前回のブログ

内部構造が全国的にも非常に珍しい球磨の古墳 より続きます。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12345669084.html

 

前回、御紹介したように

多良木町では全国的にも3か所しか確認されていない「植物」が発見されていました。

この事を含めて、今回は

『全国的にも珍しい球磨の植物や蝶ちょさん』を御紹介させて頂きます。

 

多良木町史(昭和55年1月1日発行)に記載の『第五節 多良木町の植物』の項に

大変興味深い記述が多々ありました。

 

多良木町史より

この地方の植物が調べられ初めたのは、明治三十四年(1901年)佛人フォーリーによってである。

彼は日本にキリスト教の宣教師として来たが、植物に興味をもち、日本列島を北から南まで

数万の標本を作った。

本土を採集し終えた彼は屋久島へ渡る途中、人吉に泊まり、木上(きのえ)を経て黒肥地から湯山に泊まり、市房山に登った。

この時、市房山でツクシアケボノツツジを得ている。

その後、明治四十三年(1910年)に牧野富太郎博士を迎えて、九州理科研究会の植物採集会があり、人吉 ⇒ 一武 ⇒ 久米村 ⇒ 市房山登山の記録がある。

その時、日本で初めて野生のモクセイが発見されている。

筆者の手元に旧久米村の植物が残っている。

 

(p_-)

※日本で初めて野生のモクセイが発見されている!

また、登場しました。『日本で初めて』でございます(p_-)

そもそも「モクセイ」とは ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%A4

モクセイ(木犀、学名: Osmanthus fragrans)は、モクセイ科モクセイ属の常緑小高木。別名、ギンモクセイ(銀木犀)という。中国名は桂花。

広義では、Osmanthus fragrans に属する変種、品種(ギンモクセイ、キンモクセイ、ウスギモクセイなど)の総称であるが、単に「木犀」と言う場合は、ギンモクセイを指すことが多い。

 

分布  中国原産

人間との関わり   庭や公園などで栽培されている。

 

(゜-゜)・・・(?_?) 何故?中国原産のモクセイが栽培の状態ではなく(ー_ー)!!

野生の状態で発見されたのだろう????

 

金木犀(キンモクセイ)を調べると・・・ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%83%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%A4

キンモクセイ(金木犀、学名: Osmanthus fragrans var. aurantiacus)はモクセイ科モクセイ属の常緑小高木樹で、モクセイ(ギンモクセイ)の変種。

中国南部原産で、日本には江戸時代に渡来した。

人間との関わり
主に庭木として観賞用に植えられている。

 

といったモクセイが何故?野生の状態で球磨の山の中にあったのでしょう????

専門家の方々の調査ですから、野生であった事には間違いないはずです(p_-)

※牧野富太郎博士 ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A7%E9%87%8E%E5%AF%8C%E5%A4%AA%E9%83%8E

牧野 富太郎(まきの とみたろう、1862年5月22日(文久2年4月24日) - 1957年(昭和32年)1月18日)は、日本の植物学者。高知県高岡郡佐川町出身。
「日本の植物学の父」といわれ、多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威である。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っている。小学校中退でありながら理学博士の学位も得て、生まれた日は「植物学の日」に制定された。

 

球磨で日本で初めて発見された野生のモクセイ(中国原産)は何時「中国」から球磨にやってきたのでしょうか?・・・むむむっ(p_-)

面白い\(^o^)/

と言う事で、球磨の植物に非常に興味を持った私は続けて多良木町史を読み進めました。

 

多良木町史より

筆者は槻木川のほとりでハコネエオクジャクの日本における二株目を発見久米村枝川内でワカナシダを九州で初めて発見した。

中略・・本稿を草するに当り、東京大学教授倉田悟博士に助言を頂き感謝にたえない。

 

中略・・・

前原勘次郎氏は牛島集落でツクシガヤを発見した。

当時日本の学者を驚かせたが、1967年国立科学博物館では、再度写真入りで

中国大陸と日本との連携を示す植物として全国に紹介した。

相良村、人吉共になくなり、ここでも土地構造改善のために絶えるのではないかと思われる。

※多良木町以外に球磨郡内での確認が取れていたようです。

※中国大陸と日本との連携を示す植物「ツクシガヤ」については『当地方の特殊植物』の中に詳しく記されていました。

 

「ツクシガヤ」

イネ科に属し、大正十四年(1925年)一月T・B・Mに公表された植物で、前原氏は日本で初めてこの植物を発見した。

中国大陸と佐賀県・奈良県に分布する珍品である。

 

