心のセラピストさはしひろこです。

ビリーフチェンジセラピーで、
「誰かみたいになろうとせず、
ありのままの自分を輝かせる
生き方のサポート」
をしています。


私は三姉妹の真ん中っ子、次女です。
 

 


次女の私が、
子どものころから心の中で感じていた
寂しさやひがみっぽさ。

これまでもブログに
色々書いてきましたが・・・

実際問題、
真ん中っ子って、
大切にされていないのか?


それは・・・
その家庭によってさまざまだと思うけど、

真ん中っ子が
(私ってなんだか
大切にされていないなー・・・)
(いてもいなくても
あんまり支障ないのかも・・・)

と、感じる確率
高いかもしれないなーと思います。

なぜ大切にされていないと感じるのか?

真ん中っ子でない方にとっては
不思議で仕方ないかも。

なんでそんな風に
感じちゃうんだ?って。

被害妄想じゃんって
片づけられがちかも。。。

これによってまた、
『あーやっぱり
私の言ってる事って大切にされない・・・』
とその思いが
強化されるかもしれない悪循環。

真ん中っ子の皆様
その気持ち、わかりますよー。

なかなかわかってもらえない
もどかしさ!


というわけで、
三姉妹真ん中っ子の心の中、
ちょっと覗いてみましょう。
(みんながみんな
こう感じるわけじゃなく、
あくまで私が
こう感じていたんだよ
って言うサンプルです)


お姉ちゃんは、
両親にとって初めての子であり、
父方、母方、
それぞれの祖父母にとっても初孫でした。

産まれた瞬間から、
親戚中が大喜びした様子が、
当時のアルバムを見てもよくわかります。

姉のお宮参りの写真には、
父方の祖父母、母方の祖母に加えて、
おじやおば(母の兄&妹)も、
一緒に写っていたような・・・
(遠方に住んでいたのにもかかわらず!)

家の中で写した写真には、
父方のおじ(父の弟)もよく登場していました。

毎週末のように、孫の顔を見るために、
祖父母が車に乗ってやってきて
(正直大変だった・・・)という話も
よく母から聞きました。

で、私は二年後に
産まれたわけなんですが。

私が産まれる少し前に、
父方の祖父母の家の隣に
引っ越したので、
(つまり、隣に行けばすぐ会える)
はるばる車に乗って
孫の顔を見に来る程の盛り上がりもなく。


これが男の子だったら、
もうちょっとめずらしがられたかもなんですが、
女は二人目だしね。

(ねーちゃんと比べて○○だなぁ)
程度のことしか、
さして話題もなかったような。。。


そんな感じで産まれた時から、
ゆるーくではあるけど、
何かって言うと姉と比較されたり、

「ねーちゃんのおかげで
お前は楽なんだぞ」と言われたり、
(主に祖父からこの言葉、
言いきかされたなぁ・・・)

悔しいけど、
まぁそんなもんかなぁなんて
感じながら過ごしていたんだと思います。

いやいや、結構写真いっぱいあるよ。
可愛がってもらってた感、満載だよ。

と、今では思いますが、
当時は、もっと欲しい。。。
母を独占したい。。。

そんな気持ちがあったんだろうなぁ。


そうしたら
そうしたら。

なんとさらに、
5年後に妹が誕生。

私が産まれた昭和40年代前半と
妹が産まれた昭和40年代後半って、
時代的にもだいぶ違っててですね。

名前だって、
姉:慶子
私:寛子

って、
子がつく名前が普通だよね的な
時代から時は移り、

妹は、
りえ
と名付けられ。

りえって。
なんか、ハイカラな名前だし。
(すでになんか特別感。)

私たち二人のことより
明らかに末っ子の
あの子の方が可愛いみたい。。。

と、母の横顔を眺めること多し。
(ひがみ全開)

祖父母も、久しぶりの赤ちゃん誕生に
なんだか盛り上がってる感が伝わってくる。

まぁ、父が精神的に
不安定だった頃なので、
子どもが生まれて、
これで息子も回復するのではという
祖父母にとって
期待や安堵感のようなものもあったかなぁと。

結構子どもって
敏感に家族の空気を感じているものですね。


さらには、こんなショックな事も。

姉の友達が、
何人か家に遊びに来ていた時の事。

妹と私が
ガラッと部屋の引き戸を開けて
入って行った時。
(妹:幼稚園生? 私:小学校高学年)

妹が登場した瞬間、
友達のみなさんがワッと湧いた。
「わぁー妹がいるんだねー。
かわいいー。」

そして、妹の後ろの私の存在に気づき、
「あ、、、、
もうひとりいるんだねー。。。(シーン)」

え?

ただのひがみです、ひがみですけど、
妹はかわいいといわれて
私はかわいいと言われなかった・・・

ど、どうせかわいくないよね、
小っちゃくないしね。。。

ショック・・・

でもぐっとこらえて
何でもない平気なふりしたんですよね。

平気なふり大得意。


なんというか、
比較して、自分はどうか?
を察知する能力が
めっちゃ高くなって行った気がします。

もちろん主観的、妄想的比較をして、
妄想的結論に収まるんですが。

(あー、ってことは、
私のことこう思ってるんだろうな。。。)

そういうジャッジが
めっちゃ上手くなっていく。
めっちゃそのトレーニング積んでいく(笑)


でも、この感覚
ずっと持ち続けてると人生しんどいです。

どの感覚かって、これです。

「どうせ私は大切にされない」


だって、人生が
その証拠集めになっちゃうからです。

え?どういうこと?


長くなったので、
つづきはまた改めて書きますー。

【つづきはこちら】
三姉妹の真ん中っ子が感じてしまう、
「どうせ私は大切にされない」という感覚 その2