前回のブログ『再 ㉕保存版(後編-1)球磨へのバイアスと海が見える土地』より続きます。

 

 

 

2021/07/28 20:43 再々投稿

2021/07/28 12:03 再投稿の拙ブログ すでにご覧頂いた方々へ

拙いブログですが ご覧頂き ありがとうございました。

 

神々様への「祀り」「祭り」 みたまのふゆ

考える事がありまして、自分自身の反省も込めて 拙ブログ内 

はじめに の項

火は人類の進化の象徴

当たり前の事なのですが、今更ですが・・

理解する事が出来ました・・・

ただ・・使い方によっては火は武器にもなりうる・・・

 

上記以降に追記を書かせて頂きました。

よろしければ ご覧下さい <m(__)m>

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
皆様方には心から感謝いたしております。

 

最初は、自らの先祖の調査、そして球磨の古代を知りたい 

という気持ちで勉強を始めましたが

 

今は・・

球磨の古代の事、球磨の歴史を書く事で、
元気をなくしてしまったこの郷土の方々が
故郷を離れて遠い地で故郷を思う方々が
郷土に誇りを感じ、少しでも勇気づけて頂ければと思いながら

ブログを書いています。

 

さらに、全国の多くの方々に、球磨の歴史をお伝えしたい!

と強く思いながら、毎回、拙いブログですが心を込めて書いています。

 

 

 

自然災害、さらに新型コロナウィルスの感染により、
愛するご家族、親戚やご友人の方々に看取られる事なく、一人で旅立つ事をよぎなくされた
御方々の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

この難局を世界中がいち早く乗り切れる日が来ることを心よりお祈りいたします。
 

 

台風は温帯低気圧に変わったようですが、

皆様、くれぐれも

ご安全にお過ごしになられて下さい



 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

はじめに

 

前回の続き、後編-2を書かせて頂く前に一つ気が付いた事がありますので

お付き合いください。 <m(__)m>

 

 

 

 

オリンピックが始まりましたね・・・

 

オリンピックが始まったからには・・・😊

選手の皆さんが、想像できないような練習を繰り返して来られた事に心から敬意を持って競技を拝見しております。

 

国歌「君が代」の演奏と共に国旗「日の丸」掲揚を拝見する度に、正座してテレビを見ながら涙が出てまいります。

 

色々な報道(お金等の)がありましたが、私は、開会式で聖火が聖火台に灯された時に

聖火 あ・・・

聖火を国内で灯すという事は とても大切な事だったのだろう・・」と そう感じました。

 

 

不勉強でしたから突然 聖火を勉強したくなりまして・・

 

 

ウィキペディアより 抜粋 します

 

 

 

 

聖火はギリシャのオリンピア遺跡で太陽を利用して採火され、オリンピックの開会式が行われる数か月前に、古代オリンピックが行われていたペロポネソス半島のオリンピアにおける

ヘーラーの神殿跡で採火されている。

 

聖火トーチへは、太陽光線を一点に集中させる凹面鏡に、炉の女神ヘスティアーを祀る11人の(女優が演じる)巫女がトーチをかざすことで火をつけている。

 

古代ギリシア人にとって、火はプロメーテウスが神々の元から盗んできたものだと考えられており、神聖なものだった。このため、火はオリンピアの多くの神殿に見られるのである。

 

火はオリンピアにあるヘスティアーの祭壇で燃え続けた。オリンピック開催期間中は、

ゼウスとゼウスの妻ヘラの神殿に火がともされ、ゼウスを称えた。

 

近代オリンピックにおける聖火は、かつてヘラの神殿が建てられていた場所で

採火されている。

 

以上 ウィキペディア 聖火より 抜粋致しました。

 

 

興味が湧いて「このお話」の経緯も勉強したのですが

パンドラ―の壷(箱)にも繋がるお話だったとは初めて知りました。

 

 

火は日(天)より人類にもたらされた

人類は火を得た事によって、進化を遂げる事が出来た・・

世界中の古代の人達の共通の概念だったのでしょう・・・

 

火によって、食事が大きく変わり、土器を焼く事が出来るようになり

さらには、青銅器も後に鉄器も全て火がなければ作り出す事は出来ない・・

 

