一、父と僕(第二話)
大手町に所在する大東京新聞社は、全国新聞ではなく、東京地区だけを販売網とする地方紙である。
真治は近くの中華料理屋で、昼食のラーメン定食を食べ終えると、同僚の桑谷とともに、大東京新聞社の喫煙所でタバコを吸っていた。
「久保川。明日の記事出来たのか?」
「ああ。今さっきな」
「編集長からどういう指示が出たんだ?」
「キャティーコーポレーションのインサイダー記事は、なるべく小さめにしろって言われた」
「またかよ!」
「まあ、いつもの事だよ。キャティーは大口スポンサーだからさ」
「でもよ、悪いことしてるんだぜ?」
「仕方ないよ。結局俺達サラリーマンだからさ」
「この間だってウィルハムの政治献金を・・・」
「仕方ないだろ」
そう言うと真治は、少し口を尖らせながらふうっとタバコの煙を吐き出した。そして吸殻入れに吸っていたタバコを放り込むと、喫煙所をさっさと出て行った。
キャティーコーポレーションは、大手製薬メーカーである。しかし先日、新薬販売情報を外部に漏らしたとして、インサイダー取引の疑惑がたっている。
国民が注目するこの事件。本来なら一面に載るであろう。しかし大東京新聞社の方針としては、キャティーコーポレーションの記事を、大々的に載せないという事で纏まっていた。
大口スポンサーであるキャティーの怒りを買いたくない一心なのだ。
結局真治は、上層部の言う通りの記事を書いた。
スポンサーの顔色ばかり伺い真実を隠す。自分が間違った事をしているのは百も承知だ。でも仕方が無い。これは会社の方針だ。
『仕方が無い』という言葉を何度も繰り返しながら、混沌と生きてきた。そして『仕方が無い』を繰り返しながら順調に出世もしてきた。
決して仕事が出来る訳ではない。仕方が無いと開き直れるから出世出来ただけだ。
そこには報道としての誇りなど何一つとしてなかった。
勤務を終え、大磯駅にたどり着くと、佐智子と娘の綾が軽乗用車で迎えに来てくれていた。そして真治が車の助手席に乗り込むと、綾がニッコリとあどけない笑みを見せた。
「パパお帰り」
「お帰り真ちゃん」
「ただいま」
大磯駅から車で10分程行ったところに、自宅がある。
そして真っ暗な住宅街の坂道を車で上っていると、突然佐智子が話し出した。
「真ちゃん。明日行くでしょ?」
「えっ?何処に?」
「ほらこの間言ってたじゃん。お母さんのお墓参りをするって」
「あ・・・そうだった・・・」
「ダメじゃん。全然覚えてないじゃん」
「ごめん・・・」
「ねえ真ちゃん。お父さんに会わなくていいの?」
「会う理由無いだろ」
「だって私、真ちゃんのお父さんの顔一度も見てないんだよ?こんなんでいいの?」
「いいんだよ。あんな親父・・・」
「すぐ近所に住んでいるんでしょ?私はちゃんと挨拶したいの。いい加減大人になって欲しい」
「・・・」
真治にとって、父親の話はタブーだった。
不仲は、大きな出来事が発端でなった訳じゃなく、ほんの小さな出来事が長い年月をかけ積み重なり、大きな石灰岩となってしまったのだ。
生まれてから一度も父親から褒めてもらった事がない。高校に入学しても、「そんなの当たり前だ」の一言。青山学院大学に合格すると「俺の時代はお金が無かったから国公立大学にしか行けなかった。私大に行かせてもらうだけでも感謝しろ」と言われた。
新聞社への就職が決まると「そんな歪んだ仕事するな」とも言われた。
高校教師だった堅物の父親。とにかく何事も否定的。そんな父と同居という環境の中で生きていくのはもう限界だった。そして大学を卒業すると、僕は真っ先に家を飛び出したのだ。
夕飯を食べ終え、綾を寝かせると、いつものように自室に閉じこもり小説の執筆をする。
机の上に置いたスタンドライトの光だけの真治の自室。窓からは今日も心地よい夜風が吹き注ぐ。
別に小説家になりたいという訳ではなく、ただ執筆という行為が、一つの現実逃避となるからだ。自分の作り上げた空想の世界に浸る程心地よいものはなかった。
「真ちゃん」
佐智子がそう言いながら、コーヒーを持って薄暗い真治の部屋へと入ってきた。
「ねえ、真ちゃん。明日お母さんのお墓に行くでしょ?」
「うん。行くよ」
「ねえ、どんなお母さんだったの?」
「お袋?」
「うん」
「・・・・そうだなあ・・・良く覚えてない・・・まだ小2だったから。ただよく怒られたのは覚えているよ」
「そうなの・・・」
「お袋が生きている時は、親父は優しかったんだ。でも、お袋が死んでから、親父は急に厳しくなりだした。何事も否定的な事ばかりでさ・・・」
「ねえ、私、お母さんの話聞いているんだよ?」
「あ・・・」
「真ちゃんいつもお父さんの話ばかり。本当はお父さんの事が好きなんじゃないの?」
「・・・」