19、小さないのち(1)
陽一はロサンゼルス・ドジャース、真は阪神タイガースとそれぞれ進路を決定させて行った。
そして今日もう一人の進路が決定した。
もう一人とは、港南学院の切り込み隊長の文麿である。
真と陽一が、グラウンドで練習をしていると、ユニフォーム姿の文麿がやってきた。
「よう!俺も練習参加させてもらうぜ」文麿は元気そうにそう言うと、真が「なんでだよ?お前ドラフトかかって無いだろ?」と言った。
「プロじゃなくてさ、大学で野球をするんだよ」
「えー!お前が大学」
陽一と真は口を揃えてそう言った。
「なんだよ。なんかおかしいかよ」
すると陽一が「ちなみに何処の大学に行くんだ?」と文麿に聞いた。
文麿は「へへへ。慶應大学だよ」と自慢げに言った。
「えー!お前が慶應????」
陽一と真の二人はしばらく呆気にとられていた。
やがて二人は、大笑いをしだした。
「あははは!文麿が慶應大学!わははは」
「なんだよ!なにがおかしいんだよ!」
なんと文麿は慶應義塾大学へと進学し、速見と同様に東京六大学の道へと進んだのである。
しかし文麿が慶應ボーイとは、世の中何が起こるかさっぱりわからないものである。
練習を終えた陽一は、汐入駅前の中華料理屋で食事を済ませると、一人家へと帰った。
そして誰もいない真っ暗な寒い部屋に入ると、部屋の明かりをつけた。
季節は12月中旬となり、恵と別れてから一ヶ月が過ぎた。
バイトの無い日、恵は陽一が帰ってくる前に、この部屋で晩御飯を用意して待っていてくれた。
そして「陽一おかえり」と笑顔で言ってくれた。
そんな恵に何度も癒され、元気付けられていた。
恵の写真も結局は捨てられずに、そのままの状態で置かれていた。
その恵の写真を見ると陽一は寂しげに「恵・・・」と言った。
陽一は恵に対する気持ちを変えていなかった。
忘れられるはずがなかった。
でも今陽一が恵を追いかけたとしても、自分はあと数ヶ月でこの日本から去っていく。
恵を余計苦しめてしまう。
つらい事だが、このまま自分が消えるのが一番だと思い、陽一は学校では恵に何も話さないどころか、目線すら合わせなかった。
そして今夜も陽一は、一人寂しく眠りについた。
恵も陽一への思いを何も忘れていなかった。
一人部屋のベッドで寝ていると、陽一に会いたくて大船まで飛び出して行きたくなる時がある。
しかし恵も陽一とまったく同じ考えで、どうせ消えてしまう恋なら、今のうちにキレイに忘れてしまおうという考えだった。
これ以上思うと寂しくなるだけだった。
二人とも、苦しんでいたのだ。
クリスマスイブ、茜はそろそろ出産を迎えようと、数日前から病院に寝泊りしていた。
そして真は、テレビ番組出演で大阪に行った為に留守だった。
恵は、そんな茜と一緒に簡単なクリスマスパーティーをしようと思い、終業式が終わると小さなケーキを買って茜のいる病院へと向かった。
そして昼下がりの病室で、二人は仲良くケーキを食べた。
「茜、いよいよだね」
「うん・・・でもちょっと恐いよ」
「そっか、でも頑張ってね」
「うん、頑張るよ」茜はそう言うと恵に微笑んだ。
「私そろそろ行かなきゃ・・・今日バイトなんだ」
「そう、店長に宜しくいっといてね」
「うん、言っておくよ。じゃあね茜、また明日くるからね。バイバイ」
恵がそう言うと、茜は少し苦い顔をした。
「待って。恵ちょっと待って・・・」
「どうしたの?」
「多分産まれると思う」
「ええ!たっ、大変!救急車呼ばなきゃ!」
「恵、ここ病院だよ」
「あっ・・・そっ、そうだった!私お医者さん呼んでくるよ!」恵はそう言って、駆け出そうとした。
すると茜は「恵、このブザー押したら、看護婦さん来てくれるよ」と言って病室のブザーを押した。
そして「恵、落ち着いてよ」と言った。
これから出産を迎える茜の方が、完全に落ち着いていた。
茜は分娩室の近くの病室に移された。
恵は茜の腰をずっとさすっていた。
「茜、大丈夫?」
「うん。まだ平気・・・・あっ!来た!」茜はそう言うと、恵の腕をガシッと握った。
ついに陣痛が来た。
「いたたたた・・・」
「だ・・・大丈夫?」
しばらくすると収まったのか、恵の腕から手を離した。
すると恵の腕には、真っ赤な手形がついていた。
「すごい・・・」
恵は驚いてしまった。