日本国内・・

古代旧石器時代からの遺跡からも多数の炉の後が発見されていますね・・

 

だから、現在も日本では竈の神様をお祀りさせて頂いている・・・

 

火は人類の進化の象徴

 

当たり前の事なのですが、今更ですが・・

理解する事が出来ました・・・

ただ・・使い方によっては火は武器にもなりうる・・・

 

 

2021/07/28 20:43 追記

 

こういった事を勉強して ふと感じた事があります。

聖火は本来 火を人類が得た事を祝う 象徴であったという事が解りました。

 

世界各地の古代の人達は様々な形で神様を崇拝してこられたのですね。

 

ただ・・

この「祭り」「祀り」の本来の意味を現代人は完全に忘れてしまっているのだと思います。

 

例えば日本においては・・

お祭り と言えば 騒いだり、出店に行ったり という「楽しみの延長」のように勘違いしてしまった人達も多く

 

しかし、この事は良い事だとは決して思えないのです・・・

みたまのふゆ の本来の意味が完全に忘れられている・・・

 

これは、私を含めた戦後生まれの親世代の人達に責任がある

と私は考えます

 

私達の世代が何も解っていないから・・

 

 

コロナウィルス感染症の感染拡大が止まりませんね

私の住む熊本県でも、本日7月28日に警戒レベルが5に引き上げられました。

 

東京は日本の首都です。戦時中までは帝都と呼ばれた都です。

 

本来の「祭」の意味を理解せずに、開会式当日の路上での どんちゃん騒ぎ・・

現在の日本が抱える本当の問題は

みたまのふゆ が減退している事なのでは・・

 

と私は考えました・・

 

私を含めた戦後生まれの世代は今、何が大切な事なのか

もう一度あらためて、考え直さなければいけない・・

そういう時代を向かえているのだと 思います

 

偉そうな事を書いてしまいましたが 自らの反省を込めた 追記でした。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

ここで・・・

古代ギリシャを少しだけ勉強したのですが・・・

古代旧石器時代からの日本の発展と とても良く似ているな~ と感じました。

と・・いう事は日本の超古代は世界に誇る事が出来る文明だった・・

と私は強く感じる事になります

 

 

そう感じた 経緯をご紹介致します😊

 

 

 

ここからは 音楽と共にお付き合い下さい。😊

“Princess Mononoke” Soundtrack Collection

 

 

 

 

 

 

ウィキペディアより 古代ギリシャ 抜粋して転記させて頂きます。

 

 

 

 

ギリシアにおいて発見された最古の人類はハルキディキ半島ペトラロナで発見されたペトラロナ人で、彼等はホモ・エレクトゥスとネアンデルタール人の形質の特徴を持ち合わせており、

およそ20万年から40万年前までにさかのぼると考えられている。

 

彼らが活動したこの時代がギリシアにおける前期旧石器時代と推測され、ギリシアにおいて人類の活動が始まったのはこの時代とほぼ考えられている。また、15万年前になると、生活の痕跡が増加し、この時代が中期旧石器時代と考えられている

 

 

補足・・

※前期旧石器時代 年代的には200万年前に始まる

 

ここで・・

彼等はホモ・エレクトゥスとネアンデルタール人の形質の特徴を持ち合わせており、

およそ20万年から40万年前までにさかのぼると考えられている。

 

 

ブログ㉒保存版(中編)注目されない甕棺について で少しだけ触れましたが・・

 

 

平成15年度に熊本県立装飾古墳館で開催された
「肥後の至宝展 Ⅱ 球磨楽展~球磨の考古と歴史に遊ぶ~」
 資料に

掲載されていたお話・・

 

球磨郡深田村(現あさぎり町深田)で出土した30万年近く前ではないか!?と地質学者の方が推測なさっていらっしゃる石器

 

全て、何でも海外から伝わってきた とお考えになられる方々は30万年前・・などありえないと否定なさるのかもしれませんが・・私は・・30万年前にすでにこの地に古代ギリシャと同じように

ホモ・エレクトゥスとネアンデルタール人の形質の特徴を持ち合わせた人達が居たと考えても不思議ではない・・と思います・・

 

何故ならば・・

球磨からは11万年以上前に遡る事が出来る石器が発見されているからです

 

