前回のブログ

全国的にも珍しい球磨の植物や蝶ちょさん より続きます。

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12347579763.html

 

前回

①球磨では日本で初めて野生のモクセイが発見されている。
②「ツクシガヤ」が国内で初めて球磨で発見された。
※長江流域の春秋戦国時代の呉国(国王姫姓)、三国時代の呉国(国王・孫氏)の領域が中国での分布地であり、国内ではごく限られた地域のみに隔離分布する。
★鹿児島県・九州の球磨を南端とする旧肥国(熊本・佐賀・長崎)・福岡県(旧筑紫国)・兵庫県南東部(摂津国)・奈良県(大和)・秋田県,山形県,福井県のみに隔離分布する。
③1973年に市房山で日本では初めて発見された「ゴイシツバメシジミ」
※生息地は球磨郡・宮崎県・奈良県吉野郡のみ。

と言う事が理解出来ました。

 

ここで、私はさらにまぼろしの蝶「ゴイシツバメシジミ」を追及してみました(p_-)

理由は

蝶が単独で、日本のそれも球磨や奈良にピンポイントで飛んでくることなんて
想像出来ないからです!!!
きっと人の移動と共に海を渡って来た・・私はそう考えます。

 

ウィキペディアの記述では

ゴイシツバメシジミ ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%84%E3%83%90%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%82%B8%E3%83%9F

1973年に熊本県の市房山で発見され、1975年には、日本国の天然記念物(種指定、地域定めず)に指定された。また、1996年には、国内希少野生動植物種(種の保存法)にも指定されている。
羽の表面は黒褐色、裏面はツバメシジミの翅にゴイシシジミの斑紋を乗せたような模様のチョウである。ただ、ゴイシシジミはカニアシシジミ亜科に属するので近縁種ではない。本種にもっとも近縁な種はツバメシジミやタイワンツバメシジミである。
日本国内では熊本県、宮崎県と奈良県にのみ生息する。天然記念物なのでもちろん採集はできない。国外では中国や台湾、インドのアッサム地方などにも生息している。

 

★国外では中国や台湾、インドのアッサム地方などにも生息している。

インドはアッサム地方と言う事が解っているので・・

では中国・台湾では、どの辺りに生息しているのかを調べてみました(p_-)

ネットで色々調べたのですが、苦心の末ようやく見つける事が出来ました!

 

やどりが様のサイト内にPDFでダウンロード出来るページに答えがありました!

1986 巻 , 127 号です。

https://www.jstage.jst.go.jp/browse/yadoriga/1986/127/_contents/-char/ja

 

まず、台湾での生息地について(p_-)

台灣産ゴイシツバメシジミの生活史について(<特集>中国浙江省麗水のチョウ) より

https://www.jstage.jst.go.jp/article/yadoriga/1986/127/1986_KJ00006297870/_pdf/-char/ja

ゴイシツバメシジミは1973年8月始めて日本の九州で発見され、その分布は局限されており、その個体数も少なく、将来絶滅のおそれがある為に一年後の1975年2月遂に天然記念物として指定され、その保護をする様になり、その後幼生期の詳細な研究報告も出版された。

台湾では1914年に本種を採集した記録があり・・・以下略

 

以下、拝見すると合計7匹の三齢幼蟲を台中縣雪山渓の古木の上で発見、捕獲された事が記されていました。

※台中縣雪山渓の古木の上

 

台中県 ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E4%B8%AD%E7%9C%8C

台中県(たいちゅうけん)は、台湾の中西部に存在した県。2010年12月25日に台中市へ統合され消滅した。

画像

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E4%B8%AD%E7%9C%8C#/media/File:Taichung_County_Location_Map.png

 

雪山渓 雪山山脈 ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E5%B1%B1%E5%B1%B1%E8%84%88

雪山山脈(せつざんさんみゃく)は、台湾を南北に走る山脈で、五大山脈の一つ。中央山脈の北西に位置し、東側は蘭陽渓断層谷と大甲渓上流縦谷(合わせてピヤナン構造線と呼ばれる)で中央山脈と隔てられている。雪山山脈は台湾で最も北に位置する山脈で、北東から南西に向かって伸びている。

