前回のブログ『4月1日からここ数日考えた事』 より続きます。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12452510540.html

 

2019/04/14 22:48 追記

ブログ『宮原誠一の神社見聞牒』の宮原様よりコメントを頂きまして、内容を追記、他数か所を修正させて頂きました。

 

 

はじめに

今日4月14日。熊本地震2016年に発生した熊本地震前震より3年となりました。

熊本地震でお亡くなりになられた方々の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

自然はとても敏感だと言う事を地震で知りました。

家の庭には祖母が大好きだったつつじが沢山植えられています。

2016年の春。庭のつつじはいつもより早く、桜が満開の時からちらほら咲き始めていました。

今年のつつじは早いね(^'^)と言いながら、咲き始めたばかりの色とりどりの花々を私は満開の日を楽しみに眺めていました。

所が・・・

4月14日の熊本地震前震発生。4月16日未明の本震。その後の度重なる余震。

震源地に近い親戚、友人、弟の病院、と連絡を取りながら不安を抱える日々。

つつじが綺麗と思うまでの心の余裕は一切持てない状況となりました。

余震が続く中、庭に出て、つつじを見ると、数日前まで綺麗に咲き始めていたつつじが、皆散っている事に気が付きました。

つつじも度重なる地面の揺れに耐えられなくなり、花を落としてしまったのか・・と、とても悲しくなりました。所が、1か月程過ぎた時期に、どう言う訳か、散ってしまったつつじの木に花がちらほら咲き始めたのです。それも数本同時にでした。

自然は様々な環境を敏感に感じ取っているのだなぁ・・とあらためて咲き始めた花を見ながら私はそう考えました。

今年も庭のつつじが咲き始めています。とても綺麗に咲き始めています。

しかし、未だ地震以前の生活に戻る事が出来ない方々、仮住まいを続けていらっしゃる方々が県内に1万6519人もいらっしゃる事を考えると、同じ熊本県民として、心が痛みます。

つつじの花を見て、皆さんが「綺麗」と心から感動出来る日が早く迎えられる事を祈っています。

 

自然の恵みの理由

ブログ『家の水の神様(球磨郡久米郷宮原村の宮原家の水の神様)』で書かせて頂いたのですが

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12449528169.html

 

我家の前には樹齢数百年と言われる椿の古木と同じく「モチの木」の古木の大木の下から滾滾(こんこん)と湧き出る「湧水 湯川(ゆがわ・ゆご)」があり、私の住む「旧宮原村宮麓」内には他にも湧水が数か所あり、古代の方々にとっては、とても住みやすい環境ではあったと考えられます。

しかし、この「湧水」が何故、この地区に数か所あるのか理由がようやく理解出来ました。

先日、『宮原誠一の神社見聞牒』の宮原様のブログを拝読していると、宮原様が『湧水と活断層』との関係について言及されていらっしゃる一行に目が止まりました。

『宮原誠一の神社見聞牒』の宮原様のブログ 

『No.069 朝妻七社と味水御井神社を混同されていませんか』 より

https://ameblo.jp/kenbuncho2017/entry-12393118894.html

 

2.味水御井神社
味水御井神社(うまし みず みいじんじゃ)は福岡県久留米市御井朝妻1丁目5にあります。
JR九大線久留米大学前駅北側崖の下(耳納断層)に清水が湧く池があります。
この「朝妻の井」の清水がご神体です。高良大社社伝では、境外末社、創建は不明、祭神は水波能賣命(みずはのめのみこと)となっています。

 

中略・・・

参考までに、天武7年(678)筑紫の大地震がおきています。ここ線路横が、その時の耳納断層帯です。この時、高良神社も倒壊したと思われます。

以上 

『宮原誠一の神社見聞牒』の宮原様のブログ 

『No.069 朝妻七社と味水御井神社を混同されていませんか』 より

 

