前回のブログ『御教示へのお礼 及び 弓を用いた旧岡原村での 儀式』
より続きます。
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12409467784.html
※2018/10/10 追記、 リンクエラーを修正致しました。
修正前にご覧頂いた皆様、申し訳ございませんでした。
前回のブログに対して、御教示、コメントを頂きました方々に
心より御礼を申し上げます。
ありがとうございます。
皆様方から頂いた御教示により、今まで自分が考えてきた事、「謎」の部分が、重いカーテンをスーッと開けたように鮮明に見えて参りました。
今回は『球磨弁とヘブライ語』と題して、皆様に御紹介させて頂こうと思います。
球磨弁とヘブライ語について
今から1年半程前、こちらのブログを始める前から、利用させて頂いている「スレッド」の方で書いていた事なのですが、椎葉のおじは、純粋なる?球磨弁をしゃべる人物で、おじの言葉の中に、私はヘブライ語との共通性を発見していたのです。
御紹介させて頂きます。
①球磨弁「ホイドン・ホッドン」 = 宮司さん
椎葉のおじは、球磨弁で宮司様の事を「ホイドン」と言います(..)
例えば 「家の父の方はホイドンの家系たい!」と・・
(確かに、おじの父、おじの妻は宮司家「尾方家」から椎葉家に婿養子(おじの父)、と妻の方※私は○○おばさんと呼んでいます は来られていますが)
私は何だか失礼な事を言うな~(ー_ー)!!と思い、おじにそれを言うと
「ばかタン!ホイドンは失礼な言葉じゃナカ!!神様にお仕えする光栄な仕事という意味タイ!」と・・
椎葉のおじ曰く
※神様にお仕えする光栄な仕事 = ホイドンもしくはホッド
さらに、椎葉のおじは、以下の言葉もよく使います。
②球磨弁「ノサッド」=うまくいく・成功する
例えば、何か作ったり(造ったり)、建てたりする時に、うまくいくかどうか聞くと
「大丈夫!ノサッド(^'^)」と。
このような使い方です。
他、うまくいった場合は「ノサル」とか「ノサッタ」(ノサルの過去形)
椎葉のおじは、この「ノサル」や「ノサッタ」を使用する時に、「神様のお陰で」と言った表現をします。
球磨弁って面白いな~と思うのですが・・皆が皆言われる訳ではありません(ー_ー)!!
特に椎葉のおじが使う特徴的な言葉の数々です。
(宮司様をホイドン・ホッドンと言っていたのは、実は私の祖母も同じように使っていました)
所が!!この椎葉のおじの言葉!語源?を私、ついに!見つけたのです!(2017年5月)
それは・・ナント!ヘブライ語にあったのです!!
偶然見つけました!!
日本とユダヤのハーモニー様 サイトより
ヘブライ語対照表
http://www.historyjp.com/dictionary.asp
皆様!『史書に導入されたヘブライ語』の表をよ~くご覧ください!
椎葉のおじが使う球磨弁がありました!
※ホッイサナー、ホーイサネー 栄光の主(イサ)に祈れ
※ホッド、ホー 栄光、威厳、主権
※ホッ、ホッド 栄光
※ホデッ 神の威厳、荘厳、栄光
椎葉のおじの言葉(球磨弁) 椎葉のおじ曰く・・
ホイドンもしくはホッドン = 神様にお仕えする光栄な仕事 宮司 神官
さらに、上記のサイト様の「ヘブライ語対照表」で見つけたのですが
ヘブライ語
※ノサッド 樹立する、設立する
※椎葉のおじの言葉(球磨弁)
例えば、何か作ったり(造ったり)、建てたりする時に、うまくいくかどうか聞くと
「大丈夫!ノサッド(^'^)」。
うまくいく・成功する? = ノサッド 球磨弁です (p_-)
なっ!何だ!コレハッ!!
てぇ~っきり! 田舎で使われるコテッコテの球磨弁なのだっ!と思っていたのに・・
どう考えても「語源」はアジアでも西のヨーロッパに近い地域にあるのでは
あ~りませんか~っ!!! と・・この事を発見した2017年5月、私は驚愕したのでした!
