5、春の合宿(4)
恵は目が覚めると部屋の中はまだ薄暗かった。
そしてあたりを見ると、陽一はいつの間にかいなくなっていた。
「陽一、何処行ったんだろう・・・」そう思ってまだ薄暗い部屋の中の時計をみると、午前6時だった。
恵は服を着ると、ベランダへと出た。
そしてベランダからマンションの庭を覗くと、陽一は一人で黙々と素振りをしていた。
「陽一・・・こんな時間から練習してたんだ・・・」
恵はそう言うと、部屋を出た。
そしてマンションのエレベーターを降りて、中庭の方へと歩いていった。
陽一は、真剣な眼差しでひたすら素振りをしていたが、恵に気付いて素振りをやめた。
「寒いだろ。部屋の中入っとけよ」
「大丈夫。厚着してきたから」
二人はマンションの中庭のベンチに座ると、冬の夜明けの空を見つめた。
「なあ恵、俺達いつから付き合ってたのかなあ?」と陽一は不意に言い出した。
「正式には去年の七夕の日だよ」
「なんか昔から一緒にいたような気がするんだ・・・」陽一はそう言って笑うと「恵、昨日俺が言った事は嘘だよ」と言った。
「昨日言った事って何?」
「俺がお袋の事を嫌いだって言った事だよ。本当は親父の事ばかり優先するから、少しやきもち妬いてたんだろうな」
恵は白い息を吐きながら、そんな陽一を見つめた。
「本当はお袋が好きだったと思うよ。その証拠に恵を始めて見たとき、なんとなくお袋の面影を感じていた。そして俺はそんな恵を好きになった・・・」
陽一はそう言って立ち上がると、再び素振りを始めた。
「恵、いよいよ戦いが始まる。今年こそ甲子園で優勝する」
昇る朝日をみながら、陽一の心の中に燃え上がる闘志が蘇ってきた。
鎌倉の町に春がやって来ようとしていた。
そして新たなる戦いが始まろうとしていた。
昨年まで野球部のキャプテンだった速見は、野球部の練習でバッティングピッチャーを務めていた。
速見はこの春、めでたく早稲田大学へと進学する事となった。
勿論選手としてである。
あの時、陽一と出会わなかったら、速見は6月で野球部を引退していた。
しかし甲子園の準優勝投手となった事で、東京六大学野球へと駒を進める事ができた。
練習を終えると、速見と陽一は一緒に汐入駅前の喫茶店でコーヒーを飲んだ。
「徳永、いろいろと有難う。お前がいてくれなかったら、俺ここまで来れなかったよ」
「早稲田かあ・・・いいなあ。俺も早稲田に行きたいなあ・・・」
陽一は、六大学野球に少し憧れがあった。
「お前ならドラフトにかかるよ。プロに行けよ」
陽一の獲得の為に、既にプロ野球全球団が水面下で動いていた。
特に、西武や阪神は獲得に相当前向きだった。
「徳永、お前何処の球団に行きたいんだ?」
「う~ん・・・やるならパリーグがいいかな」
「なんでだよ?」
「DH制じゃないですか。一人多い分、レギュラーになれるチャンスも多いからです」と陽一が笑いながらそう言うと、速見は噴出してしまった。
「あはは。お前、現実的だな」
「でもどうかな・・・俺ってプロでやるタイプじゃないと思うんですよ」
「どうしてだ?」
「俺、野球は好きな気持ちだけでやりたいんです。プロになるとお金の為にやってるような感じがして・・・そんな世界で生きていけるのかなあ・・・」
「お前って本当不思議な奴だな。変な事で悩んでいると思えば、勘が働いて急に行動起こしたりするし」
「よく言われます」陽一は一瞬恵の顔が浮かんだ。
「まあまだ時間があるから、よく考えればいいよ。お前には沢山選択肢がある。俺としてはお前と早稲田で一緒にプレーしたいけどな」速見はそう言って笑った。
陽一はその後、恵と合流して一緒に帰った。
そしてずっと考えていた。
俺がプロに行くのは、親父の夢だった。
でも俺は、プロ野球にはあんまり興味がない。
もしプロしか道が無いのなら、頂点でプレーしてみたい。
つまりメジャーリーグ・・・。
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