『湧水と活断層』・・・

私は関係性が全く理解出来ていないので、とても気になって勉強致しました。

湧水と断層をキーワードにサイト検索をすると、非常に多くの記述を目にする事が出来ました。

ちなみに、Google検索の結果は以下の通りです。

https://www.google.com/search?rlz=1C1CHNU_enJP553&biw=1366&bih=675&ei=2mOyXKvkIIu18QW0vIzoBQ&q=%E6%B9%A7%E6%B0%B4%E3%80%80%E6%96%AD%E5%B1%A4&oq=%E6%B9%A7%E6%B0%B4%E3%80%80%E6%96%AD%E5%B1%A4&gs_l=psy-ab.3..0i30.4734.5127..5793...0.0..0.84.167.2......0....1..gws-wiz.......0i7i30.9JAptH_I7Dk

 

多くの情報の中から、一つ御紹介させて頂くと

以下の論文がネット公開されていました。

多量湧水を賦存する活断層周辺の地下水対策 と水理特性 につ いて

https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalte1991/10/0/10_0_203/_pdf

 

拝見させて頂き

多量湧水を賦存する活断層周辺

『活断層が遮水層 として機能する』 と言う事をようやく

理解する事が出来ました。

 

活断層が遮水層 として機能する事により

多量湧水を賦存する活断層周辺だからか!!

私の住む「旧宮原村宮麓」内には他にも湧水が数か所あり・・・

実は、私の住む集落の直下には人吉盆地南縁断層が通っているのです。

地震調査研究推進本部様 サイトより

人吉盆地南縁断層

https://www.jishin.go.jp/main/yosokuchizu/katsudanso/f109_hitoyoshi-bonchi.htm

 

人吉盆地南縁断層は、人吉盆地の南縁に沿って分布する活断層です。
人吉盆地南縁断層は、熊本県球磨郡湯前町(ゆのまえまち)から同郡多良木町、同郡あさぎり町、同郡錦町を経て、人吉市東部に至る断層です。長さは約22kmで、概ね北東-南西方向に延びています。本断層は、断層の南東側が北西側に対して相対的に隆起する正断層です。

画像 地震調査研究推進本部様 サイト 人吉盆地南縁断層より

 

画像 地震調査研究推進本部様 サイト 人吉盆地南縁断層より

 

<過去の活動>
 人吉盆地南縁断層の平均的な上下方向のずれの速度は、約0.1-0.2m/千年であった可能性があり、最新活動時期は、約7千3百年前以後、約3千2百年前以前であった可能性があります。活動時には、断層の南東側が北西側に対して相対的に2m程度隆起したと推定されます。また、平均活動間隔は約8千年以上の可能性があります。

以上  地震調査研究推進本部様 サイト 人吉盆地南縁断層より

 

この人吉盆地南縁断層が私の住む集落旧久米郷宮原村宮麓を通っているのです。

湧水が数か所に見られる地域です。

人吉盆地南縁断層の存在は以前から勿論知っていました。

 

ちなみに、ブログ『古代より球磨で湧きだす「塩水」。さらに「アクソ山」について』で書いた

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12437519056.html

 

潮池は面積三坪にして草莽におおわれ満々と潮水を湛えている。

 

潮池は人吉盆地南縁断層の始まり湯前町にあり・・

そうでした!!近くには断層が地上に現れている場所が存在しています。 

あっ・・・!!

活断層が遮水層 として機能する事により

多量湧水を賦存する活断層周辺

そう言う事か!!

何にでも興味を持ってしまい、気になってしまう「しつこい性格」の私が、『湧水と活断層』について調べた所、ようやく、家の前に湧きだす「湯川(ゆがわ・ゆご)」が実は・・

活断層『人吉盆地南縁断層』が遮水層 として機能している結果、多量湧水を賦存する活断層周辺だからだと言う事を理解する事が出来ました!!

しかし・・自然の恵みが実は地震の引き金となる活断層によるものであったとは・・・

自然に感謝する・・と言う事の本当の意味を知ったような気分です。

もしかしたら・・・古代の方々は「この関係」を何らかの手段や伝承で知っていたのではないでしょうか・・??

