『大物主大神』、大物主命(おおものぬしのみこと)、彼の名は、幼少名を布留(ふる)といい、成人後は饒速日(にぎはやひ)と申します。御神名は、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)です。

 

 彼の父は、天忍穂耳命(あまのおしほみみのみこと)で、母は栲幡千千姫(たくちはたちぢひめ)と申します。祖父の名は、父方が思兼命、祖母の名は天照大神大日靈貴(あまてらすおおみかみおおひるめむち)です。母方の祖父が、高木神です。

 

 皇后の名は活玉依姫(いくたまよりひめ)といい、三嶋湟咋(みしまみぞくい)という、大和(当時は登美・とみ)の支配者の娘で、活玉依姫の兄が、登美明国(とみのあきくに)といい、俗に長脛彦(ながすねひこ)と呼ばれています。

 

 饒速日の息子には、宇摩志麻治命(うましまじのみこと)や、天香久山命(あまのかぐやまのみこと)、通称弥彦がいます。弥彦は、新潟県を治めになられ、石油の神様として崇拝されています。

 

 饒速日は初代大物主であり、最後の天照大神でもあります。

 

 彼は天津神(あまつかみ)という種族で、宇宙から大委日高見国(おおやまとひだかみのくに)即ちエデンに降り立った一族の子孫です。6048年程前に、エデンに降り立った神が、地球人との混合種アダムを作り、アダムからエヴァを作り、四方の国中、メソポタミアへと連れて行った後裔が、ウブスとなりヘブライとなり、ユダヤとなり、ソグドとなって日本に出戻りしたのが天津神です。

 

 彼がなぜ偉大であるのかについては、日本国を初めて統一した大王であったことが挙げられます。九州の阿多家、大山祇神(おおやまずみのかみ)と平和裏に談義して、日本国の統一を果たしました。その九州に饒速日の弟の邇邇芸命(ににぎのみこと)が婿養子に入り彦しています。饒速日は東北地方にも赴いて山形秋田、鳥海山付近には一族もいて、大委日高見国とも話を付けました。大物主饒速日命の娘櫛玉姫の婿に大国主の長子八重事代主がなり、その娘の伊須気余理姫が、神武天皇の皇后となっています。

 

 大物主命の子孫は、女系で日本全国にいます。明治以降に作られた新興宗教大神神社のお伽噺や賀茂の一族である三輪氏が大物主の子孫であるとするような大嘘は信じないことです。第十代崇神天皇の御代に賀茂族の大田田根子(おおたたねこ)が出雲族でありながら、大物主の子孫と偽って三輪神社の初代宮司となったことにより、神名が書き換えられ、三輪神社は御神徳を失いました。大田田根子は三輪山と関係性がありません。天津神と思って結婚した姫皇女が、騙されたことを知って箸でほとを突き亡くなった姫皇女の墓の場所を箸墓といい、姫皇女の墓を大田田根子が壊して、自分のためか、あるいは宗女臺与のための大きな古墳を建造したのが今の箸墓古墳で、皮肉にも箸墓の地名が残って現在に 至る訳です。

 

 しかしながら、いずれにしても、長い年月を経て、日本全国大物主の子孫ではあるのは事実です。

 

 三輪山は西暦581年から仏教により守られ、廃仏毀釈の明治四年1871年まで1290年間、大三輪寺(三輪山平等寺)によって守られてきた聖地でありますから、新興宗教に惑わされないようにしていただきたいと思います。

 

 

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日本神道 布都能理斗 ひふみ祝詞

 

ひふみよいむなやことをちろらねしきるゆゐつあぬそほたはくめかうおゑにさりへてのますあせほれけ。ゆーっくり、息とともに唱えて、ふるべゆらゆらとふるべー。(大丈夫大丈夫さあ起き上がりなさいという応援の意味) これが神道の太祝詞(ふとのりと)死にそうなひとがいたら、呼吸を整えてあげて、念じ、祝詞を唱える。なので、死者を蘇らす呪文であるともいわれています。