そして、1年以上経過した現在、私は皆様方から頂いた御教示のお陰でさらに思考が進化し(自分ではそう思っているのですが・・(..) )、書かなければ!と思う球磨弁が幾つか登場致しました。
③球磨弁「ヒュウ・ヒュー」=後ろ・お尻・最後尾
球磨弁ではお尻の事を「ヒュウ」と言います。しかし「ヒュウ」はお尻に限定した言葉ではなく
全体的に言って「後ろ」を指す言葉です。
例えば、運動会で5人で走って4位だったとすると、普通は「4位」だったと言いますが、球磨弁では『 ヒュウから2番目 』と言う訳です。
球磨弁=ヒュウは後ろを指す
今日、何気なく、家から黒原山や白髪岳を見ていて、この「ヒュウ」と言う言葉が頭をよぎりました。
そうか・・・黒原山や白髪岳の反対側、すなわち球磨から見て、後ろ側は「日向(ひゅうが)」。
つまり、球磨弁で「ひゅうが」は『球磨の後ろの側』と言う意味になる・・・
しかし・・私のヒラメキは、きっと「不謹慎な!」と反感を買うのだろうな・・・・
と思いながらも、別の意味で(球磨弁では)、「ひゅうが」は球磨の後ろ側と言う意味である事を書いておきたい!そう感じて書かせて頂きました。(..)
④球磨弁「ダンダン」 = ありがとうございます・御苦労さま
などの感謝の言葉
2013年の12月、こちらも利用させて頂いているスレッドの方で、球磨弁の「だんだんなぁ~」は
百済語(韓国語)である事に気が付いていました。
愛媛の伝承文化様 サイトより
https://blog.goo.ne.jp/uchikonotemae/e/78abe72a159d085df113dffc6eb4af77
「ありがとう」の意で「だんだん」を方言として用いる地域は西日本各地にある。列挙してみると、鳥取県西伯郡、島根県、山口県大島、高知県幡多郡、福岡県博多、熊本県、大分県直入郡、宮崎県高千穂などである。
伊予でも使うの??と思い・・
でも、記述では「だんだんありがとうございます」が短くなったと書かれいらっしゃったのですが、私はこれに??「はたして短くなっただけなのか?」・「地域が特定されていると言う事はもっと違う事が隠されているのでは?」と考え、さらに当時(2013年12月)より調査を進めてみました。
そして、もしやもしやと
キーワードを「方言 だんだん 韓国」と入力してみると・・
日本語と韓国語は同系語: 2012年12月というサイト様が
http://japanese130.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/index.html
記事をお書きの方の御推測は、「置かせて頂いて」、私は言葉の共通点に非常に興味を抱きました。
サイト様の記述をスライドしていくと丁度中段くらいに「だんだん」 と 「도움」(2)という表題が
あります。
以下サイト様より
「だんだん」は「どうもどうも」を連想させないだろうか。これらの言葉は「使うタイミング」「意味」「音」がそっくりである。さらに気づくことは、これらの言葉がハングルの「도움<doum> 支援 世話」に似ていることである
と記されていました。
日本語は古代朝鮮語、それも「王朝語」であり 「朝鮮渡来人(王族関係者・高官・僧侶・上層階級のインテリ)」の方々が使用される言葉が多く含まれる事も良~く理解出来ました。
特に興味を引いたのは
『弥生時代(BC3世紀~AD3世紀))における朝鮮渡来人の急激な増加に比例して、多種の朝鮮方言が日本へもちこまれ』と言う記述でした。
つまり、古代朝鮮語、それも「王朝語」であり 「朝鮮渡来人(王族関係者・高官・僧侶・上層階級のインテリ)」の方々が使用される言葉が日本へ渡って来た・・と言う事になります。
ここから独り言を(..)
しかし・・はたして・・「渡って来た」のかな・・・?
