自由と誠実に生き、知で人の未来をクリエイトする【人文知教育家 中村博】 -10ページ目

自由と誠実に生き、知で人の未来をクリエイトする【人文知教育家 中村博】

■人文知教育家/ライフコーチ/心理カウンセラー
■自由と誠実に生き、知で人の未来をクリエイトする
■人文知とは、人はどのように生きるべきかを、人・心・言葉に向き合うことで、再構築し、新たに生み出していく知

人の人文知を高める活動をしてまいります。

どうも、中村博です。

 

2年前のブログ記事です。

 

 

こういう話は、

言えば言うほど、

耳の痛い話になっちゃうので、

 

あまり声高に言いたい訳じゃないんですけど、

 

 

私たち人間は、

意識をしないで過ごすと、

安定や、常識や、正解や、ルールや固定された状態に

安心感を求めてしまいます。

 

 

人間なので、仕方がないと言ってしまえば

それまでですが、

 

でも、そればかりですと、

テンプレートと呼ばれる決まった形(生き方、正解)が最高で、

誰かと同じ生き方であれば自分が安心できると、

変化を怖がる自分に益々なってしまいます。

 

 

テンプレートって本当に

良いものなのでしょうか?

 

そして、

自分の外側にあるテンプレートにない部分って

本当に怖いものでしょうか?

 

 

 

それって本当?

 

ぜひ今一度、

この質問を考えてみるのはどうでしょう?

 

 

私たちは、

この問いかけを真剣に向き合うことで、

 

ようやくテンプレートなものへの幻想から

抜け出すきっかけが手に入るだろうなと

思います。

 

 

テンプレートって本当に

いつ何時でも、どんな場合でも良いものかしら?

 

あなたの周りにいる、

うまくいっている人は、

テンプレートな生き方をしている?

 

世の中でうまくいっている人の話しの中に、

テンプレートな生き方をしている部分はどれくらいある?

 

 

良ーく考えてみましょうねー。

 

ということで参考までに。

 

 

 

どうも、中村博です。

 

5年前のブログです。

 

 

こういうタイトルをつけると、

○○って何だろうって呼んでいただける可能性が

増えるので、今回はこんな風に書いていますが、

本当に読んで欲しいからなあ。

 

しっかりと伝わって、

ご自分のメンタルケア、セルフケアに

役立ててもらったらいいんだけど。

 

 

 

そうね、

本当に欲しいのは、気分。

気持ちのよい感情を味わいたい。

 

そういう気持ちをたくさん感じて

生きていたい。

 

って、心から思います。

 

 

で、この話しを

もう一段俯瞰して見てみようというのが、

 

5年後のわたしの立場ってことで、

ここから追記してみたいと思います。

 

 

では、

先によい感情を味わうとは、

具体的にはどういうことをすることなのか?

 

 

 

なぜ、もし仮に同じ出来事を体験していたとしても、

感情が良い気分になるときと

感情が良くない気分になるときが現れてしまうのか?

 

 

それは、

 

人間の動物的な、

生き物としての

本能に従った反応の場合もありますが、

 

 

多くの場合、わたしたちは、

何かの出来事や物事を捉えるとき、

 

その出来事をみて、

みたものを解釈して、

そして、その解釈によって、

出来事に例えば、良いとか悪いとかの

ラベルを貼り付けています。

 

 

これらのラベルのかたちは、

人それぞれの特徴はありますが、

 

明確になっている場合だったり、

ボンヤリしている場合もあって。

 

 

あなたの

頭の中にある言葉でやり取りして、

言葉と言葉を繋ぎ合わせた先に、

過去の経験や、

その経験に紐づいている感情なんかを

より合わせて、

 

 

解釈というラベルとして

その出来事に貼り付けているんですが、

 

その結果として、

感情が生まれてきます。

 

 

では、先に良い気分を味わうために

どうしたらよいかと言えば、

 

この貼り付けるラベルの解釈をそもそも、

書き換えてしまえば、

よいということになります。

 

 

例えば、

 

ジョギング⇒しんどい、大変、だから自分には続けられない

 

から

 

ジョギング⇒楽しい、楽ちん、だから自分には続けられる

 

 

こんな風に

ジョギングという言葉に対して

あなたが持っているの解釈を

新たに付け替えなおせばよいのです。

 

 

 

えっ、そんなこと、出来たら苦労しないって

思いました?