さらに・・・阿蘇カルデラ爆発的噴火の前には・・・

阿蘇に超古代文明が存在していた・・・とおっしゃる方々もいらっしゃいます・・

 

 

 

 

古代ギリシャ ウィキペディアからの転記を続けます

その後、およそ6万年前の中期旧石器時代になると化石人類に代わって、旧人の活動が確認される。

環東地中海世界によくみられるムスティエ文化の特徴が見られ、イピルス、テッサリア、エリス、アルゴリス、クレタ島などで剥片が発見されており、特にアルゴリスにあるフランクティ洞窟ではルヴァロア技法の剥片が発見されている。

 

5万年ほど前に至ると最終氷期に突入、海面は下降し、この時代に新人の時代に移った。

その後、3万年前になると後期旧石器時代に入る

 

この時代は海面の上昇により痕跡物の数は多くないが、フランクティ洞窟やセオペトラ洞窟などで狩猟採集民による活動を示唆する文化層の堆積が見られる。

また、この時代、狩猟の方法も組織的なものへ変化し、さらには石器の加工技術も進み、洞窟絵画や女性彫像もこの時代に見られる。

 

 

ここで・・・

6万年前~3万年前・・・

もう、この辺りの事は過去ブログで何度もご紹介しておりますが、私の住む球磨では多数の遺跡が発掘されている時期であります😊

 

 

 

古代ギリシャ ウィキペディアからの転記を続けます

前7000年になるとギリシアは新石器時代に入り、この時代は土器の様式や放射性炭素年代測定法による測定により、初期、中期、後期、末期の四段階に区分されている。

 

この新石器時代は過去には無土器時代があり、農耕も自主的に発生したとする説が唱えられたが、この説は1980年代に疑義が呈され、ギリシアの新石器時代は土器などの文化を含めて西アジアより伝播したと考えられる

 

 

 

ここで・・・

※ギリシアの新石器時代は土器などの文化を含めて西アジアより伝播したと考えられる

 

おんやっ(p_-) ・・・

 

前7000年くらいと言えば・・すでに

鹿児島県霧島市の上原遺跡や球磨の深田(現あさぎり町深田)の遺跡からは

ベンガラ彩色を施された耳飾りが出土しております。

 

何だかモヤモヤが始まりました・・・

 

 

古代ギリシャ ウィキペディアからの転記を抜粋して 続けます

ここから・・一気にキクラデス文明まで進んでご紹介致します<m(__)m>

 

ギリシアでの青銅器時代は前3200年から3000年頃に始まったと考えられている

 

初期青銅器時代はギリシア本土、クレタ島、キクラデス諸島の各地域での三時期区分による編年が確立されており、この時代に「ギリシアらしさ」がそれまでの時代より明確に表れて来る。

特にキクラデス諸島のナクソス島やパロス島、シロス島などを中心に初期青銅器時代の痕跡が見つかっており、石積みの単葬墓がグループを成しており、初期のグロッタ・ペロス文化時代には羽状刻文の刻まれたピュクシスやヴァイオリン形の石偶なども含まれこれがさらにケロス・シロス文化に進化すると、渦巻文のある「フライパン」や彩文土器なども存在する。

 

特に石偶は新石器時代のものとは異なり両手を前で組んだポーズを取って居るものが多く見られる。

 

 

 

ここで・・・・

気が付いた事の本題に入ります(p_-)

 

 

初期青銅器時代

前3200年から3000年頃に始まった・・・

石偶は新石器時代のものとは異なり両手を前で組んだポーズを取って居るものが多く見られる。

 

ウィキペディアより

キクラデス諸島で発見された石偶

※両手を前で組んだポーズを取って居る・・・

 

 

 

あれっ???? 何だか似ている・・・・

そうです!球磨郡多良木町の旧石器時代からの遺跡・・

 

大久保台地遺跡から出土した、日本最古の石のビーナス 人形と似ています・・!