また・・・(p_-) 日本で初めて中国大陸に分布する「ツクシガヤ」が多良木町の牛島集落で発見されていた・・・

多良木町史は昭和55年1月1日発行なので、現在「ツクシガヤ」がどれくらい発見されているのか非常に興味が湧き調べてみました。

すると

「武庫川上流におけるツクシガヤ個体群の生育環境」という

PDFが公開されていました。

http://www.hitohaku.jp/publication/HN17_p43-51-1.pdf

 

ツクシガヤChikusichloa aquatica Koidz.はイネ科ツクシガヤ属の水湿地にまれに生えるやや大型の多年草(長田,1989)で,現在国内では秋田県(藤原ほか,2000),山形県(結城,1992),福井県(渡辺,2003),奈良県(奈良県生活環境部環境管理課,1998),福岡県(福
岡県高等学校生物研究会,1975),佐賀県(馬場,1981),長崎県(中西,1994),熊本県(熊本記念植物採集会,1969),鹿児島県(奥山,1983)のごく限られた地域に隔離分布する。

国外では中国の江蘇省に分布し,同属の類似種としては沖縄県西表島にイリオモテガヤ
Chikusichloa brachyathera Ohwi,中国の江西省にChikusichloa mutica Kengが分布する(結城・石栗,1982)
 本種は本来分布が局所的で,個体数も少なかったが,現在ではさらに減少し絶滅も心配されている。

 

そして・・・兵庫県でも発見された(武庫川上流)

 

★国外では中国の江蘇省に分布

江蘇省 ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E8%98%87%E7%9C%81

 

江蘇省(こうそしょう、中国語: 江苏省、拼音: Jiāngsū Shěng、英語: Jiangsu)は、中国東部にある行政区。長江の河口域であり、北部は淮河が流れ黄海に面する。名称は江寧(現南京市)の江、蘇州の蘇による。省都は南京市(中華民国政府が公表している省都は鎮江市)。略称は蘇。

 

地理
北部を山東省、西部を安徽省、南部を浙江省・上海市と接する。東は海に面する。省南部は長江下流デルタ地帯を形成し、中国で三番目に大きな淡水湖である太湖を有する。 京杭大運河が省域を南北に縦貫し、水路が網の目のように発達している。
言語は長江を境に、北側は官話(普通話)圏、南側は呉語圏となっている。但し、長江以南の南京市は官話圏である。

 

歴史
略史
春秋戦国時代には呉、楚などに属し、秦は東海郡、会稽郡などを設置した。

三国時代に南京が呉の都となり、六朝時代にかけて経済開発が進んだ。

唐代には揚州、徐州の域に属した。明初には南京に都が置かれ、省域は応天府として南京に直属した。北京遷都後も同様であった。清初には安徽省とともに江南省が設置されたが、1667年江蘇省と安徽省が分置された。江蘇の名は江寧と蘇州から来ている。民国時代にも南京が首都となったことがある。解放直後には南京直轄市と蘇北・蘇南行政公署区に分割されたが、1953年江蘇省が再置された。

 

春秋戦国時代
呉、楚などに属し、秦は東海郡、会稽郡などを設置した。
春秋戦国時代には、江蘇は当時の中国文明の中心河南西北部から距離があったことにより多くの地方文化を内包していた。淮河両岸は古代民族淮夷の活動地域であり、長江以北の地域に存する安徽省中部と渾然とした諸氏の村落に属していた。また南京と、鎮江及び安徽南部とは、古代の呉人の活動地域であり湖熟文化が成立していた。江蘇・浙江省にまたがる太湖の流域は越の活動地域であり、浙江省の良渚文化と文化的共通点を有す馬橋文化が発生していた。
周代、江蘇南部に呉が建国され、東周の諸侯国に列せられた。呉国は徐々に長江下流の有力な勢力となり、長江を越え諸文化を有する村落を併合、諸氏は次第に呉人に融合していった。呉の勢力拡大に伴い、西部では楚と、東部では越と衝突をした。そのため呉は晋との友好関係を構築し楚越同盟に対抗した。春秋末期、呉は国王闔閭の時代に最盛期を迎え、都城を姑蘇(現蘇州)に遷し、前484年には山東省に位置した北方の強国であった斉を打ち破るなどの勢力拡大を実現したが、前473年に越により滅亡し、その勢力下におかれるとそれ以降100年間程度の期間呉人は越人に次第に融合し、呉越両文化の融合が見られた。前333年、越は西方より楚による攻撃を受け、旧呉領域などの北部地域を喪失、江蘇は楚の版図に含まれることとなった。最終的に秦が前221年に中国統一事業を統一すると江蘇も秦の版図に含まれた。

 