最新活動時期は、約7千3百年前以後、約3千2百年前以前であった可能性がある。

 

湧水にお祀りの水の神様。 水の神様と龍神様が御一緒にお祀りの神社様は全国各地に御鎮座です。

私・・・子供の頃から何故か?誰に教わる事でもなく『龍神様と地震』は何か関係しているのでは?と感じていたのです・・本当に不思議なのですが・・・

(と書きましたが・・子供の頃に誰かから教わっていた可能性もあります(?_?)。忘れているだけかもしれませんが・・)

先祖の調査を始めて、その不思議な感覚が、事実だったと言う事に気が付きました。

『龍神様と地震』について書かれていらっしゃる方々のサイトを多く目にしたからです。

確かに、人吉盆地南縁断層が麓を通る黒原山

黒原山頂上近くに御鎮座の神社様
雨引山王(雨引神社) ※あまびき神社様

麻郡神社私考では
雨引山王 宮原中峯山王山 とあり
社家傳云 垂跡神三所
雨引明神 山王権現 八大龍王
傳云雨引明神ハ罔象女命ミツハメノミコト

 

水の女神様 罔象女命様と八大龍王様がお祀りです。

『湧水と活断層』の関係・・やはり古代の方々は「この関係」を何らかの手段や伝承で知っていたのではないでしょうか・・??

高度な知識を持つ方々がこの地に来られて、その「伝承」を受け、湧水を確認して祭祀を行った・・・とは考えられないでしょうか?

 

地震と言えば・・・日本では「ナマズ」が関連付けられています。

「ナマズ」と言えば・・・春秋時代の呉国。

『もう一つの歴史教科書問題』様のブログ『到底考えない東鯷人と鯰のつながり』

を拝読させて頂きました。

http://rekisi.tosalog.com/

勝手ながら、抜粋させて頂き転記させて頂きました。『もう一つの歴史教科書問題』管理人様申し訳ありません。 <m(__)m>

 

『古田氏は「東鯷人」の「鯷」について、第一義的な鯰との関連を否定してしまった。

意味が通じないと考えたためであろう。

しかし、意外にも鯰を祀る人々は肥前・肥後を中心にかなりの広がりがあった。
民俗学の谷川健一氏も「この東鯷人はナマズをトーテムとする人種と解することが出来る」としてこの記事に注目。

 

東鯷人についての記載は「呉地条」の最後にある。この東鯷人は会稽郡治(今の蘇州付近)を通して貢献していることから、呉国との関係が強かったことは容易に想像できる。
古く、呉人の風俗が提冠提縫とされる。提も鯷と同様、鯰の意。

すなわち呉人は鯰の冠を被るという。

BC473年、呉が滅亡したことで東シナ海を渡って九州方面に逃れた人々もいたようだ。中国では倭人を「呉の太伯の子孫」とする説がある。』

 

以上 『もう一つの歴史教科書問題』様のブログ『到底考えない東鯷人と鯰のつながり』 より

 

★呉人は鯰の冠を被るという。

 

ナマズをトーテムとする方々が、活断層の近く湧水の湧き出る地に住み、断層と湧水の関係を理解した上で、祭祀を行った・・・

一例が

雨引山王 宮原中峯山王山 とあり
社家傳云 垂跡神三所
雨引明神 山王権現 八大龍王
傳云雨引明神ハ罔象女命ミツハメノミコト

 

この方々、もしくは近親者「関係された方々」の一部が・・古代九州を北上、さらには東に向かう上で・・・

トーテム「ナマズ」と「祭祀」も一緒に移動した・・・

あくまでも私の大胆な推論ですが、しかし、古代特に縄文晩期から弥生時代にかけて「稲作」で最も重要な事は「水」です。「水稲」をもたらした方々が選ぶ土地には必ず恵の水があるはずだ!と私は思います。

大きな川の近くでなくとも、湧水さえあれば、稲作には最適な地となるはずです・・

 

皆様方のお近くに「ナマズ」をトーテムとされる神社様が御鎮座だとおっしゃる方がいらっしゃったら、周辺に活断層もしくは湧水がないかご確認頂けないでしょうか<m(__)m>

さらには、その近くに「久米」の地名が残っていないか?ぜひ教えて下さい。

よろしくお願い致します。

 

「ナマズ」をトーテムとする方々(呉人)

私は縄文晩期の九州「球磨」において、呉人渡来以前から「この地」に住まわれていた

『約7千3百年前以後、約3千2百年前以前』の間に発生した地震の記憶『伝承』を持つ方々と融合して、もしくは伝承を受け継ぎ、地震が起こらないようにと祈願する祭祀と共に移動されていらっしゃるのでは?その形跡は必ず見つかるのでは?と、ど素人ながらに考えました。