大漢渓、大安渓、大甲渓の浸食を受け、雪山山脈は3地域に分けることができる。北部の阿玉山階段山地、中部の雪山地塁、南部の埔里陷落地帯である。山脈の名称にもなっている雪山は、雪山地塁のちょうど中心に位置し、そこから放射状に伸びて台湾北部まで途切れることなく続いている。

雪山 ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E5%B1%B1_(%E5%8F%B0%E6%B9%BE)

雪山(せつざん)は台湾の山。雪山山脈にある台湾で2番目に高い山。標高は3,886m。旧称次高山(つぎたかやま)・シルビア山

所在地     台湾 苗栗県・台中市

 

歴史
漢民族により「玉山」・「雪翁山」・「雪山」、台湾原住民により「マハマヤン」、西洋人により「シルビヤ山」などと呼ばれていたが、日本統治時代の1923年、台湾に行啓した摂政宮裕仁親王により、台湾領有当時の日本最高峰新高山の「次に高い山」の意味で次高山と命名された。
日本の敗戦後、大陸から移ってきた中国国民党政府により雪山と定められて現在に至る。

 

(p_-)・・・解りました。ゴイシツバメシジミが発見された場所は雪山(台湾 苗栗県・台中市)辺りですね・・・

 

さらに中国での生息地も、同じく

やどりが様のサイト内にPDFでダウンロード出来るページに答えがありました!
1986 巻 , 127 号 
浙江省麗水地区蝶類名録(<特集>中国浙江省麗水のチョウ)  

15ページに記されていました。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/yadoriga/1986/127/1986_KJ00006297864/_pdf/-char/ja

 

★13 莫氏灰蝶 ゴイシツバメシジミ

龍泉鳳陽 山 〔600〜115em ): 23 Aug .’8 ; 12June ’80 

遂昌大西 坑 (500 m ): 8Aug .’85

龍泉鳳陽山とは中国浙江省の山でした。

 

やどりが様サイト内 や どりが 153号 (1993)より

https://www.jstage.jst.go.jp/article/yadoriga/1993/153/1993_KJ00006298441/_pdf

 

さらに遂昌大西 坑とは中国浙江省遂昌県 麗水市

地図

https://www.google.co.jp/maps/place/Daxikeng,+%E9%81%82%E6%98%8C%E7%9C%8C+%E9%BA%97%E6%B0%B4%E5%B8%82+%E6%B5%99%E6%B1%9F%E7%9C%81+%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E4%BA%BA%E6%B0%91%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD/@28.6222164,119.0667224,14z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x34486a85a3f722f3:0xdb663c5df9383c9c!8m2!3d28.622218!4d119.084232

 

やっと見つける事が出来ました!

1973年に熊本県の市房山で発見され、分布は局限されている「ゴイシツバメシジミ」

※日本国内では熊本県、宮崎県と奈良県にのみ生息する。

海外の生息地は

台湾 台中県(現台中市)雪山渓

中国 浙江省龍泉鳳陽山

中国 浙江省遂昌県大西坑

 

ネットで調べるのはかなり苦心しましたが、ようやく見つかりました。

何故?ここまで調べたのか?・・・それは先にも書いたように

蝶が単独で、日本のそれも球磨や奈良にピンポイントで飛んでくることなんて

想像出来ないからです!!!

きっと人の移動と共に海を渡って来た・・私はそう考えます。

 

浙江省 ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%99%E6%B1%9F%E7%9C%81

 

浙江省(せっこうしょう、中国語:浙江省、拼音:Zhèjiāng Shěng、英語:Zhejiang)は、中華人民共和国の省の一つ。略称は浙。華東地区中部に位置し、東シナ海に面す。省都は杭州市。浙とは省内最大の河川・銭塘江を指す。銭塘江は蛇行が激しいことから曲江・之江・折江・浙江などと呼ばれてきた。

 

