前回のブログ『②太陽に繋がる日ノ国と洞窟と鯰と 新たに湧いた疑問も・・・』 より続きます

 

 

 

 

2021/03/29 08:10 追記

2021-03-26 19:36 投稿の拙ブログをすでにお読み下さった皆様方へ

御覧頂き ありがとうございました。

 

当ブログ内

2.球磨に住んでいると解る言葉の数々 内に 追記を書かせて頂きました。

 

追記内容

⑦「ゆふ」(木綿・斎総) ※斎房 ・・・・語意 神の木 への追記
 

※麻の木綿葉川(藤原定隆 和歌)
★平安時代の公卿 藤原定隆 が 球磨川(木綿葉川)を詠んだ和歌 であります。

 

夏来れば 流るる麻の木綿葉川 誰水上に禊(みそぎ)しつらむ

 

⑧「麻」 ・・・ 麻は木綿の装飾語  への追記

 

万葉集の代表的歌人である柿本人麻呂の歌

 

「肥人 額髪結在 染木綿 染心 我忘哉」。
 

漢文の読み方。
肥人(こまひと)の額髪(ぬかがみ)結へる染(しめ)木綿(ゆふ)の染(し)みにし心我れ忘れめや。 
意味は、球磨人(くまひと)が草木染めの麻で髪を結われていた珍しい姿が心に染みついて離れないように、あなたのことがどうしても忘れられない。

この歌では、「木綿 ゆふ」は麻のことであると解釈されている。

 

以上 追記内容のご紹介でした。

 

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私が球磨から発信するこのブログを御覧頂き ありがとうございます。
お読み下さった皆様方には心から感謝いたしております。

 


度重なる自然災害、さらに新型コロナウィルスの感染により、
愛するご家族、親戚やご友人の方々に看取られる事なく、一人で旅立つ事をよぎなくされた
御方々の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

献身的な看護、そして治療に従事なさっていらっしゃる医療現場の方々の御苦労に

心から感謝致しております。 

感染なさった方々の早期回復をお祈りいたします。
この難局を世界中がいち早く乗り切れる日が来ることを心よりお祈りいたします。

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今年の春、私があらたに購入したものをご紹介します😊

①書籍

著者 林兼明氏 神に関する古語の研究

 

②お念珠

今年、家がお世話になっていますお寺様の係が回ってきました。

お寺様の係とは、年に数回の法要の際などにお茶出しをさせて頂いたり

法要等の案内状を各家々に配ったり・・といったお手伝いをさせて頂く、集落内で年ごとに回ってくるご奉仕の事をいいます。

 

お寺様の係はきっかけの一つですが、

今まで農業の経験が全く無かった私が、幼なじみの農園のお手伝いをして

自然と向き合い、働いたお金で何を購入するかふと考えた時に、今年は・・

この歳になって、気持ちを込めて選んだお念珠を普段使いたいな・・・と思い

お念珠を購入いたしました😊

 

先日は、春の彼岸法要に伺ってまいりました。

佐賀県基山町のお寺様のご住職様のご説法を聞かせて頂きました。

 

縁起 

すべてのものには、必ずそれを生んだ因と縁とがあり、

それを因縁生起いんねんしょうき=縁起という。

 

因と縁と果とが複雑に関係しあい影響しあって、もちつもたれつの状態をつくっている。

他の多くのものの力、恵み、お蔭かげを受けて、私たちは生かされているという、

仏教の基本的な教え

 

ご法要でありがたいお話を伺うたびに、心にす~っとお言葉がしみ込んで参ります。

様々なご縁を頂いて、私は生かされている・・・

 

このブログを書きながら、強く感じております。

今はインターネットを通じて多くの方々とご縁を頂く事が出来る時代となりましたが

私の拙いブログに興味をお持ち頂いて、お読み下さる皆様方と

私はありがたいご縁を頂いているのだな・・と

つくづく感謝いたしました。

 

江戸時代までの神仏習合。

様々な情報を読ませて頂き、「そこに何があったのか・・」という論理的なお話も勉強させて頂いてはおりましたが・・・(勉強していたつもりでしたが・・)