渡って・・戻って来た・・のであったりして・・そう言えば・・・
『箔箘籍(朴・金・昔)をクマソの姓氏と考證するに至った』・・と明記された
浜名寛祐氏 著 日韓正宗溯源をチラリと今年(2018年)の5月に読んだ事があったなぁ~・・
あのお話はどう言う意味だろう・・(-.-)・・(p_-)
でも、ここ(球磨等)に渡って来られる前、他、古朝鮮半島に渡って来られる前はきっと
「アジアでも西の方」から移動されて来られたのだろうなぁ~・・
(あくまでも・・あくまでも・・私の独り言です(p_-)
話を戻しまして(..)
先程、御紹介させて頂いたサイト様方の記述から球磨弁「だんだんなぁ~」推測出来る事は 愛媛県、鳥取県西伯郡、島根県、山口県大島、高知県幡多郡、福岡県博多、
熊本県(球磨郡)、大分県直入郡、宮崎県高千穂、他出雲地方等には
古代朝鮮語「だんだん」を話す方々が住されていた・・
と言う事がよ~く理解出来ました。(..)
⑤球磨弁(但し岡原限定) チョッポカスケ=ふくろう・みみずく
球磨弁(但し岡原限定)で、「ふくろう」や「みみずく」の事を「チョッポカスケ」と言います。
もはや、こうなると日本語ではない!(ー_ー)!! と言う感じですが・・・
以前、この「チョッポカスケ」をヘブライ語で探したのですが見つかりませんでした・・
そこで、以前、利用しているスレッドの方で、関東在住の歴史研究家の方から頂いた御教示を思い出しました。
岡原村の「森園」は「もりぞの」とは呼ばずに、地元では「モイノソン」と呼ぶ事をコメントに書いた時に、先に書いた関東在住の歴史研究家の方から
※「森園」(モイノソン)
森も百済語の「ムイ」が訛って「モイ」になったものと思われます。
と御教示を頂いていたのです。
さらに、ブログ『球磨と古代の製鉄②』で御紹介した「宮广(みやま)」様
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12335472032.html
「宮广(みやま)」様はこの「森園(モイノソン)」で「須恵釜」跡を発見されていらっしゃいます。
※錦町一武でも宮广様は「須恵釜」跡を発見されています。錦町一武は後世の藤原姓須恵氏の本拠地でした。
この事から、私は「チョッポカスケ」は朝鮮半島に何か由来を知る手掛かりがあるのでは・・?と考えて調べたのです。
しかし・・「チョッポカスケ」=ふくろう・みみずく と表現する「言葉」を朝鮮半島に見つける事は出来なかったのですが・・・
「チョッポ」とは、韓国語で「一族の系譜」を指すと言う事までは知る事が出来ました。
うん(?_?)・・・そうすると・・(p_-)・・・・あっ!!\(◎o◎)/!
岡原の人は「ふくろう・みみずく」を御先祖様!と呼んでいるのかっ!!???
いや(ー_ー)!!そんな事は無いはずです。いくら何でも、御先祖様が「ふくろうやみみずく」とは
あくまでも、御先祖様は人間様である事に間違いはない!
と・・考えている時に、最近、気が付いたのです。
きっかけは、ブログ『父が歌うバビロニアの歌・・?』を書いた事にあります。
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12403868777.html
月神シン
配偶神ニンガルは、シュメールではナンナ(ニンガル)の子は太陽神ウトゥ(英語版)と
金星神イナンナとされ、アッカドではシンの子は太陽神シャマシュと金星神イシュタルとされた。
金星神イシュタル ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%AB
画像 ウィキペディアより
チョッポカスケ(ふくろう・みみずく)が両脇にいらっしゃる・・・!!
