「東京都同情塔」
九段理江「東京都同情塔」(『新潮』2023年12月号所収)を読みました。 この小説は「もし、国立競技場のデザインがザハ・ハディドのデザイン案のまま建設されていたら…」と言う世界の中で、主人公牧名紗羅が設計した高層タワー”シンパシータワートーキョー“(または“東京都同情塔”)についての物語で、部分部分は面白く読めたのですが、個人的には物語の流れが掴みにくく読書中は若干苦しかったです(もっとも、時間が経つにつれて分かってきましたが、少なくともAIが登場しているからではありません…。)。
しかし、接し方を変えたり外来語等で置き換えたりして、建物なり事物が持っているイメージを変えようとするのは、正解がある訳はないし難しいですよね。
おまけに、「日本人が日本語を捨てたら、日本人じゃなくなる」(56頁)と言う牧名沙羅の考えは読んでいて正しいだろうなと感じましたし…。
あと、個人的にはもっとガツガツしても良いのではないかなと思う主人公牧名紗羅と東上拓人との関係と、マサキ・セトの文章と(日本語に翻訳された)マックス・クラインの文章が読んでいて気になりました。
『おれの眼を撃った男は死んだ』

シャネル・ベンツ『おれの眼を撃った男は死んだ』(高山真由美訳、創元推理文庫)を読みました
確か、この本は発売されてすぐ題名に惹かれて購入したと思うのですが、つい積ん読状態にしてしまっていました。
でも、このままでは幾ら時間が経とうが読まないだろうと考えて(思い切って)今回読んだのですが、この本に収められている10篇の小説には必ず暴力行為が出てくる上に読み応えがあるので途中で通読を諦める人もあるかもしれないなと読み終えて思いました。
恐らくもう一度通読すると下記に書く感想(めいたもの)も変わるかもしれませんが、今回の読書では複数の名前を持つ夫と主人公の姿を描いた「外交官の娘」、解放された(らしい)黒人女性の手記の形を取る「オリンダ・トマスの人生における非凡な出来事の奇妙な記録」、医学的な根拠のない病気の治療法が引き起こした悲劇を描く「蜻蛉(スネーク・ドクターズ)」、ある暴力をきっかけに主人公の女性の運命が変わっていく様を描いた「死を悼む人々」、ある遺跡での出来事から語り手の過去が明かされる「認識」が個人的に(他の作品と比較して)やや強く印象に残りました。
『ネイティブ・サン アメリカの息子』
リチャード・ライト『ネイティブ・サン アメリカの息子』(上岡伸雄訳、新潮文庫)を読みました。 この本の発売当時、この本について僕は知識がまるで無かったのにも関わらず、表紙の写真と帯に惹かれて購入したものの、本の分厚さと何だか内容が重そうだと言う印象を拭い去る事が出来ず、読むのを躊躇しているうちに積ん読状態の一冊にしてしまっていました。
しかし、約2週間前に突然読書熱が湧き上がり、自分でも不思議だとは思いつつも理由は深く追求する事なく、その勢いに身を委ねているうちにどうにか読み切る事ができました。
まず、この小説について最初の(正直な)感想としては、この小説が描き出している1930年代のアメリカにおける人種差別の壮絶さに驚き、これを描き出した作者は凄いと感じました。
ですが、主人公である貧しいアフリカ系アメリカ人の青年ビッガー・トマスがある白人に運転手として雇われたその日に、ある事態がきっかけとなって彼を雇った主人の娘を窒息死させてしまった事から始まる(逃走劇や裁判と言った)一連の流れに対しては、読んでいて「人種差別はあるにせよ、ビッガーは何故自身の行動に対して面と向き合う態度を取らないのだろう。」「もしビッガー自身が自分自身を理解できていれば、(この小説で描かれているような)自己中心的でやや傲慢な態度は絶対に取らないだろうに(何故そうならないのだろう)。」と何度となく考えてしまい、その度に腹が立って仕方がありませんでした。
もしかすると、僕個人としては、この本を購入する以前に「訳者あとがき」で書かれているような知識を持っておかないとといけなかったのかもしれません…。
なお、この本で訳されているのは以前に邦訳され『アメリカの息子』として出版されたものではなく、作者が出したかったオリジナル版の小説との事です。
そして、最後になってしまいましたが、ビッガー・トマスの裁判における弁護人のマックスによるとんでもない熱量で放たれる長い長い申し立ての場面が個人的に特に強く印象に残りました。