頭で理解する事(知識)とは別に最近は大きな視点で物事を感じ取る事が出来るようになってきたような 気がします (あくまでも・・ほんの少しですが・・😅)

私は頭でっかちになりすぎていたな・・と思います。

 

書籍を拝読し、お寺の法要に伺いご説法を聞かせて頂き、感じ取る事は

神仏習合

日本人に よりあっていた事なのだろう・・😊

古の方々の思い、生き方のお手本、心の持ちように

より あっていたのだろう・・

という事です。

 

心にそう感じる 今年の春です😊

 

 

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1.市房山と桜

先日、午前中は農作業のお手伝いをして、午後からお休みを頂き、市房山の麓にある

市房ダム湖の桜を見に主人とドライブをしてきました😊

 

 

家から20分程で行ける場所ですが、日本気象協会様も市房ダム湖の桜をご紹介です😊

 

 

 

市房ダム湖の周囲約14kmにわたってサクラが咲き誇る熊本県下有数のサクラの名所。

 

地元ではこの桜を一万本桜と呼んでいます😊

 

市房山と江代山を遠くから撮った写真を過去ブログでご紹介していました。

 

 

 

仲良く並んで聳えるように見えます 左が江代山 右が市房山 です。

 

 

 

先日

市房山の麓 市房ダム湖の先端 旧球磨郡湯山村(現水上村)から撮った写真です。

市房山の頂上には薄っすらと雪が積もっていました。

 

 

 

後方のダム湖を見た写真

 

 

 

しかし・・・

市房ダムに流れ込む湯山地区の川は大水害の爪痕が未だ深く刻まれていて

今まで、私が知っていた景色とは大きく異なる状況で

堆積した土砂が、子供達を遊ばせた思い出のある風景を一変させていました・・

 

 

ただ・・市房山を源流とする 川の水はとても清らかでした。

 

市房山様は 球磨の復興を静かに、温かく見守って下さっています。

 

 

 

市房山には

伊勢神宮様の所有地 があります。

式年遷宮の際に木材として使用される 神木が市房山で

生育されています。

 

さらに

市房山の市房杉や市房ケヤキは 皇居宮殿の建築木材として

使用されています。

 

市房杉 使用

長和殿 南溜(みなみだまり) 長和殿 北溜(きたどまり) 長和殿 石橋の間、

松風の間   正殿 階段

 

市房ケヤキ 使用

正殿 松の間 
天井は木曽ヒノキ、床はケヤキ(床面がそのまま出ているのは宮殿中ここだけ)

 

正殿 松の間 

建築に使用されているケヤキ
日向ケヤキ  秩父ケヤキ     市房ケヤキ   茨城ケヤキ     高鍋ケヤキ    綾ケヤキ   

 

市房山は

伊勢神宮様、 皇居宮殿 とご縁のある 御山です。

 

市房山の名前の由来は 久米殿のご先祖様 諱「市房(いちふさ)」という方のお名前

からきているそうです・・・(伝承)

 

 

斎房山(いちきまつる ふさ)

私の曾祖母の家「新堀家」を江戸時代に継いだのも・・橘姓宮原氏ですが

宮原金兵衛(新堀金兵衛)こと 宮原公行という御方は

相良家家老宮原公全 この方の孫、もしくは甥となられる方です。

宮原金兵衛(新堀金兵衛)こと 宮原公行 この方のお父上が長盛 とおっしゃる方です。

 

氷川町宮原の戦国時代の城主宮原公忠様の後裔となられる宮原様から頂いた宮原氏系図

一部 ご覧ください😊

 

 

長盛様は とても霊力の強い御方でいらしたようで・・・青井阿蘇神社様の拝殿の新築の際の古文書にそのお名前を確認していました。(いつか詳しくご紹介させて頂きます<m(__)m> )

 

皆様にご覧頂きたい事は 

長盛様の注釈に

剃髪なされて 斎房山伏になられた 旨

記されている事です。

 