 

 

ああ、これが出来ないと思っているのが、

あなたが洗脳されている、とか、

思い込まされている証拠なんですよ。

 

 

 

 

いくらでも自由に付け替え可能なのが、

言葉の世界のお話しで。

 

 

この辺りのお話しを、

理論や、理屈をしっかりとお伝えして、

 

あなたも出来るようにトレーニングするのが、

俯瞰力マスタリー(現代西洋哲学)の

講座なんですけどね。

 

 

 

と、なんだか、哲学のお話しになっちゃいました。

 

 

 

まあ、参考になれば。

 

どうも、中村博です。

 

8年前の記事をきっかけに、

今日もブログを書いてみます。

 

 

自分の人生は他者とは違うオリジナルで、

人とは違うんだ。という話も、

 

また、

自分は、他のものとの縁起から出来ている。

だから自分なんてない。

 

 

という話も、

どちらも突き詰めれば、

同じことを言っているなあと

今のわたしは受け止めていて。

 

 

なので、じゃあ、

わたしたちは、どう生きたらいいの?

 

っていう、簡単には答えの出ない問いかけを

考えてみるとき、

 

 

私自身は、

まず、最初のとっかかりとして、

丁寧に深く、

自分というものを

眺める必要があると思っていて。

 

 

・経験したこと(仕事、人間関係、学び)

・好き・嫌い

・得意なこと

 

なんかを、まずは具体的な事柄で書き出し、

 

例えば、こんな感じで、

 

・〇〇エンジニア、本屋でバイト

・友達がAさん、Bさん、Cさん、家族は4人

・ドライブ、ITテクノロジー、漫画、

・読書、旅行、

・人と関わること(苦手とか)
 

 

ほんと、そのままざっと書き出せばよいって思うし、

書き出す方法なんて、難しく考えず、

やってみたらよいって思います。

 

 

 

その上で、

つまりこれってどういうこと?

 

という問いかけを通じて、

抽象化した表現として言葉にしてみる。

 

 

例えば、

 

・学ぶことが好き

・新しいことが好き

・挑戦していきたい(いまの自分に対して)
・人間関係は、本当に仲の良い人と感じる人だけでよい

 

 

こんな感じで。

 

 

こういう思考トレーニングをすることで、

自分というものの内側と外側が

どちらも見えてくるだろうなと、

思っていて。

 

 

そして、

出てきた抽象化した言葉が、

自分にとって

しっくりと感じられた時、

 

 

ああ、

わたしってこんな人間なんだという

腑に落ち観と共に、

 

 

ようやく、じゃあ、

わたしはこれから

どう生きたらよいのかな?

 

 

ということを考えるスタートラインに

立てるんだろうと。

 

 

なぜって、

少なくとも、

いまこの瞬間、

自分という人間を表現すると、

こんな人間だということが

自分にとってしっくり来ているんだから。

 

 

その上で、この表現した自分が、

死ぬまでの残りの時間を使って、

じゃあ、どう生きていきましょうか?

 

 

という質問に真剣に考えられるんだろうと。

 

 

なんだか内容が小難しくなっちゃいましたが、

そんな風に思っております。

 

 

すぐに答えが出ないからこそ、

日々の忙しい時間の中で、

毎日少しずつで良いから、

 

 

時間をとって、

考えてみるのは、

どうでしょうかね。

 

 

 

そんなお話しでした。

 

参考になれば。