前回のブログ『古代より球磨で湧きだす「塩水」。さらに「アクソ山」について』

より続きます。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12437519056.html

 

初めに

前回、前々回と、『古代中国の都市国家及び地名』と球磨郡を例にあげた関わりを書いていますが、皆様にぜひ、御理解して頂きたい事があります。

私は・・・古代中国の私が着目する「方々の系」が『その地』から始まったとは考えていません。『その方々』のもっと遡った先には、かならず『メソポタミア』や『エジプト』が存在している と考えています。そう・・『その地』よりも、もっともっと『西』に起源があると考えているのです。

だからこそ、今までのブログの中でも特にその意識をアピールしたかった

父が歌うバビロニアの歌・・? 

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12403868777.html

以降、関連する記事を数回続けて書かせて頂いていました。

私がいつも書く所の 古代 → 中世 → 近代 は繋がっている・・の古代とは

日本の古代だけではなく、もっともっと遡った中国・インド・カンボジア等・・よりも、もっと『西』

『メソポタミア』以西の事を指しているのです・・・

 

と言う事で、今回は、古代と地元の関係『マタマタ気が付いてしまいました!』と言う事を

書かせて頂きます(p_-)

DNAが今回気が付いた事を優先するように「指示」を出されているようなので

(マタマタ(ー_ー)!! と全国からお声が・・)

「アクソ山」については次回書かせて頂きます。

 

今回気が付いた事とは

地元岡原村に伝承された神事・儀式は古代に繋がる

と言う事であります。

早速書かせて頂きます。

 

ブログ『御教示へのお礼 及び 弓を用いた旧岡原村での 儀式』で私は昭和48年~49年1月頃岡原霧島神社の宮司であった横瀬安住氏がお話になられた岡原村の祭祀と風習を書かせて頂きました。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12409467784.html

 

(岡原村)民族資料 横瀬安住氏談
①子供名付けの儀式
嬰子に手箕をかぶせ、弓に麻殻の矢をつがえて、嬰子の男女の性別を聞いてから短い言葉を唱えて(唱え言葉を失念)手箕を射た。
 

②七夕の日に詠う
「七夕さん七夕さん、月に三反、七苧桶、紡いで織らせて下しゃんせ、下しゃんせ)
 

③弓引きの式
子供名付けの悪魔祓いの作法が宮中にては親王、内親王御命名の時 鳴弦の儀とて、弓弦を鳴らす儀式があるが、岡原地区には昔弓引きの式があった。明治四十年頃、横瀬氏はその席に列席したことがある。
他、家の棟上げに弓矢をつくり、鬼門、鬼門裏に立てるのも同じ趣旨と思う。

と免田郷土研究会 郷土 第二号 昭和49年2月発行に記されていたのですが

ここ数日、どうしても、上記の儀式が気になり、調べてみました(p_-)

 

1.子供名付けの儀式 『手箕(てみ)』と『弓』と『麻殻の矢』

嬰子に手箕をかぶせ、弓に麻殻の矢をつがえて、嬰子の男女の性別を聞いてから短い言葉を唱えて(唱え言葉を失念)手箕を射た。

 

基本的な事が全く理解出来ていない私は、まず『手箕』とは一体何かを調べました。

手箕・・箕 ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%95

 

箕(み)は、脱穀などで不要な小片を吹き飛ばすことを主目的として作られる平坦なバスケット形状の選別用農具(農作業で使う手作業用具)であり、民具。機械式の脱穀用具と区別して手箕(てみ)とも言う。

 

(p_-)・・一体何故この選別用農具「手箕(てみ)」が神社で行われる儀式と関係あるのか?