ただ・・球磨の石のビーナスは今から8000年以上前の地層から出土した「物」ですが😊

 

 

動画を作って 過去ブログでもご紹介致しました😀

 

 

 

 

 

 

 

今回は写真でご紹介致します😊

 

球磨郡多良木町の多良木町埋蔵文化財等センター 古代の里 黒の蔵 にて撮影

 

 

出土時の写真

 

 

 

球磨郡多良木町の多良木町埋蔵文化財等センター 古代の里 黒の蔵 にて頂いた

図録第1集 発掘された大久保台地

 

 

 

 

こちらに8000年以上前の日本最古の出土品 滑石で作られた人形について

詳しい写真が掲載されていました。

 

 

とても重要な事だと強く感じましたので、勝手ながらご紹介させて頂きます。

 

 

 

私、縄文時代早期 8000年以上前に滑石で作られたこちらの縄文最古の石のビーナス

形が不思議だな~ とずっと考えていたのですが、

 

ギリシャの初期青銅器時代

前3200年から3000年頃に始まった・・・

石偶は新石器時代のものとは異なり両手を前で組んだポーズを取って居るものが多く見られる。

 

この記述を読んで、ようやく気が付きました😊

 

両手を前で組んで、座っているポーズなのですね!!!!

\(◎o◎)/!

 

 

 

もう一度(p_-)

前3200年から3000年頃に始まった・・・ギリシャの青銅器時代

キクラデス諸島で発見された石偶

 

 

球磨郡多良木町大久保台地遺跡から出土した8000年以上前の滑石の人形

 

 

フォルムがソックリです😊

 

 

※ギリシアの新石器時代は土器などの文化を含めて西アジアより伝播したと考えられる

 

西アジア・・・メソポタミア文明・・

シュメールは黒い頭の人が東からやって来て作られたと言われる文明・・

増々 モヤモヤして参りました・・・

 

 

以前から何度も私が書いてきた 推測・・

今から7300年前に発生した喜界カルデラの爆発的噴火・・・

 

球磨の人達は鍾乳洞などの洞窟を自然のシェルターにして難を逃れた後に

何処かに行かれた・・

 

おそらく大陸に渡ったのではないか・・・

 

 

この推測・・・今回、写真を見比べてみて

荒唐無稽な話では無い・・

と強く感じるのであります・・・

 

 

 

 

そして・・・時を経て・・・

 

5000年~4000年程前に、「後裔」の人達・・

 

何処かの地から

 

他には類を見ないと言われる

まるで洋犬を思わせる

あの精巧なワンちゃんの土偶を作る事が出来る人達が

 

何処かの地から、この球磨に戻って来られたのでは・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

そうでした・・・

 

神に関する古語の研究 の中で 林兼明氏は

「熊襲」てふ種族別にあるにあらず、こは全くして天孫種族と

同一にして・・・

 

とお書きになられていらっしゃったのでした・・😊

 

 

独り言・・・・

喜界カルデラの大爆発を免れて、この地が復活するのを待って直ぐに戻って来た人達と・・

5000年~4000年程前に、球磨に戻って来られた「後裔」の人達・・と

別の「後裔」 2400年程前に戻って来られた 有肩石斧を使用した人達は・・・

この地で合流したのでは ないのかな・・・

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

今回は番外編と題して、聖火台に灯る聖火を拝見しながら、考えた事を元に

勉強した事を書かせて頂きました😊

 

 

 

実は(p_-) あらためて、

球磨郡多良木町の多良木町埋蔵文化財等センター 古代の里 黒の蔵 にて頂いた

図録第1集 発掘された大久保台地

を読み返していたら・・・・

 

私が気が付いていなかった

とても大切な事

が記されていました。

 

おそらく・・次回以降に続く「後編」の謎に直結している事なのかもしれません・・

弥生時代の後半

何故?ここから移動したのか・・

 

 

この球磨の地は弥生時代後半前期に未曾有の大災害に遭っていたようです・・

キーワードは 地層横転

 

 

今回の流れは・・

おそらく・・・この事に気が付かせる為?に、あらためて

「発掘された大久保台地」を読みなさい!

というお導きがあったのだろう・・

と 私は考えたしだいです。😊

 

 

 

皆様、最後までご覧頂き ありがとうございました。

 

くれぐれもお身体十分にお気を付けになられてお過ごし下さい。

どうか ご安全にお過ごしになられて下さい。


 

皆様 だんだんなぁ~

 球磨の地より ひろっぷでした😊

 

次回『(番外編)私の失敗 父の発熱』に続きます。