地理
北に江蘇省と上海市、西に安徽省と江西省、南に福建省と接する。東は東シナ海に面する。銭塘江が流入する杭州湾は古来より交易で栄え、沿海には舟山列島など約2千の島々が散らばり、中国で最も島嶼が多い省である。内陸は丘陵地帯となり、天台山、四明山、天目山などが連なる。北部の湖州市にある安吉県は竹の産地で有名であり、映画グリーン・デスティニーの竹林のシーンも安吉の中国大竹海で撮影された。

 

歴史

春秋時代の越国であり、戦国時代には楚に属した。秦始皇帝によって統一され、会稽郡が設置された。漢代には揚州に属し、三国時代には呉の領域に入った。唐代に浙江東西両道が置かれて、浙江の名が始まった。五代十国時代には杭州を都とする呉越国が成立した。北宋が南渡して臨安(杭州)は南宋の都となった。元代に浙江行省が設置され、明には浙江布政司、清代に浙江省が成立した。

この地の7000年前のカボト遺跡からは水田の跡が見つかっており、その籾のDNAはジャポニカであることから、この長江沿いの地域は日本の稲作伝来ルーツ地と見なされている。

 

浙江省

※春秋時代の越国であり、戦国時代には楚に属した。

※三国時代には呉の領域に入った。

※五代十国時代には杭州を都とする呉越国が成立

※北宋が南渡して臨安(杭州)は南宋の都

※長江沿いの地域は日本の稲作伝来ルーツ地

 

やった\(^o^)/・・・稲作にも繋がりました!

ゴイシツバメシジミの生息地浙江省を調べたら上記の事が解りました。

しかし春秋時代の越国・戦国時代の楚国・三国時代の呉国・・・

いったいどの時代に「ゴイシツバメシジミ」さんは球磨にやってきたのでしょうか?(p_-)

むむっ(p_-)

「ゴイシツバメシジミ」さんはかっぱさんのお皿の水を飲みながら海を渡って球磨川に到着したのかな???? 市房山は球磨川の上流です・・・むむっ・・・

(ー_ー)!! 冗談です。

 

さらに、国内に絞って「ゴイシツバメシジミ」の詳細な生息地を調べました(p_-)

すると・・・

あさぎり町中部ふるさと会様のページに詳しく記されていました!

http://asagiri-chubu-furusato.jp/hurusatokai/tanbou_post/post_039.html

第39回 ふるさと探訪 豊かな隠れ里 人吉球磨の自然(2) を拝見すると

 

『生息地域は、熊本県や宮崎県、それに奈良県吉野郡川上村でのみ生息する。九州の産地は、熊本県の水上村、五木村、上益城郡山都町の内大臣峡(ないだいじんきょう)地区、あさぎり町上地区の白髪岳周辺や須恵地区、それに宮崎県小林市だけである。』

とありました。

(あっ奈良県吉野郡川上村・・最初からこちらのページを拝見すればよかった(@_@。)

 

※熊本県球磨郡:水上村、五木村、 あさぎり町上地区の白髪岳周辺や須恵地区

※熊本県上益城郡:山都町の内大臣峡(ないだいじんきょう)地区

※宮崎県:小林市

※奈良県:吉野郡川上村

 

そうか・・・球磨郡内の至る所で生息が確認されています。(p_-)

宮崎県小林市は白髪岳や黒原山の反対側(宮崎県側)です・・・すごく近い

熊縣の熊津彦さんの子息二人の方がいらっしゃった所です(p_-)

さらに奈良県:吉野郡川上村

球磨郡と小林市は一つのグループになりそうなので・・・

他のグループ?が熊本県上益城郡:山都町内大臣峡(ないだいじんきょう)地区

しかし、こちらは生息地の一つ球磨郡「五木村」と近いです(p_-)

もう一つのグループ?は奈良県:吉野郡川上村 「吉野郡」・・・

 

絞られました(p_-)

 

どなたか「蝶ちょ」さんを、古代の兜にちょこんとくっつけて東へ向かわれたのかな?

久米の方かしら・・・(*^_^*)・・・冗談です(ー_ー)!!