本当に驚きました・・・
そう言えば・・バビロンのイシュタル門の遺跡には「菊花紋」が・・・・
偶然だとは思いますが、岡原の方言「チョッポカスケ(ふくろう・みみずく)」
他の地方には無い言葉ですが、古代の岡原村地域、いえ球磨に住んでいた人達の源流を
何か見てしまったような気持ちになりました・・・
⑥平河・・平(ヒラ)・・ヒラはヘブライ語で「高貴な」
ここまでのお話で、頭が「メソポタミア」から古代朝鮮半島そして球磨とグルグル廻りながら
ふと・・平河氏の平河について考えました。
平河氏は本姓良峯氏ではありますが、球磨にて、「平河」を名乗った由来の地は
木上の字「平川」だと言われています。
ただ、通常「平川」は「ヒラカワ」と皆様呼ばれると思いますが球磨では違います。
「平川」は「ヒラコウもしくはヒラゴウ」と呼びます。
この「平川(ヒラコウ・ヒラゴウ」の地に隣接する、と言うか平川と深田村の「境」に御鎮座の神社様が「天子神社」です。 「あの御神紋」の神社様です。
天子の水公園は木上の「字 平川」と道を挟んだ隣の地区となります。
今の行政区では「木上」は錦町、「深田」はあさぎり町となりますが、木上も深田も、元は
平河氏の所領地であり、本拠地でありました。
そこで、私は考えたのであります。
地名で言うと「平河(平川)」は『ヒラコウもしくはヒラゴウ』
姓名となると「ヒラカワ」
これは、『ヒラコウもしくはヒラゴウ』と言う地名に何か意味があるのではないのか!?と。
そこで、早速、ヘブライ語で「ヒラ」はどう言う意味であるのか調べました。
すると・・すぐに見つかりました。
フランボワイヤン・ワールド様のサイトで確認させて頂きました。
http://flamboyant.jp/bible/bib039/bib039.html
ヒラ Hirah 「高貴な」 ヘブライ語
驚きました! ヒラとはヘブライ語で「高貴な」と言う意味だったのだ!と。
さらに「河」・・「コウ・ゴウ」とはポリネシアのカウ、タウ(舟)の意味。
この事は実はひぼろぎ逍遥、ひぼろぎ逍遥(跡宮)の古川様より御教示を頂いておりました。
古川様、御教示ありがとうございます。
つまり、ヒラコウ・ヒラゴウ(平河)とはヘブライ語・ポリネシア語の混合で読むと
「高貴な舟」と言う意味になります。
「高貴な舟」と言う意味の「地名」に隣接して「天子神社」が御鎮座である・・
これは、偶然なのでしょうか!?
ヒラコウ・ヒラゴウ(平河)を名の由来とする「平河氏」と言う事になります・・・・
少しだけ、真実に近づいたような気持ちになりました。
今回は 球磨弁を私なりに分析した(あくまでも、ど素人の私がですが・・)
①球磨弁「ホイドン・ホッドン」 = 宮司さん
②球磨弁「ノサッド」=うまくいく・成功する
③球磨弁「ヒュウ・ヒュー」=後ろ・お尻・最後尾
④球磨弁「ダンダン」 = ありがとうございます・御苦労さまなどの感謝の言葉
⑤球磨弁(但し岡原限定) チョッポカスケ =ふくろう・みみずく
⑥平河・・平(ヒラ)・・ヒラはヘブライ語で「高貴な」
について書かせて頂きました。
この「球磨弁」の元になる言葉を話したであろう「古代の球磨人」
古代球磨人と言えば「免田式土器」
次回は、お待たせいたしました「免田式土器」の分布地を知った事により
驚愕してしまった!・・と言うお話を書かせて頂きます。
先に予告編?を
免田式土器は九州北部では出土例が少ないと言われていますが、その少ない出土遺跡とは
九州北部 免田式土器出土遺跡
福岡県
三雲遺跡 (糸島市三雲 細石神社の裏手)
安国寺遺跡(久留米市)
亀の甲遺跡(八女市亀甲)
甘木山遺跡(大牟田市甘木) 他
佐賀県
二塚山遺跡(三養基郡上峰町)
みやき遺跡(武雄市橘町綿の木)
他、長崎県内、大分県内、さらには沖縄県でも免田式土器は出土していました。
詳しくは次回に(..)
今回も長々と書いてしまいましたが
最後に球磨弁で 皆様私のブログをご覧頂きまして
だんだんなぁ~ (^'^)
次回、『突然ですが 「五七の桐紋」と球磨について』 に続きます。
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12411831337.html