市房山 ・・・・斎房山伏

 

 

市房山は修験道の方々の修業の御山でもありました。

 

 

 

市房山の中腹に御鎮座の

市房神宮(市房神社) の御祭神は

(現在は)

霧島神宮と同じく

彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)、天津彦火瓊々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)、吾田鹿蘆津媛命(あたかあしつひめのみこと)、豊玉媛命(とよたまひめのみこと)、火闌命(ほすせりのみこと)、火明命(ほあかりのみこと)の六座がお祀りとなられます。

 

 

くまもと緑・景観協働機構様 のホームページをご紹介致します😊

 

 

くまもと緑・景観協働機構様 のホームページより

 

霊験あらたかな山を守る兵士のような大杉並木
熊本・宮崎両県にまたがる九州山地南部の主峰・市房山(いちふさやま:標高1722)は、

昔から「お嶽(おたけ)さん」と呼ばれる球磨の霊峰で、山そのものがご神体として人々の崇敬を集めてきました。

中略・・・

神社の一の鳥居にあたる祓川(はらいかわ)の登山口から神社まで約1キロメートルの参道に、樹齢千年はあろうかという老杉が立ち並んでいます。霊峰と崇められる山に登った人、あるいは市房神社に参詣した人たちが参道脇に植えたスギ苗が、千年もの時を経てこのような巨樹に育ったのです。

 

くまもと緑・景観協働機構様 のホームページより抜粋して転記させて頂きました。

 

市房山は

球磨の霊峰で、山そのものがご神体 です。

神社の一の鳥居にあたる祓川(はらいかわ)

 

そして・・さらに 

市房山のお隣に寄り添うように聳える御山が江代山(えしろ山)

 

皆様

この事を しっかりとご記憶頂きたい と願います。

今後、数回に渡ってブログで書かせて頂こうと考えている

私が 気が付いた事に全て 関わってくるお話で あります・・・・

 

 

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2.球磨に住んでいると解る言葉の数々

 

 

著者 林兼明氏 神に関する古語の研究

 

 

 

著者 林兼明氏 神に関する古語の研究を 熟読させて頂くと

球磨に住んでいる人なら 必ず解る 言葉の数々 を目にする事が出来ました・・

 

 

第四章 「ことば」に表現せる「日」の信念

の中に 「球磨に住んでいる人であれば必ず解る」 言葉が列挙されていました・・

 

言い換えれば・・

その列挙の意味は

球磨に住んでいる人でなければ ご縁がおありになられる方でなければ・・

解らないかもしれません・・

つまり、私のブログをありがたい事ですが、今まで続けてご覧頂いて下さった方々で

あれば・・お解りになられる事だと 思います。

 

ここでも ご縁 です。

 

ご紹介 致します

著者 林兼明氏 神に関する古語の研究

第四章 「ことば」に表現せる「日」の信念 より

 

①「人」 ・・・ 人の語意
※人(ひと)の語は「日」の信念の精髄として生まれたり。

 

※げに「人」こそは日神天つ神の申し子にありけり。

 

※「人」たるの自覚・・「日の国」「日の民」の自覚なり。

 

人・・・人吉

 

 

②「姫」・「日女」(ひめ) 語源 愛ず (めず) 

・・・ 球磨弁 もぞか 熊本弁 むぞらしか

 

参考ブログ 鯰と鮎と球磨弁と・・卵生伝説・・

 

 

 

③「たま」  ・・たま・・玉・球 

 

※「玉」が天日日神の「光体光耀光徳」を象徴具象せるものなる

 

玉・球 ・・・・球磨

 

 

 

④「しりくめなわ」・・・尻久米縄 ・・ 久米

※「しりくめなは」は日本民族の宗教習俗に表れたる最も古き、最も普遍なる、
且つ最も惟神的なる表現要因なり。

 

※「しりくめなは」の語源は「しりかみなは」にあり、「久米」は実に神(かみ)の転語なりしなり。

 

