3、あの時こうすれば(5)
すると圭一郎はふと思い出したかのように「そうだ綾乃さん。新橋に行かない?」と言い出した。
「え?オヤジの街。仕事の愚痴大会でもするの?」
「いやいや、俺の友達がやっている店があるんだよ」
「友達のお店???」
地下鉄を乗りつないで、夜の新橋へとやってきた二人。SL前広場から少し歩くとそこには小さな居酒屋があった。
その名も『居酒屋甲子園』。
店主の思い入れとでも言うべきこのお店の名前。赤提灯には『甲子園』の三文字。その様子を見た綾乃は思わず吹き出してしまった。
「居酒屋甲子園???あはは、変な名前」
暖簾をくぐると、炉端焼き屋とでも言うべきか、古き良き時代を感じさせる店内の光景が二人の目の前に現れる。カウンター越しに立つ鉢巻とハッピ姿の小柄な男が「おお!野島じゃねえか!」と言って驚いた。小柄で細身な店主。彼の名前は松村直行と言う。
「直行久しぶり」
「おう。よく来たな。ビールでいいか」
「はあ?お前マジか?」
直行は、圭一郎が丸和工務店を退社し、優太の事業を手伝っていると聞き、呆れた顔をしてしまった。
「ああ、優太の会社で働いている」
「会社じゃないだろ?個人商店だろ?何でお前みたいな奴が優太のところなんぞに。自分の人生潰す気かよ」
「頼まれて情に負けたんだ」
「野島!またそれか!いい加減人に流されるのやめろや!」
なんと直行は、圭一郎の事を真先にしかりつけたのだ。
そんな二人のやりとりを聞いていた綾乃は、生ビール飲みながら、不思議そうな顔をしていた。この直行と圭一郎と優太の関係は一体どういったものなのだろうか?
そして「え?ひょっとして優太の知り合い???」と綾乃がそう聞くと、直行は「知り合いも何も、永遠のライバルだ」と言ってのけた。
「永遠のライバル???」
「俺は優太と野島と同じく、高校時代皇學館で野球をしていたんだよ」
「え?直行君も?」
「そう。それで俺と優太はエースの座を争っていたんだ。あいつは右の剛速球派だが、俺は左のアンダースロー」
「え?じゃあ直行君もプロからスカウト来たの?」
「いや、俺には来ないよ。球が遅かったからな。そして高校卒業後は、野島と一緒に青学で野球して、それで終わり」
直行は高校卒業後、圭一郎と同じく青山学院大学の野球部へと入部した。そして東都大学リーグでは2度に渡る優勝。しかし、東都大学リーグと甲子園とではやはり重みが違った。
その後直行は、某大手外食産業へと就職。5年前に脱サラし今の居酒屋を経営し始めた。
自分の甲子園への夢を果たせなかった想い。それがこのお店の由来であった。
しかし直行は甲子園には行けなかったものの、この居酒屋甲子園を、都内でも10店舗経営するまでになった。彼はこう見えても、押しも押されぬ青年実業家である。
そしてどれくらい時間が経ったであろうか。直行は不意に「忘れもしない。10年前の事を・・・」と言い出した。すると圭一郎は「直行もうあの話はやめろ」と言い出した。
「いや、死ぬまで言ってやるよ」
すると綾乃が、興味津々にこの話に食いついてきた「え?10年前の事って何?ねえ、教えて」
「ああ、忘れもしない。10年前の東東京大会の決勝戦。俺は決勝戦で先発をまかされた。そしてあの日俺は、恐ろしい程に絶好調だった。なんと8回まで無失点で抑えて、しかも5―0で勝ってたんだ」
「うんうん」
「ところが9回、俺に投げさせろって、優太がぐずりだしたんだよ。何でかわかるか?」
すると綾乃は思わず手を叩いて「わかった!胴上げ投手になりたかったんだ!」と言った。
「その通り!まさしく目立ちたがりで、かっこつけのあいつらしい考えだ。さあ、野島この続きを話せ」
直行にそう言われると、圭一郎はしどろもどろに話し始めた。
「9回が始まる前、急に監督が相談してきたんだ。西原が投げさせろってぐずっているんだけど、どうしようかって・・・それで・・・投げさせてあげましょうって言ったんだ」
その話を聞くと、直行が感情を露わにしだした。いつもこの調子なのだ。
「お前がそんな事言ったら、監督が投げさせるに決まっているだろ」
「5点差だったから大丈夫かと思ったんだ」
「甘い!綾乃さんよく聞け。なんと優太の奴、その後ファーボールの嵐で、6失点の大乱調。あいつのおかげで俺の甲子園への夢は絶たれてしまったんだ」
その話を聞き、綾乃は思わず吹き出してしまった。
「あはは、だって今でも全然コントロール利かない性格してるもん」
「野島があの時、優太なんか気にせず俺に最後まで投げさせましょうと言えば、絶対に甲子園に行けたんだ。全く何であんな事したんだ」
「情に負けた・・・」
「ほらこれだ。お前はいつも情に負けて判断を間違えてしまう」
直行の言う通りだった。情に負ける。いや、流されているのかも知れない。
父の期待に応じる為、野球の夢を諦めて丸和工務店に入社。そして自分を支持するが故に粛清されてしまう社員を気遣い、自ら丸和工務店から身を引いた。