魏晋南北朝時代
漢代、江蘇は依然として華北平原文明と距離を置く地域であった。行政区画としては江蘇北部の徐州及び南部の揚州(現在の揚州市とは別)の2州が設置された。

三国時代には南京に呉の都城とされ、六朝時代にかけて経済開発が進んだ。317年、西晋は北方遊牧民の侵略を受け、王朝の貴族は江南(長江下流域)に避難、建康(現南京市)で東晋とその後4王朝を建国している(南朝:420年-589年)。江蘇北部は南北勢力の最前線となり戦況により南朝と北朝が交互に支配を行っている。

 

(p_-)

国内で最初に球磨郡多良木町牛島集落で発見された「ツクシガヤ」

現在は全国の内秋田県,山形県,福井県,奈良県,兵庫県,福岡県,佐賀県,長崎県,熊本県(熊本記念植物採集会,1969発見),鹿児島県のごく限られた地域に隔離分布

国外では中国の江蘇省に分布。

江蘇省とは、調べた結果「長江の河口域」であり、春秋戦国時代「呉、楚」などに属し

周代、江蘇南部に呉が建国(国王・姫姓)。

前473年に呉国が滅亡した後は、前333年、越が西方より楚による攻撃を受け、旧呉領域などの北部地域を喪失、江蘇は楚の版図に含まれることとなった。

三国時代には南京に呉(国王・孫氏)の都城とされた。

 

「ツクシガヤ」を調べたら・・・長江流域の春秋戦国時代の呉国(国王姫姓)、三国時代の呉国(国王・孫氏)の領域が中国での分布地である事が解りました(p_-)

 

う~ん・・・結局「植物」を調べてもこうなる訳ですね(p_-)

ここまで、勉強して何故?

前原勘次郎氏が牛島集落でツクシガヤを発見した後、
当時日本の学者を驚かせ、1967年国立科学博物館では、再度写真入りで
中国大陸と日本との連携を示す植物として全国に紹介した。

のかよ~く理解出来ました。

 

「ツクシガヤ」は中国から上陸。九州の球磨を南端とし旧肥国(熊本・佐賀・長崎)そして福岡県(旧筑紫国)に広がり、その後兵庫県南東部(摂津国)・奈良県(大和)に進み、さらに秋田県,山形県,福井県まで北上したようです(p_-)

しかし、分布は(p_-)

ごく限られた地域に隔離分布する。

 

面白い(p_-)・・・実に面白いです\(^o^)/

この「ツクシガヤ」分布グループ?には、重要な意味があるのでは?ありませんか(p_-)

そもそも・・・「ツクシガヤ」は中国長江流域の春秋戦国時代の呉国(国王姫姓)、三国時代の呉国(国王・孫氏)の領域、現在の江蘇省から、自らの意思?で渡って来た訳ではなく

(ー_ー)!!(当たり前ですが)

人と共に渡って来たはずです。

 

うん?と言う事は・・・

以前「肥人はお米と共にやって来た」と言う内容を書きましたが

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12334764893.html

「肥人はツクシガヤも連れて来た?」かな???・・・

 

しかし、植物を調べると人の動きが解るとは・・・・とても面白いで~す(^O^)/

 

実は、人の動きが解るのは植物だけではありません(ー_ー)!!

実は、球磨市房山には「まぼろしの蝶」が生息しているのです!

 

その蝶ちょさんの名前は「ゴイシツバメシジミ」です。

 

ゴイシツバメシジミについて解りやすく記されていらっしゃるサイト様をご紹介します。

市房観光ホテル GODZILLA様 サイト内

まぼろしの蝶:ゴイシツバメシジミ より

http://gazoo.com/my/sites/0001452304/mizukami005/Lists/Posts/Post.aspx?ID=93

 

私なりにまとめさせて頂きました。

ゴイシツバメシジミとは

①ゴイシツバメシジミは、1973年に市房山で日本では初めて発見され、その翌年に生息が確認された。

②市房山に生息する日本で一番数の少ない蝶である。

③他の産地(奈良県、宮崎県)はほぼ絶滅状態で、現在、生息が確認されているのは、熊本県内の市房山と内大臣の2か所。

 

ゴイシツバメシジミ ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%84%E3%83%90%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%82%B8%E3%83%9F

1973年に熊本県の市房山で発見され、1975年には、日本国の天然記念物(種指定、地域定めず)に指定された。また、1996年には、国内希少野生動植物種(種の保存法)にも指定されている。

羽の表面は黒褐色、裏面はツバメシジミの翅にゴイシシジミの斑紋を乗せたような模様のチョウである。ただ、ゴイシシジミはカニアシシジミ亜科に属するので近縁種ではない。本種にもっとも近縁な種はツバメシジミやタイワンツバメシジミである。

