若年性アルツハイマー型認知症の母 延命措置・みとりについて | キラキラ輝くいまを!!~ひろみんは生きている~

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いま自分はどんな周波数を放っているかな~それが私の最大の関心事です。
レインボーチルドレンの娘がいます

こんにちは ひろみんです

 

昨日、長堀先生がFBに書かれた記事から、大きな気付きを頂きました。

つちやかおりさんの【認知症の母の『延命治療』で出した結論】というブログに関する記事です。

【延命措置】や【みとり】について、家族として、自分の事として考えるそんな機会でした。

 

私の母は現在76歳、認知症、要介護度5で、特別養護老人ホームでお世話になっています。

《娘が書いた作文》をお読み頂けたら母の病気の経緯などおわかりいただけると思います。良ろしかったらお読みください。

https://ameblo.jp/hirorinron/entry-12533425412.html

 

58歳で若年性のアルツハイマー型認知症と診断されました。若年性は細胞が若くその分進行が早いのであと10年くらいでしょうと言われていました。あれから18年、母はまだがんばって生きてくれています。

 

その頃の私はまだ、霊性についての理解がなかったので、母の病気が進行するのをただただ悲しく感じていました。

私に出来る事、それは母が日々穏やかに落ち着いた気持ちでいられる様にすること、それを考えてきました。

うつ病、骨粗鬆症、そして認知症になったので精神的にも不安定だったため、薬で落ち着かせる事も必要でした。

普段はとても穏やかで優しい母でしたが、夜中に突然大声で歌い出す事もあり、興奮状態になると血圧が200以上になる事もありました。

今は興奮する事は全くなく、半分うつろな状態です。話しかけるとたまに反応してくれます。

エネルギーのわかる次女に聞くと、『普段意識はほとんど上に居て、自分のお母さんやお父さんと楽しくおしゃべりして過ごしているよ。私達が行って話かけたり、施設の方に話かけられると、あらあらってこっちに戻ってくる感じ。上が楽しいからお話に夢中になってると、こっちで話かけられても気づかないんだよ。だから心配いらないよ~』と伝えてくれました。

それならと私は自分の身体の治療の方に専念させてもらっていました。

 

今年の7/21~9/12まで肺炎がキッカケで病院に入院していました。肺炎は抗生物質と点滴ですぐに良くなりましたが、その後足に刺した点滴から感染症になり、肝臓の数値が悪くなり、膝の裏に血栓が出来ていた事がわかり、微熱や嘔吐があったりと、次から次へといろいろな症状が出たために入院は長引きました。

今回の担当医は元々理科が好きという事でお医者さまになられたそうです。なので何かあるとすぐ検査をして数値をみて対処してくださいました。頭の良さそうな方で母の様子を見ながら、その見極めと処置が的確だったため、どれもすぐに症状は治まりました。

病院は早く退院させたい所だと思っていましたが、今回の母への対応はゆっくりと丁寧でした。

それはとても有難い事でしたが、入院が長引く事で私は母の食事について懸念していました。

 

入院する前の施設での食事形態は普通食より少し柔らかめのモノでした。母は自分の歯でしっかり噛んで飲み込んでいました。

母も私も自分の歯で噛んで食べる事がどれだけ脳の刺激になるか、大切な事なのかを以前から話していたので、それを大切にしていました。母は歩く事も大切だと思っていたのでよくお散歩もしていましたが、5年程前から車イスの生活になりました。

今回の入院で担当医がその原因も教えてくれましたが、どうも大腿骨を骨折していてその治療の後がないから、それが痛くて歩けなくなってしまったのではないか?とのことでした。

骨折して痛かったのに、それを訴える事も出来ず、私も気づいてあげれなかった。可哀想な事をしてしまいました。

そこで適切な治療をしていたら、もしかしたらまだ歩けたのかも・・・と、タラレバはないですね。

ただ車イスになってしまった事で、母が自ら脳に与えられる刺激は噛む事だけでした。

介護する側としては、あの時あぁしていればと後悔する事が、自分を苦しめる事になります。最高最善だったと思う事が大切です。そう思えるためにも何かあった時に真剣に向き合う事で、自分が納得し満足出来ると思っています。しかしそこにムリは禁物です。出来る範囲でやるというのがストレスなく介護をするコツだと思います。

 

入院中は治療が優先のために固形のモノは与えられず点滴とドリンク剤のみでした。状態が良くなっても母が口を開けないために食事は出来ないと判断され、退院まで液体のみでした。母は口を開ける事を忘れてしまっているので、施設ではスプーンを上手く使って片方の口にスプーンを挟んで出来た隙間に食べ物を入れていました。そうすると母も口の中に食べ物が入るので噛んで飲み込む事が出来ました。

1ヵ月以上噛まない状態が続いたら噛む事を忘れてしまうのではないか?と懸念していました。だから早く退院して施設でいつもの様に固形の食事をして欲しいと願っていました。

しかし施設に戻ってからもミキサー食のままで、誤嚥性肺炎のリスクを考えて食事形態をあげる事はしないという判断でした。私はご飯だけでも少しづつ固形にして頂けないかとお願いしていました。これも私のエゴだという事に今回気が付きました。こんなにがんばってくれている母にまだがんばってもらおうとしていました。

 

【胃ろう・延命措置はしない】と、兄と決めていました。この状態の母の命を長引かせたところでどうなんだろう?と感じているからです。もちろん少しでも長く生きていてほしい、触れていたいと思いますが、延命までは必要ないと思っています。

延命とは・・・命を延ばす。命は命。延ばす必要はないと思います。もちろん肺炎になったり、感染症になった時の治療は必要だと思いますが、延命措置はまた別ですね。

なぜ延命という事が行われているのか?それはやはり霊性に気付いていないからなのではないかと感じます。

 

このタイミングで榎木孝明さんの《みとりし》という映画が公開されました。まだ映画は観ていませんがどんな思いでその映画を作られたのかを、榎木さんの講演会でお話を伺っていました。私の身に起きている事です。

【みとり】という事に意識をシフトするタイミングが来ている事に、昨日ハッキリと気付きました。

 

延命はしない・・・意識的には何もしない。

看取る・・・意識的には看取るという覚悟をし、見守る体制に入る。

今までは延命はしないで終わせていました、これからは看取る事を積極的にしていきたいと思いました。

長堀先生が、『お母様をねぎらい、感謝を捧げる気持ちが、ご家族を深く癒してくれることと思います。』と教えて下さいました。

父の時は突然亡くなってしまったので、心の準備もありませんでしたが、有難い事に母はゆっくり時間をくれているので、みとりという優しい形で自然の流れに任せながら、最期を迎えられるように、私もこの体験をしっかり味わいたいと思います。

お母さん、たくさんいろいろな体験をさせてくれて、ありがとう~。14日は私の誕生日、このタイミングで気付けて良かったです。

長堀先生、いつもいつも大切な気付きをありがとうございます。感謝、感謝です。

 

今日は大きな台風。反時計回りの緩む、手放すエネルギー。

この台風と共に私の中のエゴを手放していきま~す。

 

 

お読みいただきありがとうございました。

ステキないまをお過ごしください。