※神 かみ なる語櫜のうち、流転の間委に自ら転訛せるもの
かも (鴨)・・加茂・賀茂 等
かめ ・・・かなめいし 亀 ※亀山 亀川等
くま   ・・・前・日前・熊襲・熊 ★熊地名等

 

※即ち「久米」は「くま」と全く同趣の転訛なり
 

※我が国の古名族「久米氏」は「神氏」・「大神氏」と同じく、直接「神」になる普通名詞を採りて己が姓氏の名となせるものなり。
「みつみつし」という枕詞を冠し「みつみつし久米の子」などと言うは
「クメ」が「カミ」より出たる事を能く証明するものなり。

 

※「しりくめなは」(尻久米縄)は「神の存在を開顕表示する縄」の儀となるなり。

 

球磨郡久米郷

 

 

 

 

⑤「かずら」 ・・・ 

※「葛」を以て天日の光輝を象徴して、これを「ひかげのかつら」といふ・・
 

※日影葛(ひかげかずら) 天日日神の光耀を頭に奉載するの儀なり
 

※「ひかげ」の語転じて「みかげ」といふ・・・・
 

「神」(天日日神)の影向の本義を認識して名付けたものと思考せざるを得ず。

 

★影向の本義

 

江戸時代中期に編纂の「麻郡神社私考」に記された

あさぎり町上村の白髪岳頂上付近にご鎮座の

狗留孫神社様の御祭神
「影向之神三座(よごうの神)」
東ハ霧島神 
中ハ狗留孫権現
西ハ阿蘇神

 

地名 球磨郡旧久米村 「葛沢」 かずらそう

 

 

 

 

⑥「ふさ」・・・神に関する古語の研究より 転記

 

「ふさ」は日本民族の「神」に対する認識と信念とをうかがふべき

根本的証拠物件なり。

 

市房山 (斎房山)

 

 

 

⑦「ゆふ」(木綿・斎総) ※斎房 ・・・・語意 神の木

 

※球磨川は 別名 木綿葉川

「斎」は神事に関して「忌み清まはる」義を表す語

斎川 をゆがわ と呼ぶ

 

※麻の木綿葉川(藤原定隆 和歌)

★藤原定隆 が 球磨川(木綿葉川)を詠んだ和歌

藤原 定隆 ウィキペディアより 

藤原 定隆(ふじわら の さだたか)は、平安時代後期の公卿。藤原北家良門流、権中納言・藤原清隆の子。官位は従三位・左京大夫。
 

 

夏来れば 流るる麻の木綿葉川 誰水上に禊(みそぎ)しつらむ

 

 

★禊(みそぎ) = 「忌み清まはる」

 

 

⑧「麻」 ・・・ 麻は木綿の装飾語

 

※球磨川 = 木綿葉川 

そして和名類聚抄に記された 球磨の郡名は

球麻 とありました。

 

2021/03/29 追記

万葉集の代表的歌人である柿本人麻呂の歌

 

「肥人 額髪結在 染木綿 染心 我忘哉」。
 

漢文の読み方。
肥人(こまひと)の額髪(ぬかがみ)結へる染(しめ)木綿(ゆふ)の染(し)みにし心我れ忘れめや。 
意味は、球磨人(くまひと)が草木染めの麻で髪を結われていた珍しい姿が心に染みついて離れないように、あなたのことがどうしても忘れられない。

この歌では、「木綿 ゆふ」は麻のことであると解釈されている。

 

 

 

⑨代(しろ) について 

代(しろ)とは 添える という意味だと記されていました。

 

江代山(えしろ山)

 

江代山は市房山に 寄り添うように聳える 御山です・・

 

 

 

 

①~⑨・・・

上記については 今後 さらに触れていきたい・・と思います。

 

 

何故? こんなにも 球磨には神様に関わるお言葉が今でも残っているのだろう・・

おそらく 多くが揃う地 だと 実感しました・・・

 

☆熊襲の熊は同じく神(かみ)の転語なりしなり

 

☆熊襲と天孫族は同一なり

 

 

参考ブログ

 

 

 

 