そこで、ウィキペディアの記述を読み進めると、『特記事項』の中に、とても興味のある記述を見つける事が出来ました。

 

初誕生 長野県佐久地域には箕を使用し、幼児の成長を願う初誕生の行事がある。

箕の中に幼児を入れ、杖代わりの麺棒を持たせて立たせてみたり、大人がゆすりながら「粃(しいな)は舞出ろ実は残れ」と歌い、邪気をはらう。

 

岡原の風習は名付けの儀式として『嬰子に手箕をかぶせ』、長野県佐久地域では初誕生日の時に『箕の中に幼児を入れ』、共に幼児の成長を願う儀式でありました。

しかし、違いは長野県佐久地域では『杖代わりの麺棒を持たせて立たせてみたり』とありますが、岡原では『弓に麻殻の矢をつがえて、嬰子の男女の性別を聞いてから短い言葉を唱えて(唱え言葉を失念)手箕を射た』とあります。

岡原は・・・『手箕(てみ)』と『弓』と『麻殻の矢』です・・・

と考えていると、同じくウィキペディアの『特記事項』の記述にとても気になる事が書かれていました。

 

箕宿
箕宿は中国天文学における二十八宿の一つであるが、ここでの「箕」は本項の「箕」のことである。

 

本項の「箕」すなわち『手箕(てみ)』と中国天文学『二十八宿』・・・

凄く興味が湧いてさらに調べました(p_-)

 

二十八宿 ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%85%AB%E5%AE%BF

 

二十八宿(にじゅうはっしゅく)とは、天球を、28のエリア(星宿)に不均等分割したもの。

二十八舎(にじゅうはっしゃ)ともいう。またその区分の基準となった天の赤道付近の28の星座(中国では星官・天官といった)のこと。中国の天文学・占星術で用いられた。

江戸時代には二十八宿を含む多くの出版物が出され、当時は天文、暦、風俗が一体になっていたことが、多くの古文書から読み取れる。
28という数字は、月の任意の恒星に対する公転周期(恒星月)である27.32日に由来すると考えられ、1日の間に、月は1つのエリアを通過すると仮定している。

角宿を起宿として天球を西から東に不均等分割したもので、均等区分の十二次と共に天体の位置を表示する経度方向の座標として用いられた。

二十八宿の星座は4つの方角の七宿ごとにまとめられ、その繋げられた形は4つの聖獣の姿に見たてられ、東方青龍・北方玄武・西方白虎・南方朱雀の四象(四神あるいは四陸ともいう)に分けられた。
二十八宿は、それぞれの宿の西端の星(距星という。必ずしも明るいとは限らない)を基準とし、その距星から東隣の宿の距星までがその宿の広度(赤経差)となる。

『漢書』「律暦志」 以降、二十八宿は度数をもって表されたが、その周天度は360度ではなく、1太陽年の長さ、すなわち365度で表された。 中略・・・

考古学上、二十八宿の名称が整った形で発見されたのは、1978年、湖北省随県で発掘された戦国時代初期(紀元前5世紀後半)の曾侯乙墓(曾国の乙侯の墓から出たものが最古である。そこで発見された漆箱の蓋には青竜・白虎と朱書きされた二十八宿の名称のある図があった。

日本における最初の二十八宿図は、7世紀から8世紀頃に造られた高松塚古墳やキトラ古墳の壁画で白虎などの四神の図と共に見つかっており、中国の天文学体系がこの頃には渡来していたことを伺わせる。

 

二十八宿一覧 より

☆東方青龍 箕宿 距星は 「いて座γ星」

 

箕宿 ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%95%E5%AE%BF

箕宿(きしゅく・みぼし)は二十八宿の一つで東方青龍七宿の第七宿。

距星いて座γ星。

星官(星座)としての箕は、いて座のγ、δ、ε、ηの4つの星から構成される。

 

星官 英語名 解釈 星座 星数
* Winnowing Basket 蒼龍の糞。米を篩いにかけて糠を取り除く農具。また風伯(風の神)を指す いて座 4
Chaff 箕で篩いにかけて残った糠 へびつかい座 1
Pestle 物を搗く さいだん座 3

後漢の応劭『風俗通義』祀典篇に「風師者箕星也。箕主簸揚、能致風気」とあり、周代に風伯(箕宿)と雨師(畢宿)を祭る祭典があったとされる。

 

ビックリしました!『棒』が記されています。

長野県佐久地域では『杖代わりの麺棒を持たせて立たせてみたり』 ・・・が登場しました!

