさそうですが、

それでも、

考えてみれば、

いろいろな言い方が出来ると思うので、

ちょっと参考になればということで、

 

私なりにお話ししてみたいと思います。

 

 

 

生きることそのものに

意味を見出だそうとすると、

苦しくなる。

 

わたしは、

長いことこんな感じの迷路に

迷いこんだ感覚があって、

 

 

 

その上で、逆説的な言い方で、

ちょっと理解されにくいかもしれませんが、

 

 

現代西洋哲学を学んだ中で、

人が生きることそのものには、

大した意味なんかない

 

という理解を出来たとき、

気持ちが随分と楽になりました。

 

 

 

もともと意味なんてない。

 

だから、意味は

自分で作ったらいい。

 

むしろ自分で創っていいのだと。

 

 

人が生きる目的も特にない。

 

だから目的は自分で創っていいのだと。

 

 

そうすると、

好きに作っていいのであれば、

どのようなかたちで、意味や目的を作っても、

誰からも制限をされることはないわけで。

 

 

そして、一度作った意味や目的であっても、

どんどん書き換えても良いものと言えます。

 

 

 

もともとないものなんだから、

あなたの好きに作ったら。

 

まあ、そういう立場な訳です。

 

 

ですので、

一旦は、

自分がいま見えている世界で、

自分が良きと思う意味や目的を見出して、

それで生きてみたらよいと思います。

 

 

ただ、その結果として、

 

自分の満足感のみが満たされる

意味や目的で

生きたのであれば、

 

きっと、その先は

あまり面白くない世界になるでしょう。

 

なぜって、

そんな生き方は、

自分の満足のみを満たしているのだから、

結局一人ぼっちってことじゃないですか。

 

 

わたしは、

あなたの満足感も得られて、

 

その上で、

他者や社会にとっても

何か満たしてあげるものを

届けてあげるような意味や目的。

 

 

きっとこういう意味や目的を

ご自分の中で作っていかれると

良いだろうと思っています。

 

 

 

それはどんなものでも、どんな形でも

構わないと思います。

 

 

あくまで、現時点での仮置きで作って、

どんどん新しく書き替えてみたらよいのでね。

 

 

どうでしょう?

生きる意味や目的は

なにか思いつきますか?

 


 

面白いことで生きるでもよし、

世界を自在に生きるでもよし。

 

 

かっこつけたり、

難しく考えることはありません。

目的がかたち作れると、

行動は自然についてきますよ。

 

 

 

まあ、参考までにですが、

わたしの場合は、

 

こうして、

ここまで学んできた、

現代西洋哲学や心理学、ビジネス、科学、投資や、

私の興味のある事をベースに

メッセージを紡ぐことで、

 

身近に受け取ってくれる人の

考え方、思考、マインドセット、感情が少しでも動いて、

 

今日も一日頑張って生きてみようかなと

思ってもらえること。

 

こうした良き影響を少しでも残すこと、

これが私の生きる意味であり、

生きる目的かな、

 

思っております。

 

 

ああ、元々の対人関係のスタイルが

回避型の性格なので、

現状はこんな感じかな。

 

というところ。笑

 

参考になれば。

 

 

どうも、中村博です。

 

7年前のブログです。

 

 

この時よりは、

 

自分が無知であることの自覚が

より出来ていると感じている今日この頃です。

 

 

 

この間は、NHKの科学番組で

人にはクロスモーダル現象というものがある

という話があって。

 

 

聴く音楽によって、

チョコレートの味が変化する

つまり、聴覚が味覚に作用するんだという話で、

こういうこと一つとっても、

私には、知らないことだらけ。

 

 

 

ですので、

びっくりするくらい何も知らないので、

そんな自分を謙虚に受け止めて、

生きていくより他にないなあと。

 

 

そして、この当時は

無知を罪と表現しましたが、

いまはそこまで表現することも

出来ないなと実感しております。

 

 

ここまで自分なりに、

 

一生懸命に、

人とはどんな存在なのかを

学んできて、

 

自分というものをもっとよく

知りたいという探求をしてみた結果、

 

 

自分が信じているものそのものが、

嘘でまみれていて、

 

って、

こういう風に言うと、

誤解が生じるかもしれませんが、

 

言い方を変えて表現をすると、

 

自分が信じていることそのものが、

何を由来として確かなのかが

とても曖昧であることの確信が深まって、

 

自分の信じていることそのものに、

確かなものなどどこにも存在しないのかという

確信と、曖昧さと不安定さと、

逆にそこに安定を見出したりとか。

 

をしていたりしてですよ。

 


 

 

私が自分のことを考えてみても、

こんなことになっちゃうのですから、

 

個人が集合をしたコミュニティや、

組織や国が嘘でない訳がない。

 

 

つまり、

自分の外側の様々な存在は、

どこまで行ってもわからないことだらけ、

新しい発見がいつまでも続く、

不確か極まりない存在であるものなので、

なんというか、

 

自分は、ただただ、無知でしかないなと思うのです。

 


 

 

 

なので、謙虚に自分を知ることと同時に、

謙虚にひとに向き合う必要があるなと。

 

人のことなんかわかりっこないから、

一生懸命にその人に向き合うということ。

 

無知を知り、自覚をし、

その時の自分の姿勢を見直し、

適切に改めるために、

本当に大切なことだと思っています。

 

 

無知を自覚しよう。

 

 

そして、そんな自分が理解できたのなら、

より謙虚で生きようと思えるのでは、

なんて思います。

 

 

参考になれば。