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3.和名類聚抄に記された国内唯一の地名

※『和名類聚抄』(わみょうるいじゅしょう)は、平安時代中期に作られた辞書である。

承平年間(931年 - 938年)、勤子内親王の求めに応じて源順(みなもとのしたごう)が編纂した。略称は和名抄(わみょうしょう)。

 

 

和名類聚抄 江戸時代の複写本を私は この目で拝見させて頂きました。

 

そして・・

初めて 気が付いた事があります。

それは・・

球麻(くま)郡 の六郷 の その名についてです。

 

国立国会図書館デジタルコレクション 公開 

倭名類聚抄 20巻 コマ番号21

 

 

 

 

 

球麻郡

球玖 久米 人吉 東村 西村 千脱

 

 

倭名類聚抄に記された

日本全国の国名・郡名・郷名を全て拝見しましたが

同名 の地名は 数え切れない程 多くありました。

 

 

しかし・・

球磨の六郷 久米以外は

全国の他地域には どこにも存在しない 

球麻(くま)郡 のみの地名だったのです

 

 

特に

東西南北のうち 東と西 という 方角が

そのまま地名となっている郷 は何処にも存在しない・・

球麻(くま)郡のみ・・・

東村 西村・・・・

 

 

 

 

参考ブログ ①始まり 太陽に向かって進む人達

 

 

 

神に関する古語の研究 の中で

林兼明様は 東西南北について以下のようにお書きになられていらっしゃいます。

 

 

「影面」は文字通り日光の指す面をいふ。南に日光の多く輝き指す所以は、日本は赤道よりも遥かに北緯に位するが故なり。
山蔭を背面(そとも)といふは前述の義によりて、山の北は天日に背を向くる面なるが故なり。

略して書かせて頂きます


「ひむかし」 → 「日向し」 → 「ひがし」 → 「東」

「ひいなし」 → 「日住し」 → 「にし」 → 「西」
※「日住し」・・住なす(いなす)
つまり 日が行きて隠るる所を「にし(西)」と名付けたるなり。

「ひたかみ」 → 「日高見」 → 「きたかみ」 → 「きた」 →「北」

「ひなのめみ」 → 「日斜見(ひなのめみ)」 → 「みなのめみ」 → 「南」

左と右は
「日足り」 → 「左」
「みぎり」 → 「目切り(まぎり)」 → 「右」

 

 

東村郷  西村郷

 

「ひむかし」 → 「日向し」 → 「ひがし」 → 「東」

 

つまり

東村郷 とは

日向し(ひむかし)村郷

 

 

「ひいなし」 → 「日住し」 → 「にし」 → 「西」
※「日住し」・・住なす(いなす)
日が行きて隠るる所を「にし(西)」と名付けたるなり。

 

つまり

西村郷 とは

日住し(ひいなし)村郷

 

となる訳です・・・

 

 

球磨(球麻)郡 の

東村郷 つまり 日向し(ひむかし)村郷 に聳える山が

山そのものがご神体であられる

市房山

 

 

市房山

「ふさ」は日本民族の「神」に対する認識と信念とをうかがふべき

根本的証拠物件なり。

斎房山・・

 

 

 

私は・・・・

何に気が付いたのだろう・・・・・・

それは・・・・

 

次回、日向の襲 の意味 を 著者 林兼明氏 神に関する古語の研究 より

ご紹介させて頂ければ

皆様にも ご理解して頂けるのかも しれません・・

 

 

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今回のブログは

1.市房山と桜

 

2.球磨に住んでいると解る言葉の数々

 

3.和名類聚抄に記された国内唯一の地名

 

といった内容を書かせて頂きました。

 

 

最後まで ご覧頂き ありがとうございました。

皆様方 お身体十分にお気を付けになられて 春をお楽しみください。😊

 

 

 

中島美嘉 さんの 桜色舞うころ を聞きたくなりました・・ 

 

 

 

 

球磨の地より ひろっぷ でした😊

 

次回『④球磨川が証明した7000年前の移動と中世のご先祖様・・』に続きます。