 

では・・岡原の風習は『手箕(てみ)』と『弓』と『麻殻の矢』です

矢・・・いて座・・? !!!

 

中国天文学『二十八宿』 箕宿

☆東方青龍 箕宿 距星は 「いて座γ星」

いて座γ星とは? ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%A6%E5%BA%A7%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%9E2%E6%98%9F

 

いて座γ2星 (γ2 Sgr) は、いて座の恒星で3等星。

近くに見える5等星のγ1星は、太陽系から1,500光年以上とこの星の15倍以上遠くにあり、見かけの二重星の関係である。
この星とδ星を結ぶ線分を同じ長さだけ西側に伸ばし、そこから1.5度ほど北を見ると、天の川銀河の中心部に辿り着く。

名称
固有名はアルナスル (Alnasl)。これは、アラビア語で「矢じり」を意味する al-naşl に

由来する。

 

\(◎o◎)/! 

箕宿 距星 いて座γ星 (アルナスル) アラビア語で「矢じり」を意味する

「矢じり」です!!! 岡原の神事・儀式と繋がって参りました!!

 

そして・・もう皆様すでにお気づきと思いますが(p_-) 「いて座(射手座)」

いて座 ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%A6%E5%BA%A7

 

いて座(射手座、Sagittarius)は、黄道十二星座の1つで、トレミーの48星座の1つでもある。冬至点や銀河の中心がこの星座の領域にある。

比較的明るい星は、射手の上半身に集中しており、下半身は4等星以下の暗い星ばかりである。その明るい星々であるγ星-δ星-λ星-φ星-σ星-τ星-ζ星-ε星をつないでできる星の並びを近年の英語圏では Teapot (ティーポット)と呼んでいる。

Teapot のうち前半部のγ星、δ星、ε星にη星を加えてできる四辺形は中国の二十八宿の第7宿箕宿である。アラビアでは al-Naʽām al-Wārid と呼ばれ、天の川の水を飲みに来たダチョウ(の一群)と見られていた。
後半部のλ星-φ星-σ星-τ星-ζ星にμ星を加えると、枡を伏せた柄杓に見える。ここは二十八宿の第8宿斗宿である。北斗に対して「南斗」ともいい、南斗六星として知られている。

日本では南斗六星のうち、枡にあたるφ星-σ星-τ星-ζ星の4星をミボシ(箕星)と呼ぶ地方がある。

 

★前半部のγ星、δ星、ε星にη星を加えてできる四辺形は中国の二十八宿の第7宿 箕宿

恒星 から

γ2星:アルナスル(矢の先端

δ星:カウス・メディア(弓の中央

ε星:カウス・アウストラリス(弓の南)は、いて座で最も明るい恒星

 

つまり・・・いて座の「弓」と「矢」の部分が『箕宿』

岡原の神事・儀式は

『手箕(てみ)』と『弓』と『麻殻の矢』

やった!!やりました!!! 繋がりました!!\(◎o◎)/!

 

さらに「いて座」についてウィキペディアの記述より

由来と歴史
いて座の設定は古く、シュメール文明に起源を持つとするのが定説である。

バビロニアのネブカドネザル1世時代(紀元前1300年頃)のものとされる境界石標には射手と馬ならぬサソリが合体し、さらに羽根を生やしている蠍人間として描かれている。 

アッシュールバニパル時代にはパ・ビル・サグと呼ばれ、半人半馬で蠍の尾を持った姿で

「ギルガメッシュの叙事詩」にも登場する。

画像 ウィキペディアより

Sidney Hall - Urania's Mirror - Sagittarius and Corona Australis, Microscopium, and Telescopium.jpg

 

岡原村の儀式

嬰子に手箕をかぶせ、弓に麻殻の矢をつがえて、嬰子の男女の性別を聞いてから短い言葉を唱えて(唱え言葉を失念)手箕を射た。

が気になって、調べた所・・・

中国の二十八宿の第7宿箕宿に繋がり、さらに・・箕宿とは

古代シュメール起源のいて座の「弓」と「矢」の部分である事まで解りました!

