1、臥薪嘗胆(2)
そして圭一郎と恭子は、恵比寿の居酒屋で一緒になって飲んでいた。
大手ゼネコン企業の御曹司である圭一郎。しかし、決して高級料理店で食事をするわけでもなかった。純和風の居酒屋。おふくろの味とでも言わんばかりの店内は、まるで会社帰りのサラーリーマンの隠れ家のような雰囲気だった。
そんなお店の小さなお座敷で、圭一郎は生ビールをグイッと飲み、そして「くうう、うめえ」と言って、思わず目を硬く閉じた。
夏が近づく6月の東京。節電のせいもあってか、冷たいビールが物凄く美味く感じた。
「やっぱり仕事終わりのビールは最高だなあ」
そう言って、ドンとグラスジョッキをテーブルに置くと、恭子は「野島さんて本当にこんな店好きね」と言って笑った。
今まで何度も飲みにつれて行ってもらってはいるが、いつもこんな男同士で行くような居酒屋ばかり。最初は女として見てくれていないのかなとも思ったが、丸和工務店の女性社員に聞くと、圭一郎は女性も男性も関係なく、いつのこのような居酒屋に誘うらしい。
「落ち着くよ」
圭一郎はそう言うと、さらにグイッとビールを飲み干した。そして恭子に「沢山食べなよ」と言い、今度はおつまみの揚げ出し豆腐を頬張る。
テーブルの上には、揚げ出し豆腐だけでなく、鶏から揚げ、塩さば、ポテトサラダ、あさりの酒蒸しと、大量に食べ物が並ぶ。これが女性と一緒に飲む光景なのか?
「私、こんなに食べられない」
恭子が呆れ顔でそう言うと、圭一郎は「いいよ。残ったら全部食べるから」と言って、鶏からあげを美味しそうにモリモリと食べた。
この全くの無頓着ぶり。世間一般では『ゼネコン界のプリンス』と呼ばれる圭一郎だが、「これの一体何処がプリンスなのか」と恭子はいつも思っていた。
それでも恭子は、圭一郎の事が好きだった。それはLIKEじゃなくて、LOVE。
しかしいつも自分の気持ちを上手く伝える事が出来ずにいた。勿論気を引こうと、いろいろと挑戦はしてみたものの、ただでさえオクテな恭子。鈍感な圭一郎にその想いが伝わる事もなかった。
ふと恭子は「そうだ野島さん、今度の株主総会何かあるの?」と聞いてきた。
「ああ、親父が引退して相談役になり、青田さんが社長になるよ」
「え?青田さんが社長?野島さんじゃないの?」
「うん。この間親父に呼ばれた。青田さんを社長にするって」
「じゃあ青田さんは中継ぎ社長って事?」
「名目はね。でも、多分青田さんの性格上。そうは行かないと思う。絶対に俺を追い出しにかける」
「どういうこと?」
「丸和工務店内は今、派閥争いが勃発しているからだよ」
「派閥争い?」
「うん。創業当時から親父を支えているグループと、2000年以降、青田さんが社外から連れてきたグループとの間で派閥争いが起こっているんだ」
「何でいがみ合っているの?」
「創業時の人間達は、生粋のゼネコンマンで、本業の技術を売り物にしている。でも、青田さんはそれと全く関係の無い会社をM&Aして、売上を伸ばして行こうとしているんだ。根本はその考え方の違いかな。そしていずれは丸和工務店を乗っ取ろうとしている野心をみんな見抜いているんだけど、何故か親父は青田さんに絶対的な信頼を置いているんだ」
「え?でも、青田さんて、野島さんのお姉さんのお婿さんでしょ?どうしてそんな事するの?」
「青田さんと俺は、仲が悪い」
「どうして???」
「あの人、利益の為なら手段を選ばないんだ。群馬県利根川のダム工事をウチが請け負っていたんだけど、地元住民の反対にあって妨害されたんだ。そしたら青田さん、銀行に働きかけて、その反対運動の中心となってた人が経営している会社への融資を止めさせた。結局その人、自殺してしまったんだ」
「そんな・・・」
「その事を咎めたら、青田さん・・・営業妨害する奴に営業妨害して何が悪い?って言った。確かに青田さんは優秀な人だと思う。丸和の売上の伸ばしてきた功労者だとも思う。だけど、人としての道を外れる行為だけはどうしても許せなかったんだよ。そして青田さんは一度でも刃向って来た者は、どんな奴でも敵として見る。それからかな。青田さんとはどんどんギクシャクしてしまって・・・」
恭子は、圭一郎の言っている事が全く理解出来なかった。何故親族間でそのような争いが起こるのか?一般家庭で幸せに育った恭子からしてみれば、全く理解に苦しむ話であった。しかし、圭一郎の場合、親が偉大すぎるため少し状況が異なっていたのだ。
そして二人は恵比寿の居酒屋を出ると、そのままあてもなく歩き続けた。
圭一郎は渋谷のビル街を見上げると「俺、何でこんな事しているのかなあ・・・」と思わず溢してしまった。そして「やっぱり野球選手目指した方がよかったかも・・・」と言って夜空を見上げた。
誰もが羨む『ゼネコン界のプリンス』野島圭一郎。しかしその実態は決してそんな華やかなものではなかった。寂しげに夜空を見つめる圭一郎。恭子は圭一郎が幸せには見えなかった。