昭和2年に起きたもう一つの南京事件 | 子供と離れて暮らす親の心の悩みを軽くしたい

 

 

 

 

 

南京事件は1つだけだと思ってますか?

 

実は、昭和2年(1927年)3月24日 もう一つの南京事件があったのです。

 

中国国民党軍が北伐(中国統一を目指し、各地の軍閥を倒すための軍事行動)の際、程 潜(てい せん)指揮する部隊が、南京を占領し、日本やイギリス、米国などの領事館、日本人居留民を襲撃しました。(南京事件)

 

南京領事館では当初、国民党軍からの攻撃を防ぐために、土嚢や機関銃を設置して備えを固めていましたが、海軍陸戦隊の荒木亀男大尉は、反撃すると日本人避難民に危険が及ぶと考え、それら全てを撤去してしまい、無抵抗主義をとりました。

 

そして、早朝に開門して国民党軍を受け入れたところ、支那兵が、「やっつけろやっつけろ」と叫びながら領事館に乱入し、日本人職員に暴行を加え、金庫から金品やトイレの便器まであらゆるものを略奪し、南京領事夫人を始め女子は、衣類を脱がされて婦女暴行(レイプ)を加えられました。

 

支那兵は、2階にいた根本博陸軍武官(当時)に向け発砲。運よく玉は頭部を外れたが、腹部に命中。一階に飛び降りようとしたら臀部に銃剣を突き刺され気落とされてしまい大怪我を負いました。

 

昭和2年3月25日に、下関に停泊していた、イギリス軍、米国軍はこの領事館襲撃を受けて、南京城内に艦砲射撃を開始し、陸戦隊を上陸させて居留民の保護を図りました。

 

この南京での残虐行為を働いた部隊を指揮していた程 潜(てい せん)は、日本の東京振武学校と陸軍士官学校で留学経験がある知日派でした。

 

南京事件では、蒋介石の激怒を受けて一時失脚しますが、その後復帰して、日中戦争を

戦います。そして、日本敗戦後の国共内戦で国民党軍が劣勢にになると、中国共産党軍に寝返りました。

 

中国共産党では、全国人民代表大会常務委員会副委員長、中国国民党革命委員会(民革)中央副主席などの要職を歴任した。

 

中国共産党は、この昭和2年の南京事件で、日本人領事館を襲撃して、略奪、婦女暴行(レイプ)、殺人を行ったことについて、謝罪したことはありません。

 

その代わりに中国共産党は、昭和12年12月に日本軍が、中国国民党政府の首都だった南京城を陥落した際、大虐殺があったといって、世界に向けて宣伝(プロパガンダ)しています。
 

ちなみに南京は、中国共産党政府の首都ではありません。

 

昭和2年の南京事件を打ち消すために、プロパガンダしているのでしょうか?

 

根本博陸軍武官は、無抵抗主義を取ったために、略奪、強姦を受け、自身も危うく殺されかけてしまったこの南京事件の経験を通して、非武装、無抵抗主義の危険を嫌という程、思い知らされました。

 

現在、共産党軍が攻撃してきたら、日本は武装解除して、無抵抗主義を取ればいい、という主張をしている人たちがいます。

 

もし、本当にそんなことをしたら、昭和2年3月の南京事件のように、また昭和20年8月以降に起きた満州国での悲劇のように、略奪、婦女暴行(レイプ)、それを拒否したら殺人という地獄絵が起こることでしょう。