どうも、中村博です。
7年前のブログです。
この時よりは、
自分が無知であることの自覚が
より出来ていると感じている今日この頃です。
この間は、NHKの科学番組で
人にはクロスモーダル現象というものがある
という話があって。
聴く音楽によって、
チョコレートの味が変化する
つまり、聴覚が味覚に作用するんだという話で、
こういうこと一つとっても、
私には、知らないことだらけ。
ですので、
びっくりするくらい何も知らないので、
そんな自分を謙虚に受け止めて、
生きていくより他にないなあと。
そして、この当時は
無知を罪と表現しましたが、
いまはそこまで表現することも
出来ないなと実感しております。
ここまで自分なりに、
一生懸命に、
人とはどんな存在なのかを
学んできて、
自分というものをもっとよく
知りたいという探求をしてみた結果、
自分が信じているものそのものが、
嘘でまみれていて、
って、
こういう風に言うと、
誤解が生じるかもしれませんが、
言い方を変えて表現をすると、
自分が信じていることそのものが、
何を由来として確かなのかが
とても曖昧であることの確信が深まって、
自分の信じていることそのものに、
確かなものなどどこにも存在しないのかという
確信と、曖昧さと不安定さと、
逆にそこに安定を見出したりとか。
をしていたりしてですよ。
私が自分のことを考えてみても、
こんなことになっちゃうのですから、
個人が集合をしたコミュニティや、
組織や国が嘘でない訳がない。
つまり、
自分の外側の様々な存在は、
どこまで行ってもわからないことだらけ、
新しい発見がいつまでも続く、
不確か極まりない存在であるものなので、
なんというか、
自分は、ただただ、無知でしかないなと思うのです。
なので、謙虚に自分を知ることと同時に、
謙虚にひとに向き合う必要があるなと。
人のことなんかわかりっこないから、
一生懸命にその人に向き合うということ。
無知を知り、自覚をし、
その時の自分の姿勢を見直し、
適切に改めるために、
本当に大切なことだと思っています。
無知を自覚しよう。
そして、そんな自分が理解できたのなら、
より謙虚で生きようと思えるのでは、
なんて思います。
参考になれば。