 

しかし・・・

第39回 ふるさと探訪 豊かな隠れ里 人吉球磨の自然(2)をお書きになった杉下潤二氏は

この蝶の先祖もまた、小さな体で南方からはるばる飛来したのであろうか。

と疑問をなげかけていらっしゃいます。

杉下潤二氏 https://www.meijo-u.ac.jp/sp/tenbyo/detail.html?id=x1u668

杉下潤二名城大学名誉教授

実は・・・

父の従姉の義弟の方です・・・(カミングアウトしてしまいました(..))

昨年、お会いしました(..)

 

杉下潤二名城大学名誉教授がゴイシツバメシジミチョウに疑問を抱き調べていらっしゃったと言う事を今回初めて知り、私は敬服致しました(..)

やはり球磨視点をお持ちの方です。

とても嬉しくなりました。

 

今回、1973年に熊本県の市房山で発見され、分布は局限されている「ゴイシツバメシジミ」を調べて、私自身が感じた事は『やはり、蝶が単独で海を渡って、ピンポイントの場所に行き生息する事などありえない』・・

と言う事です。

人の移動に伴って動いた(移動)したと推測します。

 

所で、「ゴイシツバメシジミ」を調べていて偶然見つけた事があります。

それは

やどりが様のサイト内
1986 巻 , 127 号 
浙江省麗水地区蝶類名録(<特集>中国浙江省麗水のチョウ)  
15ページに記されていました。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/yadoriga/1986/127/1986_KJ00006297864/_pdf/-char/ja

 

22 酢漿小荻蝶  ヤマトシジミ

生息地 中国浙江省 龍泉鳳陽山・遂昌九龍山・繧雲壷鎮・遂昌大西坑

 

酢漿小荻蝶  ヤマトシジミ

確か酢漿とは「カタバミ」の事では?と考えて調べました。

 

ヤマトシジミ (蝶) ウィキペディアより

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88%E3%82%B7%E3%82%B8%E3%83%9F_(%E8%9D%B6)

 

ヤマトシジミ(大和小灰蝶、大和蜆蝶・学名Pseudozizeeria maha、シノニムZizeeria maha)はチョウ目・シジミチョウ科のチョウ一種。日本には本州以南に分布する。前翅長は9-16mmと小さい。

年5-6回、春から秋まで発生する。越冬態は蛹。オスの翅表の色は黒地で、中心に明るい水色を吹いたような色合いだが、メスは黒色のみ。翅裏は薄いグレー地で、黒い斑紋を乗せる。関東以西でもっとも普通に見られるチョウのひとつ。
幼虫がカタバミを食草としているので、主に平地の道端や耕作地周辺に生息し、人家周辺でよく見られる。日当たりのよい場所にカタバミさえあればほとんどどこでも発生するが、成虫は移動力に劣るため、食草の少ない山地などではあまり見られない。

 

和名  ヤマトシジミ(大和小灰蝶)

中国名 ヤマトシジミ(酢漿小荻蝶)

※幼虫がカタバミを食草としているので、日当たりのよい場所にカタバミさえあればほとんどどこでも発生する。

 

言うなれば

カタバミ(酢漿)さえあれば生きていける蝶・・・ヤマトシジミ(大和小灰蝶)(酢漿小荻蝶)

 

カタバミ(酢漿)・・・

 

カタバミ(酢漿)・・・そういえば

実は、家の親戚一族、
家の宮原家、祖母の実家の平川家、曾祖母の実家の深水家、そして椎葉家。
旧久米郷宮原村に住する家の親戚一同、家紋は皆「丸に剣方喰(剣酢漿)」です。
偶然ではありません。
宮原家は本姓橘・平川家は本姓良峯・深水家は本姓藤原(江戸時代までは源)
椎葉家は本姓平。
其々違う「本姓」の親戚ですが、家紋を「丸に剣方喰(剣酢漿)」に統一したのは
『姓は違っても堅い絆の一族だから』・・と椎葉のおじは子供の頃から聞いています。
どうして「丸に剣方喰(剣酢漿)」に統一したのか?

