子供の顔がみたい
陸軍兵長 江越国広 命
昭和20年5月23日
ルソン島にて戦死 享年35歳
「としえよ、葉書有難う。
僕もどんなに逢いたいか。子供の顔もみたい。次の日曜日に面会許可書を頼むはずであったが、遅かった。
すべてはにくい未来だ。
お前もキツイでしょう。しかし、我慢して働いてくれ。父も母もきっと可愛がってくれるでしょう。
国敏もいい子だ。落ち着いた気持ちはきっと良くなると思う。
ああ、一度見たい。博美もいい。
しかし、あまり古いことにはこだわらず育ててくれ。
僕の写真にお辞儀をしたとのこと。涙が出るよ。
勲もだんだん良くなるよ。頭のよいところを伸ばして下さい。征記は大きくなるよ。身体に注意して育ててください。
兵舎の窓から走馬燈のように顔が流れる。としえ、国広が元気で帰る日を待ってくれよ。
そして、気をつけて、働いてくれよ。
8月10日
としえ殿
国広」
(男の子四人を残して応召、戦地に出発する時、妻に宛てた手紙)
「英霊の言の葉」靖国神社