日本国内では熊本県、宮崎県と奈良県にのみ生息する。天然記念物なのでもちろん採集はできない。国外では中国や台湾、インドのアッサム地方などにも生息している。

 

(p_-)

★日本国内では熊本県、宮崎県と奈良県にのみ生息する。

★国外では中国や台湾、インドのアッサム地方などにも生息。

 

ゴイシツバメシジミも、どうやら人の移動と共に動いたようですねぇ(p_-)

奈良県のどの辺りか調べたのですがコトバンク様の日本大百科全書(ニッポニカ)の解説で解りました。

https://kotobank.jp/word/%E3%82%B4%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%84%E3%83%90%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%82%B8%E3%83%9F-166822

日本では九州(熊本、宮崎の両県)と紀伊半島(奈良県)に産地が知られているのみ。近年になって日本に生息することが判明したもので、1975年(昭和50)には国の天然記念物に指定され、その採取は禁止されている。外国では台湾、中国東部、アッサムに分布する。

 

環境省ページ

http://www.env.go.jp/nature/kisho/hogozoushoku/goishitsubameshijimi.html

 

分布及び個体数
本州(奈良県)および九州(熊本県、宮崎県)にのみ分布する。
奈良県・宮崎県において、近年生息を確認できていない。
熊本県内においては毎年発生が確認されているが、生息個体数は不明。

 

※球磨郡の市房山他、過去球磨盆地内の数か所で生息は確認されています。

奈良県では川上村で生息が確認されていたようです。

やどりが様 サイト

奈良県川上村のゴイシツバメシジミ より

https://www.jstage.jst.go.jp/article/yadoriga/1994/156/1994_KJ00006298545/_article/-char/ja/

本種の生息地は、日本で最初に発見された九州以外では奈良県吉野郡川上村の標高300~450メートルの植林作業が困難なために残されたと思われる渓谷の狭い原生林に限られる。

 

そうか・・・奈良県吉野郡川上村ですね。

 

しかし(p_-)

球磨郡多良木町牛島で日本で最初に発見された「ツクシガヤ」も、奈良県に分布。

1973年に球磨郡市房山で日本では初めて発見された「ゴイシツバメシジミ」も同じく奈良県吉野郡川上村に生息。他生息地は宮崎県(日向国)

「ツクシガヤ」も「ゴイシツバメシジミ」も日本国内では分布や生息地が決まっている・・・

こう書いてみると・・・

球磨郡と共通点を持つ奈良県ですね・・・

そう言えば奈良盆地と人吉(球磨)盆地はびっくりする事に「大きさが全く同じ」でした。

人吉(球磨)盆地

東西約30キロメートル、南北約15キロメートルの範囲に広がる盆地

奈良盆地

東西に約15キロメートル、南北に約30キロメートルの面積

 

球磨郡と共通点を持つ奈良県・・・

クンクンクンと古代の謎の香りが漂っているようです・・・(p_-)

 

今回、

①球磨では日本で初めて野生のモクセイが発見されている。

②「ツクシガヤ」が国内で初めて球磨で発見された。

※長江流域の春秋戦国時代の呉国(国王姫姓)、三国時代の呉国(国王・孫氏)の領域が中国での分布地であり、国内ではごく限られた地域のみに隔離分布する。

★九州の球磨を南端とし旧肥国(熊本・佐賀・長崎)・福岡県(旧筑紫国)・兵庫県南東部(摂津国)・奈良県(大和)・秋田県,山形県,福井県のみに隔離分布する。

③1973年に市房山で日本では初めて発見された「ゴイシツバメシジミ」

※生息地は球磨郡・宮崎県・奈良県吉野郡のみ。

 

と言った事を調査・勉強致しました。

 

希少植物や希少生物を勉強すると、何故か人の移動が見えて来る・・・

大変勉強になりました。

 

今までの私の調査で、無知識な私が

稲作について勉強した

肥人は縄文時代末期 「お米」と共にやって来た

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12334764893.html

 

鉄について勉強した

球磨と古代の製鉄①

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12335294512.html

球磨と古代の製鉄②

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12335472032.html

 

と様々な角度から古代について基本的な事を勉強してきましたが

今回は植物・生物といった角度から古代を理解する事が出来ました。

植物・生物の「古代の渡来と国内の移動」について、私の住む球磨が深く関わりを持っている事も、今回の調査ではっきりと見えてきた・・・と考えます。

 

様々な角度から古代を理解する事は非常に大事な事だと痛感しています。

 

次回

局限分布の蝶「ゴイシツバメシジミ」をさらに追及 に続きます。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12348032549.html