何だか・・岡原村では、古代シュメールまで繋がる重要な儀式が伝承されていたようです(p_-)

 

2.子供名付けの儀式に使用した『麻殻の矢』と『麻可胡也(矢)』

『麻殻の矢』の麻殻とは? もちろん解らないので調べました(p_-)

すると、とても解りやすく麻殻について記されているサイト様を見つける事が出来ました。

ASAHUKU様サイト 

『麻幹(麻がら、おがら)の活用方法について(まとめ)。とっても奥深いです。』 です。

https://asafuku.net/?p=3541

 

勝手ながら、ASAHUKU様サイト 『麻幹(麻がら、おがら)の活用方法について(まとめ)。』

より、私が非常に興味が湧いた記述を抜粋させて頂きました(..)

 

日本人に精神面でも実生活においても欠かすことができない麻がら。

ヘンプの茎を中が空洞になっていますが、拡大すると、表面は繊維部になっており、その繊維部と空洞の間(白っぽいところ)は木質部と言われます。

この木質部を乾燥させたものを「おがら(麻幹、麻がら)」といいます。

お盆の迎え火、送り火では、オガラで火を焚きますね。お盆時期には、ホームセンターやお花屋さん、スーパーなどで販売されています。これは大麻のオガラです。

大麻は古来より清浄な植物とされ、悪いものを祓い清めるとともに、燃やすことで清浄な空間を作り出すという意味が込められています。

お祭りの松明(たいまつ)
お祭りの松明として全国各地で使われてきました。例えば、岐阜県神戸(ごうど)地方のお祭り。無数の松明(オガラ)の明かりに照らされて、神社から担がれた「神輿」が「お旅所」に奉安される「火まつり」だそう。オガラがなければ、お祭りが成立しません。

以上 ASAHUKU様サイトより 抜粋

 

★大麻は古来より清浄な植物とされ、悪いものを祓い清めるとともに、燃やすことで清浄な空間を作り出すという意味が込められています。

お盆の迎え火・「火まつり」に使用される大麻の「麻殻」

 

しかし「麻殻」の矢については記述がありませんでした・・・

 

そこで、「矢」について調べたのですが ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2

 

神事 の記述には

葦(アシ)の茎と桃の木で出来ていた『葦矢(あしや)とは桃弓(ももゆみ)』

桑の木で作った弓、蓬の矢は蓬の葉で羽を矧いだ(はいだ)矢

『蓬矢(ほうし)とは桑弓(そうきゅう)』

は記されていたのですが「麻殻」の「矢」については記されていません。

しかし・・

儀矢
神社の神事用として、神宝、威儀物、神幸等に使う矢を「儀矢」(ぎや)という。

征矢(そや)、雁股矢(かりまたや)、鏑矢(かぶらや)の三種がある。

やがらは黒漆塗、矢筈は水晶、筈巻・下作共に紅、羽根は白羽根二片とし、平やなぐいまたは、壷やなぐいに盛るとこになっている

上記の『やがら』とは『矢殻』つまり『麻殻』ではないのか?と思ったのですが、今一つ確証には至りませんでした。

ただ・・一つ 征矢(そや) 祖母の実家の平川家に養子に入って平川家を継いだ高祖父の実家「矢立家」。椎葉村の矢立集落には矢立氏の先祖を祀る「征矢神社(雪矢神社)」が御鎮座です。 征矢(そや)とは神事の儀矢でもあった・・と言う事が解りました。

 

さらに「麻」と「矢」の関係を調べた所・・ついに気が付いたのです。

麻可胡也 です。

真鹿児矢 コトバンク様より

https://kotobank.jp/word/%E7%9C%9F%E9%B9%BF%E5%85%90%E7%9F%A2-633358

 

精選版 日本国語大辞典の解説 より

名〙 「古事記」などに見える矢の名。どのような矢かは不明。

一説に狩猟用の矢で、鹿・猪などの大獣を射るのに用いた矢。また、鹿の角で矢筈・鏃(やじり)を作ったもの、輝く矢、立派な矢の意から金属製の矢とも。あまの真鹿児矢
※万葉(8C後)二〇・四四六五

