3、あの時こうすれば(1)
帰りは綾乃の車で家まで送ってもらった。優太を下ろし、恭子を下ろし終えると、圭一郎と綾乃の二人は、そのまま成城学園前へと向った。真っ暗となった真夏の住宅地。時刻は既に午後10時となっていた。
「綾乃さん。本当にありがとう」
「ううん。私、家二子玉川だから全然平気だよ。でも意外。ノンちゃんて車持ってなかったんだ」
「うん。必要だと思えなくてさ」
「へえ。私、てっきりフェラーリにでも乗っているのかと思ってた」
「フェラーリ???そんなバカな。あはは」
そんな事を話していると、車はとある高校の前を通りかかった。その校舎は、キリスト系なのか、まうで明治の洋館のような建物。
「これ、俺の母校なんだよ」
圭一郎はそう言うと懐かしそうな表情で、その校舎を見つめた。
「え?東京皇學館?」
「うん」
「野球の名門じゃん」
「ああ、俺と優太は高校時代までここで一緒に野球をやっていたんだ」
「ええ?すごい!!!」
そして二人は車を降り、こっそりとその東京皇學館高校の野球部のグラウンドの中へと入っていった。
しーんと静まり返った夜のグラウンド。ここは圭一郎が10年前、夢を追っていた場所だった。ベンチ横の柱をまさぐるように触れると、そこには古いスイッチがあった。「あ、このスイッチだ」圭一郎はそう言うと、ベンチの側にあるスイッチをONにした。すると、ボヤーと水銀灯に照らされた野球グラウンドが、二人の目の前に現れた。
「なつかしい・・・」
圭一郎はそう言いながら、ぼんやりと照明のあたったグラウンドを見渡した。そしてあの頃を思い出すかのように語りだす。
「東東京大会予選で決勝まで行ったけど、負けてしまってね。まあ、悔しかったけど、今となっては懐かしい思い出だなあ」
「ふ~ん。ねえ、ノンちゃんはピッチャーだったの?」
「違うよ。ピッチャーは優太だよ。俺はキャッチャーだったんだよ」
「え?逆じゃないの?」
「いやいや、優太は本当に凄いピッチャーだったよ。145キロはゆうに出ていたしね」
「そ、そうだったんだ・・・あいつやるじゃん・・・」
「高校3年生の秋、優太は広島にドラフト4位で指名されたんだ。それで優太は広島に入団したんだけど、3年ぐらいやって戦力外通告を受けて退団したんだよ」
「すごい・・・ねえ、ノンちゃんは?」
「俺は西武に指名された」
「すごい!」
「だけど・・・」
「だけど何?」
「家業を継ぐ事を考えて大学に進学したんだ。それで大学でも野球をしていたんだけど、4回生の時今度はヤクルトに指名された。でも・・・結局家業を継ぐことを選んで断って、丸和工務店に入社した」
「そうなんだ・・・」
「最近思うんだ。俺、人生間違ったのかなって。あの時野球を続けていたらどうなっていたかなって。あの時こうしていたら、ああしていたらと後悔ばかりしてしまう。結局家がどうだ、親がどうだと言って、本当にやりたい事を諦めてしまったんだ。仕方ないで人生を決めて、仕方がないで仕事を辞め、挙句の果てに今は無職・・・本当に自分の事が嫌になるよ・・・」
「・・・」
「でもまあ、全て自分で決めた道なんだけどね。仕方ないよ」圭一郎はそう言うと、少し寂しげに笑って見せた。
すると綾乃が「あ、グローブあるよ」と言って、ベンチ横に置いてあった、野球道具の入れ物から、グローブとミットを取り出した。そして「ねえノンちゃん、私のボール受けてみてよ」と言いだした。
「ダメだよ。人の物を勝手に使ったら」
「いいじゃん、いいじゃん、ちょっと借りるだけ」
そう言うと綾乃は、半ば強引に圭一郎をグラウンドへと連れていった。その姿はまるで子供が親に甘えるかのようだった。
マウンド上へ立った綾乃。そしてそのボールを受けるのは圭一郎。
綾乃は大きく振りかぶって、いかにも女の子らしい投げ方で、硬式ボールを投げてみせた。
ふんわりとした球筋のボールは、軽くパスッと音を鳴らして圭一郎のミットに納まる。そしてそのボールを見ると、「ナイスピー」と言って、綾乃へとボールを投げ返した。
「ありがとう」
その後綾乃は、何度も何度も圭一郎に向けて、ボールを投げ続けた。女性にしては、なかなか上手かった。そして何球か投げ終えた時、突然綾乃は圭一郎の顔をじっと見つめて微笑む。
「ノンちゃん。やりたい事やんなよ」
「?」
「少年野球のコーチでもいいじゃん。草野球でもいいじゃん。人生は一度しかないんだよ。だったらやりたい事やんなよ。好きな事やんなよ。どうせ働き出したら嫌でも休めなくなるんだから、だから今ノンちゃんのやりたい事をやんなよ」
綾乃のその言葉を聞いて、圭一郎は思わず下を向いてしまった。28歳となった圭一郎。今までずっと仕方ない、これしかないと思って生きてきた。でも本当に自分のやりたい事ってなんだろう?