謝恩 〜高台院(秀吉の夫人)
豊臣秀吉の夫人は高台院と言って、夫によくつかえて、内助の功の多かった人であります。
夫人は、元織田信長の足軽、杉原助左衛門という者の娘でした。
生まれた時から、同じ信長の家来の伊藤右近という人に世話になり、親切に養育されました。
大きくなると、良い家に奉公に出してもらい、行儀などを見習いました。
その頃、秀吉は、木下藤吉郎と言って、まだ低い身分でしたが、夫人を妻にもらおうと思って、そのことを申し入れました。
夫人はまず右近のところへ行って相談すると、右近は、「藤吉郎は知恵の優れた人だから、末のためによろしかろう」
と言って嫁入りさせました。
その時、右近は、貧しい中から夫人に夜着・布団・鏡・くし・こうがいなど、色々の支度を整えて与えました。
その時、藤吉郎は次第に立身出世し、とうとう太閤秀吉と言って、日本国中の人から敬われる身になりました。
太閤夫人となった高台院は昔、世話になった右近夫妻のことを忘れず、方々を探させてやっと訪ね出しました。
その頃右近は落ちぶれて、田舎に隠れていました。秀吉夫婦は、それを大阪城に招いて懇ろにいたわり、昔のことなどを語り出し、
涙を流して礼を述べ、夫人自ら結構な物をたくさん取り出して与えました。
この時、夫人は、右近らのそばに寄って、「御身たちの綿入れは汚れています。昔のお礼に、私に洗濯させてください。」
と言って、新しい着物に着替えさせました。それから10日ばかりたつと、また二人を城に招いて、先日の洗濯ができあがったからと言って、夫人が自ら仕立てかえて、綺麗にした綿入れを渡しました。
秀吉は、右近に禄を与えて、その後は、大阪に住まわせることにしました。
(参考図書:尋常小学校「修身書」)