「梔弓(はじゆみ)を 手握り持たし 麻可胡也(マカゴヤ)を 手挟み添へて」

 

麻可胡也(マカゴヤ) = 真鹿児矢

 

天の真鹿児矢(読み)あまのまかこや コトバンク様より

https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E3%81%AE%E7%9C%9F%E9%B9%BF%E5%85%90%E7%9F%A2-2003329

 


「古事記」に見える矢の名で、語義未詳。一説に、鹿などを射る立派な矢の意。

あまのかぐや。
※古事記(712)上「故(かれ)、爾(ここ)に天忍日命と天津久米命と二人、天の石靫(いはゆき)を取り負ひ、頭椎(くぶつち)の大刀(たち)を取り佩(は)きて、天の波士(はじ)弓を取り持ち、

天之真鹿児矢(あまのまかこや)を手挟(たばさ)みて御前に立ちて仕へ奉りき」

 

★梔弓(はじゆみ)を 手握り持たし 麻可胡也(マカゴヤ)を 手挟み添へて

 

あっ!! 思わず言葉が出なくなる程驚きました・・

天津久米命様が手に握っていらっしゃった「矢」が天之真鹿児矢・麻可胡也(マカゴヤ)

 

麻可胡也(マカゴヤ)とは 『麻殻』で作られた『矢』ではなかったのでしょうか!?

大麻は古来より清浄な植物とされ、悪いものを祓い清めるとともに、燃やすことで清浄な空間を作り出すという意味が込められてる。

大麻の『麻殻』で作られた『矢』は悪いものを祓い清める事が出来る『矢』であった・・

天津久米命様。 ここ球磨郡久米郷は古代元祖的久米族の本拠地であったと言われる場所です。

しかし、殆どの解説では天之真鹿児矢(麻可胡也)を小鹿の骨で作られた「矢」であろう・・

と推測が記されています。

ただ・・球磨郡久米郷の神事・儀式で使用されていた『麻殻』の『矢』については、もちろん

どなたも御存じ無いでしょうから、言及されている方はいらっしゃいませんでした・・・

 

私が天津久米命様、そして大久米命様に拘るのは、古代シュメール系モン・クメール人の方々が長江の下流に住されていて、この地域は後に、紀元前6世紀には呉の国が

支配していたからです。

古代シュメール系モン・クメール人の方々が、日本に渡って来た古代元祖的久米族で

あるといった説があります。

大久米命様は「黥(さ)ける利目(とめ)」とあり、目のまわりに入れ墨をしていた・・・

つまり、句呉王(後の呉)太伯公と同じ・・入れ墨です。

そして、球磨郡久米郷の『久米殿』の御先祖様のお名前は諱『市房』。

市房山は夫差王を斎祀る山

つまり、久米殿(久米族)は夫差王に関わる系の方々と言う事になります。

私は、古代球磨郡久米郷を本拠地にされていた古代シュメール系モン・クメール人の

久米族と呉王の系の方々はきっと繋がりがある・・と考えるのです。

単なる『軍隊』とはどうしても考えられません・・・

 

今回、私の住む「岡原地区」に伝わった「神事」と「儀式」を調べた結果、

岡原の神事・儀式 は シュメール → 中国 → そして球磨郡久米郷に繋がる事が良く理解出来ました。

 

②七夕の日に詠う
「七夕さん七夕さん、月に三反、七苧桶、紡いで織らせて下しゃんせ、下しゃんせ)
③弓引きの式
子供名付けの悪魔祓いの作法が宮中にては親王、内親王御命名の時 鳴弦の儀とて、弓弦を鳴らす儀式があるが、岡原地区には昔弓引きの式があった。

こちらの風習・儀式も今後詳しく調べたいと思っています。

 

次回は松野連系図に記載の「推定」の言葉による「固定観念」に気が付いた事と

「アクソ」山についても書かせて頂くつもりです。

 

次回 『スメル語で武具「クメ」とシュメールの風と嵐(雨をもたらす)神、さらに球磨の

「アモリ」について』に続きます。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12440043577.html