地震が起こらないようにと祈願する祭祀は呉人渡来以前より、超古代からの日本各地に残っていたのだと思います。

日本は世界でも稀な火山と地震の国であるからです・・・

その事を裏付けるように、先に転載させて頂いた地図

 

断層に沿うように、神社様が御鎮座だからです。

の事を、ある方はブログで球磨のレイラインと書かれていらっしゃいました。

超古代からの方々の祭祀の地に、後世(と言っても古代)神社様が建立されて、さらに中世平安時代にあらためて神社が建立された・・・

と言う事なのではないのか!? ・・・・・

超古代の祭祀跡・・・・神社様・・・御祭神

神代の神々様は、間違いなく中国朝鮮半島の史誌に記された古代日本の話と直結される御方々だと思います。

国譲りと倭国大乱・・・

その後の邪馬台国と狗奴国・・・

 

地震調査研究推進本部様 サイト 人吉盆地南縁断層より 続けます。

<将来の活動>
 人吉盆地南縁断層は、全体が1つの区間として活動し、マグニチュード7.1程度の地震が発生すると推定されます。その際、断層近傍の地表面では、断層の南東側が北西側に対して相対的に2m程度高まる段差が生じると推定されます。地震発生の確率には幅がありますが、その最大値をとると、本断層は、今後30年の間に地震が発生する可能性が、我が国の主な活断層の中ではやや高いグループに属することになります。

 

今回、熊本地震から3年を向かえて、あらためて「地震」の引き金となる活断層と湧水の関係について自分なりに調べた事を書かせて頂きました。

自然の恵みに感謝すると言う事は、その恵が一体何によって齎されているのかをしっかりと理解した上で、安泰に平穏に暮らせる事への感謝そして祈願を行う事でもある・・・

私はそう理解致しました。

 

ところで・・近況なのですが

実は、今、御近所に「今が旬」のスナップエンドウの収穫のアルバイトに行ってます(^'^)

去年に続き2回目の収穫アルバイトになります。

半年の間に御両親を相次いで亡くされた幼なじみの農園です。

昨年、幼なじみが悲しみの中「人手が足りないから、ひろ●ちゃん手伝ってくれないかな」と

話があり、私は農業の経験は全くないのですが(ー_ー)!!・・「こんな私で良ければお手伝いさせて!(^O^)/」と言う事になりました。

幼なじみの亡くなられた御両親には、子供の頃、祖母に育てられている私はとても可愛がって頂きました。

おじさんとおばさんへの御恩返しのつもりで微力ながらもお手伝いしたい!と考えたからです。

幼なじみはアルバイトと言う形を取って下さったのでお小遣いを稼ぐ事にも繋がっています(^'^)

今が収穫真っ盛りなので、1日中ハウスの中に入っています。

家に帰ると家事が待っていて・・私には農家のお嫁さんは務められなかったなぁ~無理だ~

●●ちゃん(幼馴染の奥さん)は凄いな!~と毎日感心しています。

と言う事で、中々パソコンに向かう事が出来ない状態です。

 

最後になりましたが

私の過去ブログをスタルペス様がリブログして下さいました。

スタルペス様、ありがとうございます。

心よりお礼申し上げます。

 

スタルペス様のブログ、さらに先日からお伝えしていた、コメント等で「皆様方から頂いた御教示により私が理解出来た事」等、書かせて頂きたい事が山積みです。

大変ありがたく、嬉しい事だと感謝致しております。

 

新たに気が付いた事も沢山あります。

一例

松野連系図に記された宇閉と言う御方

宇閉・・うへ・・うへ・・? 「へ」は「え」・・つまり「うへ」は「うえ」となり・・上・・?? 

あさぎり町上(うえ)は旧上村。地名は「上(うえ)」であり村名が「上村(うえむら)」

(うえむら)ここは、和名妙に記された球玖(くく)郷の地・・・等

 

ありがたい事に書きたい事は沢山あるのですが、本日は次項を書く時間が取れませんでした(..)

出来るだけ早く次項を書かせて頂きたいと思っています。

 

次回 『球磨の古代の復権』 に続きます。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12455996192.html