19、小さないのち(2)
「いたい・・・いたいよ・・・」
「茜、しっかりして!」
しばらくすると看護婦が病室へと入ってきた。
「遠山さん、そろそろ分娩室に行ってみますか?どうします?」
「は・・・はい・・・行ってみます・・・」茜は、顔を痛みで歪ませながらそう言うと、恵に肩を借りてゆっくりと起き上がった。
そして恵に肩を借りた茜は、病院の廊下をゆっくりと歩き、分娩室の中へと入った。
茜は分娩台の上で、横になった。
「いたい・・・いたたたた」
「茜・・・大丈夫?」
「だっ・・・大丈夫・・・だと思う・・・」
すると看護婦は「すぐには生まれませんから、大丈夫ですよ。生まれそうになったら、出てすぐ右にナースステーションがありますので、呼んでくださいね」と恵に言って去っていった。
看護婦が去ると、恵は茜の腰をさすった。
すると茜が「恵・・・看護婦さん呼んできて・・・」と苦しそうに言った。
「えっ?」
「生まれるよ・・・」
「でっ・・・でもすぐには生まれないって・・・」
「ヤバイ!これ本当に生まれる!恵!看護婦さん呼んできて!」
「うっ、うん!わかった!」
恵が分娩室を駆け出して行こうとすると、茜は「恵!そっちじゃないよ!出て右だよ」と叫んだ。
「あっ!間違えた!こっちだった!」
「しっかりしてよ!もう!」
茜は陣痛に苦しみながらも、呆れ返ってしまった。
恵が先生を呼んでくると、既に茜は出産を迎えようとしていた。
女医さんは「ああ、これは産まれそうですねえ」と言って、事務的に準備を進めだした。
恵は、茜の手をしっかりと握った。
すると茜は段々と下りてくるお腹の子供の感覚を感じた。
「いたいよ、いたいよ、恵助けて・・・恐いよ、恐いよ、恐いよ・・・」さすがの茜も、あまりにもの痛さと恐怖のために、涙をポロポロと流して泣き出した。
気の強い茜が「恵助けて」なんて今まで一度も言った事がなかった。
恵は心が折れそうになった茜をしっかりと抱きしめて「茜、大丈夫だよ。頑張ってね。私がちゃんとついてるからね」と言った。
「うん・・・頑張るよ・・・恵、一緒にいてね・・・帰らないでね・・・恐いよう・・・恵恐いよ・・・」
「絶対に帰らないよ。店長にもバイト休むって言ったから大丈夫」
「ごめんね・・・ふえええん、こわいよう・・・いたいよお・・・」
そう言った直後に茜は物凄い激痛を感じて「ああ!いたあああい!」と叫んだ。
そして「わあああ!いたあああい!いたあああい!恵たすけてえ!いたいよお!」と言って泣き叫びだした。
「茜!頑張って!頑張って!」恵は茜の額から流れ出る汗をハンカチで拭いた。
「いたいよおーいたいよお!いたああああい!恵!助けて!いたいよお!」茜は思いっきり顔を歪めながら泣き叫けび、必死に歯を食いしばった。
そして汗と一緒に涙がポロポロと流れ出た。
「頑張って!私がついてる!」恵は茜の手をしっかりと握りしめた。
その日の夕方、茜は産まれたての女の子の赤ちゃんを抱いて、ベッドで寝ていた。
「すぐに産まれちゃったね・・・」恵がポツリと言うと、茜も「そうだね・・・」と小さな声で言った。
ふたりは少し呆然としていた。
二人とも今日は日が変わる事を覚悟していたのだが、茜は分娩室に入ってわずか20分で出産してしまったのだ。
二人は少し拍子抜けしてしまった。
「どうだった?」
「凄く痛かった。あんな痛み今まで経験した事ないよ」
「そうなんだ・・・私もいずれそんな経験するのかな・・・」
「でも恵は私みたいに、泣いたりわめいたりしないんじゃないかな。恵は、最初はパニックになってたけど、いざと言うときは結構強いよ。それに比べて私ってなんだろ?全然ダメだよね。恐い怖い助けてって・・・」茜は出産時の自分を思い出して、笑ってしまった。
「そんな事ないよ。茜は頑張ったよ」
「ううん。私って結局弱いんだよね。今回でよくわかった。恵がいてくれて本当に助かったよ。恵がいてくれなかったら、私まだ分娩室にいたと思うよ」
すると恵は、席を立って茜の生んだばかりの赤ちゃんの顔を見つめた。
「かわいい」
「そうかな?なんかお猿さんみたいだよ」
「そんな事ないよ。かわいいよ。ねえ茜、私にも抱かせて」
「いいよ」
恵は、茜の生んだ赤ちゃんを抱っこすると、少し心が癒された気分になった。
「ねえ、名前は決めているの?」
「真理」
「どうして真理なの?」
「真と理子ちゃんから一文字ずつとって真理」
「そんな簡単に決めていいの?」
「いいの。二人とも私の大切な人。その大切な人の名前をとるの」
「遠山君はそれで納得するの?」
「男だったら自分が決めるけど、女なら勝手に決めろって言ってたから」
「そうなの・・・真理ちゃん。恵だよ。よろしくね」
そう言うと、恵は真理の顔を笑顔でじっと見つめた。
生まれたばかりの小さな命だった。
すると茜は、窓の外の夕暮れを見ながら話し出した。
「よかった・・・。あの時スカジョを辞めて、真を選んで・・・。よかった・・・あの時子供を堕ろしてなくて・・・違った道に進めば、きっと私後悔していた」
「茜・・・」
「私、後悔だけはしたくないんだ」
恵は黙って下を向いた。
「ねえ恵、以前陽一君は恵に、俺には野球の血が流れているって言ったんだよね。そして恵はそんなひたむきな陽一君の事を好きになったんだよね」
恵は顔を上げると、茜の顔を見た。
「そんな陽一君だから、アメリカに渡って野球がやりたいんじゃないかな?そんなひたむきな陽一君だからこそ、そこまでしてでもアメリカでやりたいんだよ」
茜はひたすら窓の外の夕暮れの空を見続けていた。
「だから、そんな事を理由に別れて欲しくないんだ。このままだと、きっと恵は後悔するよ」
「でも・・・陽一は春にはいなくなってしまうんだよ・・・」
「恵がアメリカについていけない気持ちもわかるよ。春になったら陽一君への思いは消えてしまうかもしれない。でも陽一君はまだ日本にいるんだよ。まだ恵の側にいるんだよ。だったら、最後まで好きなままでいようよ。それで沢山の思い出を作って、陽一君を送り出してあげようよ」
「茜・・・」恵の目から涙が一筋落ちた。
「こんなに素敵な思い出が一杯あるんだから、その思い出をもっともっと素敵にしてあげようよ」
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