家の場合、宮原家単独の親戚には橘紋を使用する家々もあります・・・

ただ・・・
旧宮原村内だけではなく、実は、球磨郡内では「丸に剣片喰(剣酢漿)紋」を使用する家がとても多い事には以前から気が付いていました。
郡内には「天子神社」が数か所、「天下神社」も数か所鎮座されていますが
その中の一か所に伺った際、
その神社様の「宮司家」を代々務める方の「家」のお墓が近くにあり
そちらの家紋も「丸に剣片喰(剣酢漿)紋」でした。
そこで何か意味があるのか?と以前から気にはなっていました。
球磨郡内に23か所もある「天子地名」は「景行天皇」に御所縁の地名です。

「景行天皇」に御所縁の『天子』地名のある旧宮原村内、家と同様の「丸に剣片喰(酢漿)紋」を使用する家が多い・・・
さらに景行天皇に御所縁の『天子』地名が23か所もある球磨において家も含め親戚も含め、他多数の家々が「丸に剣片喰(酢漿)紋」を多く使用しているのは何故だろう?

今まで、「丸に剣片喰(酢漿)紋」について殆ど調べた事がありませんでした。
全国的に「丸に剣片喰紋」を使用する家がとても多い事を知っていたからです。

知識と言えば片喰紋・酢漿草紋は
『繁殖力が強く、一度根付くと絶やすことが困難であることが、「(家が)絶えない」に通じることから、武家の間では、家運隆盛・子孫繁栄の縁起担ぎとして家紋の図案として用いられた。五大紋の一つに数えられる。』
等の内容くらいでした。

しかし、実は先の疑問から「丸に剣片喰(酢漿)紋」について以前詳しく調べた事がありました。

次回、その時に調べた事をまとめて書かせて頂こうと思います(..)

 

カタバミ(酢漿)さえあれば生きていける蝶・・・ヤマトシジミ(大和小灰蝶)(酢漿小荻蝶)

カタバミ(酢漿)と蝶・・・ヤマトシジミ(大和小灰蝶)(酢漿小荻蝶)

 

「ゴイシツバメシジミ」から脱線しましたが

ヤマトシジミ(大和小灰蝶)(酢漿小荻蝶)も、何と言うか・・・不思議な感じなのですが

妙に気になります。

 

今回、1973年に熊本県の市房山で発見され、分布は局限されている「ゴイシツバメシジミ」を追及して解った事は(p_-)

 

①海外の生息地

台湾 台中県(現台中市)雪山渓
中国 浙江省龍泉鳳陽山
中国 浙江省遂昌県大西坑

 

②浙江省とは

※春秋時代の越国であり、戦国時代には楚に属した。

※三国時代には呉の領域に入った。

※五代十国時代には杭州を都とする呉越国が成立

※北宋が南渡して臨安(杭州)は南宋の都

※長江沿いの地域は日本の稲作伝来ルーツ地

★春秋時代の越国・戦国時代の楚国・三国時代の呉国

 

③日本での生息地

※熊本県球磨郡:水上村、五木村、 あさぎり町上地区の白髪岳周辺や須恵地区
※熊本県上益城郡:山都町の内大臣峡(ないだいじんきょう)地区
※宮崎県:小林市
※奈良県:吉野郡川上村

 

④生息地はまとまっている

※球磨郡内の至る所で生息が確認。

※宮崎県小林市は白髪岳や黒原山の反対側(宮崎県側)。

※熊本県上益城郡:山都町内大臣峡(ないだいじんきょう)地区こちらは生息地の一つ球磨郡「五木村」と近い

すなわち、九州では球磨郡を中心域とした地域である。

※奈良県は吉野郡川上村(九州からかなり遠い)

 

私の推測

「ゴイシツバメシジミ」は人の移動と共に動いている!

いったいどの時代に「ゴイシツバメシジミ」さんは球磨にやってきたのでしょうか?(p_-)

 

インドのアッサム地方についても今後勉強したいと思います。(p_-)

 

次回

①球磨郡久米郷と物部氏 に続きます。(驚くべき事を知ることになりました・・・)

https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12349112922.html